今回も、実母からいとこをかばった話や、母の耳鳴りの続きのようなものです。数年前に賑わっていた日記系サイトshortnoteでね、時折お便りで交流していた方の「こどもの自分をつかまえる」というノートに感銘を受けて、似た感覚を抱いた出来事について私も書いたのですね。その時の文章を手直しして載せます。2016年だから、ほとんど10年前か!そんなに経つのか〜。
自分史はこれでちょっとひと段落として、次からは米津羽生の話とか!書きたいと思ってます!
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■子供の自分を明るい場所へ
最近(2016年当時)いくえみ綾の『トーチソングエコロジー』を読んだ時、「夢の中で(ずっと自分には似合わないと諦めてきた)赤い靴をもらう」シーンがあり、私も以前、似た夢を見たことがある、と思いました。もう10年以上前。30代前半で、まだ妊娠を躊躇っていた頃。
あの、突然ですけど映画『エイリアン2』で、廃墟のような宇宙船の中で小さな女の子を見つけて保護するシーンがあったでしょう?あんなかんじの夢です。
私にとって自分が生まれ育った家は安心できる居場所ではなくて、常に緊張しながら、警戒しながら過ごさなくてはならなくて、物心ついた頃から「家に帰りたい」と思ったことが一度もなくて、そんな環境だったので、大人になって家を出て一人暮らしをするようになってからやっと、ほっと息をつけるようになっていきました。
緊張し続けた時間が長すぎたからいきなり開放感ではなく、ああ私今までそれだけ緊張しながら暮らしてきたんだなあ、と気づかされながら少しずつ力を抜いていられる時間が長くなっていって。
そんな時に見た夢の中で。
私はあまり信頼できない人たちがいる薄暗い家の中で何かを探していて、そうしたら押入れの中でうずくまって怯えている小さな女の子を見つけて。
大丈夫だよ、出ておいで、一緒に行こう、と静かに声をかけて、その子を抱き上げて押入れから出してあげるのです。
抱き取った小さな身体の確かな重みと温かさを腕の中に感じながら、ああ、私はこの子を明るいところへ連れて行ってあげよう、安心できる場所まで一緒に行ってあげよう、と思うのです。
目が覚めたら昼間の明るい寝室で私は横になっていて、向かいの洗面所ではオットが身支度を整えている気配がするいつもの日常で。あの頃の自分をあんなふうに抱き上げて、明るい場所へ連れて行ってあげたかった、今の私にはきっともうそれができる、と思って、ベッドから身を起こす前にしばらく天井を見上げながら静かに泣いてしまった。
すごく劇的で、示唆的な出来事だったんだけれど、それからほどなくして妊娠、なんてことにはならず、この後も何年もくどくどと悩み続けて回り道を続けてしまうあたりは、よしながふみの『西洋骨董洋菓子店』みたいです。幼少時のトラウマが劇的に解決するかと思いきや結局あんまり変わらず、「怖いものは怖いんだよ!」と清々しい表情の主人公にすごく救われた気持ちになりました。そんなふうに劇的に解決しなくても、できなくてもいいんだよね、と。
実際にはこの夢のお告げとは関係なく、34歳の時のオット父の突然の他界によって子供が欲しいとようやく思えるようになったので、それなのになかなか授からない状態がとても辛かった。「気の持ちよう」とか「強く願えば必ず叶う」、イコール「叶ってないってことは願い方が足りない」みたいなマッチョな考え方って世の中に悪意なく蔓延していて、ずいぶん苦しんできたので。
いくえみの『トーチソング』を読みながらそんなふうに、自分が見た夢のことや、それにまつわるいろいろが頭に浮かんでしばらく止まっていた読む手をまた進めて物語に引き込まれ、止まらなくなってすっかり夜中を通り越して明け方に近い時間になり、最後のエピローグ的場面で。
登場した小さな男の子の年恰好や仕草がうちの子に似てるなー、なんて思うともなく思っていたら。
主人公が嬉しそうに呼ぶその子の名前が、うちの子とほぼ一緒で。
もう、わーっと。
亡くなってしまった身近な人のこと、疎遠になってしまった親しかった人のこと、生まれてきて欲しかったけれど叶わなかったこと、今度こそ無事に育ってくれるだろうかと不安に思いながら過ごした期間、そして元気に産まれてきてくれた子供のこと、だけどこの子にきょうだいをあげることが出来なくなってしまった私の身体、などなど、などなどこの数年間に起きた怒涛のような人生の変化、得たものと失ったものがわーっと。わーーーっと押し寄せてきて。
声が漏れるほど泣いてしまいました。
このタイミングで読めて良かった、と思った。
私は「強く望めば叶う」とは思いません。それはあまりにも無邪気すぎて、どうにもならない現実を受け入れるしかない人たち、受け入れてそれでも生きていこうともがく人たちを鞭打つ考えのように思う。それで励まされて前向きになれる人がいるのなら喜ばしいことだけど、他人に押し付けはじめると途端におそろしく傲慢になってしまうんじゃないかと。
だけど「物事には出会うべき時がある」、のかもしれない、とは思います。あの、「あなたなら乗り越えられると思ったから神様が与えたんだよ!」とかいうアレじゃないですよ、もっとささやかな、単にたまたまタイムリーだった漫画や映画、誰かの日記のおかげで、ぽろぽろ泣けてすっきりしたり、そんなこと。何気なく差し出される、思いがけないプレゼント。
小さな箱やリボンの積み重ねで、少しずつ暖まりながら日々を過ごしていく。そんな生活が続いたらいいな、と思っています。
読んでくださった皆さんと、shortnoteで出会ったみたらしさんや他の皆さんたがたにも小さなギフトを。ちょっと暖まってもらえたら嬉しいです。
(初出:shortnote)
(2016年12月10日 2時19分)
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物事には出会うべき時がある系の話。
■2006-01-06 ロマンティックなマリアージュ ~『博士の愛した数式』、オットくんの父さんとお母さん
■2023-12-21 父の日記(夫婦を超えたくてもがく私・続き)[まじめに]
こちらはお父さん小ネタいい話。
■2024-05-27 不妊治療よりも前、オット父に言われたことの思い出(ネタです) [生殖医療の記録5.5]
たとえその息子である夫が16年も不倫しておいてなお取りすがってこようとする卑怯で現実認識能力が著しく欠如した身勝手な人間だと完膚なきまでに判明しても、お父さんお母さんからもらったたくさんの楽しく心を温める思い出は私の中に変わらず大切に残してあります。夫に対してより一層腹が立つけども。
「こどものじぶんをつかまえる」の言葉で、久しぶりにshort noteのみたらしさんを思い出していたら、やはりみたらしさんの noteだった!とニヤっとしてしまいました。
みたらしさんのnoteやお便りの中で自分の心のうちを書かれた方たくさんいましたね。
あひるさんのブログいつも読んでます。
過去のこと思い出して言葉にすることで自分の心の整理と安定をギリギリで掴んでるのではないかと気にしております。
あひるさんの言葉の中には夫さんにもお母さんにもなんだかんだ言いつつも優しさや思いやりが滲んでおり、こんな状況の中でも相手のことを気にかけているんだと思って、朝胸の辺りがちくっとしてます。
いや、そんなん気にしなくていいんやで!と言いたい。言いたいよ。
でもその相手への思いやりこそ今あひるさんが必要としてるからなんだよな……切ない!!
タローくんとあひるさん、お二人が穏やかに過ごされること願っております。
へなちょこさん
わ〜ありがとうございます!みたらしさんのお名前に反応してくださったのも嬉しい。印象的なノートやお便り多かったですよね。私にとってはみたらしさんとへなちょこさん二人が文芸部の先輩みたいな存在でした。
過去の出来事を書くことで自分の心の整理と安定をギリギリで掴んでるのでは…そうかあ、そんなふうに心配してくださっているのですね、ありがとうございます。私としてはあまりそういうつもりはなく、これまでブログに書かずにおいた自分史もこの際全部アップしてしまおうかと。不倫激白の日に夫にぶつけた言葉を晴れてここに書ける時が来たら、リンクを貼れるように…!
夫にもハハにも優しさや思いやり!?滲んでますか!?
ハハに関しては、若い頃は本当に邪悪なモンスターだとしか思っていなかったのですが、被害者でもあったのだと気づいてからは、気の毒な人だなという気持ちが大きくなっているのかも。きっと芯から憎むと自分がしんどいから、そうしないようにストッパーをかけてるのかも。でも、それはなんと言っても今接触してないからです!接触してたら恨んで憎んでの状態が今も続いてたと思います。
夫に関しては優しさや思いやりを抱いているつもりは全くないのですが、それに似たものが文章に滲んでいるのだとしたら、私の中の恐怖と警戒かもしれません。まだ近くに暮らしているし、籍も入っているので、自分(と子供)を守るためにも、全力で放出するわけにもいかなくて。無意識の擬態なんじゃないかな。大丈夫、きっちり恨んでるし憎んでますよ✨
「物事には出会うべき時がある」
いい言葉ですね。私もそう思っています。
ずっと心に「縁があればまた会える」という言葉があって
疎遠になりある日からまた交流が復活し、また疎遠…ということを
数十年繰り返している大事な人がいます。
最初こそ、疎遠になってしまったことにジタバタしていたり、辛いなと思うこともありましたが、こういった言葉を知って、鷹揚に構えていられたり、辛く思うことはないのだな、と納得できるようになりました。いつかまた「小さなギフト」と会うタイミングが来る日を待つともなしに待っています。
シベリアさん
「縁があればまた会える」、そうかああ、物ではなく人が相手だとなかなか鷹揚に構えて待つのは難しいのに、できるようになってきたのですね。すごいです。シベリアさんにとっては、待つ辛さよりも得るものの方が大きい、ということなのかしら。
あひるさん
自分の行く道筋の、さらに先を行く人ですので、またいつか会った時に胸を張っていられる、ちゃんと、なにをしていたか言えるように生きていようと思えることが得られたものですので、もしかしたら、そう思うことで自分を納得させているところもあるのかもしれませんね。
シベリアさん
わあ、また会った時に胸を張っていられる、この人の前で恥じない自分でいたいと思える相手って良いですね。素敵です。