家に帰るのがつらくてよく泣いていた若い頃の話(優しい通りすがりさんの続き)、からのクソが![まじめに][機能不全家族]


<僕のヒーローアカデミア 2 堀越耕平/amazon>


自分史ログ、掌編です。

2012年に書いたこちらの記事。

2012-12-25 友人から聞いた、優しい通りすがりさんの話

この友人が、先ほどの妊婦健診で、実母と疎遠にしていると言った時の助産師さんたちの反応に傷ついた話と、虐待の世代間連鎖は本当にあるのか記事に登場した、「虐待する人が自分も虐待されていた割合って、3割程度しかないらしい」と教えてくれた友人なのです。

同じように機能不全家庭からサバイブした彼女から聞いた、優しい通りすがりさんの話を以前書きました。今回はその続きというか、裏話。私も20代の頃つらかったよ、という、元家族にまつわるかなしいお話です。

嘘ごめん書いてったらかなしくなくなったのでタイトルにもクソが!って付け足しました(何が起きるのこれ…?)。4300字。

「家に帰るのがどうしてもつらい時、よく道ばたにしゃがみこんで泣いていたのね」と彼女に聞いた時、わかるーー!!私もやってた!!と思わず手を取りあって泣きました。そうなんですよ、やってたんですよ。帰りたくないな、と思って、街のエアポケットみたいな空間を探してはしゃがみこんでぼーっとしたり、泣いたりしていた。オフィスビルのエントランスのちょっとしたポーチとかね。缶コーヒーを買って、車止めに座って、カセットテープのウォークマンで音楽を聴いたりしていた。自分で編集したお気に入りの曲ばかり集めたテープ。

だとかね、駅前に引っ越してからは深夜に家を抜け出してファミレスで本を読んだりもしたな。紙のランチョンマットの裏に一人暮らしの間取り図を描いたり。ここにベッドを置いて、ここにタンス。出窓があったら嬉しいなー、とか。20歳からの3年ほどの時期のことです。

大学に入って、女性学や心理学を習って、講義の最中によく涙がぼたぼた落ちて困ることがありました。私だ!と思って。これだったのか!と。家庭内で、娘だけが母親から食事の支度の手伝いに呼ばれるのはおかしい、男女差別である、とか。
子供にとって本来は安心できる居場所であるはずの家庭がうまく機能していない場合、子供は常に不安と不満を抱えた状態になる、これを「慢性的不安」と言う、とか。
これだ!!と。
私は不当な扱いを受けていたのか。子供は守られるべきだったのか。家庭というのは!!安心できる居場所だったのかーー!!し、知らなかったーーー!!!マジか……。と。

でもね、そこからがしんどかったの。
18歳19歳くらいまでは、知らなかったから。不安と緊張が当たり前だったから、麻痺していたというか、気づいていなかった。ある意味楽だった。我慢すればいいだけだから。我慢というか、傾向と対策をひたすら練るだけというか。どうしたら怒鳴られないで済むかな、とこう、あれこれ試行錯誤してみる日々。

でも、知ってしまうと、霧が晴れるようにくっきりと…濁りが!!(晴れてへんやんけ)淀みが!!ぎゃああ!?なんぞこれ!!??って。
私あれこれ試行錯誤してたけどちゃうやんけ!
変わるべきは私じゃない、世界の方だ!と(急なセカイ系)
で、まだ若いから頑張ったんです。ハハに訴えてみた。なんでお兄ちゃんにはなんにも言わないのに私にだけ手伝えって言うの!?おかしいよね!?って。もちろん余計に怒鳴られるだけ。いつもそうだけど。でも、今度ばかりはこちらに理がある!私が正しいはずだ!と思って頑張って食い下がってみるんですけど全然ダメ。ますます怒鳴られるだけ。惨敗。この無力感、徒労感たるやもう。

理屈が通じない…
話し合いができない…
私の気持ちを、聞く気がない…
私の苦痛や不安に、対処するつもりがないんだ…

そう思い知らされる日々の苦痛は、それを知る以前の比ではなくなりました。
だから、物心ついてからの20年よりも、23歳で家を出る寸前の3年間の方が、長く、きつかったです。

「家に帰るのがつらい時、道ばたにしゃがみこんで泣いていた」という彼女の話を聞いた時、その頃のことを思い出して「私も!!私もよくやってたそれー!!」とこの時点ですでに涙噴き出てたのです。

その上で、「そしたら見知らぬ通りすがりの人がどうしたの、と話を聞いてくれて、それは君のせいじゃないよ、と言ってくれたの」ときたもんだからあなた!なにそれいい話すぎるよーーー!!!と、本当にマジもんの号泣でした。品川駅のコンコースで思わず立ち止まって手を取り合って泣きました。泣くやろこんなん。確か30歳くらいかな、この時。

そういえば実はね、あの時彼女にこうも言われたの。「そんなことを言ってくれたのは、あの通りすがりの人と、あひるちゃんだけだったんだよ」って。
えっそうだっけ!?私そんなこと言ったっけ!?とびっくりしたら、うん、と。

この品川駅より10年ほど前の、まだ20代の学生だった頃に、私を含む友人たちにちらっとだけ、家庭内のつらい話をしてみたんだそうです。自分にとってはどれもしんどくて、でもどれも当たり前で、何がどこまで普通と違うのかがわからなくて、どう話せばいいのかわかんなかったんだよね(ニコニコ)と彼女。すんごいニコニコした、穏やかで安定した子なんですよ。

それでちらっと話してみたら、私が「そんなの向こうがおかしい!〇〇ちゃんは悪くないよ!」とすごく憤慨したんだそうで。なんかね、妹が嫉妬して粘着してくるとか、それをまた親が妹に全面同意で一緒になって彼女を責めてくるとか、そんな話でした。あれですね、彼女が搾取子、妹が愛玩子だったのですね、きっと。
周囲の友人たちは、そりゃそうなるんじゃない?妹さんがやっかむのも無理ないよ、みたいな反応だったと。でも私は、そんなのおかしい!間違ってる!〇〇ちゃんなんにもしてないじゃん!むしろ努力してるのになんで責められないといけないのか!!と激おこだったらしい。そんなふうに言ってくれた人は他にいなかったから、そうなんだ、私が悪いわけじゃないんだ、とその時初めて思えたの、と。だってずっと家族からはお前が悪いと責められてきたから。時々友達に話してもうまく通じなくて。だからあれ以来、すごく楽になったんだよ、と。そっそうなんだ…全然覚えてなくてごめんけど、今(30歳当時)の私もおんなじこと言う、って言った気がする。だって悪くないもん!悪くないどころか評価されこそすれ。49歳の今の私も同じこと言うわ。いや…同じどころか…

私ね?
この、嫉妬?
やっかみ?
嫌いなんですよ。
何が嫌いって、それが当然という周囲の反応がだ!!
そういうとこやぞ!!
そんなんだから嫉妬する人たちがますます被害者ぶるんじゃないか!!
これいじめられる側にも原因があるってのと一緒じゃん!!
ええ!?そうじゃあないか!?

急。急なほとばしり。

嫉妬…うーん、わからないわけじゃないんです…。もしかしたら私だって幸せな家庭とかを妬み始めたら心が壊れてしまうからデッドゾーンに葬り去っているだけかもしれないが(あひるちゃん強く気高い正義の人かと思ったら急に闇から目を逸らしてる系の人んなった)

なんだろう…負の感情をなかったことにしない、のは、必要なことだと思うんだけど…でも世間でちらほら見かける(世間ってなんだ…?)、あー嫉妬でしょー?やっかみだよ、しょうがないんじゃない?みたいな反応…攻撃を受けている人に対して、「あなたのことが羨ましかったんだと思うよ?」というあれ…

だから耐えろと!?
痴漢されるのはそれだけ女としての魅力があるってことじゃん、みたいな!!
むしろ自慢〜?みたいな。モテ自慢?

があああああ!!!!
クソがああああ!!!!!!

あれ?おかしいな、ほっこり寂しげな掌編になるはずだったのに。手のひらから炎が爆ぜてますけど?カッちゃん?爆轟さんちのカッちゃんなの?クソが!!って。

うん、でもそう思うんですよ。30くらいの頃にはしんみり侘しげに書けたことを49にならんとする今書いたら爆轟カッちゃんみたいんなった。

あのう、羨ましいとか、すごいな、と思うことや、それに引き換え自分は…と落ち込んでしまう、というのと、その対象に対する攻撃、という方向に転じるのって、似ているようで全然ベクトルが別だと思うんですね。

私はあんまりそういう方向に行かないんですが、たぶんね、強く気高い正義の人だからとかじゃなくて、自分のことで忙しいからじゃないかな。自分のことでいっぱいいっぱい。ほう、あの人は私に無いものを持ってらっしゃるようだ、すごいな、へえ、どんなんなんかな。あったかい布団でねむるんだろな。僕も帰ろおうちへ帰ろ、でんでんでんぐりがえってバイバイバイ、と。
なんでこうなった。
どこから日本昔ばなしに取り込まれていた…?
いやほんとそんな感じで。どんな感じよ。それ言ったらあいつら「いーいーなーいーいーなー人間っていーいーなー」ってめちゃ羨ましがってるやんあのはだかんぼら。いや違うはだかんぼは人間か。どっちでもいいわ!!

でも「いいなー」ともあんまり思ったことない、ような気がする…。一度思うとタガが外れてしまうのが怖いから…?禍々しい結界のようなものが私の中にあって…生贄に磔にされた私が…ここを開けては駄目…!と…いや知らんけど。たぶんそうでもない。うん、違うね、と。そういうのもあるのか、と(孤独のグルメみ)。あ、あれかもわからん、オットが猫やなでこに興味ない件と似てる。似たもの夫婦か。

あれです。
何が言いたいかって言うと、自他の境界ゆるすぎ!!
私が言うな!って話なんですけど。私こそ、我こそは自他の境界がゆるい四天王の最弱(弱いんかい)。だからこそ言いたい。嫉妬とか、妬み嫉みって、境界の侵害?なんじゃないかと思うんです。それをね、日本は認めすぎなの!(って他の国そんな知らんけども!)

自分のマイナスな感情を認めるのと、それを外にぶつけるのは全然別。自分の中で処理しないといけないものなのに。
じゃあ外にぶつけてスッキリすんのか!?する人もいるか…うーんわからん!!だって人が泣いてたり戸惑ってたりしたら嫌な気分になるやん…。
まあともかく、そういう、嫉妬や妬みが強い人とはそっと距離を置くようにしていますよね。できるだけ。幸いなことに身近な友人や今の家族にはそういう人いないから助かってますほんと。

うん、とっちらかってるけど勢いでえい!

あの、いっこだけ。
その手の人が身内にいて、そうそう離れられない状況だと本当に厄介なので…そういう方には心からのエールを送りたいです。そんなん絶縁絶縁☆って思うけど、それができれば苦労しないですものね…。でも、しんどくて当然、だと思います。

ーー
(ちょっと追記)
うん、改めて考えてみるに。
私は、嫉妬をする気持ちはわかるけど、相手に直接ぶつけることには懐疑的である。
ましてや、そうやって嫉妬を相手にぶつけることに寛容な世の中が、理不尽!と感じているんだと思う。

誰かにはできて誰かにはできない、ということって世の中にいくらでもあるはずなんですが、それをわざわざ私たちを選んでぶつけてくるってことは、結局ぶつけやすい相手だとたかを括ってる、蔑ろにしてる、ってことじゃないかと思う。尊重していない。

で、そういうご本人はともかくです。やっぱりいろんなストレスを抱えて、我慢できなくなっているんだろうし。
問題はそれに対する周囲の反応で。それすら「あなたが優しいから甘えてるんだよ、傷ついた気の毒な人なんだよ、許してやってよ」となぜかこっちが冷たいみたいに!大人げないみたいな扱いになるのなんで!?

私がショックだった、傷ついた、って話をしてるのに、そうやって宥められる、相手の方を庇われるという二次被害を受けて、より傷つけられた経験がけっこうあるんですよね。人をゴミ箱みたいに。

そういうとこがですね。子供の学校の道徳教育とか見ててもほんといじやけるところです(モヤモヤする、では足りない)。「いじわるをするあの子にも事情があったのだ」的な。「だから人に優しくしよう、相手の気持ちを想像しよう、尊重しよう」って。
私は!?
私の気持ちは誰が想像、尊重してくれんの!?
こういうのをゴミ箱扱いって言ってるんですわ。我慢する人、言えない人のところにどんどん溜まっていく方式。無かったことにされる方式。喧嘩両成敗で握手して仲直りじゃねんだわ。

そんなわけで、ここ数年の自分のテーマが、境界線を引くことなんですよね。あなたの訴えは、私のマターではないですね、と精査しつつきっぱり告げること。だから私に言われても何もしません、ときっぱり告げること。きっぱり告げる、ができるかどうかは相手の性質や相手との関係性によるので、無理して言わなくてもいいんだと思う。そういう時は、引き受けないようにしよう、と意識しています。

境界を侵害してくる相手に弱いんですね、とかく…。ゆるいから。その手の人たちはスカウターを持っていて、境界線のゆるい人間を嗅ぎつける。だから来られても拒めないし、責められるとつい反射的に謝ってしまう。

それをもう、やめたいな、と思って。頑張って、盾を強くしているところです。
初めからそれを持っている人のことは確かに羨ましいと言ってもいいかもしれない。だって私は盾を親に壊されたから。存在すら知らなかった。

でも、羨んでいても手に入らないから。トランペットが欲しい子供みたいに窓に張り付いていてもしょうがないので、一から自分で作ることにしたの。NOと告げること。言えないとしても、引き受けないこと。できる人にとっては何が難しいのかさっぱりわからないんだろうけど、私にとっては48年かかってようやく獲得しつつあることです。干支が4回りしてる。
(追記、以上)

ーーーーー

関連あひる

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ーー
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“家に帰るのがつらくてよく泣いていた若い頃の話(優しい通りすがりさんの続き)、からのクソが![まじめに][機能不全家族]” への4件の返信

  1. 自分は全く覚えてないのに、あれはとても嬉しかったよ…と感謝されるって、素敵ですね。
    おそらく自分としては当たり前の言動で、記憶に留めてもいないのに、相手にとってかけがえのない宝物になっているのは、嬉しくもくすぐったいですよね。
    意識せず相手を救えるあひるさんは、誰かの為に怒れる人でもあるから、正直にまた素直に「それはおかしい」と声を上げられるんだと思います。
    私も嫉妬や羨望からのやっかみは、いかにも理不尽だと感じますよ。
    私ができて向こうができないのは、やろうとしないせいだったり、そもそも努力したの?と聞くと、できないんだから仕方ないじゃない!と居直り、何でできるの、ずるい!と何故かこちらが責められる。
    理不尽きわまりないけど、これが当たり前に蔓延してるんですよね。
    クソが!って言いたくもなりますよ。

    先日はオットさん誕生日、おめでとうございます。
    三杉くんと同じ誕生日、いかがお過ごしでしたか?

  2. k.satさん
    ぶはー!オットの誕生日そうなんですよ!ちょっと今年はスルーしてしまったんですけど(ブログ上は)ありがとうございます!三杉くんと同じだから!同じだから覚えていてくださって!ありがとうございます!
    肉を焼きました。生肉の状態で見せたらうちの子もオットも顔を輝かせました。ライフイズビューティフルの子供顔。

    そして…そうか、覚えてないくらい意識せず、当たり前の言動だったからか。それが相手の救いになったと思うと確かに嬉しいですね。忘れちゃってて申し訳なかったなって思ってたんですが、そんなふうに言ってもらえると私こそ救われます…!ありがとうございます…

    いかにも理不尽!ほんとに!そうですよね!?
    誰かにはできて誰かにはできない、ということって世の中にいくらでもあるはずなんですが、それをわざわざ私たちを選んでぶつけてくるってことは、結局ぶつけやすい相手だとたかを括ってるんじゃないか。そういうご本人はともかく、周囲の反応がね、それすら「あなたが優しいから甘えてるんだよ許してやってよ」と、なぜかこっちが冷たいみたいに!
    そうやって宥められる、相手の方を庇われるという二次被害な経験がけっこうあって…だいぶ傷ついてきたんですよね…何なら一次被害よりも深く広範囲に。
    うん、ちょっと本文に追記することにしました。

  3. 追記ありがとうございます!
    ほんとそう!
    我慢できる人、この人には言って構わないだろうと認定されたら最後、ごみ箱扱いですよね。
    恩田陸が戯曲「猫と針」でゲロ袋と表現してたけど、すごく納得したのを思い出しました。
    吐き出し先、なんですよね。
    境界を作らなければ、もしくは他に吐き出さなければ、自分がゲロまみれで潰れてしまう。
    この偏りがまかり通っているうちは、そういう手段しかないんでしょうね。

    オットさんとタローさんが肉に瞳をキラキラとさせる光景、いいですねえ。
    タローさんも肉吸いになってしまうのかしら。
    ↑不吉なこと言うなよ。

  4. k.satさん
    ゲロ袋!ぶはー!!ひど!!ウェット!でもより実情に近い感じがしていいですね!(いくない)
    この偏りがまかり通っているうちは、そういう手段しかない、本当にそうですよね。

    肉吸い!いえ、不吉というかもうなってますね……私が外出する夜とか、2人で牛肉寿司(生肉)のお店とか行ってるそうです…

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