12年前の最初の妊娠と初期流産の記録 [まじめに][生殖医療]

永遠の野原 7 逢坂みえこ (著)

[まじめに]記事です。

昨年末にも少し書いたのですが、昨年はこれまで書かなかった実の親との確執などについて書いてきました。たまたま見たドラマなどをきっかけにふいに、思いつくままに書き始めたつもりだったのですが、気づけば自分の人生の節目節目を順にまとめ直すような内容になっていったので、その流れに従って、今年はその後の自分の人生に起こった大きな出来事、妊娠出産…とその前に、なかなか授からなくて生殖医療(不妊治療)のクニリックに通った話を書いていこうと思います。
と去年から思っていたのに早くも春。あかん。

そんなわけで、またしても重い内容だし1万字超えのど長文で誠に恐縮ですが…、まずは一番最初の妊娠が流れてしまったお話から始めさせてください。古い話だし、制度や料金も地域や病院によるし、情報としてはあまり役に立たないのですが、あくまで当時を振り返る個人の日記として載せておきます。

初期流産についてのかなり詳細な記述なので、しんどくなりそうなかたは無理して読まずにそっ閉じしてくださいね。
ベースは2010年当時、妊娠発覚の段階からリアルタイムに書いたもので、2018年に一度公開準備のため手直ししつつ追記した箇所もあります。

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これまで書いたことをリンクを貼りつつまとめると。
物心ついた頃にはすでに、父は母を罵り殴り母は私を罵り怒鳴るのが日常だったため、家が安心できる居場所ではなかった。いわゆる機能不全家庭で育ちました。23歳で就職を機に実家を出るまで本当にしんどかった(家を出て終わりじゃなく、いまだに細々と、ところにより連綿と続いているけど)。

27歳でオットと結婚してからも、子供を持つのを躊躇していた。それが34歳の年にオット父が亡くなったのをきっかけに、結婚7年後にようやく子供が欲しいと積極的に思えるようになって。
ここまでを書いてきました。読んでくださって本当にありがとう。

そんな経緯があって、ようやく心の準備は整ったからあとは妊娠を待つだけ、と希望的に構えていたら、待てど暮らせど検査薬が陽性にならないまま一年が過ぎてしまい。
不妊治療について調べ始めたり、近所の総合病院に健康診断のついでに相談したり、不安になってきた35歳の2010年10月末、ようやく待望の1回目の妊娠。今回のお話はここからです。

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(2018年、前書き)
あひるのこ日記はじめました

最初の妊娠をした頃(のちに流産)、非公開のまま書きためた妊娠日記があるので、それをここに公開しようと思います。いずれもともとやっているブログのリニューアルが完了したら、そちらに移す予定。

初めての妊娠中、リアルタイムに書いたものなので、のちに流れてしまって掻爬の手術を受けたりすることになるとはまだ知らずに書いていたんだよなあこの時は、と思いながら読むと自分ではなかなか切ないものがありますし、人によってはそういうのつらいかたもいらっしゃると思うので、ご無理なさらず、そっ閉じしてください。
でも、誰かの役に立ったり、懐かしいな、という気持ちになってもらえるかもしれないので、公開しておこうかと。(前書き終わり)

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2010-11-05
妊娠発覚前後の経緯

生理がくる予定だったのが、2010年10月20日(木)。普段そうそうずれないので、そこから3~4日遅れた時点で、今度こそ当たりかなと思いつつ、子供が欲しいなと思うようになったここ一年の間に妊娠検査薬をすでに3本使ってちょうど手持ちが残り1本だったこともあり、もうちょっと確実になるまでじりじり待つことに。

排卵日や受精は、おそらく10/8(金)あたりだったのではないかと思われるが詳細は不明。生理予定の翌日、10/21(金)に妙な腹痛と、珍しくけっこう強めの吐き気があるも、半日ほどで収まる。

10/30(土)、検査薬陽性。青い線でた。少なくともヒト絨毛性性腺刺激ホルモンは分泌されているらしい。

欲しいと思いつつできなかった一年間というのは自分にとってはなかなかに長く感じ、年齢も35歳になったところだし、もう不妊治療にかかったほうが良いのだろうか、とオットと話し合ったりしていた矢先だったので、とりあえず二人ともほっとする。まだ順調に育つかどうかわからない状態なので、慎重に喜ぶ。

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2010-11-08
一度目の妊娠検査、胎のう確認、4w5d

最終生理から数えると妊娠6週目後半にあたる、11/5(金)に近所の産科に検査に行く。検索してみたところ、心拍確認できるのは6週か7週あたり、とのことだったので、検査薬が陽性になってから一週間ほど、またもじりじりと待つ。

検査の結果は「子宮のどまんなかにいます」。とりあえず子宮外妊娠ではないことがはっきりしてほっとする。それから、胎のうの大きさから判断すると現在4週目、とのこと。友人たちから何度か見せてもらったことのある、扇形で白黒の、子宮内部の超音波写真。すみっこにある様々な記号のうち、「4w5d」は4週5日、「13.6mm」は胎のうのサイズが13.6mm、ということだそう。

というわけで、心拍を確認するために二週間後にきてください、と言われる。帰宅してカレンダーのメモを確認すると、排卵日と思われる日から数えて確かにちょうど4週ほど経過している。そんなわけで、また二週間じりじり待つ日々。

そして会計の時、初診料と超音波検診代で、合計8,000円です、と言われ度肝を抜かれる。妊娠関連は保険外診療なので高いとは聞いていたが、超音波の機械をたった数秒入れただけで8000円とはどんなフーゾクよりもぼったくりだな、とついあられもないことを考える。持ち合わせがなかったので近所のコンビニまでお金を引き出しに行く。

心拍が確認できたら母子手帳が発行され、その際に検診代が無料になるチケットももらえるらしいが、心拍確認までの検査費用も遡って補填されるんだろうか。そしてこの妊娠がだめになってしまったらこの8,000円はきっと自費のままなんだろうな。

(2018年3月追記)
その後、役所でもらえる妊婦健診用のチケットは「妊婦健診」が始まってからじゃないと使えないもので、心拍確認までの診察料は遡って補填できない、と言われました。だめになろうがなるまいが自費のまま。

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2010-11-10
切迫流産の危機で自宅安静に

数日前からうっすら茶色いおりものが微量出てるかな、くらいだったのが、10日午後とろっと濃い茶色のものがまとまった量出てしまい。(一回だけでもう出ていない)

最初の超音波検査をした近所の産婦人科に行ったところ、切迫流産の兆候があるので絶対自宅安静、といわれる。入院と同等に、外出はおろか家事も禁止、トイレや食事など最低限以外は寝て過ごすことに。先生によると、昔は入院させてたんだけど、今はまあ世の中が便利になって、食べ物も出来合いのものを家族に買ってきてもらったりもできるので、入院しているのと同じように自宅で寝て過ごしてもらえば大丈夫、とのこと。まっさきに仕事は、と聞かれるが、仕事はしていない。ほんと仕事があるとこういう時大変だろうな。

子宮の張り止め(少しでも妊娠状態に異常が起こると、子宮が収縮して中身を押し出そうとしてしまうらしい。切ないことだ)と止血剤を飲んで、とりあえず一週間は安静。

お医者さんによると、一週間経って心拍確認までこぎつければまず大丈夫。そこまでいけるかは五分五分だけど、先週よりも胎のうは少し大きくなってるし、大丈夫な可能性の方が高いかな。とにかくこの一週間をしっかり安静に過ごしてね、まだ大丈夫ですよ、と優しかった。こういう時の対応も様々だと聞くので、良い先生なのだな、と思う。心拍確認したら総合病院行くつもりだったけどこのままここで産もうかしら的な(と思ったらのちに急に冷たくされてがっかりするんだけど)。

オットも今日は打ち合わせに出かけるのをキャンセルして色々やってくれている。PC部屋に布団を敷いたり、お夕飯に中華のテイクアウトを買いに行ったり。中の人にもがんばってしがみついていて頂きたいものだ。

再来週に控えていた社会人バンドのライブ本番(コーラス参加)も、出られなくなってしまった旨をメンバーに伝えたところ、温かい励ましが次々届く。代わりのコーラスの人にも快諾してもらえたのでひと安心。

そういえば、この時の超音波検査代は保険診療内で2,300円だった。安い。

(2018年3月追記)
この時の社会人バンドの人たちに、理由まで正直に伝えちゃったことは反省。後に流産したことまで報告しないといけなくなってしまって重い話で申し訳なかった、ちょっと体調が悪くてみたいにボカせばよかった…と思っていたけど、じゃあなんて伝えれば良かったのか?と具体的に考えると難しい。当時確かライブ本番まであと2週間ほどで、本番も最後の練習も全部出られないほどってどんな重病!?と騒然とさせてしまいそうで、心配しないでね、と言いたくて伝えたんだよな。ご迷惑おかけしてすみません、と書き込んだら、メンバーの1人が「わあ、おめでたの人が出るだなんて私たちのバンド験が良いじゃないですか!」と言ってくれて嬉しかったなあ。そして後には申し訳ないなあと思った。何が正解かは、人によるし状況によるので一概に言えないのかな。この時の経験があったので、2013年に妊娠した時にはもうひた隠しに隠していきなり出産報告になったのだった。(追記終わり)

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2010-11-15
切迫流産を乗り切った様子、5w6d

11/10(水)に切迫流産で自宅安静と診断されてから5日目、11/15(月)にみたび近所の産婦人科へ行く。心拍が確認でき、これで9割方は安心ですよ、と言われる。

婦人科の診察台についている過剰なプライバシー保護のためのカーテンを今日は初めて開けられ、超音波モニタに映る子宮内の様子をライブで見せてもらえる。ここが心臓ですよ、と言われたあたりがぴこぴこと細かく躍動しているのが見て取れる。

気持ちに結果が引きずられてしまいそうなのでできるだけ大丈夫な方向へ考えるようにしてはいたものの、ここ数日やはり緊張していたのでほっとする。機械仕掛けの診察台が下に降ろされていく途中涙が滲む。

これでもう普通に生活してよいとのこと。次は分娩準備としての血液検査、と言われたので、分娩は総合病院を考えているのですが、こちらでの分娩についても詳しく伺ってもよいでしょうか、と聞いてみたところ、「分娩は総合病院を考えている」のあたりで先生の態度が豹変し、続きの言葉をほとんど遮るように冷たく、「あ、そうなんですか、いやここで産むと決めた人にしか詳しい説明はしないことにしているので、では次からはそちらの総合病院に行ってください」と言われてあっさり終了。それまでの先生の応対や、看護師さんらの他の患者さんや赤ちゃんに対する接し方も感じが良かったので、総合病院と両方で詳しく聞いて比較検討したかったので残念。

ともあれ、5日間オットがご飯をテイクアウトしてくれたり、ネットで探した栄養士さんによるヘルシーなお弁当を取り寄せたら驚きの少なさで残念な思いをしたり、モスバーガーの宅配を頼もうとしたら宅配サービスをやっている店舗が居住区に一軒もないことが判明し大層落胆したり(プレーンドックときんぴらライスバーガーを食べる気満々だったのに)、主に食べ物関係ばかりがまっさきに思い浮かんでしまったが、湯船につかれなかったり床掃除や洗濯ができなかったり、オットの部屋が荒れていくのも(主に洗濯すべき服)片付けられずに申し訳なかったり、いろいろな苦労があったが何とか報われたようである。思ったよりも強くなってきた雨の中、行きは駅から滅多に使わないタクシーにワンメーターだけ乗った道のりをそうっと歩き、母子手帳をもらいに区役所へ向かう。

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2010-11-20
母子手帳をもらう。分娩予約と第一回検診の予約をする

切迫から脱却した当日、その足で区役所に寄り母子手帳をもらう。母子手帳と、「妊婦健康診査14回分と妊婦超音波検査1回分を一部公費で受診できる受診票」ももらう。友人たちから聞いていた話だと、妊娠中の検診代が無料になる、という印象だったのだが、私の区では数千円の割引だけのようである。窓口で説明してくれた人に、今まですでに検診を3回受けているのだが、その分も遡って割り引きされるのか、と聞いてみたところ、よく聞かれるのですがそれはできません、とのこと。あとで友人に聞いたところ、後からでも適用される地域もあるらしい。母親学級や父親学級、産まれた後必要に応じてヘルパーの派遣を受けることができる、など、いろいろな説明を受ける。

翌日、3駅離れた総合病院に分娩予約をしに行く。家から病院まで約30分といったところ。思ったよりも駅から近く、その割に静かな立地の病院。総合受付にて、分娩の予約をする。月に120人まで予約を受け付けるという話で、予定日が月末だとやや不利になる、と知人から聞いていたが、7月上旬と伝えると予約番号は8番だった。早い。しかも、第一回目の検診は10週目に行われるそうで、検診の予約日は12月半ばに設定される。丸々一ヶ月も先になってしまったが、これで一応分娩場所は確保できた。

一回目の検診までの間に何か異常があった時は診てもらえるのか一応確認しようと訊いたところ、受付の人にちょっと戸惑われこちらも困惑。産科は完全予約制なので飛び込みの診察は原則受け付けない。婦人科で診察を受けてもらうことになるが、そうすると予約ができないためとても混み合っているところで待たないといけない。心拍確認した産院で診てもらうことをお勧めする、と言われたのだが、そちらの病院では今後は分娩する病院で診てもらうように、と言われてしまったことを伝えると、だいぶ困惑される…。私も困るんですけど。妊娠初期からたらいまわし。つい先日切迫流産で自宅安静になったので不安もある、と伝える。結局、それでは何かあったら電話をください、状況によっては産科で緊急に診てもらえるかもしれない、ということに。そんなにも狭き門なのか。

それから、いろいろ説明の紙を渡されたが、第一回の検診には大体35,000~45,000円かかります、と書かれていてぎょっとする。二回目以降は1万円前後。それも、地域の受診票での割引を適用した後の金額とのこと。区の受診票でカバーできる金額は、一回目が約8千円、二回目以降が5千円弱。ということは、初回の検診は本来5万円以上かかるということだろうか。聞きしに勝るお金の羽のはえっぷりに呆然。

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2010-12-19
第一回目の妊婦検診で、繋留流産と判明。処置の手術をすることに

切迫から脱して以来丸一ヶ月もあいてしまった、初めての検診。12月15日(水)。これで無事が確認できたら、遠方に住んでいるオットの祖母など報告の範囲をもう少し広げる予定だったのだが、お腹の中の人の成長が止まっていることが判る。6週の繋留流産として、処置をすることになる。

最初に看護師さんがお腹周りを計り、数値をカルテに書き込む。それから、心拍確認した病院で予定日が7月と言われたこと、その時の超音波写真に記載されている、一ヶ月前の時点で5週というデータなどを確認され、もう一度お腹周りを計られる。この時、おや、と思う。まもなく医師(壮年の男性)がやってきて、膣内の細菌検査などを簡単に行い、超音波検査。カーテンのないタイプのオープンな診察台だったので、超音波の画面が私にも見える。心拍確認の時とほとんど変わらない大きさの印影が見えた瞬間から、素人目にもおかしいなと思っていたところへ、先生からこれは…残念ながら、成長が止まってしまっていますね、と告げられる。

心拍も確認できないし、現在10週のはずが6週ほどの大きさしかない。お腹周りを二度計られたことの意味が判る。その時もすでにジーンズのジッパーを閉められないくらいにはお腹が大きくなってきていたが、本来ならもっと大きくなっていないといけなかったのだ。心拍確認ができてから今までの4週間のうち、どこかの時点で成長が止まってしまったようだ。

弱い細胞が受精したのが主な原因で、15%くらいの割合で起こることで、生活などに気をつけていても避けられたことではない。2~3ヶ月もすれば生理も再開して、また次の妊娠ができるようになりますよ。ベテランらしき落ち着きのある先生がソフトな声で丁寧に説明をしてくれる。

子宮内の措置のために、一泊入院手術が必要になる、と説明を受ける。日曜の昼過ぎに入院し、夜に子宮口を開くための措置を受け(ラミナリアを入れる。痛いらしい)、翌日の午後手術。手術自体は15分ほどで終わる簡単なもの。麻酔など準備も含めて小一時間。その間、全身麻酔なので家族の付き添い、待機が必要。手術後3~4時間で、問題無ければ退院可能。

説明の後、手術の準備のための検査がありますのでお待ちください、と言われ、待合室のソファに戻ってしばし待つ。ほどなくして診察室から看護師さんが出てきて、「コートをお忘れですよ」と優しく声をかけながら渡してくれる。目の前に置いてあったコートも持たずにふらふらと診察室を出てきたのだ。呆然としている自分の状態に気づく。
血液検査、心電図、レントゲンなどを取るために院内をうろうろする。オットにはメールで、一ヶ月ぶりの検診の結果を心配して待っていてくれたオット母には電話で、結果と今後の流れを伝える。

念のため、病院を出てその足で近所の心拍確認した病院へ行き、事情を説明して診てもらうも結論は同じ。非常に申し上げにくいことですが、大きさからすると、おそらく心拍確認から一週間後くらいで成長が止まってしまったのではないか。こちらでもやはり、気をつけていてもどうにもならない種類のことであること、1ヶ月もすれば生理が再開して、春にはまた赤ちゃんができますよ、と言ってもらえる。

心拍確認から一週間後というと、心当たりがなくもない。夕飯の後(ポークソテーで、いつもよりやや多めの量を食べた)、お腹が激しく痛み、下痢をしたことがあった。これまでにも時々、そんなふうに食事の後腹痛と下痢が起こることがあったのでそれかと思ったのだが、それにしても痛みが激しかった。病院に行った方が良いのだろうか、とも考えたのだが、ほどなく痛みは治まったことと、出血があったわけではないこと、また、どちらの病院からもやんわりと来ないでくれと言われていたこと、何事もなければ5000円も無駄になってしまう、などといろいろ考えて気後れし、結局検診の日を待つことにした。

おそらく結果は変わらなかったとは思うが、この時診てもらっていれば3週間も早く発見し、処置もその分早くできたことになる。次回からは、少しでも不安があるのなら、嫌な顔をされるのが嫌だ、なんていうささいな理由で躊躇したりせず、病院へ行くことにしようと心に決める。相手の顔色を窺ってしまうのは自分の癖だが、そのせいで深刻な迷惑や不利益を被るのがこれからは自分一人ではないのだ、としみじみ感じる。何事に寄らず直していきたい。

ちなみにこの日の診察は、すべて保険内でまかなわれた。区役所でもらった妊婦検診割引きの用紙も、今回は(そしてこれ以降)必要ないとのことで、そのまま返却される。初診は4万円前後かかると言われていたが、会計は数千円。近所の病院でも同じく。

妊娠を伝えていたごく少数の人の中で、さらに直近で会う予定を立てていた人たちに報告をする。皆それぞれに心配し、労ってくれる。

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(2018年3月追記)
「迷惑がられるのでは、と躊躇していると自分だけでなく家族が深刻な不利益を被ることになるかもしれないのだ、そういう性格を直していきたい」と書いているけれど、2016年にオットが急病を発症した時にはおおいに躊躇して結局救急車を呼べなかったのだった…結果的にたまたま助かったから良かったようなものの、あの数時間のロスが生死を分けた可能性だって十分にあった。そうなっていたらどれだけ後悔したか。この辺についてはまた改めてしっかりと書きたい。(追記終わり)

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2010-12-19夜
オットの言葉

夜になり、お風呂にゆっくりつかっていた。そうしたら、22時頃にガチャガチャと鍵のあく音がして、仕事で終電と言っていたはずのオットが早めに帰ってきてお風呂場に顔を出し、開口一番、

「大事にしてたのにね」

と言ってくれて、涙が出た。

あれがいけなかったのかな、これがいけなかったのかな、とぐるぐる考えていた。お医者さんも、初期の流産というのは弱い細胞が受精したことが原因で高確率で起こるもので、母体の問題とか、お母さんが何かをしたせいだとかしなかったせいだとかそういうこととは関係ないんですよ、また数ヶ月後には妊娠できるようになって、元気な赤ちゃんを産めますよ、と慰め励ましてくれた、友人たちからもちらほら聞いたこともある、書籍やネットでも読んで知識は持っている、それでもあれをしなければ大丈夫だったのかもしれない、これをしなければ、とぐるぐるぐるぐる考えていたのだが、オットの「大事にしてたのにね」の一言で、うんそうだね、それなのにね、とすんなり思えて、たくさん泣くことができた。

残念だけれど、不妊治療について話をしたりもしていたので、とりあえず二人の間に子供ができることが判ったから、それは良かったよね、等と話す。
オット妹ちゃんからも、母と二人で心配していますとのメールが届く。翌日オット母に電話をかけ、悲しいけれど、元気にしていると報告する。ショックで寝込んでしまっているんじゃないかと心配していた、と言ってくれる。

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2010-12-20
流産の時に言われて辛かったこと、嬉しかったことについて

翌日、当時の知人の1人が流産報告メールの直後に泣きながら電話をかけてきて、私も楽しみにしていたからすごく残念、とずいぶん悲しんでくれる。けれど、「あひるちゃんのために、悪いものを抱えて持っていくことにしてくれたのかもしれないね」と言われ、かなりのダメージを受けてしまう。言われた瞬間、「私のせいで子供が代わりに苦しい思いを!?」と、痛烈に悲しい気持ちになる。その時はまだ手術の前で、お腹の中には成長の止まった亡骸が入っていた。思わずお腹に手をやる。この人も同じ初期流産の経験があると聞いていたのだけど、同じ経験があるからといって分かり合えるわけではないのだな、としみじみ思う。この人も、何も私を傷つけようと思ったわけではないのだ。心を痛めて、慰めてくれようとしたのだけど。

励まされた言葉も書いておく。
高校からの付き合いの友人がやはり初期流産経験者で、彼女は医療従事者でもあったのでかなり早い段階から妊娠の報告や相談をしていた。流産の報告にも、悲しみと労りとともに、

「こういう時は我慢しないでたくさん泣くといいよ。すぐ帰っちゃう子も、何か理由があると言うし、来てくれてありがとう、またね、って。私はそうしたよ」

と書いてくれていて、それを読んでやはり、たくさん泣くことができた。
そうか。仕方がないことだし、あんまり落ち込んではいけない、納得しないといけない、と思おうとしていたけれど、彼女の言葉を聞いて、育つはずだった子どもを亡くしてしまったんだな、という実感が持てたように思う。ありがとう。悲しんでいいんだよね。

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たまひよの統計によれば、繋留流産の経験者のうち、次の妊娠までの期間は半年以内と一年以内が半数、という高い数値が出ている。その一方で、もっとずっと長いことショックを引きずってしまう人もいるとも聞いた。今回の自分の場合は、35歳というそう若くはない年齢での初めての妊娠だったこともあり、身近な人から様々な経験を聞くことができていたし、ネットでの情報もあった。オットともよく、妊娠中も(産まれた後も)何が起こるかはわからないね、とことあるごとに話し合っていた。無事に進んでほしいと願いながら、そうでない可能性についても頭に置いて慎重に構えていたので、もちろん悲しいことではあるのだが、それほど引きずらずにいられるだろう。オットをはじめ、心を寄せてくれる家族や友人たちのおかげで。改めてそう実感することができ、幸せに思う。一度妊娠状態を経験すると、次の妊娠をしやすくなるとも言うらしい(これは先述の「持っていってくれたのかも」と言った人が教えてくれたことだ)。そうだといいなと思う。今回の人との別れをしっかり惜しんで悲しんで、そうしてまた次の人がきてくれるのを待つことにする。

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(2022年4月追記)

以上が、2010年当時リアルタイムに書き留めつつ、その後時々追記したり加筆修正してきた、最初の妊娠と初期流産の記録です。超ど長文ですみません!ありがとう!読んでくれてありがとうございます!1万1千字もあるよ!おめでとう!おめでとうございます!(何がだ)(読破)(もう文字数足すな)

言われてつらかった、「赤ちゃんが悪い部分を持っていってくれたのかも」についてもう少し。
私がこの手ののぶみ的な話スピリチュアル的な「一見いい話」にすごく懐疑的になったのは、この流産や、この後数年の生殖医療通いの経験を通してだったな、と振り返って思います。

それまでは私もたぶん、この手のことをつい言ってしまったことがたくさんあると思う。だっていい話だから。励ましたいから。慰めになると思って。
でも、実際言われてみると、ものすごく傷つく。そんな目をひらくような経験が、流産や、不妊治療を経て、たくさんたくさんありました。まだきっと気づかない傲慢さが自分の中に潜んでいると思うと恐ろしい。それを親しい人にラッピングして差し出してしまうことを思うと。きっと多くの人が、あの時の私のように無理に笑顔を作って受け取ってしまうんだろう。悪気はないんだから、無碍にしちゃいけない、と思って。

でもこれを私に言った人も、ほんと悪気じゃないんですよね…一生懸命励まそうとしてくれただけで。

傷つくのも怖いし、傷つけてしまうのも怖い。誰も悪い人なんていない。なのにどうしてこんなに傷つくことが多いんだろう。

だから、あの時は一番身近なオットからもらえた「大事にしてたのにね」の一言が、すべてを持っていってくれたんだ、と思うことにしています。

それから月日は流れ、一年半後にもう一度超初期流産(化学流産とも。検査薬はうっすら陽性になったもののすぐに生理っぽい出血がきてしまう)の経験も経て、自然妊娠は難しいことがわかり、3度目の妊娠は体外受精(この辺りのことも詳しく書く予定です)、そのまま順調に育ってくれてちゃんと生まれて、今日まで子供は元気に育ってくれている。幸運なことです。2022年現在も8歳タロー元気いっぱいです。元気いっぱい怨み念法

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この後の予定。まじめに記事、というかかつてない重さの記事が続くかも…すいません…

2022-04-16 12年前の繋留流産の手術 [まじめに](子宮掻爬術)

子宮掻爬術がいかに時代遅れか、日本における女性の医療の深刻な遅れについて

■生殖医療を受ける日々

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なんでのっぱらかっていうと、『カッコーの母』です。流産、というとむかし内田春菊も書いてたけど大出血しながら道を転げ回って救急車ー!!みたいなヘビイなものしか想像できなかった10代の私が、こんな静かな、気づかないような流産もあるの!?とびっくりしたのがこのエピソードでした。そして実際自分が経験してみると、確かに静かで、そして想像以上に痛烈に悲しい。

永遠の野原 7 逢坂みえこ (著)


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