ドラマ『生きるとか死ぬとか父親とか』2話を見て思い出した、実父の葬儀の話 [家族の重い話][真面目に]

生きるとか死ぬとか父親とか(新潮文庫)
ジェーン・スー
新潮社
2021-02-27



やー面白い!今期楽しみにしているドラマのひとつです『生きるとか死ぬとか父親とか』。

【ドラマ24】生きるとか死ぬとか父親とか|テレビ東京

ジェーンスーさんの原作エッセイがあるのですね。そちらは未読ですが、吉田羊さんがすごくジェーンスーさんに寄せてる!とご本人もびっくりしてらした。へえへえ。

ジェーン・スーが自伝的エッセイのドラマ化に期待。「年を重ね、親との関係に悩んでいる人に観てほしい」:…|テレ東プラス

いやー國村隼さんが、亡くなったうちの父に見た目もちょっと似てて。実父の方です。時々登場しているオット父ではなく。そうなんです、実父も亡くなっているのです私。40代も後半戦ともなるとそういうことも増えてくる。オット父が亡くなったのは10年前で60代前半とまだ若かったですが、実父の方はわりと最近。70ちょっと過ぎ。病気でした。

國村隼さんの、ちょっととぼけた、憎めない感じ、人たらしな風貌が実父と少しかぶります。たれ目がちなとことか、声が低くややかすれたようなとことかも。憎めなくて人たらし、というのはドラマと違って私の場合はあくまで「他人から見たらそういうふうに見えるのかもな」という醒めた感想ですけどね。このドラマで吉田羊さんがのっけから「ついつい父を甘やかしてしまう、実の娘ですらそうなのだから他人の女からしたらますますそうだろう(モテるだろう)」みたいに言ってらして私はえええええと思いましたけどね!実父を甘やかしたいと思ったことなど一度もないわ!信じられんわこのおっさんはよくもまあ〜と呆れてましたいつも。すいませんね亡き父をつかまえて言いたい放題。オットくんのお父さんと扱いが違いすぎる。

今回はドラマを機に、私も自分の父のことをちょっと書いてみることにしました。どうしても家族の重い話がずるっと出てくるかと思うので、そういの苦手な方はご注意くださいませ。

ーー

実の父。憎んでるってほどではないんだけど、好きかと聞かれると嫌いではないんだけど、尊敬してるかと聞かれたら悪いんだけど即答でノー。ごめんねお父さん。嫌いではなかったし、可愛がってくれたことを感謝はしてるんだけど、でもな〜お父さん、お母さんのこと殴ってたじゃん、ていう。そういうとこがねえ。

すいません重い話をずるっと。まあでもそういうご家庭だったんですよね。そして私の世代、昭和終盤生まれ(昭和50年、1975年)で、親が団塊の世代だとそう珍しいことじゃないんじゃないかと経験的に思っています。親とうまくいってない人、親がうまくいってなかった人多すぎ問題。私の周りだけかもしれないし、団塊で母数が大きいから割合が増えてる気がするのかもしれないけども。ただ、未婚化、少子化、って単なる母数の問題、人口減少だけでは決してなく、親の世代がロールモデルとして機能していなかったという内面の問題こそ大きく影響しているのではないかと思います。むしろ反面教師だった…結婚しても、子供がいてもちっとも楽しそうじゃないじゃない…と。だから自分が結婚してみて、子供を産み育ててみて、特に育児に関して大変さを押して余りある楽しさや喜びもものすごく多いことに今更ながらびっくりしているし、それはやはり私が1人じゃなく、オットをはじめとする家族(私の場合オットの実家)のおかげでもあって、かたや夫に殴られ実家は遠方な上に仲が悪くて頼れず、経済的にもギリギリで孤立無援だった母の苦労にも今更ながら想像がより深く及んだり。かといってそんな母のことなら好きだったか許せるかと問われてもそうひとことでは答えられない。嫌いと言い切ることも難しい。だからこのドラマのように、「母からもっと話を聞きたかった、父にはそういう後悔を残したくない」と思える親子関係羨ましいです。私は聞きたくない(キッパリ)。ていうか散々聞いたんで…愚痴から何から年端もいかない幼児の頃からさんざっぱら聞かされてきたんでもうお腹いっぱいです。

でも、そこには母個人の力や人間性だけではどうにもできなかったいろんな背景が、社会や、福祉や、ジェンダーや、色々な色々なものが、根底から切っても切れずに横たわっていたのだろうなあ、と40半ばの今は思うようになりました。考えれば考えるほど、もっとどうにかできなかったのかなあ、誰かが、もっとどうにか、と残念な気持ちになるけれど、これからの時代はようやく少しずつでも変わっていけるんじゃないだろうか、とも思っています。やっと違和感を口に出せるようになってきた、日本はジェンダーギャップ120位の国だとようやく話題に上るようになってきた、それだけで進歩だ。きっと。

母に関してはもっと色々と複雑な母親と娘とのあれやこれやがありすぎるので、とりあえずここではまだあっさり書けそうな父に絞って言う。ほんとはどちらかに絞れるもんでもないんですけどね、夫婦の関係って、そして子供から見た両親って。でも収拾つかなくなるのでとりあえず絞る。

悪い人じゃなかったんだろうけど、子供のことは殴らなかったけれど妻のことは殴ってたし怒鳴り合いの口論も絶えなかった。外では中小企業の営業さんでした。人当たりが良く快活で、バリバリ働いてた。子煩悩、と言って良かったと思います。夏休み冬休みは必ず海やら山やらキャンプやらに連れて行ってくれた。優しかったし、楽しいお父さんでした。友人たちにとってもそうだったのではないかと思う、友達も多かった(少なくとも私が子供の頃はそのように見えた)。そういう人が家では妻を殴り飛ばしていたという陰惨な事実。毎日毎晩飲み歩いていた。また団塊、身体が丈夫!あんだけ暴飲暴食してよくまあ70過ぎまでもったな、ってくらい。肝臓やら消化器官が強かったんでしょうね。

そんな実父の葬儀に、正直行こうかどうしようか迷うほどの間柄でした。よっぽど行くのやめようかと思った。母と兄と顔を合わせるのもきつかったし。そんな感じのご家庭だったんですよねほんと残念ながら。まあでも誰だって多かれ少なかれ、わざわざ言わないだけで色々あるんじゃないかな。特に家族の話なんて。

とまあ色々悩みつつ、一応行くことにはしたんですね。ほんとに焼くだけの簡易葬儀に。

その時に缶入りの日本酒を持っていったら、私も焼き場の職員さんからこれは入れられないんです、って言われたのです。ドラマと同じように。
ふなぐち菊水。父が好きだった。



これこれ!これです。ブログに書いたこともあります。父がせっかく箱買いして熟成を待ってたのに娘が飲んじゃった。あの時はほんとすまんかったダディ、という思いを込めて、菊水の缶と、あとやはり父が好きだった焼酎いいちこのカップ酒サイズと、レーズンバターを買って、棺に入れてもらおうと思って。

これこれいいちこ!下町のナポレオン!




レーズンバターはこれこれこれ!



おとんほんま病気なるで!こんなもんばっかり食べてから〜。まあそのわりに長生きできて、心臓でぽっくり逝けて良かったと思ってますけどね。苦しまずにね。幸せなことだよ。

これをね、母と兄と私の3人だけの焼き場で、お棺に入れたいんですけど、と聞いてみたのです。そしたら葬儀場の人が、いいちこはプラスチックだから大丈夫だけれど、菊水の方は金属なのでお入れできないんです、と申し訳なさそうに教えてくれました。高熱で、爆発してボイラーを傷つけたりもしてしまう恐れがあるので皆様お断りしているのです…と。あっそうなんですねならいいんです、とあっさり引っ込めましたよね。いいちこの方も買ってきといて良かった。レーズンバターもokだったし。菊水は持って帰って飲みました。1本は数年経った今もまだ冷蔵庫に入ってるなそういえば。このまま熟成させるか。

ドラマでは、ここで國村隼さんがゴネてらしたじゃないですか。叔母の葬儀で、化粧品をね、一緒に棺に入れたいという吉田羊さんの申し出を葬儀場の方がやはり断って、それを國村隼さんがいいじゃないかそのくらい、と最初はやんわりと。しまいには遺族の気持ちをないがしろにするのか!と声を荒げて。吉田羊さんは、お父さんいいからやめて、と言いつつも、ちょっとなんかこう、怒って去ってゆく父の後ろ姿を「お父さん……」って見つめる余韻にね、なんか、自分の気持ちに寄り添ってくれた嬉しさが漂ってましたよね。

いっや私ならあとで大ゲンカだわあ!!と思いましたごめんなさいほんと余韻台無しで。うちの父がまさにこういうとこでゴネがちな人だったんですよ!ちょっとくらいいいじゃないの〜とか、そんな杓子定規なとかなんとか言いそう。めっちゃ言いそう。団塊の世代、特別扱い大好き(すいません団塊団塊十把一絡げにして)。いやいやボイラー爆発するから。シャイニングか。誰が責任とるの。ちょっとくらいとかそういう問題じゃないし。それをね、お父さんは言いたいこと言って満足かもしれないけど後で謝るの私なんだからね!?って。式場の人だって仕事で決まりについて説明してるだけなんだからあの人責めてもどうしようもないでしょ!?お父さんは気分いいかもしれないけどこっちは最悪よ!なんでこんな日にまでお父さんの尻拭いでペコペコ頭下げなきゃいけないわけいい加減にしてよ!

って私なら絶対キレる。あるいはそうやってキレてもちっとも応えなくて虚しくなるだけだからいいや…って諦めながら静かに式場の人に頭下げるだけにする。
なんか、吉田羊さんの姿からは、その諦めやくたびれ感、やれやれ感は感じられなかったので(感じられねえわそりゃ)、この主人公のトキコさんはお父さんのこと好きなんだなあ、と思ったのでした。いやーうちの父も絶対言うわ。最初はニコニコしながら、でも相手が折れないとわかるや途端に怒鳴る。やりそう〜。お父さんいっそ棺の中の人で良かったわ。むしろ起きてきて文句言い出しかねないわ。もういいから寝てて!なんなら今開けるから飲んでて!大人しくしててもー!そしたら絶対ご機嫌だわ…もうやだあの人。亡くなる何年か前にね、2回くらい入院してるんですけども、病院抜け出して勝手にコンビニ行ってしょっぱいおかずとか買って食べちゃうのをどんなに言われてもやめないもんだから腰に鈴つけられてたんですって。ナースステーションの前を通ったらわかるように。それをエヘヘこんなのつけられちゃったよ、ってなんかちょっと得意げに話してくるんですよ。ボク人気者的な。まいったなあって。いやいやそれ全然得意になるとこじゃないからね!?まいったなあはこっちのセリフだ!何やってんのほんっとにもうすみませんナースの方々本当にすみません。もうやだあの人!あっもうハイ、フタ閉じちゃってください釘うっちゃってください。えっ暗いよ〜、レーズンバターの開け口わかんないよ〜って中から言ってきそう。ナイフは〜?とか。そうね!あれうちの分も買って何十年ぶりに食べたけどいちいち輪切りにしないといけなくてちょっと面倒よね!いいよもう丸かじりしてよ!歯も丈夫でしょー!?

ハアハア…こうして書いてみるとわりと憎めないな意外にも(そうか?)。
いやまあね、こうして書くだけならね。

ーー

直接言う機会はこないままだったけれど、父はきっと、もしも私が「お母さんのこと殴ってたじゃない、ダメだよあんなの」と言ったとしたら、そうだねごめんごめんハハハ、と謝ったんじゃないかと思うのです。軽い。いや全然笑い事じゃないから。それでも私の話はそれなりに聞いてくれる父だった。本当の意味で聞き入れてくれるわけではついぞなかったのがまた残念なところだけれど、少なくともまったく聞く耳持たずに押さえつけて、何かにつけて私をこきおろそうとしてきた母とはそこが違うところだった。昭和20年の春生まれだった父は、第二次大戦終結の直前に生まれています。幼い頃に病気で父親を亡くしているから、父親というものがよくわからなかったのかもしれない。そのまま若い頃から働きながら母親を支えてきた苦労人だったから、家を出て自立して、お給料も時間も自分で使えるようになったことに浮かれて、妻子を養うだとか、自分の家族を持ったという自覚がないままだったのかもしれない。だからといって許されることではないんだけれど。かといって長年働いて私を育ててくれたのも事実ではあるので、まっすぐに感謝できなくてごめんね、とも思う。

私が結婚する時、20代の終わり頃、今から20年近く前、久しぶりに会って話した帰り際に、「お父さんたち夫婦を見習っちゃダメよ?」と笑いながら言われたことがありました。「うん、そうね」と乾いた返事をしたような覚えがある。あ、自覚あったんだ反面教師の、と思いましたよね醒めた気持ちで。こういう場面ってフィクションだったらじいんときたりしみじみしたりするんだろうけど現実に親からそんなこと言われてもとことんドライできゅうりのようにクールな心持ちにしかなれなかったな。20何年間の、毎日の暴力の積み重ねはそんなひとことじゃ簡単に軽くなんてならないし、ちっとも響かなかったよ。悪いんだけど。

それでも、苦しまずにぽっくりだったのは本当に良かったな、と思う。きっと私にはわからない、父には父の人生があったんだろう。いや、きっとじゃないそれは確実にあったのだ。私はそのほんの一時期を、彼の子供という不均衡な立場から、見えにくい座席から垣間見ただけにすぎない。

お父さんおつかれさまでした。命日でもなんでもないけれど、ここにちょこっと忍んでおくね。日曜大工の工具類が並ぶお店に胸がときめくところや、漫画を読むようになったきっかけ、お酒もまあそう、あとは中指と薬指の間に不自然な隙間があるところを、私はあなたから受け継いだなあと思っています。

子供の頃のある日、ねえねえお父さん私指が曲がってんの、と父に見せたのです。全部の指を気をつけさせるみたいにくっつけてぴんと伸ばすと、中指と薬指の間だけ、第二関節から上に隙間ができるの。それを見て父は急にわっはっはっはと大笑い。なになに、なんで??とキョトンとする私の目の前にぬっと突き出された父の手は、私と同じに、中指と薬指の間に隙間があいていた。2人して大笑いだった。

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2008-07-02 日比谷Bar WHISKY-Sにてウイスキーナイト
2008-05-31 銀座の夜のハイボールナイト!

ここにも書いてたレーズンバター。あとサラミとコンビーフ!
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2005-05-05 今日は法事で遠出の予定ですが

2005-02-05 おばあちゃんが

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大きなお腹で玄関先に出たら、白いかっぽう着がB29から
目立ったのか、足下をバババババっと撃たれてびっくりした、
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