スプートニクと卵子の話、子供が乳幼児期の自分の追い詰められっぷりとオットへの不満と分析 [分娩記録1のつづき]

はい(あひるちゃんブログを「はい」で始めすぎ問題)、突然お送りしたど長文出産日記を読んでくださってありがとうございます。エグすぎ。こんな死に瀕した出産日記なかなかなくない。測れただけで4000ml。ゼロいっこ多すぎない?打ちミスじゃない?残念ながら違います。まごうかたなき4千ミリリットルでございます。口頭で友人に喋る時4千リットルって言い間違えたことならある。すごいびっくりされた。ごめんそれは多すぎた。ダムか。それには少なすぎか。タンカーか。どっちでもいいわ。もはやどこに驚けばいいのかわからん。

それはさておき。
2014年の大パニック分娩ドキュメントをですね、3年後の2017年に振り返って書いた文章だったのですが、より正確には、2014年の出産直後にも数値や時刻、人の発言など記憶が新しいうちに詳細を書き留めておいて、それを基に2017年に改めて書き起こしたものです。

それを2023年の今読み返して気になるのはですね、3歳児を抱えるあひるちゃん、追い詰められすぎ。ってとこでしょうかね。

ほんとはこの分娩ドキュメントシリーズまだ続きがいくつかあるんですが、続きを載せる前に、そこを振り返っておきたいと思います。ここ1〜2年自分が抱えてきた、いや違うな、ここ1〜2年でやっと気づいた、これまで自分がずっと抱えてきた問題が、図らずもめちゃくちゃ顕著に書き記されていたので。

んーまずですねえ、オット、何とかしろよでございますよね。
私だけに家事育児させすぎ問題。

なんで私が這いつくばって子供の食べこぼし拭いてんのにソファにすっ転がってiPhoneいじってんだっつの。付属品か。お前様は。Apple製品か。いやApple謹製ならもっと快適な動きするわ。直感的にこちらが求めてる動きしてくれるわ。

これもね、たぶん「言ってくれれば良かったのに」って言われる例の案件だと思うんですよ。男たちの「言ってくれなきゃわかんないよ」案件。いやわからんか?妻だけが床に這いつくばってたり、妻だけが座る暇もない状況って言うほどわからんか?大変そうだなって思わんか?自分も動こうと思えんもんか?

うんとね、そういうことをね、6年前当時の自分は、言えなかったなーって。自分が悪いと思ってた。前の記事にも書いてるけど、こんなに幸せなはずなのに不満を抱いたらバチが当たるとか。オットは仕事で大変なんだからもっと動いてほしいなんて言ったらいけないとか。何なら言っても不快そうな顔されるから嫌だな…と我慢しているし、不快そうな顔されるんじゃないかなと警戒しているし、そのくらいなら自分だけで這いつくばった方がましだなと諦めている。

全然休まってない。
言うほど幸せか?
あひるちゃんかわいそう。

いや当時の私かわいそうだなって読み返していて思ったのです。すごい泣いてるし。しかも気取られまいと必死。野生動物か。
オット何すっ転がってiPhoneつついてんだ!お前様も跪け!命乞いをしろ!って主張できれば良かったんですけどね。ギャオオンヌって。でもそれを要求する権利は自分にはない、と思い込んでいたので。やっても呆れられたりしたから、これ続けるとそのまま嫌われて捨てられると思っていたので。まあまあ本気で。今だにちょっとそう思ってる。気づけば結婚20周年おめでとうございます。っていう。

最近ようやく、ようやく負担です、無理です、やりたくありません、と言えるようになってきた…んだけど、いかんせんオットだって人間なので(Apple製品だったら良かったのに)、そりゃ疲れてたりしんどかったりもするでしょう。そういうオットに押し付けるのが正しいとも思えないし何ならそんな丸投げされてもとか弾かれるんで、その辺が匙加減とか話し合いとかなんだろうけども。

ともあれですね。
ことほどさようにここ数年の介護に看取りに親族問題に怒涛のあれやこれやで、夫婦といふものについての目線がすっかり擦れっからしていたところに。今回久しぶりに9年前の大事件についての記事を読み返して、オットについて改めて色々と考えたのです。そうだなこの時は頼りになったな、と。思えば父の今際の際にも立派だったし、今回の私が生死の境を彷徨った時も冷静で、母の介護と看取りに関しても誰より実働していたオット。

オットを見直す案件、冠婚葬祭すぎん?
命かかりすぎ。何なら過半数が失ってるし命。
命かからんと真価を発揮せんのか。
もちょっと日々小出しにしろし。

一瞬だけ、逆よりマシかな?とも思ったの。普段は景気の良いことばっかり言ったりやったりしてていざとなったらガクガクブルブルで何の役にも立たないよりは、この方がまだマシかな?ってでも秒で否定前者があかんたれなだけやんけ。なんでよりましみたいに手心加えてあげなあかんのじゃ。もちょっと小出しにしろ。以上。

それと同時にですね。
このー、ここ数年の私がすっかりしんどくなってしまった、疎外感孤立感。なんで伝わらないんだろう…とか、なんで寄り添ってくれないんだろう…という、なんていうんでしょう…共感、なのかなあ。そこが致命的に、決定的に、絶望的に足りないのって、もしかして表裏一体で。オットの冷静さや、いざという時には必要なことをきっちりやってのける、有能さ?という特性とですね、私が感じている物悲しさって、根っこが同じなんだろうな、と。その冷静客観視点が、目下私を苦しめているんですよ。こんなことってある?あるか。まああるよねうん。でもこんな第二シーズン嬉しくないなあー。第一シーズンであんだけ未知の生命体オットくん!みたいなの面白おかしく20年近くも書いてきちゃったのに、第二シーズンになった途端にそれら全てがオセロのコマのようにぱたぱたと暗転するって…。どんな気持ちで読めばいいの?

や、まだすべてが暗転したとは決まってないんですけどね。なんていうの、別の角度から見てびっくりしてるだけで。うん。

そんな、気づきのインターバル小話でした。GWに重い。あんまりゴールデンじゃない。いやGWは重いものだよ!?ご家庭の!負担が!ねえみんなたち!

んと(こほん)、この後の予定は、分娩記録の続き、感謝シリーズをいくつかに分けて載せます。看護師さんへ、高橋克己へ(←)、担当医師へ、オット母へ、オットへ、子供へ。

その過去記事の移植がひと段落したら、子宮移植とか代理出産とか、最近良いこととして語られがちな生殖医療について、こんな体験を身を持ってしてしまった自分は強い危機感を覚えている、ということも書きたいと思っています。その後、また過去に書いておいた生殖医療(不妊治療)を受けていた時に感じた心の嵐についても。
それでやっと!自分史はひと段落かな。自分史の中で、伝えたい、知ってほしい、と思うこと。今年中に終わるか不安になってきた…。

もうしばし、お付き合いいただけたら嬉しいです。


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