12年前の繋留流産の手術の記録2 [まじめに]

12年前の初期妊娠と流産の記録、続きです。今回は、稽留流産の手術体験記です。つらくなりそうな人は無理せず避けてくださいませ。

わざわざこれを引っ張り出してきて載せるには理由があります。次の記事にまとめますが、これから書く子宮掻爬(そうは)手術というのは非常に原始的で前時代的で、先進国で行われているのは日本くらいでWHOからやめるように再三注意をされているのだそうです。つい昨年くらいに知って、ものすごく衝撃を受けました。だって私も受けたんだもの!!

そんなに時代遅れなやり方だったなんて、他に安全で痛みや負担の少ない代替方法があったなんて、もっと早く知りたかった。
もうこんな方法はやめてほしい。一刻も早く。
そんな思いを込めて、掻爬術を受けた体験の記録を、自分の一例ではあるけれど残しておくことにしました。これが過去のものになりますように。

今回も、2010年、35歳当時リアルタイムに書いた手術の詳細な記録なので、どうぞ無理のないように、読まずにそっ閉じしてください。

…余談ですが前回の記事書いてて、2010年の自分も2018年の自分も「そっ閉じしてね」って言っててちょっと笑いました。気遣い方が変わってない。いやもしや死語?

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2010-12-19
繋留流産の手術、一日目

19日(日)午後13:30に病院入り。オットも一緒にきてくれる。前日オットはたまに起こる頭痛で朝から一日寝込んでいて仕事が進められなかったようだが、この日は頭痛も治まって病院に付き添ってくれた。ノートPCを持ち込んでポータブルに出来る仕事をしながら。それにしても仕事内容は限定されてしまうだろうから帰ってもいいよと何度か言ったのだが、面会時間終了の20時まで6時間以上いてくれたことになる。

部屋は希望通り個室。ありがたい。産科とは違う一般病棟の婦人科フロア。部屋に通されるとナースステーションの目の前、隣は資材部屋。設備は全体的に古く、壁や扉は薄くて、資材部屋での作業音やナースステーションのコール音、立ち止まる患者さんや面会のご家族の会話などがよく聞こえる。なかなか騒がしい。部屋にはトイレとシャワー、見ないけど小型のTV、冷蔵庫が2つもついている。ベッドが大きいので余地が少なく、オットがPCを広げる場所を確保するのに若干難儀する。しかし何と言っても個室だというだけで十分落ち着く。退院時にはっきりしたことだが、入院時の差額ベッド代というのはホテル代と違って一泊すれば2日分かかるので、想定の倍料金だった。うぬう。しかし個室でなければオットも二日間一緒にいることは出来なかっただろうし、こういうところで贅沢できるのは本当に有り難いことである。私も仕事をしているオットの横で、オットのiPadを借りてネットにアクセスしていつも読んでいるblog記事を読んだり、メールを書いたり、いつも通りに過ごす。昔は入院中なんて本を読むくらいしかできないものだったが、良い時代になったものである。

病院での予定。血液検査やレントゲンなど、手術に必要な検査は前回の検診の日にすべて済ませてある。夕方か夜頃にラミナリアを入れる。ラミナリアを入れた後は、室内のトイレ以外は歩行禁止、移動は車椅子、ベッドの上で過ごすことと言われる。麻酔医からの手術の説明もあるとのこと。お夕飯は18時。消灯は22時。23時以降絶食(固形物不可)。翌朝は7時から血圧計測など開始。10時から絶飲(水分も不可)、点滴開始。午後15時前後から手術開始。術後3時間安静で、その後歩行訓練などをし、軽食が出て、退院。

ラミナリアを入れる時間がはっきりせず、何となくそわそわ過ごす。子宮口を開くための海藻(!?)を入れる措置で、これが知人やネット情報によるとかなり痛いと評判で身構える。それから麻酔科からの説明もなかなかこない。たまに訪れる看護師さんに訊いてみるのだが、時間はなかなかはっきりしないらしい。そうこうしているうちにお夕飯(18時)。量は少ないが、普通に美味しく食べる。ヘルシーで美味しい食事というのがここの病院の方針らしく、私は入院中くらいそういう食事もいいかと思うが肉命!のオットは耐えられないとのこと。

19時過ぎにようやく呼ばれ、ラミナリア挿入措置を受ける。看護師さんに案内され、同フロアの処置室へ。第一回検診の時に産科で担当してくれた、壮年のベテラン先生が処置をしてくれる。消毒の後、3mmのラミナリア(細くて茶色い、枯れ枝のようなもの)と、似たような白いものを入れる。身体の閉じている部分に差し込まれる痛みと違和感。ただそれは入れる時だけで、その後もこれ以上の痛みは無かった。挿入後は車椅子移動と聞いていたのだが、処置室から一人で歩いて帰らされる。ラミナリア挿入後は、トイレの時便器にトレーを置いて、何か異物が出てきたら呼ぶように言われる。ラミナリアが抜けてしまったら困るからだろう。そのまま何事もなく手術に至る。

20時過ぎにオット帰る。一人になると空腹に意識が行く。20時半頃、ふと思いついて看護師さんを呼び、23時までの間なら売店で何か買ってきて食べてもいいのか訊ねてみる。それは構わないのですが、売店が19時で閉まっています、と申し訳なさそうに言われる。旦那さんに何か買ってきてもらうこともできたのですが、もう帰られてしまいましたね…とまた申し訳なさそうに言われる。諦めて流行りのプチ断食だとでも思うことにする。すぐ近くの自動販売機までそろそろと歩いて、せめてカロリーの高そうなミルクティーの缶を2つ買ってくる。23時まで、おやつに持ってきたレーズンチョコとマーブルチョコを必死で食べる。23時の消灯時間になっても部屋の電気が消されることはなかったが、ヘッドランプだけにして本を読む(1Q84下巻)。00時近くには寝ようとするも、なかなか寝つけず。それなりに眠かったはずなのだが、寝る前にiPadでメールを書いたことで、慣れない操作で目が冴えてしまったようだ。2時近くまで眠れなかった気がする。その間、見回りの看護師さんはこない。静かになるとナースステーションのナースコール音がよく聞こえる。一晩中ひっきりなしに鳴っていた。

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2010-12-20
繋留流産の手術、二日目

明けて6時頃、隣の資材部屋の物音で少しずつ目が覚める。7時半頃、看護師さんが血圧と体温を測りに来るが、そのまま寝ている。9時半に二度目の血圧と体温計測。ここで起きることにする。10時には絶飲になってしまうので、それまでに2本目のミルクティーを飲んでおく。結局麻酔科からの説明というのは無いままだった。手術時刻はだいたい15時、と昨夜のうちに確認してもらった。

11時頃、病院がキリスト教系だったため、牧師さんがお祈りにきてくれる。牧師といっても平服の女性。40代くらいだろうか。手術がある患者へのお祈りらしく、急な手術なのか、付き添いはきてくれるのか、などあまり具体的でない簡単な質問を受け、手術の無事を祈ってくれる。神様、今日の○○さんの手術が無事に済むようどうぞ見守ってください、ドクターやナースの手を清め、すべてが滞りなく行われるようお力をお貸しください。そういうような平易な、ごく一般的な言葉だったが、午前の明るい陽射しの中、静かな声で頭を垂れながら告げられると心に染み、涙が出る。さすが宗教の文句は弱っている人間のためのものであると実感。牧師さんのお祈りの前後に、点滴も始まる。針が太くてけっこう痛い。

12時半頃、早めにオット到着。そのまま手術まで待機。昨日のように、オットはノートで仕事、私はiPadや本で時間つぶし。15時前に、トイレを済ませて昨日渡されていた手術着に着替えておく。結局手術に呼ばれたのは16時。手術室まで看護師さんに車椅子で運ばれる。オットも一緒に、3階から2階の手術フロアへ。
昔ながらの病院といった古びた雰囲気の3階と違い、手術フロアは全体的に設備が新しくギャップがある。ちょっとバイオハザード(ゲーム)みたい。壁一面の巨大な自動ドアをくぐると、術衣のスタッフが3~4人出てきて挨拶をされる。オットはここまで。送ってくれた看護師さんから手術スタッフに車椅子を受け渡され、そのまま奥の手術室へ運ばれる。事前に説明を受けていた通り、フルネームで名前を名乗り、確認を受ける。4番あたりまである手術室の、1番に案内される。

きらびやかな広い手術室。中央の台の上部に、大きな丸いライトが2つセットされている。子供の頃手術を受けた時や昔のドラマの記憶では、手術台のライトは丸いランプがいくつも並んでいる印象があったが、これはソーラーパネルのような銀色の素材が幾何学的に組み合わされて構成されており、どこが光るのか一見してよく判らない。台の上に座り、手術着の上(緑色)を脱ぐ。点滴があるので、二人がかりでチューブをさばきながら袖から腕を抜いてくれる。下に着ていた白い手術着は後ろを紐で結ぶようになっているが、紐をほどいて手術台に横たわり、これも袖から腕を抜いて、胸にかけておく形にされる。腕を水平に伸ばし、台に乗せるよう言われる。手術台は十字架のような形をしている。頭の部分には、頭を固定するための黒いバンドも備え付けられている。昨日の担当先生もやってきて、モニタを見ながらスタッフとしばし打ち合わせ。先生と、もう1人壮年の男性と、若い女性の3人で行うようだ。先生から、事前に書いておいた手術の同意書を見せられ、手術の内容についてもう一度説明され、確認される。壮年の男性から、手術前のお祈りをしていいか許可を求められる。午前中のようなお祈りの短いバージョンが唱えられ、最後にスタッフ全員でアーメンと唱和。それから麻酔液を点滴に注入。「腕がしみるような感じがして、喉が詰まるような感じがしますよ、それから意識がぼんやりしてきます」と説明を受ける。壁の時計を見ると16:10。しみるような感じ?と疑問に思うが、確かにじわっと腕がしびれるような、ひりひりするような感じが広がってくる。と同時に、喉が詰まって思わず咳が出る。あ、ほんとだ、と思っていると、意識が急速にぼやけてくる。あ、ほんとだ。

名前を呼ばれて目を覚ます。時計を見ると16:40。手術は無事に終わったようだ。意識はわりにはっきりしている。気分も悪くない。取ったものを見せてもらえますか。小瓶に入った、もやもやっと白っぽいものと、小さな血のかたまりのようなものが2つほど見える。子宮筋腫は手術の邪魔にならなかったでしょうか。大丈夫だったらしい。性別はわかるのですか、とも訊いた。小さすぎてわからなかったそうだ。なんだか、なぜか平静だと思われたい、という妙な見栄が働いて、目が覚めた途端にそんなことばかり質問したのを覚えている。そこがすでに平静じゃない。

ストレッチャーで病室に運ばれ、ベッドに移される。オットとも顔を合わせる。手術自体は10分ほどで終わったらしい。手術室の横の待機室で待っていたオットも取ったものを見せられ、先生から手術の説明を受けたそうだ。気分も悪くないし、お腹には生理痛のような痛さが軽くあるけれど、それほどでもない。顔色は悪くない?特に悪くないようだ。そのまま術後3時間の安静。どんどんお腹が減ってきて、オットと二人で焼き肉でも食べに行くかと盛り上がる。この間、オットは会計をしに行く。部屋代が2日間分と手術代で、7万円。思ったより高額(後述1)。

2時間半経ったところで看護師さんを呼んで、そろそろトイレのついでに歩行訓練に入ってもいいか訊いてみるが、やはり3時間経たないといけないらしい。もう30分待ったところで再度看護師さんを呼び、まず高い位置にされていたベッドを下ろし、上半身に傾斜をつけて少し置かれる。他の用事で出たり入ったり看護師さんは忙しそう。それから水をひとくち飲む。それからもう一度上半身を下げて横になり、膣に入れていたガーゼを抜くなどの処置をしてもらう。出産の時も使うというT字帯をつけられている(ふんどしのようなもの)。血が固まっているからか、抜かれる時はちょっと痛い。しかもけっこうたくさんの量が詰められていて、看護師さんがビニールに入れて運び去る時に垣間見るとしっかりと血が染みている。オットには席を外してもらって正解だったかもしれない(後述2)。

戻ってきた看護師さんに付き添われ、ベッドから立ち上がる。あら背が高かったんですね、と言われる。そして廊下を歩行訓練。人によっては麻酔の薬と相性があわず、立ちくらみがしたり吐いたりしてしまうらしいが、そういうことも特になく、大丈夫。部屋に戻って、食事を持ってきてもらうことにして、服を着替える。運ばれてきた食事も全部食べる。昨夜の夕食はその後絶食だったからなるべくゆっくり食べたが、今日はこの後焼き肉だし、急いでかっこむ。食事の後、薬を持ってこられる。子宮の収縮剤と止血剤。今日から4日間飲む。

荷造りを終えて、ナースステーションに声をかける。一週間後に経過観察のため診察を受けに来るよう言われる。それから退院後の説明書には、一週間後の診察まで入浴は控えること、シャワーも出血が収まってからにすること、などいろいろと書かれている。受付でタクシーを呼び乗り込むと、ここでまさかの事態。運転が下手で、狭い住宅街を抜けるためとはいえ急停止急発進を繰り返され、乗った途端に一気に車酔い。もともと身体も弱っていたんだろうけれど、それにしてもこれはつらかった。結局焼き肉どころではなくなってしまい、まっすぐ帰ってすぐに横になる。オットには一人でご飯を食べに出てもらう。帰宅したのが21:30。そのまま朝までとっぷりと眠る。

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(2018年3月追記)

後述1。
手術代の7万円、これは民間医療保険でごっそり返ってきた!29歳の時に入った安い保険だが、入院見舞金(1日1万円)と手術見舞金で、20万以上の金額!完全に元が取れてうっかり喜んでしまったが、まあこの当時6年間ほど支払っていた保険料を考えると別に得しているわけでもなかった、と後日オットと話したら保険料っていうのはそういう考え方をするもんじゃないよ、と言われた。

(さらに2022年4月追記。この民間医療保険は、この数年後に私の分娩時大出血と、さらに数年後オットの大病でばんばん払戻金と見舞金をもらえた。でもその経験から高額療養費制度というものを知り、大病をしてもいきなり高額の支払いを迫られることはないな、と判断、結局2年ほど前に家計見直しの一環で解約。今は民間保険には入ってないです)

後述2。
ガーゼを抜く時には旦那さんに席を外してもらいますか、だったか、席を外してもらいましょうね、だったか、処置の看護師さんに言われて流れに従ったのだが、別段そういうのが苦手というわけではないオット。ゾンビ映画を見て「お食事シーンばっかりだったから腹が減った」とか言い出すし、後に分娩大出血で大変だった時には顔色が土気色の私を見て「知ってる、これゾンビ映画でいつも見てる」と思ったそうな。さすが安定のオットくんである。(追記終わり)

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2010-12-27
手術一週間後の診察。経過は順調

27(月)に、手術から1週間後の診察。順調に回復している、子宮の戻りも良い。このまま順調に回復すれば、一ヶ月ほどで生理も再開し、春には次の妊娠もできるでしょう、とのこと。一ヶ月後にまた診察の予約。

今回の診察は、入院した病院に隣接している分室のようなクリニックで行われた。ここの病院の他と違う明確に良いところは、どこの診察台にも婦人科特有のカーテンが無いところであると思う。産科でも、総合病棟の婦人科でも、ここ分室クリニックでも、患者と医師との間を不自然に隔てるカーテンは無かった。ここまで無いことを当たり前にされると、カーテン付きの婦人科にかかった時の不安感と不自然さをより強く感じるようになる。すべての婦人科もこれに倣って欲しいと思う。カーテンの向こうで次に何をされるのか判らないというのは怖い。一応どこの病院でも、器具を入れますよ、とか、触診で腫れをチェックします、など事前にひと声かけてくれるのだが、カーテン無しで見えていた方が安心できる。と私は思うが、お医者さんと顔を突き合わせるのが恥ずかしい、ものものしいステンレスの器具を目にしたくない、という患者さんもいるのだろうか。ならば選べるようにしてほしい。

手術後も、今回の診察の間も出血は続いていた。ただ、診察の前日あたりから、出血量はずいぶん減った。もともと手術直後から生理の終わり頃くらいの量で、一日ナプキンを替える必要はない程度だった。ただ、普段以上に感染症などに気をつけないといけないだろうから、こまめに替えるようにした。今日で手術から10日経って、出血もほとんど無くなった。防水布入りの生理用ナプキンではなく、ライナー用の薄いもので大丈夫。

軽い出血以外、退院直後から症状はほとんどない。お腹の痛みもほとんどなし。あ、点滴の跡がまだ痛い。左腕。針跡の周囲がうっすらとあざになっていて(内出血?)、寝返りをうったり、かばんを下げたりするとウッと痛い。ここが今回の手術で一番痛くて、一番長引いている。それから、退院後すぐはもものあたりが妙に疲れる感じがしたので、PC用のバランスボールをしばらくやめて、普通の椅子に座るようにしていた。それも今日からまたバランスボールに戻してみている。

できるだけ安静にしたい時期に、オットが連日不在だったのも正直助かった。やはりいるとどうしてもご飯の支度やなんやかやで動く用事が増えてしまう。手術に2日間付き添ってくれたが、それ以降はほとんど早くて終電帰りという生活。例年はさすがに年末この時期になると家での仕事になるのに、今年はずっと職場で作業をする必要があるらしい。

もうすっかり年末なので、おせちの準備を始めている。毎年まともに作るわけではないのだが、今年はいつにも増して手をかけず、品目の足らない煮染めからは、下ゆでやアク抜きなどの手間がかかるし残ってもなかなか食べきれないごぼうは欠場。鶏の松風焼きも欠場。卵を控える必要が無くなったし簡単なので伊達巻が補欠出場。明日は近所の和菓子屋さんにのし餅を取りに行き、ついでにおしるこ用のあんこも買ってくる予定。大晦日にはオット実家にみんなで集まる。一泊するつもりだったが、泊まるとなるとお風呂掃除や布団などの準備が大変、というオット母からの申し出により、日帰りで帰ることに。

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2011-01-25
その後。手術一ヶ月後の診察も経過順調。生理も再開。

1/25(火)に、手術から一ヶ月後の診察がある。前回2時間半も待って歯医者の予約が飛んでしまったので、予約時間を少し過ぎた頃に行ったら誰一人待っていなくてすぐに呼ばれる。むしろこちらが待たせてごめんなさい。ちょうどこの診察の日の5日前に出血があり、無事に生理が再開していることが確認される。経過は順調。

次の生理がきたらもう妊娠しても大丈夫ですよ、と言われる。つまり、今回の生理から2週間後の排卵予定日には、まだ妊娠を避けた方が良いということだろうか。何となく慌ただしい雰囲気なので、そこのところをはっきりと確認しそびれたまま診察は終了してしまう。2週間後の2月の排卵日に妊娠すれば、子供は11月生まれになるはずだ。一ヶ月待って3月に妊娠すると、12月生まれ。一刻も早く欲しいと考えると2月の排卵も活用したいところ。色々考えるが、結局お医者さんの言う通り3月の排卵まで待つことにする。検索してみても、手術後の妊娠は生理を2回待ってから、つまり2ヶ月あける、と一般的に言われているようで、子宮の回復具合にとってそのくらいの期間が望ましい、ということのようだ。ここで焦ってまた何かあってくよくよするよりも、大人しく言うことを聞こう。3月に即妊娠できればぎりぎり今年生まれるし、4月~6月になったとしても1~3月生まれだから学年としては同じだし。
ここ数年ずっとこんなふうに、いつ妊娠すればいつ子供が生まれて、ということを折に触れて考えている。

2/19(土)には二度目の生理もくる。無事に回復していることが判ってからこの2月は、せっかくできた猶予期間なので遠ざかっていた飲み会などにちょこちょこ顔を出したりする。3月頭からはまたニンカツ(妊娠活動の略。そんな呼び方をするらしい)を再開できるので、つかのまの喧噪。

主に食事など、11月の妊娠中に気を遣っていた健康生活はすっかり自堕落元通り。次の妊娠が待ち遠しいのはもちろん山々だが、出鼻をくじかれたというか、初々しさは確実になくなってしまった気がする。油断したまま行ってしまいそう。サプリメントも中断していたが、葉酸は妊娠を考えているなら普段から飲んでおくと良いとのアドバイスを薬剤師であるオット妹ちゃんから受け、2月中旬あたりから再開している。

明日からオット母が子宮筋腫の手術のため入院。私が受けた手術よりよほど大がかりで入院日数も長いが、直近で入院手術を受けた経験が少しでも役に立てたらと思う。

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(2022年4月追記)

以上、12年前の流産と手術の記録でした。
この2010年12月のあと、結果的には3年後の2013年7月に体外受精でようやく妊娠が成立、進行し、2014年3月に無事今のうちの子を出産することができました。そういえば久しぶりにこの記録を読み返して、オット母が子宮筋腫の手術で入院した総合病院に私がお見舞いで日参し、食堂や院内コンビニが便利だったり、看護師さんたちや院内の雰囲気もとても良かったし、母も持病で通院を続けていたりなどなどがあって、自分が産む時もここを選んだんだったなあ、と思い出しました。

流産の経験や記憶というのは、人によって処理の仕方が様々なようですが、私は幸いあまり引きずらず、普段は忘れて過ごすことができています。折に触れて思い出すくらい。この2010年に流れてしまったことと、この1年後くらいに化学流産もあったこと(この時は手術の必要はなし)、それから数年後に体外受精でうちの子を授かった後で、生殖医療のクリニックで冷凍保存してあった受精卵を破棄した時のこと(これについてもそのうち書くつもりです)、私にとってはいずれも子供を失った出来事として、心にしまってあります。

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2022-04-13 12年前の最初の妊娠と初期流産の記録 [まじめに][生殖医療]

このあとの予定。

2022-04-19 女性の医療の遅れについて(時代遅れな子宮掻爬術や、麻酔無しの採卵や検査など)[まじめに][生殖医療]

■生殖医療を受ける日々

■オットお母さんの入院中、毎日お見舞いに通って言われたこと(良い話)

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これを読み返している時、のっぱらの『病める時も健やかなる時も』というタイトルと、マリア像に祈るマリコさんの端正な顔をなんとなく思い出しました。教会式の結婚式で神父様(牧師様?)に言われる言葉だからかな。

永遠の野原 6 逢坂みえこ (著)


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