東京生まれで東京で暮らしてきた私にとっては、当時この地震は遠い西の方の、テレビの中の出来事でした。当時は19歳で大学受験生だったので、どこの会場でも試験開始前に「阪神地方からお越しで被災された受験生の方はこちらへどうぞ」と受験料の返還をしていたのを覚えています。その後通い始めた学校のサークルである時1人の男の子が神戸出身だという話になり、すごかったよ、天井がほんとに落ちてくるんじゃないかと思うくらい目の前に迫ってくるんだよ、ぐわんぐわん揺れてさ、と話してくれたこともありました。2〜3人でそんな話をしていた時にもっと大人数が来てなになに?と注目されたらいつもの調子で明るく「阪神大震災を生き延びた男☆」とドヤっていた。キラーンて。でもきっと、あの時話してくれた以上のたくさんのたくさんのことがあったんだろうな。
前にもどこかに書いたかもしれませんが、その後オットと結婚してからオットのおばあちゃんのおうちに遊びに行った時、兵庫県のおばあちゃんのおうちもかなりの被害に遭って食器が全部割れちゃったの、だからもうあれ以来お客さん用の食器を買い集めるのはやめてね、紙皿なのよごめんなさいね、とニコニコとケーキとお茶を出してくれたのも覚えています。当時ですでに震災から10年以上経っていたのにいまだにそんなふうに生活に深く影響を及ぼしているのだな、おばあちゃんはお料理が大好きでパーティー料理が得意と聞いたので、きっと食器もたくさん大事にしていただろうに…、と内心びっくりしたけれど、その後自分が東京でだけれど311の尋常でない揺れを経験して、おばあちゃんの気持ちが少しわかった気がしました。
食器棚をまめに閉めるようになった。閉めておくとロックがかかるタイプだったおかげでうちのほとんどの食器は無事だった。だけど食器棚の中で落ちて割れたり欠けたりしたものがいつくかあったので、そうならないよう食器の入れ方を常に工夫するようになった。飲みかけの飲み物をテーブルの端に置かないようになった。落ちはしなかったけれど、震度5強の5分間に及ぶ揺れが収まった後でふと見たら中身だけがびたびたにこぼれていて、揺れの凄さを雄弁に物語っていた。
自分にとってはそんな程度でしかないことが心苦しいですが、確かにあれ以来、他にも色々な考え方や行動が変わりました。
それから311の時に、関東以南の地域との温度差をすごく感じて、なんだか勝手に傷ついたような気持ちになってしまって、ああ阪神淡路大震災の時も、他の震災や災害の時も、きっと当事者の人たちはこんな気持ちだったのかもしれない、と思いました。そしてもっと震源地に近い人にしてみれば関東の私だって「震災を経験していない人」なのだろう、とも。
今年は新型コロナで追悼集会なども中止や縮小になってしまって、より寂しい思いをしてらっしゃる方も多いのではないでしょうか。改めて、亡くなられた方のご冥福とともに、ご家族や親しい人を亡くされた方の気持ちが安らかであるようお祈りいたします。
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以下、関連リンク。
■阪神・淡路大震災から26年「がんばろう」の灯籠並べ犠牲者追悼 | 阪神・淡路大震災 | NHKニュース
■「心のケア」元年は阪神・淡路大震災 この26年で見えてきた、心の復興の大切さ:朝日新聞GLOBE+
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