[真面目に] 絵本作家のぶみ『あたしおかあさんだから』『ママがおばけになっちゃった』などなどについて思った、”感動”を押し付けることへの違和感

少し前から炎上騒ぎを巻き起こしているこの案件について、色々と思うところはありつつも、しっかり書く時間がないなあと思い、リンク紹介にとどめるつもりだったのですが途中からどんどん重めの内容かつ常々嫌だと思ってきた価値観の押し付けや無自覚な感動強要などに対し全否定モードになってしまいましたすみません。
でも勢いでアップしてしまいます。

えー重いの読むのあれだなーって方はこちらの小ネタへどぞー。

February 09, 2018 #あたしおかあさんだから の歌詞を読んで騒然となる新井素子クラスタ

さて。
『ママがおばけに』も数年前話題になった時にwebで読んでみて、ふーんと思ってそのままでした。子供のためじゃなく親が泣くための本だな、うちの本棚には置かないな、で終了。

ただその後、今回の『おかあさんだから』の騒動で知ったのですが、もっと他にもとんでもない絵本をたくさん出してるんですねこの人…

何が問題って作者さん本人よりも、こういう本を「良い話だ、読むべきだ」と子供に読み聞かせてしまう大人の浅はかさを憂うべきだと思いました。

また、忘れちゃいけないのは、こういうものに感動して泣けてしまうくらい、世のお母さんたちは追い詰められている、ということだとも思います。誰もねぎらってくれない。肯定してくれない。どこへいっても肩身が狭い。だからこんなものにすがりついてしまうんだと思う。二分の一成人式とかもそう。

色々検索した中でたどりついた、作者さんへのインタビュー記事。これを読んで、あーご本人がだいぶ闇の深い人なんだな、と思いました。

情熱大陸の舞台ウラ! 絵本作家のぶみ 【ゆめを叶えた大人の子ども時代、ヒヨっ子ちゃずのイラストインタビューVol.1】|ウーマンエキサイト(1/3)

のぶみ─情熱大陸のインタビュー中にお母さんの口からは信じられない言葉が出てきました。「のぶみは小学生のとき、みんなと仲が良くて、友達がいっぱい居て…」と話しはじめたんだよね。 違う人の話でもしてるのか? って思うくらい。(笑)

のぶみ─「お母さん何言ってるの!?」僕がいじめられていたことや、悪さをしていたことをいくら話しても「あなたは忘れているの。」の一点張り。撮影現場は、変な空気になってしまいました。

撮影後、お母さんからメールが届いた。「テレビでいろんな人に知ってもらうのに、のぶみのマイナスイメージな面を見せたくなかった。だから、いじめられていたことや、悪さをしていたことを隠したかったのよ」と。

それを聞いて、今まで「あなたは良い子だから」と言われていた意味がわかった気がした。お母さんの中で、悪かった僕はいなかったことにしたかったんだ‥と。

うーん。
なのでというか何というか、この人の個人的なお母様との軋轢みたいなものを見せられているだけ、と思えば、無関係な他の人たちが動揺したり憤ったりすることじゃないな、と。励まされる人はもらっとけばいいんじゃないですかね、と。

それよりも、問題はそれを安易に「良い話」として子供たちに押し付けようとする大人たちの感覚だよな、と思いました。おそらくは善意で。だからタチが悪い。

こちらの記事にすごく納得。

のぶみ氏の歌や絵本に対する思いをまとめました。 – スズコ、考える。

のぶみ氏のものに限らず、教訓めいた絵本とか変なメッセージ性の強い絵本はたくさんあって、それそのものを子どもたちが読むこと自体はさておき、あれを子どもをコントロールする道具として使おうとするの、やだなぁって私は思うんですね。

(中略)

「子ども向け」であるからには「子どもたち」を見据えない物作りはしてくれるな、と強く思う。のぶみ氏の絵本、歌、それを世に出すまでに関わった少なく無い人数の大人たちの中に、あれを子ども向けで出しちゃダメだという大人がいなかったのかということ、いたとしてもそのチェック機能が働かない仕組みがあったのではということ。

その、物作りの現場の大人の意識と仕組みに、私は警鐘を鳴らしたい。

こちらでは、よりによってお母さんを亡くした子どもがいるクラスで読み聞かせ!!

子どもに読んでほしくない絵本 – 日々雑録

子どもは大人が選んだ絵本を断れないことが多い。家庭はもちろん図書館や学校、園などで読みあげているかと思うとゾッとする。集団行動においては特に苦痛でも逃げられない。苦痛を感じてまで読んだほうがいい本なんてないし、絵本は子どものためにあるべきだ。

まして大切な親を亡くした子どもに、こんな絵本を読み聞かせるのは不適切すぎると思う。家庭によって死生観は違うし、がんばることを決して強要してはいけないし、ふざけた場面で他の子が笑っても悲しさは募るだろう。場合によっては(お母さんがおばけになるなんて)と悲しむかもしれない、(なんで自分のお母さんは出てきてくれないの)と悲しむかもしれない。下手したらトラウマになる。

本当に愛する人を亡くすと、大人だって簡単には立ち直れないもの。私なんか36歳で父を亡くしたけれど、まずはあまりのショックで足元の地面が崩れ落ちるような感覚を覚え、死を受け入れられない時期があり、悲しみにくれる時期がきて、うちにこもる時期を経て少しずつ元気になっていった。

幸いなことに、以上のようなことを園長先生に話したら理解してくださり、もう読んでしまった後なので傷ついた子がいたらケアしてくださるとのこと。よかった。わかりやすく分離不安を示さなくても、なんともないような顔をしていても、傷ついている子はいるかもしれない。深く傷つく子がいるかもしれないような本は、それでも読むべきか慎重に検討すべきだし、本当は読まないでほしい。

こちらは中学生の息子さんがズバズバと。ぶらぼー。かえるくん、読んでみます!

「ママがおばけになっちゃった!」に対する息子の批判がまっとうすぎる – 仙台広瀬川ワイルド系ワーキングマザー社長

(息子さんの言葉)結局これは、親が満足するために子どもを利用しているんだ。
親が、この本を読ませて、子どもを悲しませて、子どもにお母さん死んだら悲しいと言わせて、ああやっぱり私って大事な存在なのねと思い、自分の存在価値を認める。
子どものための本じゃない。親の自己満足のためじゃないか。

ーーーー

もっとも、多くの小学校で「1/2成人式」とやらが行われ、その際子どもに「お母さん、僕を産んでくれてありがとう」という作文を読ませてお母さんたちがウルウルするというあのへんてこな行事が、たいへん人気なのは、やっぱりお母さんが「感謝」を求めているということなんだろう。うちの子の小学校でもあったけど。嫌だったなぁあれ。だって子どもの本当の気持ちじゃないんだもん。息子は無理矢理書かされた不満が、「わかる人だけわかる」作文を書いてくれました。ぶらぼー。

(中略)

泣かせれば売れる。その風潮が、嫌で嫌でたまらない。だから安易に人を死なせて泣かせる。人を病気にさせて泣かせる。
おいら、生きてやるぞよっしゃーっていう、力の湧いて来るお話の方が好きだし、明日を生きるパワーになると思うけどな。
人がいきなり死ぬのは、現実だけでたくさんだ。

この絵本の子供たちへの悪影響を深刻に危惧し、作者に対し真剣に苦情を申し入れたのに茶化されて終わった…という、読んでいてつらくなる記事。うーん、あの作者さんは本当に子供なんだろうなあ…

再び、違和感のある絵本を問う : みどりの緑陰日記

ああっそんなブログじゃなさそうなのにこんな乱れた言葉をタイトルに持ってくるほど心乱されて…お気の毒すぎる…

馬鹿も休み休みに言えよ!あの絵本の続編に物申す : みどりの緑陰日記

今年、1月に山口を旅した際に、友人が言っていた言葉が印象的でした。
車で1時間走らないと絵本を売っている本屋さんがない。しかも絵本の品揃えは悪い・・・そんな中、テレビで『ママがおばけになっちゃった』が評判がいい、良い絵本だとテレビで言っていたから、買わなきゃ!と買いに走ったというのです。でも手にしてみて「違う・・・」と唖然としたと。

大学で絵本論のゼミにいた友人でさえ、そうなのです。テレビで話題なら取りあえず買わなきゃと思ってしまう。メディアが持ち上げて、その相乗効果で売れに売れたのです。

(中略)

ブームになったために、図書館でも予約が殺到し、こんな絵本、良識のある司書は選書しないと思っていましたが、東京都内255館で蔵書があり、その大半が貸し出し中になっています。ブームの時の予約殺到で待機の順番が100人くらいになっていたところもあるための数字だと思います。しかし順番を待って、手にしてみて、子どもたちはどんな感想を抱くのでしょうか?もう少し実際に読んだ子の声を拾ってみたいと思いますが、何度も読んでと持って行くとは考えにくいのです。

「命」の大切さ、と口で言うのはたやすい。でも実際には、とても重いテーマです。
それを丁寧に子どもに伝えなければならないと思っています。シリアスだからこそ、丁寧に。

それを茶化す必要など、まったくないのです。「馬鹿も休み休みに言えよ!」「子どもの味方のふりをして、商売してんじゃないよ!」と、多くの読者に気が付いてほしいと思います。

そう、この絵本が全国学校図書館協議会の選定図書に入ったと聞いて、世も終わりか・・・と絶望感にさいなまれています。だって、選定基準にまったく沿っていないのに・・・抗議文を提出しようかと、友人たちと言っています。大手出版社の圧力なんでしょうか・・・

このかた、今回の歌詞の騒動にも心を痛めているだろうなあ…本当にね、描いている作者本人よりも、こういうものを「売れるから」と宣伝して撒き散らす出版社やメディアの良識の問題だと思う。

あのう、たまに、「ショッキングな内容だから子供に良くない、といって何でもかんでも遠ざけるのは間違ってる」というような、この手の絵本を擁護する意見というか、この手の絵本を危惧する意見に対する野次、のようなもの、も見かけるのですが、そういうことじゃないんです。こういうことを作者が言いたいんなら描けばいいし、子供にもそれを読む自由がある。

だけど、こんなふうに全国学校図書館協議会の選定図書に入ったり、メディアがこぞって宣伝したり、こういう作風の作者に歌詞を書かせて歌のおにいさんに歌わせたり(引っ張り出されて謝罪までしてだいすけお兄さんは本当に気の毒)、そうやって子供を囲い込んで押し付けているところが問題なのだと思う。
金になるからと質は度外視、あるいは大人が感動したいためだけのもの。それに子供を無理やりに付き合わせているように見える。

二分の一成人式とか(やってない小学校を選びたいほど嫌)、組体操もそう(やってない小学校を選びたいほど嫌)。特に組体操は、本来身体が未発達な子供にやらせるべきではない危険な行為で、重篤な事故が多発しているにも関わらず、小学校のみならず幼稚園ですら行われ続けているのが理解不能。
いずれも、大人が感動するために、子供の時間を奪っている。大人の承認欲求のために、子供に苦痛を強いている。

そういう大人の身勝手を、「良い話」だ「感動する」だと小綺麗にラッピングして、子供に押し売りしている、それが嫌なのです。

うーん、思ってたより嫌悪感を持ってたんだな、と書いててわかりました。

今回の歌詞をきっかけに絵本に対しても批判的意見がたくさん出てきていて、むしろホッとしています。母親像を押し付けられることに猛反発する女性たち。
一昔前までは、反発なんてできなかったし、反発したくてもその思いをぶつける先がなかった。今の時代だからこそ、ネット上に表明することができて、その一人一人の表明がたくさん集まって注目もされるわけで。そうすると、何も考えずに流し見していた人たちも、「あれ、これって単にちょっと良い話程度に思ってたけど、そうでもないのかも?」と考えてくれるかもしれない。

うひー、こんな絵本もあったのですね!!

超人気絵本作家・のぶみ『このママにきーめた!』が押し付ける母子の逃げられない結びつき – wezzy|ウェジー

子供の誕生を、多くの親は喜ぶだろう。私もそうだった。が、それは親が、自分のエゴで勝手に喜んでいるだけだ。誕生する子供自身には、親を喜ばせる義務や責任など一切ない。子供が成長していく過程で、親は折に触れて喜ぶかもしれないが、その時も、子供が親を喜ばせる必要なんてない。子供は、親を喜ばせなくていいし、産んでくれたことに対して「ありがとう」と感謝の気持ちを持たなくてもよいと私は思っている。

(中略)

 「子供は母親を選んで産まれる」という思想はわりとポピュラーなものになりつつある印象だが、私がこれを肯定出来ないのは、母親との関係が良好ではない子供、母親からの虐待を受けている子供も、そんな母親を選んで産まれたと解釈されるおそれがあるからだ。ひいては母親の虐待によって死に至った子供も、そんな母親を選んで産まれてきたということになる。親子は血縁関係がすべてではない。残念なことではあるが、すべての母親が子供を慈しみ育てられるわけではないことは、昔から繰り返される様々な家庭での事件報道からわかることではないか。

 また、子供を持つことを望みながらも子供に恵まれなかった女性が、私は選ばれなかったと劣等感を抱くかもしれない。いわゆる“自己責任”と紙一重な概念である、というのは言い過ぎだろうか

言い過ぎじゃないと思います。
私も「子供は親を選んで生まれてくる」という考え方が大嫌いです。頭の中お花畑か、と思ってしまう。
でもね、そういうことを言う人って大概が善意の塊で、悪意のかけらもないので、本当にいたたまれない気持ちになります。
そういうことを言っている人を傷つけたいわけじゃないので難しいんですが、機会があったら、話せそうだったら、あのね、それって受け取り方によってはこんなふうに傷つく場合もあるんだ、と伝えたいな、と思っています。

前にもちらっと書いたけれど、褒めているつもりでも、その影でそこに当てはまらない人を否定し傷つけることになる言い方、考え方ってあると思うのです。
大災害や大事故などで辛くも難を逃れた人に対し「まだ世の中でやることがあるってことだよ」とかもそう。じゃあ亡くなった人は世の中に不要な人だったの?
「強く願えば叶う」って、じゃあ叶わなかったのは願い方が足りなかったってことなの?(そうだよ、と真顔で言ってくるスピリチュアル系の傲慢さがどうしても好きになれません。この考え方で個人的に元気や勇気をもらえる人はいいと思うんだけど、それを万物に当てはめて喧伝しているのは見るに耐えない)

「親を選んで生まれてくる」って、じゃあ親から苦痛を与えられていても自分で選んだのだから耐えろと?自己責任だと?

揚げ足取りをして、単純にいい話だと思っている人たちを不快な気持ちにさせたいわけではないのです。ただ、他人の痛みに無自覚でいたくないし、できるかぎり想像力を働かせたいと思う。

どんなに望んでも、抗っても、すり抜けていくものはあるし、壊されてしまうものもある。それは選びようのないことで、どうしようもないことで、なんの理由もないと思う。
理由がない、というのはとても残酷なことだ。逃げ場がない。何も悪くないというのなら、どうして他ならぬ自分にそれが降りかかってしまったのか。そこにも理由はない。たまに「あなたならそれに耐えられる、と神様が試練をお与えになった」的なことを言う人もいるけれど、この考え方もどうしても好きになれません。勝手に神とやらを代弁しないでほしい。そして言った側はおそらく良いことを言った、と思っている、そこにも埋められない溝を感じて、やるせない気持ちになってしまう。

理由のない残酷な出来事と出来事のはざまで。その中で、残されたわずかな選択肢を見失わないこと、掴んで温めること、それが生きていくこと、生活していくことなんだと思う。
大仰な言い方になってしまうけれど、きっと当たり前にみんながやっていることで。

それに対し、他人が(親子といえども)良いの悪いの、誰のせいだの誰のおかげだの、ジャッジする権利はないと思う。されたら怒っていい。そんなべったりとしたものは跳ね除けてゆけ。

うん、思ったより語気荒く、嫌なものを全力で否定する内容になってしまいました。すいません。私も絵本好きのはしくれとして、やっぱり黙ってられなかった。

(少し追記)ーーーーー

「揚げ足取りをして、単純にいい話だと思っている人たちを不快な気持ちにさせたいわけではない」についてもう少し。
何でもかんでも配慮しろ!と言いたいわけではないのです。私だって、そこまで配慮を求められてもなあ…と思う案件もあります。年賀状の家族写真で不快になるからやめてほしい、というようなのは、そこまで言う権利が傷つく側にあるのだろうか、と疑問に思う。
傷つくこと自体は止められないし、それは責められるものではないと思う。
だけど、「だからやめろ」と言い出すと、途端に傲慢になってしまう。

そもそも年賀状で不快な気持ちになるのは、他人と自分を比べて幸せかそうじゃないかを決めようとするからじゃないだろうか。子供がいないと不幸だろうか?子供がいる人は幸せをひけらかして自慢するために年賀状を刷っているのだろうか?

本来自分の中で処理するしかない感情なのに、それを放棄し、他人に行動を変えさせることで溜飲を下げようとしているような。

そういうことと、今回の絵本(や歌)の内容に多くの人が不快感を表していることは、まったく異質なものだと思います。

人が産まれること、死ぬことという、人生で誰も避けては通れない、誰もが否応無く強く心を揺さぶられる重大な事柄に関して、限定的な解釈をし、軽率に取り扱い、ましてやそれを絵本として子供向けに送り出し、さらに世間がこぞって持ち上げて多くの子供たちに積極的に読ませようとしている、ということ。そこが、とてもとても問題に感じるのです。

作者1人が自分で良いと思ったから描いた、というだけなら、これほど多くの人が嫌悪感や危機感を表明したりはしなかったと思う。
まして作者や、いわんや歌のおにいさんの謝罪など誰も求めていないのではないでしょうか。

誰の謝罪もいらないから、全国学校図書館協議会は、問題の絵本に対する選定図書という認定を外してくれたらいいのにな、と思います。

(追記、以上)ーーーーー

同じおばけならこの邪気のない安西水丸先生のおばけを見ろ。Amazonレビューで「絵が手抜き」とか言われててアイス噴いたぞ?

おばけのアイスクリームやさん
安西 水丸
教育画劇
2006-06-01


おなじおばけならせなけいこさんのこれを読め。そして歌え。さんざんおばけ情報を吹聴してからの「そんな話聞いてお風呂に入ろう」と突き放した歌詞!


前にも書いたのですが、私はどこの誰とも判然としない人たちの「実体験」が羅列されているスピリチュアル本よりも、たった1人の作者が想像力と情熱を持って綴った物語の方により深く揺さぶられ、励まされ、生きる気力をもらってきました。

March 16, 2013 『獣の奏者』を読んで思った、上橋菜穂子作品はやはりエロくて素晴らしいと

この物語の中では時に読み進めるのがつらいほど残酷なことが起こります。人生には、どんなに願っても備えても、自分の力ではどうにもならないことが起こってしまう、そうなってほしくない方へなってほしくない方へ物事が運び、抗いようもなく押し流されていってしまう、そういうことが確かにある。けれど、その起きてしまった、与えられた運命の中で、どう動くか、限られた選択肢の中で何を守り、何を捨てるのか、そこに登場人物たちの気高さ、強さ、恐怖や葛藤とそれを乗り越える覚悟、が苛酷に鮮烈に描かれていて、本当に引き込まれました。

獣の奏者 1闘蛇編 (講談社文庫)
上橋 菜穂子
講談社
2009-08-12


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“[真面目に] 絵本作家のぶみ『あたしおかあさんだから』『ママがおばけになっちゃった』などなどについて思った、”感動”を押し付けることへの違和感” への6件の返信

  1. この歌に関連したブログ記事見つけました。うまいなぁと私は思ったので参考まで…
    https://ameblo.jp/ryu-tamako2/entry-12350910574.html

    この歌、親の世代は何がおかしいのか判らん、という人も多いようなのですよね。
    自分がした経験(苦労)は子どもも知って成長すべき的な考えの人もいるでしょうし。
    私は自分のしてきた苦労は子どもにはさせたくないけど…
    作者さんがそういう親に刷り込みされた方だったのですね。知りませんでした。

    最近『ピンチ(子どもに問題おきたとき)はチャンス』と思うことが多くて、何か隠れてたり気付かされたり…向き合うのはつらいけどないことにはしたくないな無視するのと一緒だなと、思う毎日で。
    あひるさんの記事を読んでいろいろ考えました、ありがとう

  2. かばこさん
    おお~、ブログ記事ありがとうございます、「おかあさんのへや」「出入り自由」、なるほど確かに…!
    続きの記事もすごく納得でした。
    https://ameblo.jp/ryu-tamako2/entry-12350910574.html

    「歌詞に過剰反応する人ほど囚われすぎなんじゃないか」という意見に対して、それを良いとか悪いとか言いたいわけじゃないです、と。ただ、自分に向いていないと思ったので自分はその「おかあさんのへや」から出た。そこが居心地良いと思う人はいればいいし、つらいなら出ればいい、って、ほんとその通りだな、と。

    私もつい、自分が押し付けられるのが嫌なので嫌だー、と書いて、押し付けられてつらい思いをしている人に向けて嫌でいいんですよー、と書いてしまったんですが、それを楽しんでやっている人はそれでいい、というか、私が良いとか悪いとかジャッジするものじゃないんですよね。つい偉そうに書いちゃったけど。反省しました。
    良い記事をありがとうございます!

    『ピンチ(子どもに問題おきたとき)はチャンス』、向き合うのはつらいけど、ないことにはしたくない、それも本当にその通りですね。気づけて良かった、と思って前向きに、気負わずに取り組んでいきたいな、と思えました。こちらこそありがとう!

  3. スピ系の者です。
    実は私自身が妊娠した時に、空からお腹の中に何か飛んできて「あ、私妊娠した」と分かったので、親を選んで来ると言うような話は見聞きしても結構納得していました、あと耐えられない試練は来ない話とか。そうかもなと。
    私に機会はなかったけど、あればドヤ顔で「人は親を選んで云々…」言ってたかも知れない、相手がどう思うかなんて考えてないなぁ…何か話す時に相手の視点はいつも考えないと、と反省。
    スピ話は特に別腹というか、私が別腹と考えてるからみんなも「話」として聞いてくれるもんだと思って軽く考えてた。そして、そんな↑の娘も大人になり、すっかり子育て周りも遠い過去のものとなって、魚焼きグリル、重曹で検索→新しい記事のリンクで、そう言えば何で炎上してるんだろう?と。
    なるほどと。リンクの作者のインタビューを読んで、かれは情が薄いと言うか、わからないんだろうな。で、あのまま作品は世に出た訳だけど。自分も経験あるけど記事中の作者の「闇の深さ」はちょっと分かるところがあってコメントしてしまいました。自分が人を傷つけずに済んでるとしたら私が表現者ではないからだと感じました。
    母親が子供の現実をずっと黙殺していると情の部分が貧弱になる、少なくともちゃんとそういう態度ができない。チグハグなのしか受け取ってないから。説明が難しいけど。簡単に作中の母親を死ぬ設定にするあたり、大雑把な事しか解らないのかなと。私もそういうとこあって、説明が難しいんですけど。あひるさんのこの記事はとても勉強になり、いろいろと考えられて良かったです。それから魚焼きグリルには早速重曹を入れます!またきます。ありがとです!

  4. もりさん
    リンクありがとうございます!サイバラのこのインタビュー、私も読みました。
    食育なんて無視しよう、という話は、自分が子供を産む前にはすばらしいなー!と全面的に同意だったのですが、産んでから読むと、逆にプレッシャーも感じてしまうようになりました…
    「そんなのやめよう」と言われてもやめられないからこそしんどいので…。
    サイバラさんには非はなくて、受け取りての問題なんですけどね。この辺のことも記事にかけたらいいなと思っています。

  5. まるまるさん
    コメントありがとうございます。子育ての大先輩ですね!
    スピリチュアル系の話って、当てはまるとちょっと嬉しい話が多いので、つい話題にしてしまいますよね。偉そうに書いてしまいましたが、私もそうです…。
    当てはまらない人にとってはとても残酷な場合もあるので、自分も気をつけたい、という自戒も込めて書いたのですが、むしろ多くの人が悪意なく、他愛なく話題にするものをこうして強く批判してしまうことで、私のこの文章を読んで傷ついてしまう人も多いだろうな…もう少し慎重に書くべきだった…と反省していたところでした。申し訳ありません。

    これを言ったら誰かが傷つくかもしれない、とどんなに気をつけても、誰も傷つけないことは不可能だろう、と思います。受け取る側が過敏すぎる場合もやはりあると思いますし。
    身近な人、大事にしたい人との間で、気を配りながら生活するしかないのかな、と思います。
    それから、自分が傷ついた時、それを冷静に受け止められるようになりたいな、とも思っています。誰かのせいにしないで。

    コメント本当にありがとうございました。重曹、ぜひぜひ!お掃除ラクになりますよ!

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