不妊治療で妊娠しにくい体質だと告げられた時のこと [生殖医療の記録1][まじめに]


<胚培養士ミズイロ〜不妊治療のスペシャリスト~(1)おかざき真里/amazon>


はい、シリーズ生殖医療の記録(NHKみ)、前回は全体の流れをまとめましたが、今回はひとつの山場、クリニックで妊娠しにくい体質だと告げられた瞬間の話です。もうね、自分で言うのもなんだけどドラマみたいでしたよ。

例によって、育児中に時間と気力があいた時に書き留めておいた文章を元にお送りします。ラジオの収録回みたい。今読み返すとちょっと拙い部分もあるんだけれど、38歳と42歳の自分の率直な気持ちということで、最小限の手直しで載せることにしました。6500字。

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■不妊治療で妊娠しにくい体質だと告げられた時のこと

34歳でようやく子供が欲しいと思えるようになったものの1年成果が出ず、病院で検査した方がいいんだろうかと悩んでいた矢先、35歳になったばかりの10月にようやく検査薬陽性!しかし4週で胎嚢確認はできたが5週で出血があり切迫流産、自宅で郵便受けどころか冷蔵庫すら見に行かないようにして、食事はすべてオットに買って来てもらって約2週間絶対自宅安静、その後心拍確認ができて歓喜もつかの間、10週の初めての妊婦健診で、子供の成長が止まってしまっている稽留流産が判明し手術。これが35歳の12月だった。

呆然として、とてもとても悲しかったけれど、それでも一応夫婦ともに生殖能力があることは確認できたね、と少し安堵した部分もあり、流産後は次の妊娠をしやすいという情報を信じてまた自己流妊活に戻るも、1年授からず。

36歳の9月頃から本格的に生殖医療の病院を探して通い始め、そこが今思うとろくに検査もしないでベルトコンベア式に進めるだけのよろしくないクリニックで、治療とは関係ない時期に2度目の妊娠、うっすらと陽性反応が出たが生理のような出血。化学流産というらしい。ケミカルアボーション!英語でいうと無駄にかっこいい響き。

それに関してもクリニックに相談し、二度の流産が気にかかるし、このまま治療を続けて妊娠が成立しても育ちにくいのでは意味がないから、不育症の検査などできることはないのかと聞いてみるも、まだ36歳と若い、初期流産はよくあること、まして化学流産というのは僕ら生殖医療の業界では流産に数えない、心配しなくても大丈夫ですよ、と相手にしてもらえなかったので、自分で調べてAMH(卵巣年齢ホルモン)の検査というのがあるのを知り、受けられる病院を探して行ってみた。予約などでだいぶ待たされ、やっと検査できたのが36歳の6月頃。

そこで、結果を聞く時に。

担当の医師がカウンターの向こうで、結果の紙を出す前に

「…大変申し上げにくいのですが…」

と前置きした。

心臓がいびつな音を立てた。

結果の紙を目の前に出され、説明を受ける。

「とても低い数値が出ています」

当時36歳、30代後半だったが、私の数値は6段階ほどあるうちの一番下、「40代後半〜閉経」と書かれている欄に当てはまる、極端に少ない数字だった。

自然妊娠の可能性は極めて低い、と言わざるを得ません、と、説明してくれた私と同年代くらいの女性医師は言葉を選びながらゆっくりと話してくれた。その後、別室で改めて院長からも詳しい説明と今後の治療方針について説明を受けたのだが、この時は信じられないような低俗なセクハラ、ドクハラ発言を連発されたがこれはまた別の話で(40代中盤か50代前くらいの働き盛りの若い男性医師でしたよ残念ながら…しかも院長ですよ…70オーバーの時代錯誤なひひじじい、とかならまだ良かったのですが…)。

そんな腹立ちも薄れるほどに、検査結果が悪かったことが、とても、とてもショックだった。

まさに、「帰り道のことはよく覚えていない」という状態になった。最寄りが普段使わない路線のしかも各停しか停まらない駅だったので行きはずいぶん面倒な道のりに感じ、帰りはもう少し使い慣れた沿線まで歩くことにしたのだが、どこをどう歩いたのか、どの駅にたどり着いたのか、正直よく覚えていない。

ああ、本当に子供ができないのかもしれない。

感じたのは、怒濤のような、罪悪感。そして劣等感だった。
オットに、オットのお母さんに、ごめんなさい、と思った。
オットのお母さんとお父さんが、おばあちゃんが、紡ぎ続けてくれたものを、私が途切れさせてしまうかもしれない。
それは腹の底から冷えるような、恐ろしさだった。
そして、劣等感。
生き物として、劣っているという感覚。
普通の人が当たり前のようにできることが、私の身体はできないんだ。
その、巨大な無力感。消え入りたいような恥ずかしさ。

そんな大きな黒い感情の波に翻弄されながら、その怒濤の心の動きに衝撃を受けてもいた。
不妊治療を受けている人たちは、いや、不妊に関わらず持病がある人たちは、こんな気持ちでいるのか。こんな思いを抱えていたのか。
持病を抱える友人たちが、たまにびっくりするほどネガティブな言葉を口にすることがあり、驚いたものだった。
「私なんて薬漬けだからさ〜」
「江戸時代だったら私なんてとっくに生きてないから」
友人たちは時々自嘲的に、冗談めかしてそんなことを言ったが、そんな言い方することないのに、と内心戸惑った。
だけど、これか、と思った。彼女たちはこういう気持ちだったのか。
健康な人なら普通にできるはずの機能が、私の身体には備わっていない。著しく低下している。
急に世界がよそよそしく遠のいたように感じられた。
孤独感、劣等感、罪悪感。
これか。
これは辛かろう……
彼女たちは、これを長年、ずっと抱え続けてきたのだ。おそらく。身体の不調だけでなく、こんな自分を責めるような気持ちまで。
どれだけ辛かったろう。
私はなんにも判っていなかった。
今だって想像するしかないわけだけれど。
私のAMHが低いというのは、単に卵巣ホルモンの問題で妊娠しにくいというだけであって、当時のところ身体的な不調は特になかった。友人たちのように、時に日常生活にも支障をきたすことがある身体を抱えて10年20年過ごしている人たちの辛さとは比べるべくもない。

だけど、もしかしたらこれに近いものなのかもしれない、と想像することは辛うじてできる。
何か身体の機能に不具合が生じた時、それを告げられた時、人はこんな気持ちになるものなのか、ということが判った、それだけでも、自分の人生にとてつもなく大きな収穫だったと思っている。望んですんなり子供ができていたら、自分にはきっと想像が及ばないままだったろう。これは大変なものだ、と思った。こんな気持ちを、一体世の中どれだけ多くの人が抱えながら暮らしているのだろう。

それからもう一つ、奇妙にホッとしている自分もいた。
医師は、AMHが低いことの原因は今のところはっきりしていない、と言った。生活習慣など、これをしていれば、あるいはしなければ低くならなかった、というようなものではない、と。逆に、これをすれば改善する、という明確な治療法もない現状だ、とも。
それを聞いて、少し安心した。

ああ、それじゃあ、私の何かがいけないわけではないんだ。
これをしていれば、あるいはこれをしなければこうはならなかったかも、とか、そんなふうに自分を責めなくてもいいんだ。

それから、母との関係を清算できていないせいで妊娠できない、というわけでもなかったんだ。

親しくしていた友人がスピリチュアル的な考え方に傾倒していき、ある日言われたことがあった。「あひるちゃんもなかなか妊娠しないのはさ、やっぱりお母さんとの問題が解決できていないから、心の底からは妊娠を望めていないってことなんだと思うよ」と。
強く望めば叶う、という話の例としてちらっと引き合いに出され、話はすぐに他へ流れていったが私の中には突き刺さっていまだに抜けない。(彼女とも長く深い付き合いだったが、私の方も、気づかず彼女を傷つけてしまったことがきっとあったのだろう。色々あって結局疎遠になってしまった)

だけど、そんなの関係なかった。
単に身体の問題だったじゃないか。
私の心が本心では妊娠を望んでいないせい、とかじゃ全然なかった。
あの考え方だと、妊娠しないってことは本気じゃない、ということにされてしまうので、そんな乱暴な、雑なくくり方があるかと憤りを覚えもしたが、何しろ親との確執だ、自分の中では決着をつけて前に踏み出したつもりではあるが、100%清廉潔白に澄み渡っている!と言い切れるものではない。だから「結果が出ていないということは覚悟が足りないのだ」と言われてしまうと否定もできず、悔しいような、歯がゆいような気持ちでいた。

だから、自分のせいじゃない、どうにもならないことだ、と現代医療の最先端、生殖医療の精密検査の結果言ってもらえて、安堵している部分もあった。

ところが、家に帰ってからついつい「AMH 低い」などというワードで検索をしていたら、同じくらい低い数値が出て、同じように医師から何かが悪かったわけではないと言われたという人が、「じゃあどうしてよりによって私がこんな目に遭わなければいけないのか。なんにも悪いことしてないのに!!」と嘆き悲しんでいて、それもまた驚いた。
なんにも悪いことしてない、なんて私、言い切れない!!むしろ思い当たる節がありすぎる!
20代30代の暴飲暴食のせいだろうか。10年続いている昼夜逆転生活のせいだろうか。お菓子の食べ過ぎだろうか酒の飲み過ぎだろうか20代の乱れた私生活のせいだろうか、etc, etc…枚挙にいとまがなさすぎる!
なので私としては「あなたのせいじゃない、どうにもできないことだったんですよ」と言われてホッとしたのだけれど、世の中そういう人ばかりじゃないんだなあ、と思った。ここでホッとできる後ろ暗すぎる人生で良かった。

思うに、いわゆる「不妊様」的な、子供がなかなか授からないストレスを周囲に撒き散らすタイプの人って、それまでの人生がある程度順風満帆だったんじゃないだろうか。思い通りにならないことが初めて起きて、人生設計が狂った!と動揺しているんじゃないだろうか。あるいはそういう人は不妊じゃなくても別の理由でしょっちゅう人と自分、あるいは人と人を比べて上だとか下だとか言っているんじゃないだろうか、ともちょっと思う。いじわるい気持ちで。

私は、人に与えられているものが、自分に与えられていないなんて、ごく当たり前のことだと思ってきた。疑問に思ったことすらなかった。
父が母を殴るとか、母が私を怒鳴るとかつねるとか兄が私に物を投げつけるとか、家族の誰かが常に怒鳴っているとか、ぼんやりと、そうでない両親、そうでない兄弟もどうやら世の中にはいるようだな、と物心ついた頃から感じていた。だけどそれだけだ。どうして私だけがこんな目に、とは思ったことがない。これが自分の置かれた状況で、他がどうかはよく知らない。とりあえず、今あるものでどうにかするしかない。旅人の服と木の棒。持たざる者。初期装備でどうにか。

また、人にはないものが自分に備わっているようだ、と思うこともあった。絵を描くことや文章を書くことを人から褒められたり、時に妬まれたりすると、ああこれを上手にできない人もいるんだな、とわかった。小中学校あたりまでは痩せすぎな体型を気持ち悪いとからかわれたり、好奇の対象にされることばかりだったが、思春期を過ぎると背がずいぶんと伸びて、ある時期から急に背が高くてかっこいいと言われるようになった。それはそれで、そういうものなんだな、人からはそういう風に見えるんだな、と認識した。それで得意になるとか、人を見下すとか?あまり考えたことがない。自分にとっては自分は自分で、一人称のゲームプレイヤーだ。自分の視点で世界を覗くFPS。たまに写真などで自分が他の人たちから頭ひとつ飛び出てるのを見るとでか!と思うだけだ。

(私が身長を気にしないで済んだのは、背が伸びたのが遅かったから、というのもあるかもしれない。体型コンプレックスは、小中学の多感な時期からずっと、心ない言葉や視線に晒されてきた人に多いと聞くから。子供が異質なものに注目するのは無意識の本能のようなものだと思う。それがどれだけ残酷で相手を傷つけるものかを教えるのが大人の役割だと思うが、止めないどころか率先して馬鹿にしたり笑ったりする大人。これがクソ。不妊治療にしろ、子供がいるいないにしろ、みんなみんなみんなそう。同調圧力が当たり前の正義になっている社会がクソ。それさえなければ苦しまずに済む人がどれだけいるか)

数値が低かったことは、とても、とてもショックだったけれど、それは経験できて良かったと思える種類の衝撃だった。
それに、自分で思っていたよりも、自分は図太いのかもしれない、とも思えた。それまで自分はとにかくメンタルが弱くて、人からどう見えるかばかり気にして、嫌われるのが怖くてびくびくおどおどして、それがとても嫌だった。
だけど似たような不妊の状況を自分よりもずっとネガティブに捉えて、人と自分を比べて自家中毒にあてられているような人たちをネット上で垣間見て、自分は、そういう面では人と自分を比べず、強い部分もあるのだな、とわかって、意外だった。

むしろ、自分が不妊体質であることを、ある面で冷静に受け止められたのは、そもそも親との確執があって幼い頃から子供を持つ人生を恐れ、子供を持つことを当たり前とは思ってこなかったせいかもしれない。せい、というよりおかげ、というべきか。
家庭を持ち子供を持つことを当然と思い、そこに疑問を持たず他の選択肢を考えずに育ってきた人が、ある日突然当たり前に手を伸ばした先のはしごを外されてしまったら、私よりもずっと動揺は深いだろう。混乱し、どうして自分が、と運命を呪ったり、周囲を攻撃してしまいたくなったりするのも無理もないのかもしれない。
それから、私が見かけた発言はインターネット上の声にすぎない。不特定多数に向けた匿名の書き込みだからこそ、普通なら人に言わないような後ろ向きな心情を吐露していただけだったのかもしれない。

あるいは、私がまだ冷静でいられたのも、結果的に低い結果が出た1年後という早い段階で妊娠が成立し(このあと本格的に通った別のクリニックで、体外受精が成功したのが37歳の7月)、無事に出産までこぎつけることができたからなのかもしれない。もっと治療が長引き、もっと何度も高度生殖医療にトライしても結果が出ず、もっと金銭も時間も体力も消耗していったらあるいは、どうして自分だけ、どうしてこんなに努力してるのに、どうしてあの人は、と、どんどん黒い気持ちにはまっていってしまったかもしれない。

幸運だったのだ、ただ単に。
いろんな巡り合わせや、偶然に助けられて、ここまでこられたのだろう。あるいははっきりとした好意や、専門医療に助けられて。
本当に有り難いことだと思う。
今妊娠を望む人にも、そして望むのをやめた人にも、その人それぞれの形の幸運と平穏が待っていますように。願わずにいられない。

(2013年7月下書き)
(2017年11月27日)
(初出:shortnote)

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シリーズ生殖医療、この後の予定(リンク随時追加します)

2024-5-19 生殖医療を受ける日々、序章 [生殖医療の記録0]

■2024-05-20 不妊治療で妊娠しにくい体質だと告げられた時のこと [生殖医療の記録1](この記事)

2024-05-21 不妊治療のクリニックで受けたセクハラ、ドクハラについて [生殖医療の記録2]

2024-05-23 オットくんと不妊治療(ネタです)[生殖医療の記録3]

2024-05-24 妊娠初期の不妊治療について、院長先生の何気ない一言が嬉しかった話 [生殖医療の記録4]

2024-05-26 不妊治療中、義母から言われて嬉しかったこと [生殖医療の記録5]

2024-05-27 不妊治療よりも前、オット父に言われたことの思い出(ネタです) [生殖医療の記録5.5]

・不妊治療中に嬉しかったマッサージの先生の言葉

・不妊治療をやめる人たちを支える「卒業生の会」の話

・妊婦検診で、実母と疎遠にしていると言った時の助産師さんたちの反応に傷ついた話
・産後一ヶ月健診に、福祉センターの保健師さんが付き添ってくれた話
・凍結胚を破棄した話
・うちの子がこれを読むなら

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2023-04-25 スプートニクとライカ犬と私の排出された卵子 [まじめに][分娩記録1]


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