医療従事者にエールその2、主治医のT先生 [まじめに][分娩記録4]


コウノドリ[鈴ノ木ユウ]

出産で命を落としかけた記録シリーズ。長文詳細記録その補記(育児の孤独)看護師Mさん克実小ネタ、ときて、今回は担当医師T先生についてです。

産科の看護師は全員助産師の資格も持っている、という総合病院での出産でした。医師や看護師さんたちには本当にお世話になったなあ、としみじみ思います。特にこのコロナ以降の世の中になって改めて感じる、医療現場の方々の働きの尊さ。

一連の記録記事は、2014年の分娩直後のメモを基に、2017年に書いた文章を、2023年の今改めて整えたものです。

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2017年3月6日

医療従事者にエールその2、主治医のT先生

産後しばらくは、やけに涙もろかった。出産の喜びもつかのま、予期せぬ過酷な状況に陥ってしまったのも確かではあったが、たぶん普通の妊産婦さんと同じくホルモンバランスの乱れが主な要因だったと思う。何を見ても涙が出た。

そんな感じでついつい泣いているところへ、担当のお医者さんが来たことがあった。何度も登場しているT先生。推定40代前後の男性医師で、普段は関西弁で飄々とした喋り方だが、緊急手術の時には1時間以上渾身の力で止血をし続けてみるみる汗だくになり、そのままヘルプで駆けつけた他の産科医や助産師たちに必死な声ながらも次々に指示を飛ばし、適切な処置をしてくれた。

分娩から、再び大出血が起こって子宮摘出に至るまで4日の猶予があった。その間に、2人目3人目もほしいのだがまた体外受精の必要がありそうなこと(1人目が体外受精妊娠であることは分娩予約の時点で報告済み)、その場合また同じように癒着胎盤になる可能性はどのくらいあるのか、など色々と質問をする我々夫婦に対し、癒着胎盤は妊娠中には判別できないこと、予定帝王切開にしたとしても出血のリスクが減らせるわけではないことなどをそのたびに詳しく教えてくれた。

4日の間も摘出後も、あれだけの失血をするとどんな臓器にどういう影響が出てもおかしくない、だから怖くて休みが取れません、と休日返上でほとんど毎日病室に来てくれた。一度は自転車で帰ろうとしているところを排血(※後述)が多いという理由で助産師に呼び止められ戻ってきてくれたそうだ(結果的には問題なかった)。何かスポーツも趣味なのかもしれない、短く刈り込んだ髪に、小柄だが引き締まった体つきをしていた。

部屋の入り口から声をかけてくれて、返事をした私の声で泣いていることに気づいたのだろう、子供を膝に乗せて窓の方を向いて座っていた私の足元まで、ベッドの脇を回り込んで来てくれて膝をつき、慌てて涙を拭こうとする私に、静かな声で話してくれた。

〇〇さん、胎盤のトラブルというのは、妊娠中に起こることもあるんです。胎盤剥離といって、妊娠中に起こった場合は子供も助からない、さらにそのまま子宮も摘出になってしまうこともある、そういう例も僕らは知っています。この子だけでも無事に産まれてきてくれて良かったんです。

3月の柔らかな日差しに満たされた窓辺で、淡々と、私の目をまっすぐ見ながらそう言ってくれた。
本当にその通りだなと思った。
実のところ、私が泣いていた理由も、悲しくてではなかったのだ。
T先生が言ってくれたように、この子が元気で本当に良かった、自分も命が助かって良かった、仕事や体調不良をおして連日きてくれるオットや母が優しくて、頼もしくて有り難い。
産後しばらくは涙もろかったが、泣くのはそんな理由でばかりだった。本当に幸せなことだと思う。

私の子宮は、一回きりだったけれど役割を全うしてから切り離されていってくれたんだな、と、そんな思考の中で思ったことがあった。子供を無事に送り出し、私の命を助けるために。スペースシャトルの燃料タンクみたいに。
子宮のない腹腔内をただよう卵子とスプートニク、それと同じくなぜか航空宇宙つながりだ。

仲良くしてくれたベテラン看護師Mさんから聞いたところ、T先生が摘出手術の後、「〇〇さん、あんな大変なお産の直後にも2人目3人目のことを熱心に質問してくるくらい、次の妊娠を望んでいたのに…」とずいぶん落ち込んでくれていたのだそうだ。また涙が出そうになった。

(2017年3月6日)

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はい、2023年のあひるちゃんです。良い話。自分で言うなよ。良い話だなーと自分で言っちゃうあたりまでがあひるちゃんです。いや本当に助かって良かったなと思います。今子育て大変だけど、大変だと思える今があって良かったなと。

ちなみに文中の「排血」について。当時先生から説明を受けるまでちっとも知らなかったのですが、お腹の中って隙間があるのね!?各種内臓でみっちり詰まってるのかと思っていた、というか深く考えたことがなかったのですが、お腹の中って割と空洞だらけで、かつ私の場合出血が半端なくてその腹腔内に血が漏れまくった。少量なら自然に吸収されていくんだけど何しろとんでもない量だったから少しずつ抜く必要があると。そのため、手術の傷跡とは別に、お腹に穴開けて透明チューブを挿してあったのです。サイバーパンク!俺っちお腹からチューブ出とる!

手術痕は超緊急もいいとこだったからズバッと縦切り、お臍の真横から下に向けて真一文字にiPhoneくらいの長さ。その両脇にぽちぽちっと、直径1cmくらいかな?タピオカストローくらいの(さっきから具体的すぎる例やめて?)太めの柔らかい透明チューブが2本、しばらく挿さってたの。挿してあるだけ。単にベッドの上の本体(私)とチューブの先の袋に高低差をつけることで緩やかに排血するようになってるだけ。あれですね、あのガソリン盗む時とか、金魚の水槽の水を換える時なんかに日常的に活用する物理法則ですね(言うほどガソリン盗む時あるか?金魚だけで良かったのでは?)。

よく見ると抜けて落っこちないように皮膚の一箇所とチューブをちょこっと縫い留めてあって、後々さらによく見たら1cmのチューブ用の傷のへりに縫い留めていた痕もぽちっと残っている。二重星とか泣きぼくろのよう。むしろ1cmほどのチューブ挿してた傷の方こそ縫ってないの。ちょいとテープで押さえて自然にくっつくのを待っただけ。人体の回復力すごいな。術後9年経つ今もお腹にふたつ、えくぼのように凹んで残ってますね。

問題はですね。その真一文字の潔いまっすぐな傷に対し、両脇のチューブ痕がですね、ちっとも線対称じゃなくて。中心ズレてるの。こう、小の字みたいな、こざとへんみたいな(違った、りっしんべんでした)。まあいいんだけどね、緊急だったし、当時は産後数日だったからまだ臨月状態からお腹の皮のたるみも戻ってなくて、どこに開けたら線対称かなんてわかんなかったろうしそんなの吟味してる余裕なかったろうし。
と、こないだ何気なくオットくんに話したら、

OT「完璧に線対称ですが、間に合いませんでした⭐︎」

あかん!それじゃあかんね!まさに本末転倒だ。
そのくらい緊急事態だったのだなあという証左として、今後もお腹にこざとへんを携えた人生を生きていくあひるちゃんでした。いや違うの、こざとへんじゃなくりっしんべんだったの。うちの子が教えてくれたのありがとう。間違った漢字のタトゥー入れちゃったみたいな気持ちに。お腹にこざとへん…


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