妊娠初期の不妊治療について、院長先生の何気ない一言が嬉しかった話 [生殖医療の記録4]

シリーズ生殖医療の記録、ちょっと小休止的なお話です。
生殖医療のクリニックには、不妊治療中だけでなく、妊娠成立した後にもしばらくお世話になったのです。そんな話も書き残しておこうかと。

病院選びがまず大事、という話をここに入れようとしたら以前書いていたので、詳しくはこちらをどうぞ。

2018-02-14 [真面目に] ドラマ『隣の家族は青く見える』で思い出した、自分が不妊治療に通い始めた頃のこと。病院選びがまず大事。

先生との相性や、クリニックの方針と自分の希望との兼ね合いなど。千差万別なんですよね…知らなかった…。
私も、なんだかんだでしっかり治療に通ったクリニックは2軒かな?検査だけの病院も含めると3〜4軒になるかも。病院を替えるって大変ですよね。それだけでストレス。ドクターショッピングなのかセカンドオピニオンなのかの見極めって困難だし。それに、選べるほど病院やクリニックがあるのは一部の都心だけで、地方だと選択肢自体が少ないという実情もあるので一概に勧められるものでもないのですが。ただ、不審感や不安も人にとって大事な感覚だし、思い切って質問してみるなり、他の病院を探すなり替えるなりのアクションを起こすのも、やはり自分にしかできないことなので。自分を大事にしてもらいたいなと思います。難しいからこそ。

さて。妊娠初期も生殖医療(不妊治療)のお世話になったことについて、2018年に書いたメモをもとにお送りします。3300字。

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■2013年7月5日
陽性反応

凍結胚移植1回目の2週間後、クリニックの血液検査で妊娠陽性反応を確認。

30代後半の体外受精成功率は三割とのことなので(うなるほどお金と手間がかかる割に低い)、3回に1回は当たり、2回は外れということになる。あまり期待せず、次の周期はまた移植にしようか採卵をもう少し続けてストックを増やそうか、と考えていたので、先生から「おめでとうございます」と言われてもピンとこず。この時点で4w3d(妊娠4週と3日目)。

移植周期開始から使っていたホルモン剤を、内膜の厚み維持などのため継続して使う。妊娠したら終わりかと思っていたが、6月頭から8月頭まで2ヶ月間、2~4種類の薬を毎日続ける。

中には、朝目が覚めてから起き上がる前に膣内に入れる膣剤もあった。起きてすぐもそもそとま○こにぐいっと。しばらく安静にしてから起き出す生活。飲み薬や貼り薬も含めて、妊娠初期の不安定な期間を薬で底上げしながら過ごせたおかげで、無事に安定期、分娩までこぎつけたのかもしれない。改めて先端医療に感謝。貼り薬で肌が荒れるのがつらかったな。大体同じような場所に貼らないといけないので、ローテーションで少しずつずらして貼るから結局だんだん荒れてる範囲が広くなっていく。私はそのくらいで済んで良かったのだが、排卵誘発剤でずっと吐き気や頭痛、倦怠感が続く人もいると聞く。辛い。

■2013年7月
院長の温かい一言

その後、恵比寿に毎週通院、エコーで5週、6週と胎嚢確認。本来は7~8週の心拍確認までして卒院・分娩先へ転院だが、恵比寿の改修工事休業に入るため早めに卒院。

1度目の妊娠、流産の手術をした総合病院と、もう一軒、オット実家の近くの総合病院と、2通の紹介状を書いてもらう。最後の日に院長先生にお礼を伝える。一回目で妊娠しましたね!と喜んでもらえる。凍結胚も残っているし、2人目もよろしくお願いしますとご挨拶。この時はそのつもりだった。(のちに不可能になってしまったが

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(2024年5月追記)
本格的に通う前の体外受精の説明会(2012年9月)で、印象に残っていることがあります。2時間に及ぶ長い解説の最後に、院長先生が少しご不便をかけるかもしれませんが、来年夏に改修工事に入ります、と説明してくださったのですが、その時さらりと「まあその頃には皆さん卒院されていると思いますが」と!付け加えたのです。来年夏には皆さん妊娠していると思う、という意味ですよね!なんて励まされる…!

説明会も、他の病院では20〜30分で終わりだったけれど、ここでは生殖医療の歴史も含めた専門的で科学的な、とても興味深い内容だったのもあり、先生のこの「夏には卒院されていると思いますが」の思いやり滲む一言も決め手になり、ここに通うことにしたのでした。そしてこの日は、本当に改修前に卒院になったな、と思いました(そうでない患者さんも多くいたと思うのですが)。(追記以上)
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■2013年7月
心拍確認と産院選び

7週で1度目の流産の手術をした病院、8週でオット実家近くの病院で検査してもらう。はじめはどちらからも「通っていた生殖医療クリニックで診てもらってくれ」と言われるが、改修工事で閉院中であること、過去2度流産しており、1度目は6週で成長が止まっていたのに10週まで診てもらえず気づくのが遅れたため今回は早めに確認してほしい、と伝える。もう引き下がらないぞ。

前回の病院では、前回の妊娠時の診察券(カルテ)があったからかもしれないが、事情を話した分院クリニック受付の医療事務の若い女性が親身に対応してくれて、婦人科の医師に話を通してくれて、無事に診察を受けることが出来た。前回妊娠時に総合受付の医療事務の年配の女性にひたすら迷惑そうに応対されたおかげで印象が悪かったが(初診を受けていない人は患者として扱えない、診察もできないと言われた)、人の当たり外れもあったのかもしれない。

7週、8週の両病院ともに、心拍も確認でき元気に育っていると言われほっとする。色々考えたり、分娩入院説明ツアーに参加したりして、前回の入院の時に感じた売店が閉まるのが早くて困ったことや設備の古さ、一方、オット実家近くの病院は母が入院した時連日通って、設備は古いが前回の病院よりも規模が大きく、分娩室や陣痛室の数も多く、院内にチェーンコーヒーショップや24時間のコンビニがあることなどが決め手になり、後者で分娩予約を取る。これが正解だった。(まさか5日のはずが3週間も入院するとは

■2013年8月
新型出生前診断

この年の4月から試験的に開始されたばかりの新型出生前診断を受けることにする。あちこち予約を取ろうとするも電話が全く通じず苦労する。分娩予約をした総合病院での10週健診(妊婦健診第一回目)の際に医師に訊いてみたところ、病院を通しての予約も電話が通じずほぼ不可能とのこと。個人で予約が取れて、都内から通える隣の県の病院を勧められ、連絡してみたところキャンセル待ちで即日説明(遺伝カウンセリング)を受けにいくことになる。オットと二人で出かける。

遺伝カウンセリングから2週間後、11週を待って採血、結果が出るまでにさらに2週間待つ。結局8月のほとんどを、結果が出た場合どうするかについて悩みながら過ごす。オットともよく話し合う。

■2013年9月
結果は陰性、でも罪悪感が押し寄せる

新型出生前診断の結果は陰性。二人で隣県まで結果を聞きに行く。検査を受ける前も後も、「遺伝カウンセリング」といっても1時間ほど医師が一方的に説明をするだけで、その内容もほぼすべて病院のサイトの解説ページと同じで既知のものであり、カウンセリングの意味はあまり感じられなかった。

オットとの話し合いにより、結果によっては妊娠中断もあり得る、と一ヶ月間思いながら過ごしたため、陰性だったからといって手放しに喜べるものでもなく、中の人は何も変わらないのにこちらの都合で無かったことにしてしまうかもしれなかった身勝手さ、罪悪感などが押し寄せ、帰りの電車で涙する。

二度の流産や、体外受精の成功率、生児獲得率(無事に産まれるまで育つ確率)などもあり、妊娠状態がこのまま継続されるか不安だったことに加え、自分たちの意志で中断する可能性も考えたことから、子供ができた喜びを素直に感じることはこの時期はまだなかなかに難しかったように思う。結果が出た頃は妊娠13週。4ヶ月。

(2018年3月下書き)
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はい。うん、そうなんですよね、新型出生前診断も実は受けて。んーーーーこれに関しても…人に言えなかった。罪悪感がすごくて。この辺の話も、そのうちにできそうだったら書くかもしれません。

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シリーズ生殖医療
2024-5-19 生殖医療を受ける日々、序章 [生殖医療の記録0]

2024-05-20 不妊治療で妊娠しにくい体質だと告げられた時のこと [生殖医療の記録1]

2024-05-21 不妊治療のクリニックで受けたセクハラ、ドクハラについて [生殖医療の記録2]

2024-05-23 オットくんと不妊治療(ネタです)[生殖医療の記録3]

・「妊娠初期の不妊治療」と「分娩病院探し」(この記事)

・不妊治療中に嬉しかった義母の言葉
・不妊治療中に嬉しかったマッサージの先生の言葉

・不妊治療をやめる人たちを支える「卒業生の会」の話

・妊婦検診で、実母と疎遠にしていると言った時の助産師さんたちの反応に傷ついた話
・産後一ヶ月健診に、福祉センターの保健師さんが付き添ってくれた話
・凍結胚を破棄した話
・うちの子がこれを読むなら


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