先日のど重い肉親とのあれこれ記事にたくさんのハートを皆様ありがとうございます!
反応が心配だったので、すごくほっとしました。
今日は遅ればせながら3話を見ていて、前回書き漏らしたドラマのオープニングとエンディングの感想とか、実父についてふつふつと浮かんできた気持ちとかについて、もうちょっと真面目系の話を続けさせてもらいます。今回は前回ほどドラマの筋に即してないし、もっと観念的な感じになりそうです。いつもの小ネタがお好きな方には申し訳ないのですが、やっぱりなにかこう、自分の中に流れのようなものがあって。いきなり小ネタに移れなくて。いろいろ書きたいことはあるんですけども!
まずはドラマのオープニング。
3話でようやく気づいたのですが、吉田羊さんと國村隼さんの顔が、影になっていてよく見えないですよね。ああこれは、この主人公のトキコさんとお父さんだけの話じゃなく、あなたと親御さんの話でもあるんだよということかなあ、と思ったら3話いきなり冒頭から泣けて。今回泣くような話じゃなかったと思うんだけど。
公式サイト。
■第3話|ストーリー|【ドラマ24】生きるとか死ぬとか父親とか|テレビ東京
漫画家の吉野朔実さんが『瞳子』の中で描いてらしたように、他人ならなんとも思わない、あるいは微笑ましくすらあるような事柄も、親や伴侶、家族だと思うと許せない、鼻につく、なんてことは確かにあるんだろうな。
家族だと動揺してしまうのは、そこに「もしかしたら自分のせいかも」という、有責感情?なんて言葉はないのかな、があるからかもしれない。特に子供に関することだと顕著にある。子供の言動や発育に対していちいち自分の育て方が悪いのかも、と思っちゃう。ありませんか!?そういうこと!
それと同じ働きが、親に対しても起こってしまう時があるなあ、と、なぜか今回の3話を見ていてつらつらふつふつと考えてしまいました。
前に友人たちと親の話をしていて話題に上ったことがあったのですが、人間って結局子供の頃から性質とか性格とか集団の中での立ち位置ってあんまり変わらなくて、子供の頃から親や周囲に気を遣ってた人って大人になってもやっぱり老親や子供や配偶者に気を遣ってて、子供の頃から傍若無人で周りに気を遣わせてる人は大人になってもそのまんまっていう。あるある!それな!理不尽じゃない!?って盛り上がったというか盛り下がったというか。そんなことがありました。もうな、業な。突き詰めるとつらくなる案件は大概これで片付(いた)き(になれ)ます。業な。
それはちょっとおいとくとして。
ドラマのエンディングも良いですよね。吉田羊さんと國村隼さんがそれぞれに歌詞にあわせて歌ってるの。斬新!
さらに、ちょっとだけはすを向いて座って、お互いの顔を見ない位置なのがまた素敵。
おっ、公式動画ある!これこれ!
「このまま向かい合わずに/隣で同じ景色見ようよ」という歌詞と、向かい合わずに座る父と娘役のお二人を見ていて、私はもう父と同じ景色を見ることはできないんだな、と思いました。父の肉体はもうどこにもないから。
村上春樹氏が『ダンス・ダンス・ダンス』の中で、「そういうのは本当にくだらない考え方だと僕は思う」と言うくだりがあります。まだ年若い女の子が、母親の交際相手の葬儀の後で「あの人そんなに悪い人でもなかったもの、もっと優しくすれば良かった」と言った時の返答としてです。「死んでからそんなことを言うくらいなら、君はもっと彼に対しフェアに接するべきだったんだ」と。きつい。手厳しい。でもその通りだと思った。これを読んだ頃は20代だったけれど、いまだに人生の指針になっているような気がする。折に触れて思い出すフレーズです。
だから、ドラマを見たからといってセンチな気分になって、生前ろくに会おうとしなかった父親を惜しむような、悼むようなことを言うのは都合が良すぎる、自分にそんな権利はないんだろう、とも思う。ただ、「そういうのは本当にくだらないこと」だとまでは今の私は思っていないなそういえば。40代半ばになった自分は、亡くなってから、亡くなったからこそようやく素直に悼むことができるようになった、向き合うことができるように、向き合ってみようと思えるようになれたんじゃないか、とも思うし、それはそれこそ権利があるとかないとかいう問題ではない。権利というものがあるとすれば、私の手の中にあるんじゃないか?まったくの他人じゃないんだし。そもそも親子だし。
父の視線が返ってこないからこそ、振り向くことができるようになったのかもしれない。
生きているうちに優しくできりゃそりゃあそれに越したことはなかった。そんなことは当たり前だ。だけど私は今、「生きているうちにもっと優しくすれば良かった、話をすれば良かった」と後悔しているわけではない。父がこの世にいるうちに、そうしたいと思えるようにならなかった、間に合わなかったことが残念なだけだ。それとこれとは全然違うよね。そして前の記事にも書いたけれど、この経験を活かしてまだ存命な実母との関係を今のうちにどうにかしようとはつゆほども思えないでいる、そのことに関しても残念に思っている。
オットの父に関しては、急だったこともあり、もっと話したかったと思うし、オットのことや弟や妹たちが小さかった時のこと、お母さんのことなんかも、もっと聞きたかったと思う。11年経った今も生きていて欲しかったとストレートに、心の底から思う。孫を見せたかったし、幼い子供たちと遊ぶおじいちゃんの姿を見たかった。親として奮闘しているオットきょうだい3人の姿も見て欲しかった。いつものような「お前たちそんなんで大丈夫なのか頼りないなあ」という辛口批判と、いつものようにそれをハイハイとスルーする子供たちとのやりとりを横で聞いていたかった。
そんなふうに二人の父に対して自分の心持ちがかけ離れているのは、血縁かそうでないかの差なのかもしれない。血縁というより、家族として過ごした時間や愛憎の蓄積の差かな。良くも悪くも堆積物が多すぎるのだ。
オット母に関しても、最近めっきり身体が弱ってしまっていて、かなしい。2年前に制作した卒アルの記事でも少し触れたけれど、介護の生活だ。認知にも低下が生じつつある。理知的で聡明な母がぼんやりしていたり、物忘れがひどくなっていたり、身体の自由が利かずにしんどそうなのを目の当たりにするのはつらい。だけど、子供たち(オットら実子3人と、その配偶者)の中では自分が一番悲しむ権利が低い気がする。そんなこと誰も思わないのはわかっているのに、思ってしまう。一番時間に余裕があるはずなのに一番実働できてない。役にも立ってないし悲しむ権利もない。
なんだかそんな、負のループにつかまってしまう時がある。
それこそね!これが更年期症状か!と思うわけですよ!
これもほんと書きたい!更年期つらー!!更年期しんどー!!って。
女ってどこまで身体に振り回される生き物なの!?と思うよね!!身体に、ホルモンに、精神が侵食されるこの、この、なんだ、あれだ!!いじやける感!!
あーっじゃーけんなーもー!!感!!
ペケの読者だけわかってください。あるいは茨城の方だけ。
すいません深刻なテンションがもたなかった。ええんやで。求められてないでそれこそ。
ほんと今度更年期について思いの丈をぶちまけまくりたいです。ええんやで。さっきのドンマイじゃなく、ノーセンキューの方の意味やで。求められてないで。いやいやそんなそうおっしゃらず。
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エンディングフルバージョン。
ヒグチアイ / 縁 【Official Music Video】
おお〜2番以降の歌詞もますますなんというかこう、親子の間柄ってかんじがする。どんな背景から作られた曲なのか気になって検索してみたところ、ヒグチアイさんのインタビュー発見。原作本のあてがきみたいな曲なのですね。へえへえ。
■new song [ 縁 ] official interview
オープニングの公式動画も。
高橋優「ever since」
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その後ちょっと追記。
ラジオ特番がすごく良かった!
■2021-06-04 吉田羊と田中みな実がほんとにラジオで『トッキーとヒトトキ』を実演!ゲストがジェーン・スー!これぞシスターフッド!『生きるとか死ぬとか父親とか』
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母について。
■2021-06-16 私の中に母がいる(母について1)
■2021-06-17 もしも私が幼稚園児だった頃の母が(母について2)
■2021-06-20 母は私を憎んでいない(母について3)
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ダンスダンスといえばハワイ。とピナコラーダ。
あっそういえば吉田羊さんがハルキのハワイ短編に出てらっしゃるんだ!まだ見てない見たいメモ。