「大学に入ってバイトするのは馬鹿だ」[まじめに][機能不全家庭]


<3月のライオン 10 羽海野チカ/amazon>


ひとつ前の実母の残念な話を機に…、自分が生まれ育った機能不全家庭についての話をもう少しここに載せておくことにします。全然楽しい話じゃないから迷ったのですが…、ただ、まもなく公開する予定の「妊婦健診中に実母と疎遠なことをやたら心配されて傷ついた話」とも無関係ではないので、やっぱり記しておこうかと。

数年前に閉鎖になってしまった日記サイト『ShortNote』に、初めて投稿した思い出深い記事です。5000字(公開当時より加筆)。

すっごく雰囲気の良いサイトで、長く続けたこのブログに自分の暗い原家族の話を公表する勇気がまだ持てなかった2016年当時、おそるおそる書き出してみたらたくさんの「ハート」や温かい「励ましのお便り」をもらえて、こういう辛かった記憶や体験について書くことは、決して後ろ向きなばかりではない、自分が癒されるだけでなく、似た境遇を知っている誰かを励ましたり慰めたりすることもできるんだ、と教えてくれた場所でした。

そこでの数年のやりとりがあったから、自分のホームであるこのブログにも書こうと思えるようになって、ここ数年怒涛の自分史幕を開けるに至ったのでした。

2024年の今読むと、無知で未熟だな…と思ってしまう描写もあるのですが、当時の自分が20歳頃のことを正直に綴った文章なので、魚拓的に残しておくことにします。お付き合いいただけたら嬉しいです。

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■「大学に入ってバイトするのは馬鹿だ」

『3月のライオン』の最新刊(10巻、妻子捨男のあたり)を読み返していてふと思い出した。何年か前、ネット上で「大学生になって時給の安いバイトをする奴は、親が金で買ってくれた貴重な時間を安く切り売りしているようなものだ」といったツイートがたくさんの支持を受けていて、複雑な気持ちに、いや、すごく嫌な気持ちになった。自分がまさに大学時代、安い、いや、自分にとってはごく普通の時給のファーストフードのアルバイトに明け暮れていたから。そんな自分を真っ向から否定されたように感じたからだ。

同じことを当時の彼氏(のちのオット)からも言われたことがあった。そろそろ就職活動の準備をする時期なのに、連日連夜バイトで時間を埋めているのはいかがなものかと。うちの親は、そんな時間があるならその分の小遣いはやるからもっと自分のためになることをしろと言うよ、と。今の時期にしっかりと将来のことを考えておかないと、この先の人生、向かない仕事に就いてしまったら辛いものになる、そうならないために何かできるのは今なんじゃないの、そんな誰がやってもそう変わらないような仕事に時間を浪費していていいの、と。

叫び出しそうだった。
私がなぜバイトに明け暮れていたかというと、機能不全だった家庭から一刻も早く逃げ出したかったからだ。

早朝から夜学の始まる夕方まで8時間働き、時には講義が終わってから深夜までの遅番のシフトにも出た。1000円以下の時給で月に10万以上稼いだ。働き詰めればそれだけ家にいる時間も合法的に減らせるし、自立資金は貯まるしで一石二鳥だった。一刻も早く、一円でも多くお金を貯めて家を出たかった。焦っていた。揚げ物油にまみれて急き立てられるように働いた。都心に住んでいたため高校卒業で実家を出るという選択肢も発想もまるっきりなく(大学に入ってから地方出身の友人ができて、ちょっと遠くの高校に通うために一人暮らししてる人けっこういたよ、と聞いてびっくりした。高校生の一人暮らしなんてマンガの世界の話だと思い込んでいた)、何より親が許さない。大学卒業と同時の就職が最初で最後のチャンスだと思っていた。
母からは就職したら家賃として家に5万円入れろと言われ(当時の相場は2〜3万だったのでぎょっとした)、バイト代を勝手に引き出されたこともあった。金額は7万円で、パチンコの軍資金だ。すぐさま暗証番号を変えたら通知ハガキを開けられ、すぐ返したじゃないの、あんたは親を信用しないのかと泣かれた。その他に数千円から数万円の面と向かっての無心は日常茶飯事で、家を出て就職してからもしばらく続いた。あたしよあたし、何時までに何万円振り込んで!いいわね!?とよく母が留守電に吹き込んでいた。親が子供にオレオレ詐欺。詐欺じゃないのがしょっぱいところだ。

あなたの親は!そんな時間はもっと自分のために使え、その分の金なら出すからと言ってくれるかもしれないけど、私の親は!そうじゃないの!と叫びたかった。でも言えなかった。そんな育ちの悪い人間だったのかと軽蔑され、離れていかれるのが怖かったから。

時々学校の友人などに話の流れで早く一人暮らしがしたいと言ってみても、わがままで子供だなあと呆れられたりした。どうせすぐ寂しくなるよ、風邪引いたりしたら心細いじゃん、そうしたら親の有り難みがわかるよ。子供の頃から体調を崩すと母に怒鳴られた。シフトを休まないといけないせいで収入が減る上に病院代までかかる、大損よ!と枕元をのし歩きながら怒鳴るので咳や腹痛、熱などの体調不良を隠し、平気そうに振る舞った。高校生くらいになるとこっそり保険証を持ち出して一人で病院に行き、小遣いで薬を出してもらって隠れて飲めるようになったので治りも早くて有難かった。子供の医療費無償化のニュースには、当時の自分のような思いをしている子供がきっと助かるだろうと思った。
大学の頃には母がパチンコ依存症になって家事をほとんどやらなくなったので洗濯も食事も自分の分は自分でやった。(ここで家族の分までではなく自分の分だけ、というところが子供だったなと振り返ると思うが。それまでの20年ほど、働きながら一人で家事をやり続けていた母に対する感謝の念が希薄だったことも)

親から離れるための金を貯めようと必死ではあったけれど、大学の授業料を払ってくれていたのは親で、それを理由に声高に恩を着せられることもたびたびあったとはいえ(声高に、というのが比喩じゃなく、文字通り怒鳴るのだ。20分ほど)、自分にかかった学費や養育費を返さずに、やられた嫌なことだけを数えてひどい親だったんだ、だから家を飛び出して縁を切るのも無理もないんだ、と自分に言い聞かせるようにしても、結局は借りがあるのは事実で、ただの甘えなのではないか、という思いが、家を出て20年近く経ち40歳を過ぎた今も消せずにある。目を逸らしたいそういう気持ちを、あの”名言”は引っ掻いてくる。

あの名言も、当時の彼氏が言っていたことも、正しすぎてつらくなる。では私はどうすれば良かったのか。家を出ることを最重要課題として据えた就職活動だったので、一も二もなく転勤職で、それに加えて家賃補助や光熱費補助などの福利厚生がしっかりしているところ、としか考えず、条件の合う会社で最初に面接が通り始めたところに決めてしまい、今から思えば自分にまったく向いていない職種で身体を壊して2年もたずに辞め(言い訳のようだが私の前任者も入院、風の噂では後任者も二人連続で入院したので仕事が今で言うブラックだったのは間違いなさそうだが)、働くこと自体が怖くなってそれ以降簡単なパートしかできず、一時は家賃や光熱費の引き落としに残高が足りるかどうかと怯える日々だった。一度別れて(あの正しすぎる説教も遠因)社会人になってからもう一度付き合い始めていた彼氏の職場近くに引っ越す代わりに家賃を補助してもらうのをきっかけに、そのまま結婚して以来10年以上子なし専業主婦というニートのような存在、と自分を卑下するようになってしまったのも、そもそも自分の人生にとっての仕事とはどういうものか、真剣に向き合うべき時期に向き合わずにきてしまったせいなのか。そのせいでこんな乾燥機を開けた瞬間出てくる埃のすじのようなうっすらとした社会人歴しかもたずに40過ぎまできてしまったのか。

今も産まれた子供が2歳を過ぎても(※2016年当時)、実の親にはまだ伝えていない。そもそも子供がほしいと思えるようになるまで気が遠くなるほどの苦痛をくぐり抜けてきて、出口があるのかないのかわからないトンネルの中を這うようにして、やっとサバイブした(あるいはそう思いたい)ところで、慣れない育児で普通の人だっててんてこまいになるんだからそんな心身ともに弱っている時に元家族みたいなエネルギー吸い取り系の人たちと会う気がしない、報告したいとひとつも思えない、と思い続け、本当にそれでいいのか?と折に触れて自問もし続けて2年以上、妊娠中から数えると3年以上経っている。そんな折、『3月のライオン』の妻子捨男のような話を読むと、ああ、血が繋がった家族でも、実の親でも、こういう人間っているよね、こういう人のもとに親子関係として生まれ落ちてしまうこともあるよね不運にも、不運、だったと思って全力で逃げ続けていいんだよね、私のせいじゃないよね、基本逃げていいんだよね、時に不安になったり、罪悪感に苛まれたりもするけれど、そのたびに零くんみたいに「いやいやありえないんで」って自分に言ってあげていいんだよね、と思いを新たにすることができ、勇気をもらえる。

それはとても悲しい、実の親のこと、生まれ育った家のことをそんなふうにしか思えないのはとても悲しいことなんだよなそういえば、ということをもうたまにしか思い出さないでいられる、そのくらい日常が幸せで、幸せが当たり前で、なんて贅沢なことだろうとたまに目が眩みそうになる。のちに結婚して出会ったオットの両親は、オットから聞いていたイメージよりずっとフランクで、そしてずっとずっと素敵な、フェアで温かい人たちで、家を出て結婚して、このうちの子供になれて良かった、と心の底から思う。はじめからこんなおうちに生まれていたら人生前半のあの理不尽な苦しみの日々はなかったのかと思うと心がねじ切れそうなほどの悲しみに襲われそうになるけれど、このうちの子供になれたおかげで、私は自分が子供でいるのをもうやめよう、親になろう、と思えるようになった。感謝してもしきれない。そこから時間もお金もかかったが子宝にも何とか恵まれた。これが幸せ以外の何であろう。

ーーーずっと読んできたshortnoteを、衝動的にやっと書いてみたら超ド長文の自己紹介みたいになってしまいました。最後まで読んでくださったかた、ありがとうございます!!

(追記)たくさんの人に読んで頂けて、温かい反応を頂けて、驚きと嬉しさを感じています。と同時に、落ち着いて読み返してみて、就職の話が投げっぱなしなことにやっと気付きました。就職がうまくいかなかったのはもちろん親のせいではなく、ただ単に自分の認識や覚悟が甘かっただけだと自覚、反省しています。はてなや小町だったらきっとそのような厳しい指摘が押し寄せそうなのに誰もそんなこと言わずにいてくれるshortnoteは優しい世界だなあ、とありがたく思いました。本当にありがとうございます。
(追記以上)

(2016年9月21日)
(初出:shortnote)
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はい。2024年現在です。
えー、そんなわけで。
こんな私が、心から敬愛するオット母介護まっただなか次男事変勃発だったのですよ…。種明かしと言いますか。伏線回収といいますか。そう考えるとどれだけ特級呪物クラスのストレスだったかと、改めてしみじみしました。そりゃ20年の結婚生活まで根底から揺らぐよなと。もとの地盤がゆるいから

それにしても2016年、わずか8年前の自分は実の親との連絡を断つことにまだ随分と躊躇いと罪悪感があるようだ。今でもまるっきりないわけではないけれど、にしてもこの後2019年に実父が2022年にはオット母が亡くなりオット父は2009年に他界しているので、残る親はいつのまにか実母一人になっている。それでも交流する気にはなれないままです。私は今年49歳になる。実母が49の時、私は21。ちょうど上に書いた学生だった時か。不思議な符号。やはり今、こういったことを改めて考えてみる時期なのかもしれません。読んでくださってありがとうございました。

それから、「学費を親に払ってもらう」のが当時当たり前だったのは贅沢だったな…と改めて思い、奨学金について調べてみました。次の記事に書きます。

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関連あひる
いわゆる「まじめに」シリーズの、このブログ上での幕開けと言えるのはこれかな。おそるおそるアップしたらコメント欄が!応援の嵐になって本当に感激しました…皆さんありがとう…

2017-12-01 [真面目に] 『コウノドリ』子宮摘出の回と、P&Gの「お母さんありがとう」CMに思う

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ひとつ前の記事
2024-06-12 ドラマ『燕は戻ってこない』で思い出す、実母の成人式の思い出 [機能不全家庭]

実母について
2021-06-16 私の中に母がいる [実母との確執と救いの話1][まじめに][機能不全家族]

実父について
2021-04-21 ドラマ『生きるとか死ぬとか父親とか』2話を見て思い出した、実父の葬儀の話 [家族の重い話][真面目に]

2022-10-06 NHKあさイチ『毒親と離れてわかったこと』に励まされたり考え込んだり [まじめに][機能不全家庭]

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羽海野チカ先生関連。いつも何かの扉が開いちゃってるな…
2006-09-12 好きになってよかったと、思わせてあげたかった ~ハチミツとクローバー10巻

2018-12-17 羽海野チカ『ハチミツとクローバー』コミックス未収録話をkindleで!


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“「大学に入ってバイトするのは馬鹿だ」[まじめに][機能不全家庭]” への4件の返信

  1. まず思ったのは、あひるさんが今のあひるさんになるまでに、気の遠くなるような努力をしてきてくれたんだ、という気付きでした。
    どんな家庭に生まれるか、どんな育ち方をするかは子供には選べない。
    親にも、それこそ大人にもなれない場合だってあるでしょう。
    でも、あひるさんは頑張ってくれた。
    おかげで私もこのブログに出会えました。
    ありがとうございます。
    確かに考えの甘さや世間知らずな所もあったかもしれないけど、あひるさんは生き延びる為に、その時々でできる事を必死にやってきたのだと、私には思えます。
    顧みて、もう少し頑張ろうよ自分…。
    ちょっと声優・浅野真澄さんの事を思い出しました。
    家族や親戚に搾取されながらも、それをラジオのネタにしつつ生き抜いてきた彼女に、あひるさんが重なったかも。
    どちらも年下の、文才のある、しっかりした考えを持つ大人の女性。
    誤魔化さずちゃんと言葉にしてくれる所も、大好きなところです。

  2. k.satさん
    うっありがとうございます…!そんなふうに思っていただけて、すごく救われます。
    生き延びる為に、その時々でできる事を必死にやってきた、確かにそうだったんだろうな、と最近やっと思えるようになってきたところです。
    k.satさんもきっとこれまでたくさんの努力をして、十分頑張ってこられたんじゃないかと勝手に思っています。そうでなければいつもこんな想像力に溢れた温かいコメントをくださるはずがない。本当にありがとうございます!
    浅野真澄さん、お名前くらいしか存じ上げませんでした!調べてみよう。

  3. 想像力あるのかしら。
    あひるさんの文章が持つ力が凄くて、いろいろ考えさせられるのに、結局はストレートに、響いたままの事を脳直で書きこんでいる気がします。
    あひるさん自身が人に優しいから、それを映す私のカキコミもそう感じられるのかも。
    だとしても、あひるさんに褒めていただくの、めっちゃ嬉しい(照)
    浅野さんは好き嫌いが分かれる声優さんですが、人間としての器が大きいというか、本当の意味で自立した女性だと思ってます。
    でも可愛らしいんですよ!

  4. k.satさん
    ありがとうございます…!文章の力…k.satさんに褒めていただけると私も嬉しいです。すいませんいつもまとめきれずにてんこ盛りで…
    響いたままの事を書き込んでくださっていていつものコメントなら、すごくストレートに伝わっている、受け取ってもらえている、と言うことなんじゃないかと思うので、すごく嬉しいです。すごく。

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