2人目以降を授かれなくなった私に、オットが言ってくれたこと [まじめに][分娩記録6]


スラムダンク 13[井上雄彦]


出産で命を落としかけた記録シリーズ。長文詳細記録その補記(育児の孤独)看護師Mさん克実小ネタ担当医師T先生オット母、まできました。

今回はオットくんについて、です。

2014年の出産直後に書いたメモを基に、2017年に書き起こしてShortNote(日記系ほっこりSNS)に投稿した文章を、2023年現在このブログ向けに整えたものです。

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2017年3月30日

2人目以降を授かれなくなった私に、オットが言ってくれたこと

分娩で命を落としかけた私の感謝シリーズ、あとは誰にといえばやはりオットにでしょう。

妊婦健診の頃から仲良くしてくれたベテラン看護師Mさんも「冷静で上品で、なんて素晴らしい旦那さんとお義母さんでしょう!」と絶賛してくれた通り、陣痛開始から分娩後の大出血、それによる子宮摘出に至るまで、終始一貫して落ち着いて対処してくれた。

取り乱したり私に当たったり、そんなことは普段の生活でも、今回のような非常時でも数えるほどしかない。どんなに緊迫した場面でも、たとえ自分が苦痛のさなかにあってもこちらがつい笑ってしまうような発言をポコっとする。

仕事場でも同じなようで、切羽詰まった現場などでも視野を広く保ち的確な言動で事態を収めていくので「〇〇さんがいてくれるとそれだけで何とかなる気がしてきます。だから担当の仕事が終わっても来てください」と言われるそうで、俺はお守りか何かか、そんな暇じゃないんだ!と怒っていた。

自分1人で我関せずなのではなく、スラダンで言うところの仙道くんのような、「きっと何とかしてくれる」と周囲を鎮静化させる作用まで持っているこの落ち着いた立ち居振る舞いは、オットという人の大きな美点のひとつだと思う。学生時代から会社を興して自分の腕一本、頭脳ひとつでコツコツと仕事をし、実績と人脈と信頼を積み重ねてきた個人事業主なればこそというか、逆にもともとそうしたことのできる人だったからこそ若くして起業し、安定して運営し続けていられるのかもしれない。知り合った高校の頃からそういう人だった。

子宮摘出のあとの入院中、連日病院に通ってくれたオットと、様々なことをぽつぽつと話し合った。
激務のオットが毎日来てくれるだけでも有り難かったし、新米パパを見慣れている看護師さんたちが驚くほど、くにゃくにゃと頼りない新生児を臆さず抱き上げ相手をし、起き上がれない私の代わりにおむつ替えやミルクをてきぱきとやってくれた。

文字通りうまれたてほやほやの赤ん坊を間に置きながら、そんなふうにお世話しながらの会話だったので悲壮な雰囲気にはなりようもなかったが、それでも、毎日来てくれてたくさん話ができたおかげで、気持ちの整理もついていったし、思い描いていた人生設計を2人で静かに書き換えていくことができたように思う。

私が思い描いていた人生設計は、1人目を産んだ後、できるだけ早く断乳して2人目のための生殖医療通院(不妊治療)に復帰することだった。
オットはもともと、そうまでして2人目…といささか懸念を示していたのだが。今回はたまたまスムーズだったけれど、次回もそうとは限らないよ、と。

1人目は、体外受精の1回目で見事成功したのだ。
30代後半の成功率は3割程度ということだから(湯水のようにお金がかかる割にとても低い)本当にラッキーだった。

ただ、1回ですとんと当たったのは胚移植の話であって、その準備段階、採卵には半年以上かかった。
通常であれば1回の採卵で6~10個卵子が採れるそうだが、私はホルモン数値が極端に低い体質のため採れて1~2個。0個という月もあった。半年以上かけて全身麻酔の採卵に7回トライして、やっと4個だったのだ。

そのうち2個をお腹に戻して、1つが着床してくれた。
幸いなことに、妊娠中は拍子抜けするほど順調で、私も健康優良妊婦だった。分娩自体もスムーズだった。問題は分娩後に起こってしまったのだ。

それでも、分娩直後かろうじて子宮摘出は免れた4日の間、2人目3人目のためにふたたび生殖医療クリニックに通う気まんまんだったので、担当医師に次の妊娠出産に向けて色々と質問したりしたのだが、結果的に、分娩4日後の大出血で子宮摘出となってしまい、2人目以降は永久に授かれないことが確定してしまった。

永久に授かれない、と言い切る前に、養子縁組という選択肢ももちろんあるのだと思う。
しかし、自分たちの子供がすでに1人いて、この子が今後どう育っていくかもわからない。その上でさらに、あらゆる責任やリスクを踏まえて他の子供をあえて迎え、一緒に育てる、ということへの覚悟ができなかった。今いる子との相性や、自分たちが本当にもらってきた子とこの子を分け隔てなく育てられるのか、など。
考えてみれば、自分たちの子供をもう1人2人もうける場合もそういった責任やリスクは変わらないはずなのだが、少なくとも自分たち夫婦にとっては、出産直後当時の時点では現実的に検討することはできなかった。「帰る家」を欲しがっている子供たちがいるのに、迎え入れてあげられない自分の狭量さをふがいなく思う。

そんなようなことを、オットとぽつぽつと話し合った。

オットは、こんなふうに言ってくれた。

今回はたまたま体外受精の1回目で成功したけれど、次回もそうなるとは限らない。実際採卵には半年以上かかったわけだし、そういういつ終わるとも知れない不妊治療に、上の子を抱えて通い続けるのは想像以上に大変なことだったろう。

こんな言い方はあるいはあなたを傷つけるかもしれないが、いっそのこと、もう2人目以降の望みが完全になくなった今の状況の方が、無駄に終わるかもしれない期待や努力、お金や時間を費やさないで済む分、さっぱりしていて良いのかもしれない。

2度目はない、とはっきりしているのだから、その分この子を育てるそれぞれの場面で、瞬間瞬間を2度とないものとして大事にして、愛情も手間暇も、不妊治療に使うはずだったお金も時間も、遠慮なくこの子にかけてやればいいんじゃないか。

子供は2人3人ほしいとずっと言っていたからすぐには難しいかもしれないけれど、この子を慌ただしく育てているうちにそういう気持ちもだんだんと薄れて、親子3人で仲良く暮らしていくイメージがきっと定着していくよ。

この人の子供を産んで良かった。
結婚して良かった。
好きになって良かったと、心の底から思った。

命を賭けた甲斐があったし、同時に助かって良かった、この人と一緒に子育てをしていく時間をもらえて良かった、とも思った。
そしてまた、万一私に何かあっても、この人なら、そしてオットの親族なら子供を安心して任せられる。この人に何かあったとしても、この人の分まで私がこの子を幸せにしてやれる、あなたのお父さんはこんなに素敵な人だったんだよと話せる種がいくらでもある。

ちょうど3年前、2014年の3月、春の明るい光に満ちた白い壁の病室で、そんなふうに思った。
前にもちょっと書いたかもしれないのですが、私の身に起きたいろいろなことは、不幸で不運なことも多くて、こうならないに越したことはなかったのだけれど、それでも得たものの大きさや輝きもとびっきりで、ものすごく幸せで、幸運なことだと思います。

(2017年3月30日)
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2023年の今振り返ると、しんみりします。しんみりすんなよ。しんみりしないで。変わってしまった部分があるっぽく匂わせるのやめて。

んんー、や、でも数年ぶりに読み返してみると、こういう美点も確かに備わっているな彼には、と改めて思うのも確かで。
ただその美点の別の側面が、私を目下しんどい気持ちにさせている、とも前回の補記に書いたわけです。合う時はいいんですよ、考え方やら感じ方がね、合えば大変頼もしい。でも合わない時にはとことん伝わらなくてもがき苦しむことになるのよ。だってこの微動だにしないメンタルよ?どこまでいっても平行線なの。

2017年に書いた当時と違ってすんなりいい話で終われないのは、んんー(この件になるとんんーって言い淀みすぎ)と私も思うのですが、それもまたライフログなのかな。20年続けている結婚生活とブログだし、29歳が50代に差し掛かろうって言うんだから身体も心も環境も考え方もそりゃあ移ろってゆくものだ。その変遷を、まとまらないうちに、混乱のままブログに残しておいてみよう、というのが最近の試みです。わざわざ発表するもんじゃなかった!!と後悔したりもするかもだけど。

まだまだ色々模索中です。
あと少しお付き合いいただけたら嬉しいです。


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