東日本大震災から10年、ニュース記事などリンク集

東日本大震災から10年が経過しましたね。個人的な体験や思ったことは別記事にして、こちらでは主にニュースなどの関連リンクをまとめます。

以下のリンク先は、震災直後の写真や映像が多く載っています。ご注意ください。

3.11~あの日、何が起きていたのか~NHK東日本大震災アーカイブス

地震発生から72時間|NHK東日本大震災アーカイブス 証言webドキュメント

これはすごい。見入ってしまう…。
東日本大震災タイムラインプロジェクト|NHK NEWS WEB

この後も震災の話を続けます。

311の関連で、載せそびれていた下書きを載せます。

2020年夏にイノシシの写真で話題になったカメラマン、須賀川理さんの写真の中に、2011年から福島県飯舘村の居住制限区域内の集落に住んでいるご夫婦と桜の記録があるのです。

こちらのリンク先に、須賀川さんへのインタビューとともに写真が多数掲載されています。どの写真も素晴らしく、そして夫妻との交流を続け、移り変わってゆく村の状況を見守り続けた須賀川さんの語りに引き込まれました。

2013年報道写真展 記者講演会抜粋 東京写真記者協会

【毎日・須賀川】「今年も2人で」は福島県飯舘村の現在は居住制限区域にある集落に住んでいる佐藤強さん、ヒサノさん夫妻を2011年6月から継続的に取材したうちの2枚です。お二人を2011年6月、12年5月、13年5月の計3回のグラフ紙面で紹介しました。連載という形ではなく、強さんの人柄に惹かれて通ううちに写真ができて、強さんの話す言葉で原稿ができていきました。3回のグラフに共通するのは強さんのヒサノさんと古里に対する愛情です。

「桜が綺麗だから1枚撮らせて」とファインダーを覗くと部屋の中に飾られたヒサノさんの遺影が傍らで微笑んでいるように見えました。1年前を思い出し、残酷な時間の流れをこれほど強く伝えられる場面はないと思いました。これは高齢者の多い村が直面する問題でもあります。
撮影を終えると強さんは「ババも一緒に撮ってもらおうか」と室内から遺影を持ち出そうとしました。「もう一緒に写っているよ」。デジカメのモニターで撮影した画像を見せると「そうか。良かった」と微笑んでくれました。久しぶりに見る強さんの笑顔でした。(グラフ③)


こちらでは他にもたくさんの写真が見れます。
須賀川理の検索結果 3,817件 毎日フォトバンク – 毎日新聞社

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ここまでは少し前の記事でした。
ここからは、10年の節目にあたりさまざまな特集が組まれていたので、ニュースや読み物などのリンクをまとめます。

仕事として311に直面した当時の生々しい葛藤を語った内容。

「なぜ自分が撮ってしまったのか」 津波を生中継した元NHKカメラマンは 今も葛藤の中で生きる【東日本大震災】 | ハフポスト

10年前に〝吐き気〟をおさえながら更新した「新幹線の文字ニュース」 withnews

避難誘導中、津波にのまれた警察官たち 「逃げて、必ず生き残れ」の教訓 | Forbes JAPAN(フォーブス ジャパン)

解剖できず「溺死」とするしかない…津波が露呈させた人材不足と設備不足|ニュースイッチ by 日刊工業新聞社

「動物たちが生きていることで救われる」東日本大震災でペットや家畜の生死を見てきた獣医師からの切実な願いが胸を打つ – Togetter

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311のさなかやその後を支えた方々。

東日本大震災から10年:Nianticの位置情報ゲームが教えてくれた復興への架け橋 ファミ通App

東日本大震災:10年目にあたって – Niantic


大震災とホームセンターの関係、「地域インフラ」としての役割 | となりのカインズさん

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おお、知らなかったこんなことが。

「津波が!いま到達してるよ、テレビ朝日!!」震災から10年語り継がれる地方局アナ、生放送中にキー局に怒鳴った理由【#あれから私は】 | ORICON NEWS

震災直後、各放送局で緊急ニュースに切り替えられた。当然テレビ朝日系でも全国放送されていたが、情報カメラに映る岩手県宮古市の沿岸に今まさに津波が押し寄せている映像に覆いかぶさるようにテロップが乗っており、スタジオでは津波の接近に誰も気づいていなかった。その様子を見て、山田さんは岩手県から画面を通して「なんでここでその状況を伝えているんですか!いま来てますよ、津波が!いま到達してるよ、テレビ朝日!!」とデスクを叩き怒鳴った。

 当シーンはニュース内では放送されておらず、一連のやり取りはその年の4月の報道特番『つながろう!ニッポン』で舞台裏として放送され、彼はその年のANNアナウンサー賞大賞を受賞した。昨年も3月11日に投稿された「これこそ真のメディアの姿」という視聴者のツイートには13万近くのいいねがつき、「アナウンサーの鑑」「何度見ても鳥肌が立つ」「涙が出た」などのコメントが寄せられた。6年前に社内異動があり、現在は営業職の山田理(さとる)さんが当時の様子を語った。

【山田理】映像を見ていて、さきほど6メートルを観測した津波に次ぐ第2波だと気づきました。しかし当然のことなのですが、その時テレビ朝日は情報収集のために各所と連絡をとっていて、電話もインカムも混線しており、それに気づいていなかった。思い返してみると、そんな中で、僕のマイクなら誰か聞いてくれているのでは!?と思って叫んだような気がします。

――それで、山田さんの声に気づいたテレビ朝日がすぐに中継を繋いでくれた?

【山田理】いえ、正確には私の映像をチェックしていたテレビ朝日のデスクが怒鳴ってくれたことで、中継がつながったそうです。これまで、津波の生中継って世界でどこもやっていなかったと思うんです。2004年のスマトラ島沖地震でも、津波の様子は、襲来後に視聴者映像がニュースに流れただけだと思います。もちろん訓練は何度も重ねていましたが、生中継で大津波が放送されるなんて、誰もちゃんと想定できていなかったのではないでしょうか。

――あの時のテレビ朝日の対応が必ずしも悪かったわけではない?

【山田理】私はテレビ朝日を批判しているわけでもなければ、当時スタジオにいたアナウンサーを批判しているわけでもありません。あのような状況の下、どうしたらいいか考える上で、必死に訴えたというだけです。キー局では30ほどのモニターを同時にチェックしていて、岩手だけでなく宮城からも福島からも、その他、全国各地から一気に情報が寄せられていたと思います。そんな中、私の叫びに気づいた方がいて、私を映してほしいと訴えたつもりはなかったですが、すぐに岩手に中継を繋いでいただいたのはありがたかったです。


検索してみたら2020年に動画付きでまとめられた記事もありました。

「今来てますよ津波が!」3.11山田理アナウンサーの叫び | 俺についてこい!

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こちらはツイッターについて、2014年01月08日のもの。

あの日、Twitterのくじらが出なかったもう1つの理由:変化するリーダーの資質 – @IT

2011年3月11日。Twitterは唯一の通信手段と言っても過言ではなかった。いつものくじらの絵が出ても、決しておかしくはない状況だった。しかし、Twitterにアクセスできないときに見られるくじらは現れなかった。なぜか。

 そこには、これまであまり語られてこなかった理由があった。

 その日は、日本時間で週末の金曜日、米国時間では木曜日の夜だった。Twitterのエンジニアは日本で起こった地震のニュースを知り、「もし、土日に大量のアクセスがあり、Twitterにアクセスできなくなったら大変な二次的被害を被る人が出てくるかもしれない」と思ったそうだ。そのとき、段ボールに詰まった未開封のサーバーがコンピュータールームにあることを思い出した。次の週に、これらをセットアップする予定だったのだ。彼は自分自身の判断で、これら全てをラックに入れ、日本向けのサーバー数を3倍に増やした。彼は後にこう語ったという。

 「いつもボスから言われていたことがありました。――『会社やボスの命令で体を動かすのではなく、会社や社会のためにどうすればいいかということを判断して体を動かしなさい。あなたがこの会社に勤めている限り、自分自身の判断で行動しなさい』」。

 彼のボスは、ボスである自分の判断を待つことなく、組織を作る1人1人に自ら判断するよう呼び掛けていた。他の通信手段がバタバタと落ちていったとき、Twitterだけが生き残っていたことには、こうしたボスの資質が大きく影響していた。


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おお!こんな記事も…
ぜひ動画を見てほしいです。テキストにもおこされているんだけれど、涙ぐんでしまっているところとか、笑顔をかわしたりの大事なニュアンスが動画の方じゃないと見られない。

“釜石の奇跡”と“大川小の悲劇”生死をわけた“あの日の葛藤”…10年目の真実 FNNプライムオンライン

大川小訪問をきっかけにより、真実に向き合おうとする菊池さんの姿があった。

菊池さん「わたしたちは山側に向かって歩いています。この車は逆向きです。海側に向かってきています。実はこれ、(迎えの)保護者の人たちの車だったんです。『防災教育ちゃんと受けていた』と言わなければいけない感じになっていますけど、そうじゃないんですよね、やっていたけど、自分の親に伝えていたかというと、そうじゃなかった」

菊池さんが伝えたのは、奇跡と呼ばれた出来事の“影”の部分だった。

菊池さん「すごくたくさんの子どもたちが助かった中でも、周りの人を助けようとして亡くなった子どもたちも、中にはいます。今まで“奇跡”と言われる中で、この子たちの存在を隠し続けなければいけないつらさも、もちろんあったんですけど、こうやって亡くなる子たちがゼロになるように、ちょっとずつ、みんなと一緒に、この街をよくしていけたらなと思っています」


以前書いた記事へのリンク。
September 08, 2012 [地震関連]「想定外を生き抜く力 ~大津波から生き抜いた釜石市の児童・生徒の主体的行動に学ぶ」片田敏孝氏の講演について| あひるちゃんがゆく

April 14, 2011 [地震関連] 釜石がつないだ未来への希望-子ども犠牲者ゼロまでの軌跡| あひるちゃんがゆく

大川小の裁判、気になってずっと追っていました。つらすぎる…。
宮城 大川小学校裁判 原告団報告“子どもの命守る取り組みを” | 東日本大震災 | NHKニュース

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原発関連。
サンドウィッチマンの2人が福島第一原発の原子炉格納容器の中まで入り廃炉作業の現状を伝える #お風呂いただきます – Togetter

これは衝撃的でした。こんなことが起こっていたとは…。
福島の甲状腺検査の倫理的問題を問う(第一部)「0~18歳まで全員検査」が引き起こしたこと – 細野豪志|論座 – 朝日新聞社の言論サイト

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これすごい!!

プレート境界で発生する地震を観測するために5500kmにも及ぶケーブルで敷き詰められた「日本海溝海底地震津波観測網」という執念のシステム – Togetter


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個人的に思ったことや、当時の記録などは別記事にしました。
2021-03-11 東日本大震災から10年、当時感じたこと、直接被災していないのに傷ついていた

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