ニュース記事などのリンク集と、個人的な当時の体験についてまとめましたが、もうひとつ、個人的に本当に心に突き刺さった出来事を書きます。恥ずかしくて、認めたくない。親しい友人にもあまり話せずにここまできました。本当は次の節目、5年後か10年後にしようかとも思ったのですが、これを機に書いてしまおうと思います。
私の悔恨だけを書いてもしょうがないような気もするので、オットの被災体験もあわせて。先に書いておくと「やっぱりホテルはある程度のグレードを選んでおくべし、いざという時安ホテルとの対応の差がすごい」とのことでした。
震災当時の克明な描写になりますし、特に次の後編は心の内の闇というか、暗く鬱屈した内容になると思うので、引きずられそうな方は読むのを控えるなどご無理なきようお願いいたします。
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2011年の3月11日、オットは関東北部に出張中でした。
地方での大きな仕事で、年明け頃からだったか、数ヶ月の間現地のホテルを転々として、ほとんど泊まり込みの状態でした。1週間おきくらいに着替えを取りに、それから都心で必要な仕事をするために家に帰ってくる。思い起こしてみれば、私は震災前から数ヶ月もそういうちょっと非日常な一人暮らし状態だったなあ。そしてそれは震災後も半年ほど続いたので、精神的に色々きつかった。
その311当日、私がいた東京の自宅では震度5強、オットがいた関東北部では震度6強と、震源地の震度7に次いで大きな揺れをマークした地域でした。ビルの上層階で設備のリニューアル作業中だったので、セットアップ中のたくさんのPCモニタが次々飛ばされてガシャンガシャンと室内を飛び交ったそうです。おもちゃ箱を横に揺さぶったような有様。5分間に及ぶ長い揺れが収まった頃には付近一帯が停電。かろうじて怪我もなく、一緒に働いていた人たちと階段で外に出ると、駅前に似たような人たちが続々と集まってきた。駅前の広場も、屋根から落ちたものなどが散乱していたそうです。大型スーパーの外壁の時計が2時46分を指して止まっていた、とのちに写真を見せてくれました。ほんとに止まるんだ。
自動販売機は電気の供給が止まっているので買い物ができない(のちにこの時の経験を踏まえ、非常時にも販売可能なタイプの自販機が増えましたね)、目の前に飲み物があるのに買えない、非常時だしいっそ壊しても…と何人かの人が試みようとしていたけれど頑強な作りでそれも無理だったようでした。スーパーの従業員さんたちは動かないレジの代わりに電卓の手計算で品物を売り始めてくれた。一人一人の買い物にものすごく時間がかかって入場制限もあったが、その場に集まった見知らぬ人たち何十人もで粛々と外まで行列を作り、少しずつ水や食べ物、防寒具などを買ったそうです。
オットはその週はたまたま、ちょっと良いホテルに泊まっていました。
何ヶ月もの長期宿泊生活だったから飽きも来るし、駅前のいくつかのホテルをローテーションで泊まり歩いていたのです。最安ホテルと、中庸ホテル、そしてそこのちょっとお高めホテルがその時は周年記念で割引料金キャンペーン中だったから、中庸ホテルと同じくらいの値段だし今週はこっちに泊まるか、と。
そのなんとなくの選択が命運を分けることになる…オットはこういう時本当に引きが強いです。いやそもそも被災してる時点では引かないでいいものも引いてるんだけどそれもオットあるあるで。一度はヨーロッパ出張中に火山噴火に巻き込まれて全世界的に飛行機飛ばなくなって1ヶ月ほど帰国が遅れたりってそれはまあまた別の話で(何それ気になる)。
行列に並んでいるうちに日も暮れ、町中停電の夕闇の中ホテルに戻ると、オットがその時泊まっていたちょっとお高いホテルではこんなこともあろうかと災害用の自家発電装置が作動しており、空気循環など最低限の電気が使える状態だったそうです。すごい!
それでも火事や二次災害の恐れもあり節電は必要とのことで、エレベーターは使えず、階段で7階まで上がって、部屋の開閉はできたのかな?ルームキーが電子錠じゃなければ問題ないのかな?暖房は使えないため毛布を配られたそうです。
そして一階ホールでは、どうせ冷蔵庫の中身もこのままではダメになってしまうからと厨房で作られた温かい料理が並べられ宿泊客に振る舞われ。節電のため燭台がともされ、ろうそくの灯りの中ゴージャスなお食事でいっそムーディー。近所の人たちも一緒に食べたんだったかな。なんと素晴らしい対応!ホテルの鑑!
仕事仲間の一人はオットが先週まで泊まっていた最安ホテルに泊まっていたそうなのですが…そっちでは従業員がいち早く逃げ出してしまい入口は施錠されており、宿泊客が荷物を取りに部屋に上がることもできずにエントランス前に人だかりができておいどういうことだよ!開けろ!と怒号が飛んでいたそうです…ひい。ホテルの格の落差すごい。まあね、でもそうですよね従業員さんへの日頃の教育だけでなくそもそものお給料も違うだろうし、そりゃ逃げるわな。施錠してるあたり責任感あるとも言えるし。
そんなわけで冒頭のオットの格言、
「ホテルは良いとこ選んどけ」
「いざという時の対応が雲泥の差、数千円の差額の価値はあると実感した」
そうです。なるほど参考にしたい名言。
そうはいっても暖房なしのホテルの部屋で、懐中電灯の灯りで一夜を過ごし、明けて12日の昼過ぎにはホテルの自家発電も限界を迎えるし、余震もひっきりなしだったため二次災害の危険性もあり、これ以上当ホテルではお客様の安全を保証できないとのことで、明るいうちに一番近くの避難所まで徒歩で移動することになったのだそうです。本震から一夜明けて、私がやっと思いついてホテルの代表電話にかけてみてオットと繋がったのがちょうどこの瞬間でした。そんなわけで今から避難所に移動するんだ、と。メールで途切れ途切れの連絡は取れて無事は確認できていたのですが電話はまったく通じず、音声で話ができたのはこの時が最初でした。
その後、オットと職場の同僚さんたちは宿泊客や従業員さんたちとともに中学校の体育館に移動したのだそうです。
私はそれを聞いて、すごく安心しました、その時は。避難所に行ったならもう大丈夫だろう、と思い込んでいたのです。後からオットに事情を聞いたら避難所なら安心というわけでは決してなかったそうですが(後述)。
その日、12日の夜19時頃でした。
オットからのメールで「これからMさん(仮名)が車で迎えに来てくれるらしい」と報告があり、私は仰天しました。
後編に続く。相当長くて暗いです。