はい。ええと、NHKドラマ『燕は戻ってこない』を機に、ここ数年綴ってきた自分史的なものを少し進めようかと思います。不妊治療をしていた時期の話です。
2009年から妊娠を望み、一年後の2010年には流産、その後2年ほど、生殖医療のクリニックに通った話を、もう少し詳細に。なんでかというと、人生で何度か訪れた、価値観が転換した時期のひとつだったから。すごく色んなことを知ったし、考えたので、書き記しておきたくて。
その後、2014年春に第一子を産むところまでこぎつけたものの、分娩直後に胎盤トラブルで大変なことになった実体験も含めて、ここ数年で急に表立って話題にされ始めた代理出産も卵子凍結も、危険を伴うものだと身を持って痛感したため、そんな簡単なものじゃないです、と伝えたい、という気持ちもあります。
例によって、当時書き残したメモや文章を元に再構成していきます。情報としてはもう10年以上前のものなので古く、あまり有用ではないと思いますが、自分史なので自分の身に起こったこと、考えたことを記録しておくことがこの文章の目的です。内容も物量もきっと重くなってしまいますが、お付き合いいただけたら嬉しいです。4000字。
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まずは、2013年(妊娠中)に下書きした箇条書きをもとに、2019年(子供が5歳の頃)に加筆修正した文章を載せます。全体の流れがまとまっているので、序章として。
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■生殖医療を受ける日々
2年ほどの間にいろいろあった。簡単に経緯を書いていってみる。
■2011年10月
前回の妊娠から1年経過したのをきっかけに、不妊症の検査を受けに行く。
最初に、あれこれ検索して見つけた比較的近くの専門クリニックに意を決して電話してみるも、なんと初診の予約は2ヶ月待ち!出鼻をくじかれて呆然。
しかも、「うちに通い始めるのなら確実に妊娠するまで通い続けていただくことになりますが、よろしいですか?」と、やや高圧的に聞こえる言い方で言われる。え、そんなのわかりません。これこれこういう経緯で、妊娠能力に不安があるのでまずは検査をしてもらって、その結果によって、不妊治療に継続的に通うかどうかを決めたい、だから今すぐ妊娠するまで通い続ける、と約束することはできません…と正直に伝える。
すると受付の人も(50代くらい?の女性)少し態度が軟化し(たように思えた)、そういうことでしたら、うちよりもまずは別の病院で検査を受けられてはいかがでしょうか、とアドバイスをくれる。そうします…。
電話を切って、なんだか、不妊治療ってここでハイ!妊娠するまで通い続ける所存です!と即答できるくらいの覚悟がないと、検査すら受ける権利もないってこと?私みたいな考えでは甘すぎるの?と心細くなり、しおしおしてしまう。
結局もう少し探して、予約の必要がなく、それほど混んでもいないという口コミのクリニックに行ってみることにした。沿線で、よく買い物に行く好きな街にあることも嬉しかった。どうせ通うなら少しでも気持ちが弾む方が良い。(結果的にあまり良くないクリニックで半年以上無駄にしてしまったが)
私の卵巣や卵管、オットの精子などいずれも特に目立った要因は見つけられず。特にオットの結果がWHOの定めた平均値からかけ離れたフリーザ様のような数値をたたき出しており、先生も半笑いで「大変優秀ですね。…大変優秀です」二回言った(本当)。
生理周期ごとに、3回タイミング、6回人工授精を試して、妊娠しなければ体外受精を推奨、とシステマティックにとんとんと予定を立てられ、とりあえず通い始める。
■2012年3月3日
タイミング2回を経て、人工授精1回目。この日は9回目の結婚記念日で、3に縁の数字が並んで縁起が良いと思ったが(全然科学的ではないが、気の持ちようも大事だからいいのだ)結局妊娠には至らず。それでも明るい良い天気の一日で、春の土曜の賑やかな街を幸せな気持ちで歩いたのをよく覚えている。
(ちょっと追記:タイミング法というのは、女性側の血液検査をして排卵時期を予測し、指定された日に”タイミングを取る”=性交をする方法。人工授精は、同じく排卵時期に合わせて、男性側から予め採取した精子を子宮内に注入し、子宮内での受精を待つ。その次が体外受精。卵子を体外に取り出し、精子をふりかけて受精を待ち、受精卵の状態にしてからお腹に戻す。その次が顕微受精。取り出した卵子に、精子をひとつ選んで顕微鏡で覗きながら直接注入し、細胞分裂が起きるのを待つ。ひとくちに「不妊治療」と言ってもこんなに段階があることを初めて知った。知ってから見ると、報道やフィクションでは「人工授精」と「体外受精」「顕微受精」を混同しているものも多いです)
■2012年4月
超初期流産(化学流産)と思われる状況になる。生理が一週間遅れ、検査薬がうっすら陽性になるも、クリニックで確認してもらう前に生理と同じような出血がある。
不育症の検査などをしてもらえないか訊いてみるが、気にしないで大丈夫ですよ、としか言われず。初期流産はよくあること、まして化学流産というのは僕ら生殖医療の業界では流産に数えない、と。それにしても二度に渡り流れてしまったわけで、このまま漫然と次の妊娠を待っていいのか不安になり、結局病院を替えることにする。
■2012年6月
いろいろ調べて、AMH(卵巣年齢数値)を調べてもらえる病院を探し、予約待ちを経て、普通の産科、婦人科と不妊治療外来を併設している比較的大きめのクリニックに行く。結果、とても悪い数値が出る。数値としては最低ランク。
ただ、2回妊娠しているので、もう半年ほど自然妊娠を待ってもよいのではないか、あるいはタイミング・人工授精ではほとんど意味がないので一足飛びに体外受精をおすすめする、と言われる。
基礎体温によるタイミング法を試しつつ、不妊治療自体を続けるかどうか考える。院長先生(50代前後?の男性医師)から甚だしいセクハラ・ドクハラ発言をされた(別記事にて後述するかも)のと、電車の便が良くなかったのでここに通う選択肢は無し。
帰り道、予想だにしていなかったとても悪い結果に呆然とし、深くショックを受ける(後述するかも)。
■2012年9月
いくつかの生殖医療クリニックがおこなっている体外受精講習会に出かける。どこも混んでいて一ヶ月待ちなので、講習会を受けるだけでも時間はどんどん経過する。一つのクリニックで、採卵の痛みを避けるため麻酔をかけてもらえないのか質問しても、できないと言われる。「個人差がありますから、人によってはほとんど痛みを感じない場合もありますよ」と励ますように言われるが、ではものすごい痛みを感じる側だったとしても何もしてもらえないのかとゾッとする。ここは無し。
結局2時間に及ぶマニアックかつ親切な講習をおこなってくれた、恵比寿のクリニックに初診の予約をお願いする。採卵にも麻酔使用。やはり一ヶ月待ちで、10月から通院開始。偶然にも以前友人が教えてくれた病院で、彼女の友人数人がここで妊娠したらしい。
■2012年10月
恵比寿初診。院長先生とお話する。AMHが低いことと、二度の流産は無関係ではないと思う、また生理周期の時期的に見ても内膜が薄めである、と言われる。年齢的にも決して若くはないが、今のうち(36-37歳)なら体外受精の成功率も高いので(と言っても3割)、早めの体外受精を勧められる。これまでの病院で「まだ若いからもう少し自然に任せても」と言われてきて、それでも妊娠しないのが不安かつ不満だったので、危機感を持った対応をしてくれて納得、安心する。
少しでも早く採卵できるように、ピルで生理周期を前倒しに調整。
■2012年11月
採卵0回目。残留卵胞があったため採卵を中止、残留卵胞吸引措置を受ける。採卵なら20万以上かかるがこの場合保険適用になるので数万円で済む。措置は採卵とまったく一緒で、全身麻酔。夜寝るのが苦手でいつも入眠に時間がかかるので、麻酔のてきめんな効き目に感激。
■2012年12月
採卵1回目。無事に卵が3コ取れて、うち2コ受精、凍結。アルファ、ブラボー。
■2013年1月
採卵2回目。麻酔措置を受けるも、空胞で卵子取れず。
■2013年2月
ホルモン数値が良くなく、ピルにより2週間後に生理周期調整。
■2013年3月
採卵3回目。2コ取れて2コ凍結。チャーリー、デルタ。
■2013年4月
採卵4回目。1コ取れるも受精せず。5万円の返金。
受精グレードの卵子がこんなにも取れないとは。これは野良では妊娠しないはずだ(言い方)と改めて思う。高度生殖医療のお世話になれて良かった。
凍結胚の貯金4コ。次は移植に移行することにして、ホルモン調整のため1周期あける。これを利用し風疹の予防摂取を受ける(2周期あける必要がある)
■2013年6月21日
移植1回目。3月の2コを戻す。
■2013年7月5日
移植2週間後、クリニックの血液検査で妊娠陽性反応を確認。
(2013年6月末、下書き)
(2019年2月、加筆修正)
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はい!ここから2024年のあひるちゃんによる追記です。うーん色々あったね。でもまだ序章だったなーと振り返ると思います。
凍結胚(いわゆる受精卵)が十分な数揃うまでに半年以上かかってるんですね。健康な女性なら一回の採卵で10個くらい取れるのに、私は1個も取れなかった月もあった。取れたけど受精せず、返金してもらった月もあった(返金があるかどうかはクリニックの規約によると思います)。ここまで週に何度も採血(両腕注射の痕だらけで、半袖着れない夏もあった)、そして毎月のように麻酔しては採卵。
『燕は戻ってこない』の内田有紀さん演じる悠子も、夫の精子には問題ない、自分に原因があると言っていたので、おそらく私と同じようなことをやってきたんだろうな、と思います。
一度ダメだったから心拍確認できた後もすごく不安だったし、色々やることがありました。生殖医療クリニックでも、妊娠中もしばらくホルモン剤を出してもらったり。分娩病院の予約のために見学行ったり、渋い顔されたり…。その辺の話もまた別途まとめたいです。不妊治療って妊娠したら終わりじゃないんですね。私も知らなかった。
この後の予定。順番前後するかもですが。(順次リンクを追記していきます)
・妊娠しにくい体質だと告げられた時のこと
・セクハラドクハラ発言を受けた(怒り爆発エントリ)
・オットくんと不妊治療(ネタです)(ほんとか!?)
・「妊娠初期の不妊治療」と「分娩病院探し」
・不妊治療中に嬉しかった義母の言葉
・不妊治療中に嬉しかったマッサージの先生の言葉
・不妊治療をやめる人たちを支える「卒業生の会」の話
・妊婦検診で、実母と疎遠にしていると言った時の助産師さんたちの反応に傷ついた話
・産後一ヶ月健診に、福祉センターの保健師さんが付き添ってくれた話
・凍結胚を破棄した話
・うちの子がこれを読むなら
こんなかんじで!
ここまで書けたら、妊娠出産にまつわる自分史はひと段落です。がんばります!