妊婦健診で、実母と疎遠にしていると言った時の助産師さんたちの反応に傷ついた話 [まじめに][機能不全家族]



<イグアナの娘 萩尾望都/amazon>


はい、自分史の続き。いよいよ佳境です。といってもここから3部作くらいになるのですけども。

子供が3歳の頃(2017年)に書いた、妊娠していた頃(2013年)の話です。
実家と疎遠にしていることって、妊娠中にもこんなふうに影響してくるものなんだ、と思い知らされ、けっこう辛かった体験です。機能不全家庭の、虐待の描写も出てきますのでご注意ください。つらい気持ちにさせてしまったらごめんなさい。超長文です。8000字。
同じような境遇の人たちへのエールになりよりますように!
今まで書いてきたノートはどれも、元家族との辛かった話も、オットやその家族が温かいことも、この話のために書き連ねてきたような気がしています。

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産着を絞っていた一瞬で思い出したこと[まじめに][機能不全家族]

2024-06-12ドラマ『燕は戻ってこない』で思い出す、実母の成人式の思い出 [機能不全家庭]

2024-06-13「大学に入ってバイトするのは馬鹿だ」[まじめに][機能不全家庭]

上2つに続きもうひとつ、元家族(正式な心理学用語では「原家族」と表記するみたいですが)の話です。私自身が子供の頃の悲しい記憶の話で、2016年に書いたものです。3000字。
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奨学金の受給率、2002年(平成14年)と2022年(令和4年)のデータ比較 [まじめに]


<健康で文化的な最低限度の生活(1)柏木ハルコ/amazon>


ひとつ前の、学生時代にお金に困っていた記事の続きです。

2024-06-13 「大学に入ってバイトするのは馬鹿だ」[まじめに][機能不全家庭]

お金に困っていたとはいえ、およそ30年前当時は「学費を親に払ってもらう」というのはそれなりに当たり前のことだった。けれど今の世相と比べるととても贅沢なことなんですよね…。

これを機に、少し調べてみたのでメモとして載せておきます。あくまで素人調べですし、常識的なことばかりかもしれませんが…無知を晒して恥ずかしいけれど、ひとつ前の記事とセットで調べて書き残しておかないとな、と。

1975年生まれの私が大学に通っていたのは大体1995年あたり。見つけたデータで一番古かったのは2002年(平成14年)、新しいのは2022年(令和4年)でした。

大学学部(昼間部)の奨学金受給率は、
2002年が31.2%、2022年には55.0%になっていました。

逆に奨学金が「必要ない」、非受給、と答えた学生の割合は、
2002年が68.8%、2022年には39.3%

2022年度には、「申請したが通らなかった」「希望するが申請しなかった」という人が5.7%います。この潜在的な受給希望者を足すと、60.7%の学生が奨学金を希望しているとも言える…。
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「大学に入ってバイトするのは馬鹿だ」[まじめに][機能不全家庭]


<3月のライオン 10 羽海野チカ/amazon>


ひとつ前の実母の残念な話を機に…、自分が生まれ育った機能不全家庭についての話をもう少しここに載せておくことにします。全然楽しい話じゃないから迷ったのですが…、ただ、まもなく公開する予定の「妊婦健診中に実母と疎遠なことをやたら心配されて傷ついた話」とも無関係ではないので、やっぱり記しておこうかと。

数年前に閉鎖になってしまった日記サイト『ShortNote』に、初めて投稿した思い出深い記事です。5000字(公開当時より加筆)。
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ドラマ『燕は戻ってこない』で思い出す、実母の成人式の思い出 [機能不全家庭]


<燕は戻ってこない 桐野夏生/amazon>


やあもうすいませんちょっとこれは。もうこれは。毎週怖すぎてリアタイの勢いで見ずにはいられない『燕は戻ってこない』の7話をつい先程見ましたらやっぱり怖くてひ、ひいいいってなったので、わたくしもだいぶとんがった実母の怖いお話をさせてください…(ヤメテ)…毒親百物語だよ…(ヤメテ!)

や、ほんとに今回そういう機能不全家庭のきっつい話題が多いので、どうぞ無理せず避けてくださいませね…。

まずは残念な実母との残念な実体験のお話から。2017年1月に書いたものを手直しして、後半はドラマの感想も織り交ぜます。いつも区切ってますけど、今回は書き下ろし部分もぬるっと繋がってます。3600字。

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■実母の成人式の思い出(元家族の残念な話)

21か22歳だったと思う、まだ実家で暮らしていた頃、成人式の祝日に、母と二人で近所にお昼を食べに出かけた。(自分の成人式の日ではなかったから、ただの休日だ)
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スーツのお直しと肩パットとウーマンリブ


<歌でしか言えない 中島みゆき(Maybe収録)/amazon>


不妊治療中、義母から言われて嬉しかったこと [生殖医療の記録5]の続き、のようなものです。2017年に、日記サイトshortnoteに投稿したものを、せっかくなのでこちらにも。もう7年も前か!

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■スーツのお直しと肩パットとウーマンリブ

母から譲り受けたスーツの、お直しの話。
だいぶ昔のものだから流行りや体型にあわせて好きに直していいわよ、と母から言ってもらっていたので、まずは袖を出すことに。
そうしたらなんだか急に、袖が太すぎるように見えてきた。
なので袖を細くしてもらったら、今度は身頃がダボついているような気がしてきた。第一印象で一番魅力的だったしゅっとくびれた美しいウエストラインが…もたついているような。
そうしてウエストを少し絞ってもらったら…今度は肩が怒りすぎているような!?
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治療をやめ、子どもをあきらめた人が気持ちをわかち合う「卒業生の会」[生殖医療の記録7][まじめに]


<三色のキャラメル 不妊と向き合ったからこそわかったこと 永森咲希/amazon>


なんと、不妊治療をやめた方々に向けた「卒業生の会」というものがあると…!こういう場所があったらどれだけ救われるか。
2018年に下書きしておいた朝日新聞の記事はリンク切れになっていたのですが、会の代表、永森咲希さんの公式サイトに当時の記事が載せられていました。

「不妊治療やめても 続く苦しみ」朝日新聞(2018.8.24)OFFICE NAGAMORI | オフィス永森 | 不妊カウンセリング/キャリアコンサルティング

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そうなんですよ…私、ずっと引っかかっていたことがありまして。不妊治療中。
時々言われたんですよね、「私の友達の友達が、不妊治療に通うのやめたら授かったんだって」みたいなこと。
聞いたことありませんか?そういう「やめたら授かった」話。私もあります。で、友人からも似たような話を聞くとつい「私も!私の友人にもいるよ!」と追加してしまう。こうやって、世間話で何気なく話題に出るたびに印象が強化されていって、「治療やめたら授かったって話よく聞くよね、そういう人って多いよね」という話が広がっていってるんじゃないのかな、と思うのです。

でも、それはあくまで、口の端に登っている事例の数であって。
この裏に隠されている、もっと多い事例があるはずなのです。

一番多いのは、「不妊治療をやめても授からないまま、子供のいない人生を送ることにした人」なんじゃないかと。

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不妊治療中に嬉しかった、私のマッサージの先生のひと言 [生殖医療の記録6]


<魔女の宅急便 角野栄子,林明子/amazon>


不妊治療中であることは、ごくごく限られた数人にしか話していなかった。家族と僅かな友人、大掛かりな治療をお願いすることにしていた歯医者さん、それから、アロママッサージの先生。私よりちょっと年上の女性で、ふんわりにこにこした素敵な人だ。

たぶん私が女性として美容にかけるお金は、平均より下だと思う。美容院もなるべく行きたくないから、手入れの少ない髪型にしてもらって、ショートの時は別として半年行かないこともザラだった。化粧品にもあんまりお金をかけたくない。効果も種類もよくわからないし、ずぼらで不真面目だし…。エステなんてもってのほかだ、と思っていた。
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不妊治療よりも前、オット父に言われたことの思い出(ネタです) [生殖医療の記録5.5]


<おさるのジョージ危機一発/楽天>


そういえば。「不妊治療中、オット母から言われて嬉しかったこと」を機に、思い出したことがあるので書きます。これもネタ的な小話です。書き下ろし。

えっとですね。母から素敵な言葉とスーツを賜った時は、2011年か2012年頃だったと思うんですね。流産の手術が2010年末で、父が亡くなったのが2009年秋だった。

で、時期的に考えるとおそらく2008年頃のある時、オットが不在のところに、お父さんとお母さんだけで遊びに来てくれたことがあったんです。あっもしかしてこの時かも!?うっかり変なお茶出した時!いや、家庭菜園の白菜がめちゃくちゃ取れたから急遽持ってきてくれた時かな…書いてないだけでこの時あじさいと一緒に白菜も持ってきてくれたんだっけな…?

まあとにかくその時に。
珍しく、ちょっと深刻なムードになったんですよね。 “不妊治療よりも前、オット父に言われたことの思い出(ネタです) [生殖医療の記録5.5]” の続きを読む