東日本大震災から10年、当時感じたこと、直接被災していないのに傷ついていた

東日本大震災から10年、ニュースなどのリンク集は別に作りました
この記事では、個人的な体験や思いについてのリンクや、自分で感じたことを綴ります。

こちらは知人和田さんのブログ、当日ご自身が経験したことの詳細な記録。続きが気になる…。

大地震の日、池袋で見た風景(2011年3月11日) WADA-Blog

和田さんはこの時津波の時刻にそのことをまったく知らずに過ごしていたことがとてもショックだったのだそうで、その体験が数々のボランティア活動に繋がったのだそうです。すごい。尊敬します。

私が2013年に書いたのはこちら。直接被災したわけでもない自分が311を語るのはおこがましい、大した苦労もしていないくせにと責められるのも怖い、と思いなかなか書き記す覚悟ができずにいましたが、2年経ったこの時は自分のための備忘録としてまとまった記述を残すことにしました。

March 11, 2013 東日本大震災から二年(東京での自分の体験を詳しく) | あひるちゃんがゆく

別記事に載せたリンク「地震発生から72時間」のNHKニュースをざっと見ていて思い出しましたが、この当時の数日は24時間ずっとNHKをつけっぱなしにして過ごしていました。地震発生当日はオットが関東北部への出張中で丸2日ほど帰宅できず連絡もままならない状態で、夜も余震で眠れないし、津波がオットのいる地域を襲うかもしれないと思うと恐ろしくてずっとテレビをつけっぱなしにしていた。テレビと携帯の両方から緊急地震速報が鳴り響いて、そのたびに飛び起きていた。幸いなことにオットは無事に帰宅できたけれど、その後もすぐに別の地域に出張に出かけたりで、発生直後数日から数ヶ月のほとんどを家で1人で過ごしていたので、不安でたまらなかったな。

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それからもうひとつ、当時思ったことを書き記しておきます。
今年の1月、阪神淡路大震災から26年の時にも少し書いたのですが、関東以南の地域との温度差を感じた話です。

2011年の4月、震災からひと月後に、オットの当時の職場で毎年恒例の集まりがありまして。確かオットは仕事で不在だったんじゃないかな、私だけ参加したんですね。何年も顔を出していたからもうみんな顔見知りだし、フレンドリーな雰囲気だったので1人でも気兼ねなく。それにずっと家にこもって神経をすり減らしていたから人が集まる場所に行きたくて。(コロナの状況下ではそれもままならないからしんどいですよね…)

それで、あれこれ近況報告をしあったり、すっかり仲良しのおばさま職員さんから、停電中に旦那さんと2人で工事現場みたいなヘッドライトを頭につけて真っ暗な中やきそば作って食べたのよ〜!今考えると笑っちゃう格好なんだけどあの時はもう、今後どうなるんだろうって不安でいっぱいで2人とも真顔だったわ〜!なんて話を聞いたり。私も玄関のドアとベランダのドアを交互に開けてはしまって、開けてはしまってしてしまったなんて話をしたりで、わあわあ過ごして。
そんななか、ふと空いた時間に1人で座ってお茶を飲んでいたら、近くで話す小さな子を連れたママさんたちの会話が耳に入ってきて。

1人の人は、ご実家が関西なようで、しばらく関西に身を寄せていたと。
でも関西では、街中に煌々とあかりがついていたと。
コンビニもスーパーも明るくて、棚もぎっしりで。
駅のホームも明るくて。
みんな、なんにもなかったように暮らしていて。

「なんだかその様子に…すごく傷ついてしまって…」

わかる。
後ろで話を聞いていただけの私ですら、うっすら傷ついてしまった。ショックでした。
当時の東京は、暗かったですよね。節電のために駅もお店も街中もどこもかしこも物理的に、光源的に暗くて。お店の棚はガラガラだった。牛乳や水やティッシュ類は売り切れて、物流が途絶えていて供給がストップしていたパンの棚、生ケーキやデザート類の棚もガラガラだった。異様な雰囲気でした。目に飛び込んでくる現実的な状況だけでも異様だったのに、さらには先行きの社会的な不安、津波による甚大な被害の映像や数字の衝撃(映像や数字など間接的な情報だけで済んでいるのに、それですら相当こたえた)に加え、過剰な自粛ムード(自粛警察)や原発、政府批判というより攻撃などネット上のギスギスした空気、そういったものにもどんどん取り巻かれて、気分もどんどん落ち込んで、とてもきつかった。

オットは最初の数日を被災先のホテルで過ごしたり、ホテルの自家発電も尽きるということで避難所に移動して過ごしたりしたものの、無事に帰宅できた後はさっと切り替えて仕事であちこち飛び回っていたので(確かに仕事があるだけ有難い状況だった)、どうせ私は家に1人だし、関西の友人でも頼ってしばらく東京を離れようか、友人に相談してみようか、などと暗いことばかりぐるぐる考えてしまう頭でぼんやり思っていたのですが、この話を聞いて、だめだ今の状態の自分もきっとそんな「普通」の光景を目の当たりにしたら傷つく、と思ってやめにしたのでした。

オットの実家では母が当時2月末に手術をしたばかりだったので、ちょこちょこ顔を出すようにしていたのですが、煌々と電気をつけて生活していることに愕然としたり。当時もっと節電節電言われてたはずなんだけど!?(ヤシマ作戦とか)なんでろくに使わない電気ポットに通電しっぱなしなの!?都度お湯わかせばいいじゃん!と、すごいストレスだった…全部の部屋に電気つけっぱなしで暖房ガンガンでテレビ見ながら笑っていて、笑うのって免疫機能にも良いんですって、と言っていて、そういうことがすごくストレスで…自分は電気も消して暖房も我慢して湯たんぽに厚着して熱い飲み物で凌いでいるのに…と、つまり私相当追い詰められていたんですね。メンタル弱い。東京なんかで、計画停電の地域ですらなくて、直接被災してないくせに何言ってんの?と弾劾されるのが怖くてこれまで書けなかったのですが。

当時本震から数日後に泊まりに行かせてもらった友人から数年後に「私たち大した被害受けてないし、東京はなんにもなかったよね?」と言われて、それにもショックを受けたり。えっ私たちあんなに不安だね…どうなるんだろう…って身を寄せ合っていなかったっけ!?うちの親もちっとも節電しなくて大喧嘩になったよ!って言ってたよね!?それを聞いて親世代とのジェネレーションギャップ的なものもあるのかな…と少し気が楽になったようなところもあったんだけど。オットの母に対して責めるような気持ちになってしまう自分が嫌だったので。
その人は直接の知人が震災ボランティアに何度も出向いて被災地の本当に壮絶な現場を直接目にして、現地の人たちの過酷な体験を直接見聞きしていたそうなので、そういう話を聞いていたから「東京なんてなんにも起きてない」と思うようになったのかもしれないし、実際被災地に比べたらまったく軽度で済んでいたんだけど、でも、なんにも起きていない、とは私には思えなかった。個人的にはとてもつらかった。もちろん被災地の人たちに比べたら、実際に被害にあい、家族をうしない、という人たちに比べたらオットも数日で無事に帰ってきたし、全然なんでもないじゃないかと責められたら何にも言えないんだけど。

漫画家の成田美名子さんが、震災後最初に出た単行本『花よりも花の如く』9巻(2011年7月発行)の端のところに書いていらした文章を、すごくよく覚えています。東北新幹線がご自身の出身地青森まで開通した途端に被災してしまったことと、当時「元気がもらえる」と話題になった九州新幹線のCMを見て「いろんな気持ちで泣いてしまって気がついた。私は傷ついていたんだ」「直接被災しなかった方達も、同じ東北人として、日本人として、人間として傷つきませんでしたか?」と。
それを読んで、ああ私程度のつらさでも、傷ついていいんだ、はい傷ついたんです、と言ってもいいんだ、と認めてもらえたような気がして、すごく泣いてしまいました。

花よりも花の如く 9 (花とゆめコミックス)
成田美名子
白泉社
2015-04-28



311を経て、阪神淡路大震災の時も、他の震災や災害の時も、きっと当事者の人たちはこんな気持ちだったのかもしれない、と思い至りました。そしてもっと震源地に近い人にしてみれば関東の私はまさしく「震災を経験していない人」なのだろう、とも。
こんな本当に些細なことだし、愚痴まみれで恐縮なのですが、10年前の自分にとっての震災の記憶、記録として、ここに残しておくことにします。これも時が経てば薄れてしまうだろうし。

改めて、亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。当時の自分と今とで大きく違うことは、子供ができたことです。この子に何かあったらと思うと、被害に遭われた方々、ご家族や親しい人たちを亡くされた方々には、ますますかける言葉が見つかりません。10年経ったからといって、無理に忘れる必要もないのではないかと思います。そしてできるなら少しずつ晴れやかな方向へ、時間が連れて行ってくれることを願っています。

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関連リンク。

こちらは今年2021年1月17日の、阪神淡路大震災から26年に寄せて書かれた記事。

「私は死んだのですか」運転手に聞いたタクシー客 被災地と幽霊の深い関係:朝日新聞GLOBE+

震災当時はほとんど漢字が読めなかった娘も年齢を重ねれば読めるようになっているはずで、当時の娘に平仮名で書くべきか、成長した娘に漢字で書くべきか、そこから迷い始めて書き進められなくなるという。金菱さんは「年月がたてば少しは癒やされるかと思ったが、時間がたつほど重たくなる問題がある。遺族が向き合わざるをえない『二重の時間』の残酷さに気づかされた」と話す。

幽霊から手紙、そして夢。「のこされた人と死者とのつながり」を記録し続ける金菱さんは、震災からの10年にこんな印象を持っている。「復興の名のもと『過去をなきものにする』圧力を感じる。死者と生者の織りなす世界を展開している能楽のように、死者として葬るのではなく、永遠のときを生きる、死者とともに時間を自分たちのペースに合わせて進めていくことができるのではないか」


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何度読んでも泣いてしまう、津波で祖母を亡くし苦しむ若い女性と海原純子先生のやりとり。リンク切れになっていたので探して貼り直しました。

2017-03-11 3.11東日本大震災から6年、高さ16.7mの津波を銀座の真ん中で視覚化したヤフーの広告、祖母を亡くした女子学生への海原純子先生の熱い回答 | あひるちゃんがゆく

気品があって優しい祖母は私の憧れでした。
でもその最期は、体育館で魚市場の魚のように転がされ、人間としての尊厳などどこにもない姿だったのです。

お手紙を読みながら涙が止まらなくなりました。
こんなに重い苦しみの中でどんなに辛い毎日かと思うとたまりません。
ただあなたは祖母を見殺しにされたと思っていらっしゃいますが、私にはそうとは思えません。
おばあさまはご自分の意志であなたを1人で行かせたのです。
一緒に逃げたら2人とも助からないかもしれない、でもあなた一人なら絶対に助かる。
そう判断したからこそ、あなたの背中に乗ることを頑として拒否したのでしょう。

おばあさまは瞬時の判断力をお持ちでした。
その判断力は正しく、あなたは生き抜いた。
おばあさまの意志の反映です。
人はどんな姿になろうとも外見で尊厳が損なわれることは決してありません。
たとえ体育館で転がされるように横たわっていても、おばあさまは凛とした誇りを持って生を全うしたと思います。

おばあさまの素晴らしさはあなたの中に受け継がれていることを忘れないで下さい。

おばあさまが生きていたらかけたい言葉、してあげたいことを、周りに居る人たちにかけたり、してあげて下さい。

そのようにして生き抜くことが憧れだったおばあさまの心を生かす道に思えます。


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2015-01-06 阪神・淡路大震災を描いたNHKドラマ『その街のこども』、1月12日に再放送| あひるちゃんがゆく

ドラマ放送が2010年、そして劇場版公開は2011年1月。私が観たのは池袋にて2011年2月でした。まさかその一ヶ月後に311が起こるなんて当時は思ってもいなかったな。


そして10年目の今年を新型コロナウィルスでこんな状況のなか迎えることになるなんて、思ってもいなかった。

2010-01-29 NHK阪神・淡路大震災ドラマ「その街のこども」を見逃したメモ| あひるちゃんがゆく

番組の中で、震災で「生き残っ」て、後遺症に苦しんでいる人が、周囲から「命が助かっただけでも良かったじゃないか」と言われ続けてつらかった、と語っていて、何というか、びっくりしました。
言ってしまいそうな言葉だから。
実際、震災ほどの大災害ではなくても、人から何かつらいことがあった、という話を聞く時に、「そうだったの、でも、こうだったらもっと大変だっただろうから、そうじゃなくてまだ良かったよね」とか、励ますつもりでつい言ってしまうなあ、と考え込んでしまいました。


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明るい記事、笑えるネタをアップすることがすごくすごく躊躇われて、怖かった当時。

July 11, 2011 徹子の部屋のガガさんがキュートで可憐すぎて夢中 [地震関連]| あひるちゃんがゆく

June 12, 2011 村上春樹 カタルーニャ国際賞受賞スピーチ、動画と原稿全文 [地震関連]| あひるちゃんがゆく

May 11, 2011 [地震関連] キャラメルボックスの春公演はどのような状況下で行われたか| あひるちゃんがゆく

April 11, 2011 [地震関連] 中島みゆき、1995年ライブ版「ファイト!」(東日本大震災から1ヶ月)| あひるちゃんがゆく

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この絵本、その後買ったんですけど泣きそうになって読むのがつらい…でもすごく勇気づけられる、良い本でした。あとがきも素晴らしかった。

2017-03-13 被災地に燃料を届けた緊急燃料輸送列車の絵本『はしれ ディーゼルきかんしゃデーデ』| あひるちゃんがゆく

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生きる (日本傑作絵本シリーズ)
谷川 俊太郎
福音館書店
2017-03-05



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“東日本大震災から10年、当時感じたこと、直接被災していないのに傷ついていた” への2件の返信

  1. 「その女、ジルバ」のドラマが人気になったのは、大きな出来事の中での、ひとりひとり、ひとつひとつの物語のすくい上げ方が、見た人それぞれの身に染みるものであったからではと思います。マンガもとてもよかったですが(2000年代フィーヤン第一次黄金期モンキーパトロールで有間しのぶにハマりました……)。

    多分だいたいの人は人の心を決めつけるのも、傷ついた人を更に傷つけるのもとてもいやで、それでも自分の気持ちが楽になることをつい言ってしまうから、だから、インターネット上で「この時私はどう思った」っていうような感情を報道というバイアスをかけず直接知ることが出来るようになって、少なくとも私は進歩しています。(最初は人類と主語を大きくしたのですが、なんか違うので主語は「私」で)

    時を経て忘れてしまうようなこととあひるさんはおっしゃっていて、でも、あひるさんの記事を読んだ私は既にもうたぶん、ちょっと変わっていますので、この文章をアップしていただいてありがとうございます。

  2. マヌルネコさん
    『その女、ジルバ』見てます読みました!!マンガもドラマも本当に素晴らしいですよね。モンパトも大好きだったので、有間しのぶさんがこんな骨太な物語を描く漫画家さんに成長していたことが嬉しくてたまりませんでした!

    そして、温かいコメントをありがとうございます。すごく悩んで、アップした後も大部分を削除しようかとか、こんなふうに身近な人(この場合母や友人)を心の中で攻撃するような汚い自分をさらけ出すことが怖かったし、そもそも未曾有の大災害にこんな瑣末で個人的な心情吐露自体が甘えだとか、ぐるぐる考えながらだったので、すごくすごく励まされました。本当にありがとうございます。

    でも、そうですよね。社会的な内容のまとめ記事とこの記事を分けて、冒頭に知人の個人的目線の311当日のリンクを載せたのも、マヌルネコさんのおっしゃる通り、一人一人がその時どういう行動をして、どう感じたのか、という些細なこと、個人的なことの集合体が社会であって、社会を形作るのはそういう個人の感情や行動なのだと思ったからこそ、このような二本立ての記事構成にしたような気がします。ありがとうございます!

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