(※機能不全家庭での、母親との確執の話なので苦手な方はご遠慮ください)
一つ前の記事にハートをたくさんありがとうございます!ひと晩で100越え!すごい!
最後にまた来週って言ったけどすいませんあれはドラマっぽく言ってみたかっただけですぐ続きをアップしてしまいます。
前回は2018年11月に別サイトに書いた記事をこのブログ向けに手直ししたもの(小ネタを増やしてしまった…)、今回の記事は、その約半年後の2019年3月に書いたものです。
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2、もしも私が幼稚園児だった頃の母が
ここ一連の、最初の気づきについて少し前に書きましたが、またひとつ、大きな気づきというか、示唆を与えてもらった出来事がありまして。
途中まで書いていて、あ、これ前日譚も必要だなと思ったので、まずはプロローグから先に。
あのですね、先日幼稚園の保護者会がありまして。うちの子、年中さんの。
1年間の成長と、来年いよいよ年長さんなので我が子のどんな点に伸びてほしいか、20人ほどのママさんたちが1人ずつ話をしまして(少人数で、この人数の1クラスだけの園です)。
みんな苦労あり笑いありで、どの人の話も面白くて。私は私で今宇宙に大ハマりしているうちの子から「あのね母ちゃん、JAXAの人はそんなふうに怒ってばっかりじゃないと思うよ?だからはやぶさは地球に戻ってこれたんでしょ?」と優しく諭されました、と言ったらウケました(ブログネタを保護者会でも披露しているあひるちゃん)。
この園の保護者会っていつもそうなんだけど、みんながきちんと子供と向き合って愛情を注いでいることが伝わってくる、大変良い会なんですよね。今回も楽しかったなあ、みんないろんな悩みや葛藤と、喜びがあるんだなあ、とそんなことを寝る前につらつら思い出していてふと、母があの場にいたらどんな話をしたのかなあと思ったのです。幼稚園児の私や兄を育てていた時期の母が。
私が幼稚園の頃、母は32〜3歳。今ならけっこう若いママだけど、20代半ばで結婚出産が平均だった当時のことを考えると幼稚園児の母親としては平均的な年齢なので、今で言う30代後半くらいだろうか。うちの園でもそのくらいのママさんが一番多いし。
それで3つ上に上の子がいて。
上の子との両方の子育てで色々思うところがあって、なんて話も多く出てたんですね、保護者会で。上の子あるいは下の子にばかり手がかかって申し訳ない、だとか。性格の違いとか。
みんなすごく、子供の気持ちや状況に寄り添ってあげようとしていて。
うちの母も、外面よかったからああいう場ではステキな良い話ができたかもしれないし、なんか妙なことを言って場の空気を微妙にさせたりしてたかもわからないけれど、なんとなく、同じ母親同士、という立場だったら、仲良くなれていただろうか、とふと考えて。
子供の悩みを共有したり、あるある話に笑ったり、家事や育児の日々の苦労をねぎらいあったり。そんな場面をふと想像して、
ああ私、母と仲良くなりたかったんだなあ、と。
そう思ったら、無性に泣けて。
これまではほら、いかにあの災厄から逃れるか、しか考えてこなかったじゃないですか(考えてこなかったんですよ)。
でも、自分で選べる、自由度のある関係性の中で出会っていたら、私は彼女とあえて話をしたり、するだろうかと。
たとえば子供の幼稚園で保護者としてたまたま同じクラスになったりとか。
ある意味、母と娘という、一番むき出しの関係で。
そうやって出会ってしまったから彼女の人間性の中の一番の毒の部分を浴び続けてしまって、すっかり辟易してしまったわけだけれど。
夫とも実家ともそりが合わず、友達も少なかった彼女には、その毒を一緒に引き受けたり、ほぐしたりしてくれる相手がいなかったからなおさら。
でも母にそういう相手がいたり、もっと違う関係性だったら、あるいは。
いや、そもそも友人だったら、とかではなく、母と娘としてもっと普通に、せめて普通に話ができる、普通に仲良くできる関係を築きたかったんだなあ私、と今更ながら。
ようやく思うことができたというか。
当たり前すぎることですけれども。
これまでは同じクラスにいても(小中学の同級生、など、自分も子供という想定)絶対近寄らない、と思っていたけれど、幼稚園の保護者同士としての関係をママさんたちと良好に築いてこれたおかげで、なんだか、何かがふと繋がったような。
そんな気がしました。まだうまくまとめられていないんですが。
と、友人C美にメールで話したら、こんな返事をもらいまして。
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母親を、「自分の母親」ではなく、「1人の人間」として見れるようになってきてるってことですよね。視点が自分主体でなくて、メタ的な視点を持てるようになったんじゃないんですかね。
夢で何か見るかもね。
いい感じだと思います。
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「いい感じだと思います」。嬉しいなこれ。
そうしたら、なんと夢ではなく、思いもよらぬ方向から本編がやってきまして。
つづく。
(2019年3月)
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ここまでが2です。まだもうひとつ続きがあります。
「母と娘としてもっと普通に、せめて普通に話ができる関係になりたかった」というのはですね、今みたいに、娘として妊娠しても出産しても!母親に知らせないなんて、そんな異常で歪んだ関係性になってしまわずに、という意味です。流産も知らせてないですね、2回くらい経験したんですけども。不妊治療に関しても一切言ってない。そういう、自分が辛い時ほどその核心を隠して隠して、見つからないようにバレないように必死でクールに装って生きてきました。野生動物のように。また動物のたとえヤメテ。いやほら弱ってること悟られるとあれだから。だからヤメテってあれって何、いやいらない説明いらない長くなるしうっすらわかるからもうイイ。映画『サイコ』のシャワーカーテンの向こうくらい古典的にうっすらわかるしどうせそのあと不穏なことしか起こらないのもわかるからもうイイ。
えー、という不穏なことしか起こらないあれのようなナニでなく。
もっと普通の母娘関係でいたかったなあと。
まあしかし普通ってなんだって話もありますけども。私の周りの母と娘で問題抱えてないとこないってくらいみんな多かれ少なかれ抱えてるから、普通ってなんだろうですけども。でもほら、仲良くやれるに越したことはないじゃないですか。誰も好き好んで揉めたくはない。特に子供から親に向けて、母親に向けてはですね、もう本能的に従っちゃうし、慕っちゃうんですよね。子供を育ててみて驚愕したのが、子供お母さんのこと愛しすぎなの。こないだもちょっと書きましたが、子供から母親への愛が無償で無尽蔵で無限大ですごいの。宇宙を感じるの。
だからなんかもう、不利なんですよね、子供の方が。絶対的に。本能的にも社会的にも、親を敬え、大事にしろ、と刷り込まれ続ける。そのくびきから逃れるのは並大抵の痛みじゃないです。それこそ成層圏突破級のブーストが必要で。
この辺についてもそのうち詳しく書きたい。こういうことを伝えたくて、最近はこういうことも書こう、と思うようになったのです。
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つづき。
■2021-06-20 母は私を憎んでいない(元家族の暗い話と救いの話3)
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関連あひる
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■2021-06-16 私の中に母がいる
幼稚園。在園中の3年間は概ね楽しく過ごせて本当にほっとしました。正直ちょっときな臭い時もあったけど、なんとか無事に卒園できただけでめっけもの。
■2020-11-26 幼稚園の卒園アルバム制作の経験談1、個人写真を各自自宅で撮影してもらったらすごく助かった話
■2020-12-02 幼稚園の卒アル制作2、豆腐メンタルこぼれ話
■2020-12-03 幼稚園の卒アル制作3、母が他の子の写真ばかり撮っていたことへのうちの子の感想
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