ドラマ『きのう何食べた?』で考えた、人生の岐路でパートナーのどんな言動を思い出すか

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またドラマをきっかけに人生を考え込むシリーズです。

きの何のね、あ、公式略称は「何食べ」なんですよね。ツイッターで検索してたら「きの何」だと「えのきの何か」というお夕飯の献立やランチに食べた美味しかったメニューみたいなつぶやきがヒットしまくって「きの何」という呼び名はほとんど使われていないことを実感しました。

それはいいとして。
今年も押し迫って参りましたので、ここ最近書いてきた記事のまとめも兼ねてちょうど良いかなというお話です。主にオットに対する悩みや葛藤をね。んもー街はすっかりクリスマスシーズンなのに相変わらずのあひるちゃんのすれっからしぶり。いやいや12月なんてね、もともと人恋しと泣け十二月だからね。漢字表記で『十二月』といえば中島みゆき様の名曲ですし、こう、一年の総決算を、ひいては人生を考え込んでしまう時期ですよね、わりと誰しもにとって。

えー。ここ最近、ちょびちょびあちこちに小出しにしてしまった、オットとの軋轢というか、あれこれ。オットに感じるあれこれをね。その時その時の戸惑いや気づきをそのままに記録していったらなんだか…悪いことばかり目につきすぎているような気もして。そればっかりではないはずなんだよな…と。

というのも、ドラマきの何でね。離婚という選択にまつわる、二組の夫婦の話が出てきたじゃないですか。片方はマキタね!マキタスポーツさんへの甚大なる風評被害。うますぎてあの美容院の店長そのまんまのいい加減でダメな人間にしか見えなくて…マキタ!といつも呼んでしまうけど店長のことですよ?とうとう妻から去られ。1人ぽつんとワーオ状態にね。

もうひと組はシロさんの依頼人で、国際ロマンス詐欺!に引っかかってしまった夫の話…あれきっついなー!妻さんよく見捨てなかったな。原作通りのハニトラの方がまだわかる…あのドラマ版の旦那さん、騙されてることを薄々わかってるのに意地になってる感がすごく絶妙で。心から騙されて恋に溺れてしまっているわけじゃなく、現状への不満がまずあるからこそ目先の恋に飛びついたわけでしょ?(解釈には個人差があります)。現実に向き合おうとせず、あやふやな恋愛っぽいものに安易に走る考え方がとっても嫌だった。長年連れ添った配偶者がそんなお前…よくあそこで妻さん許せたよなあと。

でもまあ、それもともかく。許す許さないの決断いかんではなく、その判断基準の話で。
人が決断をする時、相手の何を思い出すか。
このロマンス詐欺の妻さんは、夫さんが夜泣きの酷かった赤子を抱えて夜中に公園まで行ってくれた、と。
店長の妻玲子さんも、娘の大学の入学式で保護者1名のみならあなたが行きなさいよ、ここまでずーっとがんばってきたんだから、と言ってくれて離婚の決意がぐらついた、と。

やー私これもね!正直、ケッと思いそう!何を今更ええかっこしいが、誰のせいで一人で頑張ってこさせられたと思ってんだ良い話にすんな、理解ある夫演じんなマキタめ散々浮気しといて(だからマキタさんは無実なんだけども)。今更そんな一言二言では躊躇したりできないくらい、スーンてなるだろうなと。

玲子さんもそれでぐらつきはしたけれど、決意は変わらなかったわけでね。きっとそれまでも星の数ほどそういうことがあったんだと思うんですよ。やっぱりこの人、根は悪い人じゃないんだわ…と離婚の決意を翻したことが、それでもまたざっくりと傷つけられて怒りと悔しさで煮えたぎることが、きっと何度もあったんだろうなあと。マキタめえええ(ですから)。

ただ…友人C美が言ってたんですけどマキタはまだ自分の非を認めて養育費しっかり払うつもりだからマシな方かなと…ほんとだね!絶対にビタイチ払わないマンも多いもんね!それに比べたら…(比べんな)マシではある…(確かにな…)。

それはいいとしてだ!
人が決断をする時、相手の何を思い出すか。
人生の岐路でパートナーのどんな言動を思い出すか。

きの何を見ながらぼんやりと考えてしまいまして。他ならぬオットについて、私だったら何を思い出すだろうか。

まっさきに思い浮かんだのは、オット父が亡くなった時のことでした。2009年秋にね、駆けつけた病院の枕元で臨終まで付き添った時、「あとのことは全部大丈夫だから、安心して逝っていいよ」と家族皆の前ではっきりと言葉にしたオットの様子。

そのすぐ後、少しでも仮眠を取るために入ったビジネスホテルの薄暗がりの中、涙を流していた静かな横顔。自分の代わりに両親と交流して、照れ臭かったり面倒だったりで自分からは話さなかった仕事のことなどを両親たちに話してくれていたおかげで、きっとこうなった今も後悔が少なくて済んでいるんだと思う、ありがとう、と言ってくれたこと

2010年の流産の時、まっさきに「大事にしてたのにね」と言ってくれたこと。

2014年の出産トラブルの後、子供は2人3人ほしいとずっと言っていたからすぐには難しいかもしれないけれど、親子3人で仲良く暮らしていくイメージがきっと定着していくよ、と言ってくれたこと。

そして2022年、オット母の介護と看取りの中で、母が物を食べるための嚥下機能訓練をものすごく熱心に頑張っていたことを、結果的にほとんど何も飲み食いできずに亡くなってしまったけれど、辛い思いばかりでかわいそうな晩年だったわけでは決してなく、母は常に前向きで、努力の途上でたまたま命が先に尽きてしまっただけのことではないか、と言っていたこと。

それでも葬儀の挨拶で、「ただ水が飲みたいという、そんな簡単なことすら叶えてあげられないのかと歯痒い思いだった」と声を震わせていたこと。

ちょっと!?
良い話ばっかりじゃないの!?
泣くやんこんなたたみかけ!何の走馬灯よ!
あひるちゃんこんな素晴らしい旦那さんに一体何の不満があるというのかと。いやですから私もずっとそう思って打ち消してきたのよ。自分が贅沢なんだろう、我儘なんだろうと。でもむしろ逆に考えると、こんな瞬間もあるのに、それでもしんどいつらいってよっぽどでは。これを凌駕する不安や不穏な要素があるってことでは。てかむしろ冠婚葬祭すぎだからこの事例どれも。命かかりすぎてるし。

こういう有事の時に頼りになるのは本当に有難いんですけれども。でも日常の中でね、ちょいちょい些細なことで嫌な顔されたり、話を聞いてもらえなかったり、ということが少しずつ積もっていってですね。それこそきの何つながりでモラハラなんじゃないかとすら。

どこが、何が、とはっきり言いづらいんですよね。一つ一つは些細なことなのかもしれないんだけど。

…とね、この後に続けて、どこが、何がなのかを探るべくここ数年のオットにまつわる記事を時系列順にまとめて、補足などを書き加えてってみたらまあどんどんぱふぱふ出るわ出るわ、熟年エレクトリカル愚痴オンパレードがてってれれってってってれてれてれてってれてれてれてれてれてれてれって一万字越えになっちゃったのでザクっとカットしました。そういう面ばかりじゃないはずなんだけどな、と書き始めたはずだのに。

きっと今はあかんのだろうな。こういうモードの時に書いても良いことなさそうだ。なのでまたもう少し落ち着いてまとめられるようになったら取り掛かろうと思います。ああびっくりした。

とりあえず自分メモとしてちょっと書き記しておくと、2022年の年明けの、年末年始備忘録から端を発している感。オットへの違和感はここにはまだ書いていないけれどこの後から少しずつ出てくるので、カレンダー表示で全記事眺めていくと少しずつ水嵩が増していく自分の葛藤が垣間見えるようでとってもあれです。

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(追記)その後、続きを書きました。
野木亜紀子x新垣結衣『獣になれない私たち』の溢れんばかりの女性たちへのエールと、夫婦を超えてゆきたくてもがくここ数年の私 [まじめに]

父の日記(夫婦を超えたくてもがく私・続き)


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