はい、自分史の続き。いよいよ佳境です。といってもここから3部作くらいになるのですけども。
子供が3歳の頃(2017年)に書いた、妊娠していた頃(2013年)の話です。
実家と疎遠にしていることって、妊娠中にもこんなふうに影響してくるものなんだ、と思い知らされ、けっこう辛かった体験です。機能不全家庭の、虐待の描写も出てきますのでご注意ください。つらい気持ちにさせてしまったらごめんなさい。超長文です。8000字。
同じような境遇の人たちへのエールになりよりますように!
今まで書いてきたノートはどれも、元家族との辛かった話も、オットやその家族が温かいことも、この話のために書き連ねてきたような気がしています。
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■妊婦健診で、実母と疎遠にしていると言った時の助産師さんたちの反応に傷ついた話
妊婦健診中に、私が実の家族と疎遠にしていることをやたらと心配され、毎回いろんな助産師さんたちに根掘り葉掘り聞かれたことがあった。
産んだのは総合病院で、産科病棟の看護師は全員助産師の資格も持っている、という病院だった。
妊婦健診はおおむね月1回、医師による診察は数ヶ月に1回で、通常は助産師さんによるエコー診察や問診などがのんびりのほほんとした調子でおこなわれた。医師も助産師も毎回違う人だった(たまたま同じ人に当たることもあった)。
そんな妊婦健診の2回目か3回目くらいだったろうか。
その日担当だった若い助産師さんから、家族についての情報と、産後の手伝いは誰に来てもらう予定か、と聞かれた。
家族についての質問はまっさきに「実の母、実の父」で、絶縁して妊娠も知らせていない身としては勝手に釈然としないものを感じてしまったが、血液型や既往歴なども含めてだから仕方ないか、と思い、医療行為に必要な情報でもあるし、正直に答えていった。
その正直さでつい、助産師さんから「ご実家もお近いようですし、産後のお手伝いにはお母様がいらっしゃるんですか?」と当然のように訊かれた時、「いえ、実の母とは疎遠にしておりまして、手伝いには呼びません」と返したら、
「ええっ!?」
とものすごく、ものすごーく驚かれた。
お嬢さん、小町とか2ちゃんの家族板とか読んでちょーよ(今ならShortNoteも勧めるかも)(※2017年当時)、と思わないでもなかったが、まあ世間一般の反応といったらこんなものだろう。
私もいい加減慣れていたので世間一般向けの手短な説明として、「両親は離婚しており、父母どちらとも疎遠にしているのです」と伝えてみた。それで大体の人はああそうなんですか、と雰囲気を察してそれ以上追求しないでいてくれるのだ。
ところが妊婦健診では違った。
疎遠というとどのような…?
一体どうして…?
じゃあ産後の家事などはどなたが…?
と、むしろもっともっと質問されてしまった。
しかも私の場合、実の母父と疎遠なだけでなく、オット側の家族とは仲は良いが父はすでに他界、母も身体を悪くしており手足が不自由、赤ちゃんの世話も家事もあまり任せられない(実際には不自由な手で時間をかけながら洗濯物を干したり、果物をむいたりしてくれて本当に有難かったが)。オットも国内外を問わず出張が多く、自営業なので育休や有給もない。盆暮れ正月休みもない(これも実際に生まれてみると、出張を極力減らしたり、帰宅時間を早めたり、可能な限り子供時間に合わせて生活するようオットも変わってくれたのだが。当時はとても想像できず、かなり身構えていたな、そういえば)。
それはこちらとしては妊娠前から重々分かっていたことだったので、親を頼らず、産後ヘルパーさんなどの公的、あるいは民間サービスをはじめから利用するつもりでいた。自分の中では数年間考え尽くした案件で、あまりにも自明のことだったので淡々と流暢にそう説明したのだが、若い助産師さんは「ええ…でも…」とものすごく不安そう。
そして、1ヶ月後の次の健診でも、その次の健診でも、同じ話の繰り返しだった。すべて違う助産師さんだ。
あの…産後のお手伝いをお母様に頼まないということですが…、産後というのはですね、新生児の世話とおうちの家事を並行してやらないといけなくて、でも産後の身体というのは休息が必要で、お母さんにはできるだけ動かずにいてほしいんです、「産後最低1ヶ月は水に触るな」と言われるくらいで…、赤ちゃんとご自身、旦那様などご家族の身の回りのお世話を誰かにしてもらわないといけないんですけど…。
と、「初産」だからひょっとして知らないのかしら!?何とかなると思い込んでるのかしら!?と思われたのだろうか、毎月毎月、入れ替わり立ち代わり、毎回違う助産師さんのすべてに繰り返し言われる。
そのたびに、いえ、出産で実の親の手を借りられないのは子供の頃からわかっていたことなので(子供の頃からわかっていたことなのだ)、そのために産後ヘルパーのサービスを調べたり、区役所に行って説明を受けたり事前登録をしたりすでにしています。初産ではありますが、先に産んだ友人たちから新生児期の大変さは聞いているので大体わかっているつもりです、自分一人でやろうとは思っていません。
毎回そう説明する。
3度目は、妊婦健診の5回目か6回目だったろうか。助産師係長という札をつけた、私よりやや年上の(50代前半?)助産師さんに当たった。過去記事に登場したMさんも助産師係長だったが、別の人である。Mさんと対極の、背が高くハキハキとした、エネルギッシュな印象だった。Nさん(仮名)とする。
その人から、一番根掘り葉掘り聞かれた。
実のお母様と疎遠、とのことだけど、ちょっと詳しく伺ってもいいかしら。それは一体どうして?
ええと、両親が離婚して、それでまあ両親どちらとも疎遠に…。
離婚というのはいつ頃?
(う、それを訊かれるとちょっと時系列的に破綻気味になるのだが)離婚自体は20代の後半、私が就職で家を出て、結婚もしてからです…
そう。でもそれまでも、ご実家にいる時から親子関係はあまりうまくいっていなかったのかしら?
そうですね…
具体的にはどんな?
えっ。
お母様と、具体的にどんなところがうまくいかなかったの?たとえば言われて嫌だったこととか。
ええと、そうですね…あの、虐待というほど酷いことではなかったのかもしれないんですが、直接手を上げられたりなどの身体的暴力はほとんどなかったですし、でも怒鳴られたり、よくわからないことで延々怒られたりはしょっちゅうで…
あと、友達との付き合いを制限されたり…
制限されたり?どんなふうに?
ええと…電話で話していたら耳をくっつけて会話を聞こうとされたり、放課後や日曜なんかも出かけないで家にいろと言われたりとか…
なんだか、なんだか大したことじゃなさそうすぎる!!
自分で言ってても全然大したことじゃなさそうに聞こえる。そんなの全然伝わってこないよ!
もっと「5歳くらいの時ピアノのお稽古中に間違えるたびに散々手を叩かれ、恐怖と痛みで泣きじゃくってとうとう弾けなくなったら腕を掴まれ家じゅう引き摺り回されてベッドに投げ出されヒステリックに怒鳴り続けられました(そして母の後ろから3歳上のお兄ちゃんがさも面白そうにニヤニヤと眺めていました)、そこまで激しかったのはその後も含めて数回程度だったので虐待というほどではないかもしれないんですが」というハードめなエピソードを開陳すればよかったのか?
でもこの時は出てこなかったし、何となく、私が訴えたかったのはこういうことではないような気がした。だからすぐに出てこなかったのだ。
Nさんも、ふうむ…それでも「虐待というほどではなかった」と自分では思うのね?と重ねて聞いてくる。
はい…まあ…。
大体こんなかんじのやりとりだったように思う。
この一件以来、私は「虐待というほど酷いものではなかったんだけど」というエクスキューズをやめることにした。(「毒親」という言葉はこの2013年にはまだそこまで一般的ではなかった)
虐待であろうとなかろうと、私がつらかったのは事実なのだ。結果的にほぼ絶縁し、実の親にもかかわらず妊娠も出産も知らせないほど、そこまでの深い傷を私は負ったのだ。その深さを他人に端的に説明する時、「虐待を受けていました」と言えば話がすっと通るのならそれでいい。ていうか実際そうなんじゃないか?「妊娠も出産も知らせたくない」ほど母との関係が劣悪、って、それすでに立派な「虐待」の結果なのではないか?
ピアノのお稽古の件も、幼稚園の頃毎朝のように自転車の上で思い切りつねられたことも、立派な虐待なんじゃないか?
いや、そもそも、私が辛かったのはこういう、数回しかなかった身体的暴力よりも、毎日、連日の緊張感の方だった。いつ怒鳴られるかわからない、何を咎められるかわからない、母の不安定な機嫌に左右される毎日。父と母がいつ怒鳴り合いを始めるかわからない、いつ父が母を殴り飛ばす鈍い音が聞こえてくるかわからない。怒鳴っていた母の声が殴られることで途切れる、そこに父の罵声が重なる、そんな物音が毎日のように続く。父は私には優しかったけれどそんなふうに母を罵り殴った。母は常時苛々していて私を怒鳴りつけたけれど、小学生の私は母をかばって父の前に泣きながら立ちはだかったこともあった。だけど母は翌日も私を怒鳴る。そんな毎日が、そんな家の中が嫌でたまらなかったのだ。物心ついた頃から家に帰りたいと思ったことが一度もなかった。小学校の高学年から始まる移動教室が異常に楽しみだった。今日も明日も家に帰らなくて済む!!帰りの日には心は鉛のように塞いだ。乗り込んだバスが止めようもない速さで私をあの場所に運んでゆく。鎖で繋がれた犬のように、他に行き場所がなかった。
診察室で、私はこれを言えば良かったのだろうか?
だけどあの場ではどうしてか頭に浮かばなかった。
もっと酷い目に遭ってきた人も当然いて、この程度で虐待されてたなんて言うな、と気分を害してしまう人もいるかもしれない。甘えなのかもしれない。それについてはいまだに判断がつかない。
だけど、一般的、相対的に見て、私が親から強いられてきた不安と緊張に満ちた日常について、多くの人に伝わりやすいのは虐待という言葉かな、と思う。本当はそんなことわざわざ言いたくないのだけれど。
しかしその時は、健診後も悶々と、釈然としない思いを抱えることしかできなかった。
そして、帰り道に立ち寄った喫茶店かどこかでお茶を飲んでいる時、出し抜けにひらめいた。
ああ、あの人たち、私が子供を虐待すると思っているんだ。
地球をめがけて飛んでくる彗星のように(スプートニクと同じく、なぜかまた例えが宇宙関係だ)、はじめは遠くの方にきらりと見える小さなまたたきだった。だがその不吉な影は次の一瞬で私の地面に激しく突き刺さり、光の速度に置いていかれた衝撃波が一拍置いて到達し、胸の内を怒涛のように揺さぶった。
そして、長年かけて必死の思いで育んできた、自分の中の親になるための覚悟や自信のようなもの、不安を払拭する、子供を授かったことの単純な喜びなど、やっと芽生えかけていた前向きなものが、根こそぎ爆風に焼き払われてしまったように感じた。
ああ、私、虐待予備軍扱いされているんだ。
そうだったのか。そうだったんだ。
あの人たちは、私が子供に危害を加えると思っているんだ。
具体的にどこだったかは思い出せないが(あまりのショックに記憶から飛んでしまったようだ。そんなこと本当にあるんだ)(あ、思い出した気がする、会計待ちの時に、病院内のちょっとした空きスペースに座ってペットボトルのお茶を飲んでいる時だったんじゃないかな)、閑散と椅子が並んだ空間に一人、昼間の明るい光の中、深い井戸に放り込まれたような、茫漠とした絶望感の中に取り残された。
その少し後、親しい友人にこの話を聞いてもらうことができた。
同じように機能不全家庭からサバイブし、幸せな結婚をして東京と劣悪な家族から離れることになった彼女に、妊娠報告も兼ねて久しぶりに会ったのだ。内容が内容なだけに滅多な人には話せなかったし、そもそも2度の流産を経ていたから妊娠自体をほとんどの友人知人たちに伏せていた。8ヶ月を過ぎるくらいまで、オット家の家族を除くと2〜3人にしか伝えず(うち一人が彼女)、あとは産んだ後の報告にしたので色んな人にずいぶん驚かれてしまった。
彼女はこの話を聞いて、「虐待する人が自分も虐待されていた割合って、3割程度しかないっていうのにね」とあっけらかんと言ってくれた。
そんなに少ないんだ?
うん、気になって調べたの。よく虐待された人は虐待する、って言われるけどほんとなのかなって。
それを聞いて少し安心したし、私と同じように気がかりで調べたり、彼女もしていたのだと思うと頼もしくもあった。理系研究職の友人なので、彼女が調べて納得したのならそれなりに根拠のあるソースなのだろう。
(この辺りのことは自分なりにも少し調べてみたし、思うところもあるのでまた改めて書きたい)
大丈夫だと思いたかった。大丈夫だと思おうとしないと不安だった。自分もやってしまうのではないかと。だって自分はまともな、普通の親子の関係を知らない。母も父も、いつもお前のためを思ってと言っていた。それでも私には理解も納得も尊敬もできない、負担で苦痛なことばかりだった。良かれと思って悪気なく彼らはおこなうのだ。自分もそうならないとどうして言えるだろう。
それでも、大丈夫だと思いたかった。
それなりの覚悟を決めた上で望み、臨んだはずの妊娠ではあったが、プロの現場の人たちからあそこまで執拗に、何ヶ月にも渡って何人もの人から繰り返し懸念され、たやすく揺らいでしまった。元々の地盤が脆いのだ。ずぶずぶと不安に傾いていきそうだった。
やっぱり私には子育てなんて無理なのかな。
過ぎた夢だったのかな、と。
しかしこれはさすがにおかしいだろう、と反発する気持ちもあった。
うちのようにほぼ絶縁とはいかないまでも、遠方のためとか高齢のためとか、実の親の手を借りられない境遇の人なんてごまんといるはずだ。どうしてここまで特殊ケース、危険案件扱いをされなければならないのか。
むしろ、私のような事情で実の親の手助けが得られない妊産婦にこそ、もっとデリケートなケアが必要なんじゃないのか。
虐待を水際で防ごうという試み自体は大事で、必要なことだと思う。
しかしあれでは逆効果ではないのか。似た境遇の人たちみんなをあんなふうに質問責めにして、こんなふうに不安を駆り立てているのだとしたら。なんて酷なことだろう。
私の場合は、こういう話を聞いてくれる近い境遇の友人もいる。オットも私のつらさを聞いて受け止めてくれる。しかし親との問題を抱えたすべての妊産婦がそうであるとは限らない。夫にも友人にも打ち明けられず、健診で助産師さんたちにまで責められて(実際責められたわけではないにしても、そのように感じてしまった)、どこにも逃げ場がないではないか。
いろんな家庭の事情を抱えた人がいる。特に大きな総合病院なのだから、普通の病院よりもいろんな患者さん、妊婦さんがくるはずだ。助産師さんたちならそういう事情をよく知っているはずだし、ましてやただでさえナーバスになりやすい妊婦に対しあれはちょっとないんじゃないだろうか。どうにかしてほしい、せめて今後似た境遇の妊婦さんには、私に対するような不安を掻き立てるような応対はしないでほしい、と切実に思った。
今後の健診では、話しやすそうな助産師さんだったらそのことについて相談してみようと心に決めた。
そして次の健診で、Mさんに会ったのだ。
ニコニコと人なつっこい、心とろかすような笑顔で、お腹の赤ちゃんの様子や、私の体重の増加具合や足のむくみなどについても問題ないですね、とても良い状態ですよ、と一通り説明をしてくれたり、こちらからの質問を受け付けてくれたり、普通の健診らしいやりとりをした。
そこまでは今までの助産師さんも一緒だったが、これまではそこから「あの…ご家族の話ですが…」と始まった。ところがMさんは終始ニコニコしたまま、私や子供の状態をいちいち細かいところまで褒めて安心させてくれるだけで、健診は終了しそうな空気になった。
この人になら話せる、聞いてくれるかもしれない、と思い、私は意を決して、これまで書いたようなことを話し始めた。
これこれこのようなやり取りが続き、あの、虐待予備軍扱いされているのだろうかと思ってちょっとつらかったです、と話してみたのだ。私と同じような境遇の妊婦さんに対して、今後は対応を少し考え直して頂けないでしょうか、と。
私も確かに、実の家族との関係が悪かったことでなかなか子供が欲しいと積極的に思うことができず、だからこそ高齢出産の年齢になってしまったのですが(当時37〜38歳)、それでも実の家族からは得られなかった安心感をオットの家族からもらうことができて、子供が欲しいと思えるようになった、その時点で、自分にとっては家族の問題は解決しているつもりなのです。
と話しているうちに、
「解決しているつもりだったのですが…、ここまで執拗に心配されるとさすがに不安になってきます…」と、つい涙がこぼれてしまった。
これまでふんふんと真剣に耳を傾け(虐待予備軍扱い、のあたりではそんな!とびっくりしたように目を見開いたりしつつ)黙って聞いてくれていたMさんは慌てて、
「わ~ごめんなさいつらかったのね!あなたなら大丈夫よ~!」
と私の隣に椅子を滑らせてきて、肩をゆすって励ましてくれた。
私、今日は何も言わなかったでしょう?他の助産師からの報告を読んでおうちの事情のことはわかっていたけれど、あなたと会ってお話してみて、あ、この人は大丈夫だわ、と思ったからあえて触れなかったのよ。
そんなに不安にさせていたなんて本当に申し訳なかった。あなたのお話は、きちんと産科病棟全体で共有して、今後どのように対応していけば良いかしっかりと話し合わせて頂きます。貴重なご意見を本当にありがとう。
そう言ってくれた。
Mさんが約束してくれた通り、話し合いが持たれ、そして改善してくれているといいな。それがすべての不安を抱える妊産婦さんに向けて共有されたらいいな、と切に思う。
そして病院の外でも、こういうことで傷つく人が少しでも減るように。
自分が傷つける側に回らないようにも、できる限り気をつけたい。
その後、分娩で色々あって大変な状況になった時のオットと母の様子を見ていたMさんから、「本当にあひるさんの言っていた通り、素晴らしいお母様と旦那さんだわ。納得しました」と言ってもらえて、そうなんです!そうなんです!と思わず力強く同意してしまった。身内を褒められた時のいい大人としての反応ではないのだろうけど、そうとしか言いようがないのだ。
それからもう一人のベテラン助産師、尋問のように一番根掘り葉掘り聞いてきたNさんだが、産後の大出血で生死の境をさまよった私に、「ああ良かった!意識が戻ったのね〜!!」と涙目で駆け寄ってきて手を取ってくれたのはこの人でした。
(2017年6月10日)
(初出:shortnote)
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はい!2024年のあひるちゃんです。いやあもうね、これ。あひるちゃん頑張った案件。あひるちゃん、これまでの人生の中でも指折りの頑張った案件です。外の人への訴えをね、頑張った。よく言った。よく言えた。
で、この話、続きがあるのです。また後日アップします。
■妊婦健診で実の親と疎遠なことを助産師さんたちに執拗に心配された話、後日談
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関連あひる
「虐待の世代間連鎖はわずか3割」について。
■2017-06-05 NHKあさイチの特集『DV家庭の子どもたち』を見て思ったこと、「子供に虐待をする親は、自身も親から虐待されていたケースが多い」というのは本当だろうか?
何と自分でもすっかり忘れていた!友人から聞いた話を、だいぶ核心的なことを書いていた!
これについてはちょっと、改めて別記事にまとめ直そうと思います。色々派生話がある。
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元家族関連
■2024-06-13「大学に入ってバイトするのは馬鹿だ」[まじめに][機能不全家庭]
■2024-06-17 産着を絞っていた一瞬で思い出したこと[まじめに][機能不全家族]
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■2021-06-16 私の中に母がいる [実母との確執と救いの話1][機能不全家庭][まじめに]
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妊娠、分娩関連シリーズ
■2024-05-19 生殖医療を受ける日々、序章 [生殖医療の記録0][まじめに]
ご無沙汰しております。
shortnoteで読んでいた時も、胸がキュッと閉められるような感覚で、助産師のMさんが聞き取りしてくれた時「ああ良かった……」と。そうか、2017年だったのですね、この記事。
続きまた読ませてもらいますね。
へなちょこさーん!
ご無沙汰しております!でもnote読ませて頂いてるのでそこまでご無沙汰でもない感もありつつ!コメントありがとうございます…!
ほんとに…ほんとに改めて、shortnoteでへなちょこさんから頂いた励ましのお便りにほんとうーに文字通り励まされる日々でした…いい場所でしたね。
そう、2017年でした。7年経ちますねえ。shortnoteを書き始めた頃2〜3歳だったうちの子も早10歳。へなちょこさんの娘ちゃんも、今6年生かしら?
私、へなちょこさんの不思議話すごく好きなんです。なんていうか、人の優しさや、脆さ、悲しみ、生きたい、生きたかった、という、心が現象として形になったような、というのか。本来であれば誰の目にも見えるわけではないものを、へなちょこさんのような鋭敏な人がキャッチして、それを私たちに語り聞かせてくれているんだなあ、と。そんなふうに思えて、怖い話でもなぜか読むと元気が出るんですよね。