スプートニクとライカ犬と私の排出された卵子 [まじめに][分娩記録1]


スプートニクの恋人 [村上春樹]

はい、ええ、ようやく!何年か越しに、自分史のようなもの更新です。本当はおととし、2021年の年末にお知らせしてあったんですよね。実父の話を書いて、実母の話書いて、次は結婚後のオット父の話を書いたので、そろそろ次の段階、自分の妊娠について、生殖医療(不妊治療)の病院に通った話から、分娩について、書いていきたいなと。そしたら大外からオット母の介護と看取りが舞い込んできたので、22年はもうそれで手一杯で。

今年こそ、続きを書くぞ!と。
そのあたりのことは、数年前にShortNoteという日記サイトにひっそり公開してあったのですが、それをね、ここに載せるにあたり、最初は時系列順に並べ替えようと思っていたんですけども。でもあの、手塚治虫先生に代表されるように、発表順、執筆順に読みたいじゃないですか!?後から順番いじるのやめてほしくないですか!?萩尾望都先生の『ポーの一族』だって執筆順に読みたいじゃん!?と神様二人と自分を同列視して、書いた順に移植することにしました。やっぱりなんでしょう、ShortNoteに書いていた時期も数年間の幅があって、初期に感じていたことと後期でも違うし、ましてやそこから数年後の今とも様々な差が生じているし。そういうのをね、起きた出来事の時系列だけを基準に並べ替えてしまうと自分が混乱するなー、とも思いまして。

そんなわけで。
2017年2月に書いて、ShortNoteに発表した文章を、ちょっと手直しして載せます。今は9歳になったうちの子がまだ3歳になる前頃のある日に、分娩時のことを振り返って書いたものです。今は47歳の私が、41歳の時に書いた、38歳の分娩時のお話。1万字近くの長文です。

分娩時、トラブルが起きて緊急手術になった時のかなり詳細な記録で、人によってはショッキングな内容も含まれていると思いますので、手術とか出血とか、痛い話しんどい話が苦手な方は無理せず避けてくださいませ。

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2017年2月19日

スプートニクとライカ犬と私の排出された卵子

昨日はやけに心が乱れる一日だった。とても良いお天気だったのに。

大したことでもないのにイライラしたり、悲しくて虚しい気持ちになって、しまいには涙が出てきて。ニコニコしながら膝によじ登ってくるもうすぐ3歳の息子に、涙目のまま絵本を読んであげたりもした。
燦々と日の差し込む明るくて暖かい居間で、膝に子供、向こうの部屋にはオットもいるのに、孤立感に苛まれた。

そもそも週末はオットも家にいるから食事の支度などの負担が増すのだ。週末で家にいても、自営業でプログラマのオットは基本仕事で部屋にこもっていて、食事の時に出てくるだけ。
こう書いてしまうといかにも冷たい、家庭を顧みない前時代的な男のように聞こえてしまうが、コーヒーを取りに居間に出てくるたびに息子をかまってキャッキャとはしゃがせ、私とはすれ違いざまお互いすきま時間に仕入れたアニメやネットネタを交換しあったり、遊んで遊んでと台所のゲートに張り付いて30分も泣き続ける子供の声に急き立てられ、たびたび作業を中断されながら作ったぼやけた味の煮込みうどんも文句を言わずに食べてくれて、穏やかで楽しい、頼りになる人だ。

それでも昨日はどうにも心が沈んで仕方がなかった。
オットは食べ終わったらソファーに寝転んでiPhone(仕事なのか単なる息抜きなのかわからない)、子供の食べこぼしを床に這いつくばって拭いたりお代わりを取りに行ったりで座る間もないのは私だけで、そんないつものことがいつものことと納得できない。
泣きながら絵本を読んであげたあと、しばらくぼーっと子供と遊んでいると仕事部屋からオットが出てきてくれたので、子供の相手を任せて台所の片付けをしていたらまた涙が出てきた。

今日は本当に、なんでこんなことでこんなに涙が出るんだろう。
私は今幸せなはずなのに。
子供の面倒を見るのが嫌なわけではない。あえて言うまでもないが子供は可愛いし、もちろんまだ泣いて手を焼くこともなくはないが、聡くて情緒も安定していて身体も丈夫で、これ以上ないほど育てやすい子だ。これで子育てがしんどいだなんて未熟者にもほどがある。オットだって息子と同じく安定した穏やかな人で、申し分ないはずなのに。

などとつらつら考えて、ふと、ああそういえば生理中だからか、と思い至った。
なあんだそれでホルモンバランスが狂っておかしなことになってるんだ、と、少し気持ちが上向いた。ホルモンのせいなら仕方ない。現状の問題は何なのか、なんて考え込む必要もないわけだ。

しかし次に浮かんだ考えは。
食器棚に手を伸ばしながら、

子宮を失くしてもこんなふうに生理に左右だけはされるんだなあ。

と何の気なしにそう思い、心にインクが落ちたように、ぽたりと悲しみが広がってしまった。
しまった、これは本物だ。
ホルモンのせいじゃない。本当に悲しんでいい理由に思い至ってしまった。泣いていい案件だ。

そう思ったら、さっきよりも激しく、顔をぐしゃぐしゃにして泣いてしまうのを避けられなかった。
すぐそこで遊んでいるオットと子供に気づかれないように、声を殺しながら台所の片付けを続けた。

そう、産後、出血が止まらず、そのまま子宮摘出となったのだ。
癒着胎盤といって、体外受精の副作用とも言われている(諸説あるらしいが)。

お産自体は安産で子供はスムーズに産まれたものの、胎盤がすぐには剥がれず出血が止まらなかった。一刻も早く処置が必要な危険な状態で、担当医師がまだ広がったままの産道から手を突っ込んでベリベリと剥がした。陣痛より、お産より痛くて分娩台の上で暴れる私を複数の看護師さんが押さえつけたほどだった。大量の輸血もして、そのまま出血が止まらなければ子宮摘出もありうると言われ、最初のうちは事態の逼迫性がピンとこず「えっ嫌です」と答えたりもしていた。

お産自体は17時、なんだかんだで処置が終わったのが21時頃だったろうか。その後朝まで分娩台から動かすことも避けての絶対安静で、輸血や点滴の様子を見に1〜2時間おきにスタッフが出入りする浅い眠りのまま丸12時間(疲れ切っていたので気にならないどころか細やかなケアが有り難かった)、ようやく病室のベッドに移動できたのは翌朝9時頃だった。

その後数日、新生児の世話をしながら経過観察をしてもらい、出血も止まったようだし、摘出には至らずになんとかなったようだ、と担当医師も私もホッとしていたのだが、4日後ふたたび大出血が始まり、産科病棟は騒然とした。

不運の中にも幸運が重なり、たまたま平日昼間のスタッフも設備も揃っているタイミングで、たまたま分娩担当医師の診察中だったため、最速最善の処置をしてもらえた。そもそも体外受精に高齢出産というハイリスク妊婦だったから、念のためにと総合病院を選んでおいたのも功を奏したのだ(体外受精妊娠だとハイリスク分娩の可能性が高くなる、という話は後述)。

小さな病院や助産院だと、何かトラブルが起きた時に近隣の大きな病院に搬送されることになる、だったら最初からその受け入れ先で産めばいいのでは、と、自分の地域の「周産期母子医療センター指定病院」を調べたら、数年前にオット母が手術で入院した病院が入っていた。母の手術前に、友人医師にあれこれ訊いてみた時ここは中堅どころの医師が揃っているしっかりした病院で設備もスタッフ数も充実していると教えてもらったこともあり、面会に通って実際感じが良く雰囲気もわかっていたし、24時間営業の院内コンビニも何かと便利だった(自分の流産の手術の時はそこで苦労した…)。何より当時すでに身体を悪くしていた母も通いやすいだろう。NICUもある。それにここなら血液センターも隣接しているから、万が一の時に一番早く処置してもらえるのではないか。そう考えて選んだ総合病院だったが、まさか自分がICUのお世話になろうとは。

分娩直後の出血が多く輸血はしたものの経過は順調で、産後数日は穏やかに過ごせた。3日目には祝い膳を食べたり、オットも母も連日来てくれた。担当だったベテランのT先生と若いA先生が入れ替わり立ち替わり様子を見にきてくれる。「あれだけの出血をすると、いろんな臓器にどんな影響が出てもおかしくないから怖くて休みが取れない」と言われる。熱心で有難い。

問題の4日目の朝。
煮こごりのようなぷるぷるした出血が二度ある。一度目は多めの生理くらいの量、二度目は出た時に明らかな異物感を感じるほど大きく、手のひら大くらい。これは流さない方がいいのでは…と、念のため悪露用の大きなナプキンに乗せたまま、トイレ個室内の緊急コールを押すと遠くから看護師さんが走ってくる。長い廊下を二人、ずっと走ってきてくれるので申し訳なくてつい手を振ったりする。すいません私自体は元気です(この時はまだ)。見てもらったところ、大きいけれど、まあ大丈夫でしょう、とのこと。

同日14時。
分娩4日目というと通常なら退院前診察だけれど、私の場合はしっかり血が止まっているか確認するための診察。
採血などの数値の結果は、身体のどこかから出血をしているような兆候はなく、完全に止まっているだろう、このままなら退院は2~3日後かも、なんて話をしながら診察を受ける。それから、分娩時に止血のためにガーゼをたくさん子宮に詰め込んだが、後で数えたところガーゼの数が合わないので、今回取り出しながら数を確認します、とのこと。(分娩時は)もう大騒ぎだったので、しっかり数えている余裕がなかった、と。

ガーゼは全部出せて(結局枚数はどうだったのかな?この直後それどころじゃなくなったので不明なまま)、しっかり血は止まっていますね、と言われほっとする。最後にエコーで確認し、少しレバー状の血の塊があるので取りますね、このまま固まっちゃうと厄介なので、と言われ、途端、ジョボジョボジョボジョボ、とペットボトルをひっくり返したような水音がし、先生とぎょっと顔を見あわせる。

「聞こえました?」
はい。
「今また出血してます。手で押さえてしばらく止血しますね」

膣から子宮に手を入れ、それをお腹の上から押さえる形で(双手圧迫というらしい)止血する先生。1分か2分か、あるいは5分ほどそのままで、先生がそーっと手を離そうとするとまたもジョボジョボジョボジョボ、と最初と全く同じ勢いの水音。即座に先生「だめだ緊急召集かけて!産科の先生呼んで!」とその場にいた看護師さんに指示を飛ばし、ナースステーションから看護師さんたちがばたばたばたっと駆け込んでくる。これまでの入院生活や妊婦健診の時は一人一人と顔を合わせてきた看護師さんたちが一気に一堂に会し、オールキャスト総出演の体。

ここじゃどうにもならないから分娩室に移動(その時いたのは産婦人科フロアの普通の小さな診察室)、と、看護師さん4~5人がかりで私を持ち上げストレッチャーに。その間もT先生は手を離すと出血する!と双手圧迫の姿勢のまま、しかし身体を持ち上げられる際に手がずれてやはりジョボジョボジョボジョボ、とかなりの音がする。そのままストレッチャーで数人がかりで廊下を走り分娩室へ。分娩台に乗せられる時も同じく激しい水音。この音の分だけ出血しているのなら一体どのくらいの量なのか、と思う。

分娩室で輸血パックが到着するまで待機。それから手術室にも連絡して!とT先生。渾身の力で双手圧迫し続けてみるみる汗だくになっており、看護師さんに気遣われるが「怖くて手が離せない!」。分娩室で待機していたのは確か一時間ほどだったが、その間先生は両手で止血しながら汗だくになりながらも他のスタッフに次々指示を出していく。

分娩後何本も入っていた点滴の管を、ちょうどこの日の朝、授乳や抱っこのたびに痛いので抜いてくれと頼んで1本だけ残して抜いてもらったばかりだったが、点滴や輸血のためにふたたび何本分か血管確保することに。しかし「針が入らない!」と看護師さん。全身の血液量が減って血管が細っているのだろう。子供の頃の入院手術や不妊治療でも常に採血や注射がしやすい血管だと喜ばれる人生だったので、ここでも出血量の多さと事の重大さを感じる。点滴ツリーにはたくさんのパックが鈴なりに。フックに引っ掛け切れないほどで看護師さんが焦っている。

医師だけでも5人、看護師さんは10人くらいいただろうか。人一人の命を救うためにこれだけ多くの人が、こんなにも必死になってくれるものなのだな、と感慨を抱く。
身体の中外両側からお腹の辺りをかなりの力で押さえつけられ、イテテテ…とたまに声を漏らす私にT先生「すみません、でも力を緩めると出血するので」いえいいんです、お願いします。

最初のうちは、できるだけ子宮を残す方向でやりますが、このまま出血が止まらないと摘出になるかもしれないと告げられる。しかし他のスタッフさんたちとの会話の中でも、血の色が薄い、血がサラサラしすぎている、と不穏な断片情報。のちに聞くと、大量の輸血の直後は血が薄くなり、固まりにくくなることがあるのだそうだ。

汗だくになって必死に努力を続けてくれたT先生だったが、とうとう「すみません〇〇さん、これは取らなダメです。もう2人目とかじゃないんで」と切迫した調子で言われる。「今躊躇していると、2人目の妊娠出産どころかこの場で命を落としてしまう」ということだ。
T先生は40代半ばくらいだろうか、38歳のお産だった自分とおそらくほぼ同年代の、関西弁の飄々とした男性だった。

小康状態を保っていた4日の間に、体質的に2人目も体外受精の必要がありそうなこと(1人目が体外受精とは分娩予約の時点で報告済み)、その場合また同じように癒着胎盤になる可能性はどのくらいあるのか、予定帝王切開にすれば今回のような大量出血の危険を避けられるのか、など、オットと二人で先生から色々と話を伺っていた。その中で、分娩直後の出血だけでもかなり危なかったこと、2人目を帝王切開にしたとしても危険度はあまり変わらないことなどの説明を受けた。

先生によると、癒着胎盤は妊娠中には判別できず、また、体外受精で顕著に確率が増える(そうは言っても1万〜2万人に一人というレアケースで、予防接種などでよくある「まれに重篤な副作用が生じる場合があります」を私は見事引き当ててしまったわけだ)、諸説あるが原因ははっきりしていない。自然妊娠と違い、体外に取り出した受精卵をある程度細胞分裂させ、数日とはいえ育った状態でおなかに戻すので、子宮内壁に着床する際より深く入り込んでしまうのでは、等、何か要因はあるのかもしれないが、現時点では解明されていないそうだ。ただ産婦人科医師の間では「体外受精の妊娠は癒着胎盤が多い」とは常識となっている、とのことだった。

医師がそう言い切るからには相当なのだろう、とオットともその時話した。妊娠前にも、病院によっては体外受精妊婦は分娩を断られる場合もあると聞いたことがあった。体外受精差別か!と憤慨したものだが、こういうことが起こるからなのかと身をもって経験することになってしまったのだった。

そんなやりとりを交わしていたから、こちらとしてもすっと納得することができた。というより、お任せするしかなかった。もう目の前で先生は渾身の力で止血し続けて汗だくだし、10人以上の看護師、5人以上の産科医が非常招集をかけられ集結し、全員が私の命を救うために必死で奔走してくれている。こんなにも大勢の医療従事者がこんなにも必死になっていて、それでもダメだと判断されたのだ、これはもう仕方がないだろう。

輸血パックも届いて、産科の分娩室から一階の手術室に移動。ヘルプにきていた女性医師(短髪でメガネ、理知的な雰囲気)がT先生圧迫変わりますよ、と言い、離すと出血するから急いで、とタイミングを合わせせーので双手圧迫を交代。その間隙にもやはりジョボジョボジョボジョボ、とまったく衰えない出血音。自分からは見えない位置だったが、床は大変なことになっていただろう。オット父が事故で亡くなった時がそうだった。またストレッチャーで院内を駆け抜ける。エレベーターに乗り、数人がかりで走って病棟移動。通りかかった普通の入院患者さんやお見舞いのお客さんにとっては相当緊迫した場面だったと思う。

手術室に入ると同時に壁時計を思わず確認。15時。
流産の時の手術と同じような十字架型の手術台に乗せられ、麻酔や手術の準備が慌ただしく進められていく。着ていたパジャマの上はハサミで切られてしまう。術衣に着替える前に輸血をはじめとする重要な点滴がたくさん腕に刺さっていて、抜くことができなかったからだ。この入院のために買ったツモリチサト(泣)。古い友人が交通事故に遭った時お気に入りの服を切られたのが悲しかった!と話してくれたのを思い出す。しかし看護師さんたちがこんな大変なさなかなのに何とかならないかコードを捌こうと頑張ってくれて、ダメだ切りますね!あーっごめんなさい!!とハサミを入れながら何人もで謝ってくれて慰められる。同じくこの入院のために買ったシルクウールのレッグウォーマーも行方不明に。きっと出血で大変なことになって捨てられてしまったのだろう。

急すぎてオットもオット母も間に合わなかったので(後で聞いたところ、いわゆる病院からの「家族への緊急コール」が入ったそうだ)、手術の説明も自分で受け、同意書にも自分でサインをする。15人からのスタッフの怒号が飛び交う中、医療事務担当の人だろうか、身動きできない私の顔の近くに「こんな時にごめんなさいね!」と恐縮しながら何枚も書類を持ってきて要点を早口で読み上げてくれ、点滴だらけの手にペンを握らせてくれる。

後に「あんな大変な状態だったのに〇〇さんは終始冷静ですごかった!」と看護師さんたちに賞賛していただけたが、最後まで(手術の麻酔まで)意識があったので、事の顛末が気になって状況把握をしっかりしておきたかったのと、私にできるのはスタッフさんたちの邪魔をしないこと、協力できるところはすることだと思い、「寒気がしたり、気分が悪くなったり、目がチカチカしたりしたらすぐに教えてください」と言われ、それが重要なバイタルサインなのだなと把握、自分の変化にもなるべく注意を払うようにしていた。最後の方はちょっと寒くなってきました、とか、少しめまいがします、と言った覚えがある。相当失血していたのだろう。麻酔が入る直前時計を見た。15時半頃だったと思う。

結果的に、最初の分娩時の出血は2500ml、分娩2日後くらいの診察時にT先生から関西弁のイントネーションで「異常な出血のお産」と言われたので、車椅子を押してくれていた看護師さんに(そう、最初の時点で車椅子じゃないと移動できないくらい重症産婦だったのだ)通常のお産の出血ってどのくらいなんですか、と聞いたら500ml以上で「多い」と数えるとのことだった。それで2500は確かに異常だ。

と思っていたら、4日後の大出血では「測れただけで4000ml」とのことだった。私が何度となく聞いたペットボトルのドボドボ音の分は勘定に入っていないと思われる。それでその量。後日T先生にそれは、どのくらいの…と聞いたら、「身体中の血を2回入れ替えるくらいです」と滑らかに言われた。

小さな個人病院や助産院を選んでいたら間違いなく緊急搬送コースで、大袈裟でなく命を落としていたのではないかと思う。それどころか、大きな病院だったとしても夜中だったら。休日だったら。お産が立て込んでいたら。思えば午前中の時点で血の塊が出て、兆候はあったのだ。あのまま自然に大出血が起きた可能性だってあったろう。トイレの個室で緊急ボタンを押したとして、看護師さんたちがあの長い廊下を辿り着くまで私の意識は果たしてもっただろうか。血液センターが隣接している総合病院ですら輸血パックが届くまでに1時間かかった。先生が止血で汗だくになりながら「まだか!?大至急って言ったの!?」と声を荒げていた。

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そんな目に遭ったので、子宮をなくしても、生きていて良かった、助かって良かった、という気持ちの方が強いし、実際その通りだと思う。出血も輸血も大量だったので主治医の先生も影響を気にかけて連日病室に顔を出してくれたが、結果的には失血の後遺症も輸血による合併症も何もなかった。何があってもおかしくない状況だったのだから、本当に有り難いことだ。

緊急事態だったとはいえ事前の説明や覚悟がある程度できていたおかげもあってか、女性としての重要な器官を失った精神的な傷、みたいなものも、おそらくそこまで深くはなかったように思う。

手術部位も、子宮体部ギリギリ、とのことで、頸部や膣はそのまま残してもらえていた。その辺りまで取ってしまうと、性生活や排尿にまで影響するから、精神的にも身体的にも受け入れるのにだいぶ時間がかかったのではないかと思われる。卵巣も二つとも無事だった。なので、ホルモンの分泌も産後の状態が落ち着いて授乳が終われば自然に戻って、日常生活は普通に送れるとのことだった。実際産後3年経った今(2017年)何の支障もなく暮らせているし、普段は忘れて過ごしている。(だからこそ今回、不意打ちのように思い出して動揺してしまったのだが)

そんなふうに先生とあれこれ交わした会話の中で、「子宮は取っても、生理は来るかもしれない」と言われたことがあった。

どういうことかと思ったら、生理というのは、子宮内膜が受精卵を迎えるために厚くなって、それが剥がれ落ちるものだけれど、「子宮内膜」というのは、単に子宮の内側なのではなく、独立した器官のようなものなのだそうだ(という説明だったと思う、たぶん)。

子宮を取ったら内膜もなくなってしまいそうなものだが、私の場合はいわゆる頸部も含めた全摘ではなく、出血箇所を確認しながらギリギリ止血に必要な部分だけを切除したので、子宮体部の一部は残っている。そうすると、袋状でこそなくなったが、残された子宮内膜の一部はまだ機能している状態で、また私の場合は卵巣もあるから排卵はされるわけで、そうすると子宮内膜も排卵時期には今まで通りに受精卵用のクッションを作り、着床しなければ(しないわけだが)今まで通りに経血として排出する、という反応をすることになるのだそうだ。

へえへえ。知らなかった。面白い。
25年くらいの間生理と付き合ってきたが、産後、しかも子宮をなくしてから初めて知る、生理や子宮と子宮内膜の詳細。

もちろん一部になっているから、今までよりは経血の量も減るでしょうし、場合によってはまったく出血しないかもしれない、その辺は授乳を終えて生理が復活する時期になってみないとわからない、とのことだった。

授乳を終えて半年ほど経った頃、数ヶ月前から何となく色のついたおりものが出ることがあり、時期をメモしてみたら大体4週おきくらいで、ああこれが先生が言っていた生理っぽいものかな、と思った。最初は一日二日程度のものだったのが、次には少量ずつとはいえ三日ほど出血が続いて、頭重感や鈍い腹痛も加わり、さらにやみくもな気分の落ち込み。いよいよ本格的な生理(っぽいもの)の開始だった。

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卵巣もあって排卵するといっても、その卵子は(受け入れる子宮がない今)どうなるんでしょう?

とも聞いてみたら、先生は虚空にくるくると円を描きながら「腹腔内をこう漂って、やがて経血と一緒に体外に排出されます。今まで普通に妊娠しない月に起こってきたことと変わりませんよ」

それを聞いてふと、スプートニクを思った。

以前小説で読んだ、ロシアの人工衛星。世界で初めて有機体、生き物を乗せて打ち上げられたという。乗せられていたのはライカ犬。クドリャフカという名前。小説に書かれていたイメージで、丸い窓から犬の黒い瞳が寂しげに覗いている。人工衛星が宇宙空間を遠くへ飛び去っていく。そんな光景が頭に浮かんだ。

私のお腹の中でそんなふうに、排卵されたまま辿り着くあてもなく、所在なげにしばらくくるくると回ってから排出されていく卵子。

かわいそうなような、申し訳ないような。
そんな気持ちになった産後すぐの入院中のことを、久しぶりに思い出した。

子供にきょうだいを作ってあげたかった。
きっとオットのような、寡黙で頼り甲斐のある良いお兄ちゃんになったに違いない。
オットのことをお父さんと呼べる子も、もっと増やしてあげたかった。

だけど、仕方がない。一人授かって無事に産むことができただけでも感謝しないといけない。もっとつらいことにだってなり得たのだ。

それでも、こんなふうにふいに、たまに悲しんでもいいんじゃないかと思う。
起こったことは仕方がないけれど、悲しくなるのもまた仕方のないことじゃないか。これは悲しんで良い案件なのだ。ホルモンバランスも崩れている時期だし。泣いてしまおう。

5年ほど前だろうか、1度目の流産の時、友人が「こういう時は思いっきり悲しんでたくさん泣くといいよ、私はそうしたよ」とメールをくれて、ああ泣いていいんだ、仕方のないことだから傷つきすぎないようにしなきゃ、前向きに考えなければ、と思おうとしていたけれど、そうだ、泣いていいんだよね、と思えてたくさん涙を流せたことを思い出した。

泣いていいんだ。
泣いて、そして日常生活に戻れる幸せに改めて感謝して。

そんなことを思った、明るい2月の日曜日でした。

(2017年2月19日)
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2023-11-17 体外受精の分娩で大変な目に遭った私が、代理出産について思うこと[分娩記録][生殖医療][まじめに]

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