母の日の関連で、オット母のいい話を。amazonリンクが『ローマの休日』なのは母のイメージがオードリーヘップバーンだからです。上品でキュート。好奇心旺盛。
いい話だけにしておこうか迷ったのですが、実母との悲しい思いも繋げて出てきてしまいました。なので[まじめに][機能不全家庭]タグです。
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オット母が子宮筋腫を取るために入院したのは2011年2月。あとで思えばちょうど311の直前だった。
私もその2ヶ月ほど前に流産の手術を受けたばかりだったので、入院したてほやほやの経験を活かせないかと便利グッズをおすすめしたり、これがあったら良かったのにと思ったものを揃えて持って行ったりした。本、肩掛け、レッグウォーマー、延長コードに分配タップなどなど。
手術当日の家族の立会いも、オット妹ちゃんと一緒に病室で待つことにした。まだ父が亡くなって2年ほどと、気持ちの上ではすっかり落ち着いたとは言い難い時期だったし、妹ちゃんも一人では心細いだろうと思い、他愛ないおしゃべりをしながら数時間過ごした。たとえば入籍するまでの間いかにオットが逃げ回ったかなどなど(他愛ないか!?)。「えっ何それ兄ちゃんヒドイ」「でしょ!?だよね!?」と盛り上がったおかげであっという間に時間が過ぎましたよね(にっこり)。
一週間ほどの入院期間中も、だいたい毎日顔を出した。最初の2日ほどで便利グッズやリクエスト品など物の受け渡しが済むと、あとは病室で編み物をしたり(当時ハマっていたアームウォーマーを、妹ちゃんのと母の分)、ただ座って時間をつぶした。
母には一応早い段階で、あの、私毎日来たらかえって気疲れしませんか、遠慮なく言ってくださいね、と聞いてみた。
実の娘ならともかく、ヨメにこられても気が休まらないかもしれないし。母は変に気を使って無理をしたりはあまりしない人なので、こう聞けばきっと、そうね、一人の方が気楽だし、毎日無理して来てくれなくても大丈夫よ、と、そんなふうに思っているとすれば正直に言ってくれるだろう。
ところが母は、
OT母「そんなことないわ、とっても嬉しいの本当よ。朝目が覚めて、ああ今日もあひるさんが来てくれると思ったら、心の中にポッと明かりが灯ったような気持ちになるの」
まだ点滴のついた両手を胸にそっとあて、そんなふうに言うではないか。
こんな素敵な言葉を義母からかけてもらえるヨメがいるだろうか!!
この家にこれて良かった、この人の娘になれて良かった、と、何度目か知れないけれどより一層強く思った瞬間だった。
私は結局、良くしてくれる人にしか優しくできない、損得勘定でしか動けない人間だ。
オット母には優しくしてもらってきたから、それを返したくて行動する。実母に対しては、あれもしてくれなかった、こんなひどいことをされた、とマイナスの記憶があまりに蓄積されていて、こちらからこれ以上何かを差し出そうという気持ちにどうしてもなれない。
だけど、自分も子供を産み育ててみて、実母も私に対して確実にある一定の手間暇をかけ、自分の時間や肉体を割いて世話をしてくれた時期があったのだとわかった。
私は、母が親としてあれもこれも与えてくれなかった、と足りないものばかり数えてきたが、では私の方は、子供として彼女に進んで何かを渡してきただろうか。
奪われることに抗うばかりで、掴みかかろうとする手を振り払うことに必死で、何ひとつ渡すまいと頑なになっていた。それでいて、相手から欲しいものをもらえなかったと訴えるのは、とても子供じみていて、身勝手な振る舞いのようにも思える。
でも、子供を持って愕然としたことがもうひとつある。それは、子供は本当に、「お母さん」のことが大好きだ、ということだ。
本能的に、根源的に。
理屈じゃない。損得など挟まる余地がない。
よく、母親の子供への愛情が「無償の愛」だと世間では言われる。
だけど、「無償の愛」を持っているのは、子供の方だと私は思う。
子供の母親への感情。この人が自分の世話を中心となって焼いてくれる人だ、と認定した相手への、渇望、というのか、とんでもない強さの集中力。いっときでも視界から消えると不安で取り乱す。眠っているのに離れると察知する。あの特殊能力。そして眠っているのに近寄ると抱きついてくる。身体中を振り絞るようにして泣き叫んで目も開いていないのに抱き取るとぴたりと泣き止む。遠くから姿をみとめるとぶんぶん手を振りながら全力で駆け寄ってくる。
今よりもう少し子供が幼かったある日、お絵描きしていたうちの子がふいに顔を上げ、「母ちゃん?」と優しく語りかけてくる。
「母ちゃんに、いーっぱいお花を描いてあげる」
控えめな笑顔で、そっとつぶやくように。
こんなにも圧倒的な信頼と愛着。これこそ「無償の愛」と呼ぶに足るものなのではないだろうか。
そしてこういったものが、きっと私の中にもあったはずなのだ。それがここまで損なわれてしまうとは、それまでの行程で、きっと私は、そして私のように親を愛せない多くの人たちは、自分で把握している以上に深く、深く傷つき続けてきたのだと思う。想像を絶するほど深く。
母を愛せなくて悲しい。
人として欠陥があるように感じる。
人としてどころか、生き物として備わっていた重要なセンサーが壊れてしまっているようで、心もとない。
だけど仕方がなかったのだろうとも思う。
私は幸い、本当に僥倖なことに、その壊されてしまった感覚を思い出させてくれるような、親を慕う気持ちを抱かせてくれる義理の母に会うことができた。実の母に本当は向けたかったのかもしれない、今からでも向けるべきなのかもしれない感謝や思慕を、少なくとも今しばらくは、オットの母に受け取ってもらうつもりでいる。
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お母さんは『赤毛のアン』も大好き。
この素晴らしい完訳版をですね、母が入院中に少しでも暇潰しになればとわたくし朗読データを作ったんですよ。まるまる一冊、注釈も含めて。楽しかった。その話もそのうち書きたい。松本侑子先生の訳と注の素晴らしさと面白さ、それからアニメ版の元になった翻訳や、海外映画版のブルーレイボックスの話なども取り揃えて。
赤毛のアン (文春文庫) 文庫 – 2019/7/10
L.M. Montgomery (原著), L.M. モンゴメリ (著), 松本 侑子 (翻訳)
あひるさん
あひるさんの文章を読んで、私の心にもぽっと明かりが灯りましたよ。義理のお母さんの優しさが私にもあたたかく伝わってうれしくなりました。
私は今も、母にも義母にも心を開くことはできず、最低限のことしかしていません。
特に母とは、ずっと嫌いなニシンのパイを「おいしいだろう??」と食べさせられてきたような関係なので、こちらの言い分は相手には伝わりません。
なので、表面的だけでもお互いが気持ちよく感じられる落とし所というか、心のスイッチをオフにして、妥協もあきらめも嘘も、すべて使って自分の心と孝行を両立させるようと思っています。
あひるさんも無理なさらず。まずはご自分を大事になさってくださいね。
日月さん
わあ!ありがとうございます〜!伝わって嬉しい…!
ニシンのパイ!わかります!最近あちこちで物議というか、考察が深められていますよね。こちらの言い分は相手には伝わらない…わかりすぎる…。
表面だけでもスムーズにいくように落とし所を見つけて粛々と親との関係を営んでいる友人、私にも何人かいて、尊敬しています。立派な親孝行だと思います。