東日本大震災から二年(東京での自分の体験を詳しく)

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久しぶりに立ち寄った喫茶店で、従業員の皆さんが黙祷の時間を設けてくれたので、お客さんも全員で黙祷ができました。
あまりにも甚大な数の、亡くなられた方々、ご家族やご友人を、家や仕事を失った方々に、改めてご冥福とお見舞いを申し上げます。
(以下、関連リンクと、当時の自分の状況について追記しました)


二年前の当日、私は一人で家にいました。
あ、地震だな、と思ったのも束の間、人生で初めて経験する大きさの揺れに家中の家具が鳴りはじめ、しかもそれがなかなか収まらず(後に5分間もの長さだったと知る。一瞬だったのに長く感じた訳じゃなくほんとに長かった)、慌てて玄関のドアを開けに行ったら激しい揺れのせいでドアストッパーが利かず、玄関ドアとすぐ横の室外機置き場への扉と両方を右往左往しながら開けては閉まっちゃって開けては閉まっちゃってしているうちに本震が収まっていたという、いざという時まったく有益な行動を取れない自分を発見してまずがっかりしました。
次に、やっと揺れが収まってきた頃に玄関チャイムが鳴り「ヤマト運輸でーす」とamazonからの荷物が届いてその日常感に一瞬頭が空白になったり。ハンコを押す手がぶるぶる震えてしまいましたが、いつものヤマトの担当さんと顔を合わせて「すごい揺れでしたね」なんて会話ができたおかげで、ちょっと平静を取り戻せた。そしてその後続々と佐川、日本郵便も到着し、こんな時にも平常営業している人たちの存在に改めてすごいなあと思ったり。
それからオットが出張中で不在だったので、同じようにご家族が旅行中の友人の家に泊まりに行かせてもらったら廊下が揺れを感じる数秒前から「…きゅきゅっ…きゅっきゅっ…」と音を立てる鳴き床状態で風流な地震警報だったり。
そんな思い返せば笑い話のようなこともいろいろありました(そして翌朝友人と朝ご飯を食べている最中にTVの向こうで建屋が爆発し呆然)。
一方、地震当日のオットの出張先が被災地に比較的近い関東北部だったため、無事帰宅できるまでに二日かかったり、その後も出張続きで半年ほど留守がちだったので、群発する大きな余震と緊迫感の中を長く一人で過ごして、だいぶ消耗したように思います。県全土が停電のなかスーパーの行列に並んだり、一時は避難所に身を寄せたりしたオットの方がより大変だったのですが、そんなオットからの途切れ途切れの連絡を待ちながら目に飛び込んできた生中継の津波映像、次々入る不穏な報道、計画停電、東京でも起こっていた様々な物資不足という異様な雰囲気の中、家に一人でいた私もそれなりにしんどかった。
明るい話題をブログに書くのがとても怖かったり、楽しく過ごすことに罪悪感が伴ったり、常に揺れているような気がしてしょっちゅう地震速報をリロードしてしまったり、地震からしばらくの間続いていた、ネット上に飛び交う様々な情報や感情の奔流とピリピリした空気に疲れたこともあったり。
そしてそんなもやもやをふと人と分かち合える場面があったり、励まされることも多かったです。最初に書いたヤマトさんとの会話のように、あの頃はそうやって親しい人とだけでなく、普段は言葉を交わさないようないろんな人たちともちょっとずつ支えあっていた気がします。そういえば本震翌朝、眠れないままだった早朝にマンションのお掃除の気配が聞こえてきたので、出て行ってお掃除のおばさまとこんな時にご苦労さまです、ご自宅はご家族は大丈夫でしたか、なんて話をしたりもしました。あの3月は気温もとても低くて明け方寒かったな。
節電で真っ暗だった街並みや、毎日頻繁に鳴り続けた緊急地震警報の音、混乱が続いた交通網(それでも驚異的な復旧速度でしたが)、コンビニやスーパーの棚が何週間もガラガラだったことなど、深刻な被害を受けた地域とはもちろん比べものにならないという事実の上で、やはり東京も異常事態だったな、と振り返っても感じています。
直接被災しなかった自分にとっても、あの地震で地軸が少しずれたように、その後の考え方や行動規範が少しずつ変わるような出来事でした。とっても小さなところでは、飲み物やお茶のポットなど倒れやすいものをテーブルの際に置かない、引き出しや戸棚は必ずきちんと閉めておく、断水用の水を貯めておいて毎年9月と3月に入れ替える、など。
それから、いざという時に自分はとても取り乱して冷静な判断ができなくなるし(わりと冗談抜きで)、周囲の雰囲気に気持ちを左右されすぎるいつもの性質がより強く現れるということ。意識しておけば、動揺しないのはきっと無理にしても次は早めに我に返れるかも。
一年前は直接被災していないのにおこがましいという気持ちの方が強く、ブログ記事にはまだできずにいたのですが、少なくとも自分に起きたいろいろなこと、この二年間折に触れて考えてきたことを、今日のきっかけに改めて書き記しておくことにしました。
足元に地面があるということ、衣食住が足りていること、自分や親しい人たちが健康なことの有り難さを心に留めながら、今後もまだまだ山積している様々な問題に対して、自分にできることをその都度やっていこうと思います。
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いつも読んでいるサイトより、関連リンク。
「日本から学ぶ10のこと」
時代の風:東日本大震災から2年=元世界銀行副総裁・西水美恵子
(ネタ元:clione clitiques
(さらに一件追記)
上の記事と対になるような内容ですが、大地震のような非日常の時に「日本人は秩序だっていて素晴らしい」と酔ってしまうことの危険性。
新刊情報 佐々木中『夜を吸って夜より昏い』 : ★究極映像研究所★
[N] 写真で振り返る2011年3月11日の記憶「万が一はある」
東日本大震災から2年に寄せて(再稿): やまもといちろうBLOG(ブログ)
東日本大震災から2年、ネットにできたことできなかったこと、日々気をつけていること:[mi]みたいもん!
happy life with aroma メディカルハーブ講座最終回そして追悼
震災から二年|中川翔子 オフィシャルブログ
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関連あひる
去年の記事。
March 11, 2012 3月11日(日)14時46分、首都圏の電車が停止訓練を実施
地震直後に書いた記事。
March 12, 2011 東北地方太平洋沖地震
March 12, 2011 東京、停電に備えて飲み物を保温しておく【その後、停電無事回避】
March 17, 2011 Pray for Japan from whole world
April 14, 2011 [地震関連] 釜石がつないだ未来への希望-子ども犠牲者ゼロまでの軌跡
September 08, 2012 [地震関連]「想定外を生き抜く力 ~大津波から生き抜いた釜石市の児童・生徒の主体的行動に学ぶ」片田敏孝氏の講演について
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April 04, 2012 萩尾望都が震災と原子力を描く『なのはな』 [地震関連]
小ネタ。
March 19, 2011 こなくそ!とか負けるもんか!とかどっせええい!とかいう意味の、気合いは入るけどマイナーな言葉
March 22, 2011 AC(公共広告機構)にもってかれる
March 19, 2012 もしも緊急地震速報がオーケストラだったら [地震関連]
お、kindle版も出ている。
3.11東日本大震災~君と見た風景~3.11東日本大震災~君と見た風景~ [Kindle版]
著者:平井 寿信
出版: ぶんか社
(2011-06-16)

なのはな (コミックス単行本)なのはな (コミックス単行本) [コミック]
著者:萩尾 望都
出版: 小学館
(2012-03-07)


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