南国旅行記の続きです。
相変わらず!相変わらずわーっと書いたら書いたでひゃーっと不安になってフォロー記事を書くことにしてしまったあひるちゃん。
前半は次男(オット弟)に関するフォロー…かどうかはわからない追記と、後半はオットについて。母に対する姿勢が、オットは家族の中で一番共感も尊敬もできたな、という珍しいお話です(珍しいて)。嘘。書いてみたら呪詛怨恨の方がずっしり大ボリュームんなった(やっぱり)。
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ええと、まず次男について。
んん、一方的に悪く書きすぎたかな、という気もするけど私の主観なのでしょうがない。怒って当然じゃん、て。うん、フォローじゃないな。念押しだなこれ。
ひとつ残念な(残念なんかい!)行き違いもありまして。まるで朝ドラ『らんまん』のような、関係修復の兆しから一気に暗転展開(ユーシーィィィ!)
次男が母を引き取ってまだ半年しか経ってないじゃないか、と書いてしまいましたが、期間は半年だったけれど、次男のマンションで暮らした母は、それまで妹の近くで暮らしていた3年間より格段に病状が悪化していたのですね。その進行も早くて。
ツマさんによると、入院前の数週間は「明日玄関を開けたら今度こそお母さん死んでるかもしれない」という恐怖と隣り合わせだったと。おお、そこまで…。
だから、死なせずに医療機関につなげることができた、というだけで、次男も私も、ギリギリやり切った…という気持ちがあるのかもしれません、と。そうか、なるほど…。
そうは言っても突然の身勝手な事情に皆さんを巻き込んでしまって、次男が本当にすみません…とツマさん。いやいつも言うけど次男の無礼に対してツマさんが謝る責任は何もないからね?夫の不始末を妻が謝罪ってよくあるけど母性本能神話と同じくらい大嫌いよ?と言っても謝られちゃうんだけど。
何よりお母さんに申し訳ない、と。自分たちが引き取ると言い出して慣れた土地から引っ越しまでさせてしまったのに、そんなお母さんを置いて海外に行くだなんて、見捨てられたと絶望するようなことがあったらどうしようと思うと、怖くて…と涙してくれまして。ツマさん…。
こういうのだよ!こういうの!って思いますよね!!(しんみりさせないあひるちゃん)そんなふうに言ってくれたらこっちだって心配いらないよあとは任せて、娘ちゃんのことを第一に考えてね、って言えるし思えるんだよ心から!
それを聞いた帰り道、うん、次男も次男で必死だったのだな、確かによくやってくれていたよな、と思い直せそうだった数時間後の「自分たち家族の選択に口出しする権利はない」「介護の負担が増えると思っているなら俺たちに依存しすぎだったってことだ」発言がLINEでぴろんぴろんまろび出ちゃって。数時間後て。急展開すぎるんよほんま。朝ドラ土曜のまとめかっつー。
せっかくのツマさんの人徳による加算点を台無しにこそげとり、ぺんぺん草も生えない状態にしてしまった次男なのでありました。私の中の次男という土壌をね。焼き払ってくれたのよ完膚なきまでに。
うん、どっこもフォローになってない。
次はオットね。(えっもうほんとにフォローパート終わり?)
あのね、次男憎けりゃオットまで憎いっていう状況にも陥ってね。いやいやとばっちりじゃないのよ?だって二人はそっくりなんだもの。見た目だけじゃないのよ?見た目もそっくりだけど。手塚キャラみたいに兄の方がちょっと濃いけどそれはいいとして。オットはあからさまじゃないだけマシな部分もあるとは認めるが、本質はあんまり違わないんじゃないかとね。自分を絶対曲げないとことか。謝ったら死ぬの?ってくらい謝らないとことか。こう…感情の話が今ひとつ通らないところとか。
私は次男のああした性格が我慢できない、何よりあなたと妹を責めたことが許せない、臨界点を超え、とてつもなく苦痛に感じている、それでもお母さんのために踏みとどまっているんです、って。ぼったぼたに泣きながらオットに訴えたりもしたものです。隠し事のない明るい家庭(明るくはないな)。
私はたぶん単純に、友人C美がしてくれたように、なにそれ酷い!おかしいだろ!って一緒に怒ってほしかったんだと思う。とてもシンプル。でもオットはそうはしなかった。どうかと思うとは言っていた。やれやれとは思っていたらしい。でもそれだけ。肉親としての身贔屓でもないと言っていた。同時に、妻をここまで疲弊消耗させている弟に対する憤りとか、そういうのもない。「そんなに一方的に思い詰めてるとしんどいだろうにな、とは思う」とか言われたのでアウト寄りのアウトだよ。向こうはあんだけの傍迷惑が受容されて、私の方ばかり自己責任なの?不均衡だろ。
わかります?私が言いたいこと伝わる?
なんて言うの、どこまでも平行線なの。決して交わらない。それが、虚しいし悲しかった。
で、オットはそういう時もゲームやりながら横顔なんですよね。
それをある日友人C美に話したらものすごくびっくりされまして。はあ!?って。そんな大事な話してんのにながらで聞くってどういうこと!!??て。えっもう20年こうだよ?そんなに変かな?だってオット忙しいから。ゲームじゃなくPC仕事の時もあるけど、常に横顔だよ?ときょとんとしてたらoh…って悲しまれました。あら?もしかして私、蔑ろにされてきてた?
で、今回のこの次男ショックを機に、「大事な話をする時はゲームも仕事もやめてこっちを向けし」って20年来の結婚生活で初めて伝える運びとなりましてね。
あなたが私の方を向くのは滔々と私を論破する時だけ、あるいはため息をつきながら否定的に首を傾げる、そうでない時は常に私はあなたの無言の横顔に向かって話している、それをもうやめたいしやめてほしい、と。そんなとこからスタート。新婚か。20年経っても新婚よ、ってキャラメルのカレッジのセリフそういう意味か(違います)。
あのねツマさんがね、出来た人だから、介護や治療の方針などは実子の皆さんで話し合って決めてください、と常に一歩二歩引いた態度を保っていたのね。立場としては私もツマさんと同じ「母の子供の配偶者」でしかないから、私もそういう話し合いには参加しないよう、口出ししないよう努めていた(つもり)。臨終の際にもあえて席を外したし(後述)。
でもオットはよく言ってたの、自分は実子かそうじゃないかなんて区別して考えたことはない、と。あなた(あひる)だってツマさんだって思うことがあればなんでも言えばいいと思うと。
いかがでしょう、分け隔てのない良い人のように聞こえるだろうか。でもね、事こうなってくると私はそれがとても嫌になってきて。なのである日、それは、本来実子がやるべきことでも関係なく、感謝する必要もなく、いくらでもタダ働きさせるつもりだということか、と言ったら逆ギレされ。そんなこと思ってるわけない、そんなふうに言われることの方がショックだ、と。
そんなふうに言いたくなってしまうほど、感謝の言葉も態度もあなたは私に見せたことがないのだ、と解釈して反省しろよ。そんな状況でやっていくことが私の中でもう限界なんだ、次男ショックですっかり枯渇してしまったんだ、と言い返し。
ただでさえお母さんのことで大変な時にこれ以上あなたを疲れさせたくなんてない。今じゃないんじゃないかと何度も言葉を飲み込んできた。だけどもう、こういう時だからこそ抱えたままではとてもじゃないけど動けないんだと。横顔に向かって一方的に話しながら、感謝の言葉ももらえないまま、長年騙し騙しやってきた土台が根こそぎ失われてしまいつつあるのだと。
この苦痛は、本当に、私一人が抱えて耐えるべきものなのか?
せめて、あなたには把握だけでもしておいてほしい。理解してくれとはもう言わない、私がこういう気持ちでいると、ただ知っておいてほしい。配偶者として、そのくらいはあなたに望んでもいいんじゃないかと思うのだが、いかがか!!
と訴えたり。
すっごい消耗しました。この2年そんなんばっか。魂を削りあう時間だった。
そこまでしても、私が感じていた辛さを、オットが本当の意味でわかってくれたとは思っていません。ついぞ感じることはできなんだ。そういう機能はオットには搭載されていない。
痛烈な孤独感に打ちひしがれながら、領土を死守する、声を上げるこの2年だった。つら。夫婦関係は外交問題だよ、って言ったの誰だっけ(何かの漫画のセリフだったと思うんだけど)。しんどかったです。もっとお母さんのケアに集中したかった。ほんとだよね!!でも頑張ったよ。ケアもしっかり頑張った。
実子がどうこうといえばね。
次男がどんなに傍若無人でも、実子じゃないですか。
私がどんなに言っても所詮は義理だから。相続権もないし。お金の問題じゃなく、権利の問題として。
どんなに無茶苦茶言っても、次男は実子だから、無条件に権利を与えられていていいなあ、と虚しかった。それも私より上位と法で認められている一親等。海外暮らしで臨終に間に合わなくたって別に構わないと豪語していた次男だけれど、たまたま帰国していた時の急変だったから間に合って良かったね。次男が海外で有意義なお仕事に邁進していた間もずっと国内で母のための雑用を細々こなしていた私はそんな次男に席を譲って、いよいよという時には施設に私物を取りに行くという雑用係に回ったの。最期の時間は実子3人だけの方がいいんだろうなと思ったから。
必要以上に卑屈に考えているつもりはなく、権利なんて関係ない、ということも解っている。母を慕う気持ちに優劣も貴賎もない。私だけの関係性を確かに母との間に構築できていたのだ。臨終の瞬間に立ち会わなかったとしても。
言うまでもなく、実の親を亡くそうとしていた当時の実子3人の心情は、私とは深度が違うのも事実で。実の親と絶縁している私には心からはわからないんだけれど、そこは尊重したいとも思っていたし。
次男にも私にも、ツマさんにも、妹にも、それぞれの胸に母との関係性が、母への思いがあったのだ。当たり前のことだけれど。
中でもオットが一番、母に対して優しかった。
私にとって救いだったのは、オットは私の味方はしてくれなかったけれど(してくれなかったけれど)(なんでハモったし)、母に対しては、常に母の側に立って考え行動しているように見えたことでした。
家族の中でオットが一番、私の価値観に近かった。私が母にそうしてあげたいと思うことをオットも実践していたし、私が肉体的にちょっとしんどいなと思う病院や施設への往復も厭わずやっていた。私への感謝の言葉はほぼなかったけれど(最後の方は無理矢理もぎ取ってたけどね。アリガトウ、はいSAY!つって)、私がやることを反対もしなかった。
いやほら次男がね!次男には反対されてたから!みんなママの言うこと聞きすぎ、て。もっとヘルパーさんに頼らせないとママのためにならない、て。家族の方が頼みやすいから、施設にいるのに職員さんに言わずに電話かけてくるんじゃん、それじゃダメなんだよ、て。言いたいことはわかるよ?わかるけどお前はなんでそんな偉そうなんだよ。母に対しても常にそんな感じで叱ってばっかりだったから母はよく「次男には言わないでね」とか「次男はすぐ怒るから怖いの」ってこぼしていたものです。そういうとこも実はお父さんそっくり。うーんこの。
ただまあ、そんな次男の言うことを見事に全員無視してやりたいようにやってたからな。そういう扱いもお父さんと一緒。長男は叱ってもちっとも響かない、次男は歯向かってきてめんどくさい、妹は叱ろうと思っても出てこない、とは生前のお父さんの談。うちの子が!まさかのタイプ次男なんですよお父さんんん!!歯向かってきてくっそめんどくさく、かつケロッと忘れる長男次男のハイブリッド!!神よ!!おやめろください!!
それはいいとして(いくない)。
オットもね、母からPCの調子が悪いと連絡があると、ほぼその日のうちにビッピー(ビックカメラパソコン館のことです)かヨドバシ行って必要と思われる機器をいくつか買い集めては病院や施設に届けに行ってたの。それも週2とか3とか。
何しろ次男が徒歩10分の距離に住んでんだからたまには次男に頼んだら…?と言ってみたけど、んーーーーーーいいやめんどくさいし…と結局自分で行っていた。猛暑の中、買い出しも合わせると毎回2時間以上かけて。週2週3の頻度で。しかも入院中は面会できる訳でもないからほんとに届けるだけ。
自分が以前結構な重病で入院した際、後半回復してきて以降は退屈で退屈で辛すぎてiPadで『プリズンブレイク』ばっか見てたという経験があるから(こんなふうに脱獄してすぐそこのラーメン屋行きたい、と思っていたそうです)、母の入院中もできるだけすぐに対応してやりたい、と。妹やツマさんからは「兄ちゃん献身的!」と感嘆されていました。私もそう思う。
妹がね、母が絶飲食になってしまったことにとても心を痛めていて、かわいそう、かわいそうとずっと言っていたんですね。いっそ好きなものを食べさせてやって喉が詰まってももうそれでいいんじゃないか、とか。担当医師は、まだそういう”最期の食事”という段階ではない、機能的に回復する余地はある、との診断だったんだけれど。そういうことじゃないのよね、きっと妹が言いたかったのは。
ただオットも、ずっと口腔機能訓練に付き添っていたから、母の努力、熱意を間近に見ていて、それは違うんじゃないかと感じる、と言っていて。一度訓練に立ち合ったら妹にも伝わるんじゃないか、と。私も一度面と向かってオットから、「次の訓練は仕事の都合がどうしてもつけられなくて自分は行けないから、代わりに行ってくれないか」と言われたことがありまして。珍しい!頼まれた!
それで行ってみたら、本当に母はすごく努力していて。なんでしょう、生きる気力に満ち溢れていて。飲み食いもできず、声も出せず、認知も時々危うい、緩やかに下降していくだけの存在…ではまったく無く。明確な意思と強い光を感じる。訓練士さんも、施設のマネージャーさんもびっくりしてくれていて。〇〇さん(母の苗字)本当に毎回すごく頑張ってます、と。真面目で努力家な、母の人となりをとても良く判って、敬意を持って接してくれているのが言葉の端々から伝わってきて。お話聞きながら涙ぐんでしまいました。
その夜、行って良かったよ、と言ったらオット「ありがとう」と。ありがとう!!感謝の言葉が!!SAYって言ってないのに!
妹ちゃんもあの姿を見れたら、少しは気が楽になるかもしれないね、と言っていた矢先に急変してしまったので叶わなかったのですが、同じものを見ても同じように感じたとは限らないし、それは分からないですけどね。私とオットの感じ方が正解ってわけでもないし。ただ、夫婦で一致しているのは有り難いことだった。
母が亡くなって少し経ったある日、ふと思ったのです。
オットが、母からの電話に出る時の声が優しくて好きだったな、と。
「もしもし?」って。どんな時でも、優しかった。
それをもう聞くことができないんだな、と思ったらふいに涙が出ました。母が亡くなったこと、もういない、会えないのだという事実が今更ながらに迫ってきて。
できることなら30年後、年取った私が電話をかけた時、うちの子もあなたみたいに話してくれたら嬉しいな、と思ったよ。
そんな話もしました。
いい話!やっといい話!唐突だけど!最後にちょびっとだけど!
でも本当にそうだったのです。
結婚後20数年、生きてきた40数年を揺るがされ、領土を死守するため、魂を削りあう時間でもあったけれど、それと同時に、これまでの、今後の人生にとって自分にとって大事なもの、重要なことにも否が応でも焦点が定まって、復旧と救済の時間でもあったと思う。破壊と再生か。大袈裟だなあ。でも親の死に目だもの。人生の一大事ですよ。ぼろぼろだけど、辛うじてなんとかなりつつあって、ほっと胸を撫で下ろしているところです。