ひとつ前の続き、12年前(2009年)に起きた出来事です。
■2021-10-06 家庭というものがうまく機能する時、前編 [まじめに][亡きオット父の話]
家族の死についての内容で、一部には病院での詳細な記述もあります。苦手な方は無理せず、閲覧を避けていただけたらと思います。
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父が亡くなった最初の一週間は、異様に長かった。
“家庭というものがうまく機能する時、後編 [まじめに][亡きオット父の話2]” の続きを読む

*アニメやマンガ、子育て、ゲームや雑貨、日々のこと*
ひとつ前の続き、12年前(2009年)に起きた出来事です。
■2021-10-06 家庭というものがうまく機能する時、前編 [まじめに][亡きオット父の話]
家族の死についての内容で、一部には病院での詳細な記述もあります。苦手な方は無理せず、閲覧を避けていただけたらと思います。
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父が亡くなった最初の一週間は、異様に長かった。
“家庭というものがうまく機能する時、後編 [まじめに][亡きオット父の話2]” の続きを読む
今回は、「真面目に」系の長文です。
家族の死についての文章で、一部には詳細な記述もあります。苦手な方は無理せず、閲覧を避けていただけたらと思います。
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先日、私の実母の話を何回かに分けて書き綴りました。読んでくださって、そしてたくさんのハートをくださって本当にありがとうございました。
自分の育った背景の話、元の家庭の話がひと段落したので、今回からは、結婚後の新しい家庭、オットの生家と家族の話、そこから長く躊躇してきた子供を持つことについて、持ちたいと思えるようになるまでの、自分の心の軌跡をたどっていこうと思います。
ずっとどこかに書き残しておきたいな、と思って、オットの父が亡くなった12年前に書き留めておいたものを、何年かに一度ふと思い立った時に手を入れながら保管してきた文章です。一番の原型は5年前、父が亡くなって7年目の2016年に書いたもの。
5年も経っているので、書いた当時と今では変わってしまったことも多々ありますが、そのまま載せることにします。まずは前編から。
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“家庭というものがうまく機能する時、前編 [まじめに][亡きオット父の話1]” の続きを読む
母親との確執、機能不全家庭、毒親の話ですので、苦手な方はご注意ください。
一連の、突然の暗い生い立ち語りにお付き合いいただき、本当にありがとうございます。ドラマ『大豆田とわ子と三人の元夫』をきっかけに、「母は私を憎んでいない」という気づきの話をここに書こうと思い立って始めたのですが、そういえば3編目を書いた2019年のさらに一年後に、もう一段階気づきがやってきたのでした。それも一緒に載せておきます。
この4編目でひとまず、実母にまつわる重い語りはひと段落です。改めて、ここまで読んでくださって本当にありがとうございました!ほんとに突然すみません!いつもと違いすぎる!いつもと違いすぎてほんとにすみません!
親との、あるいはきょうだいとの、家族の関係って人それぞれ千差万別で、こうと簡単に論じたり断じたりは決してできないものですよね。家族だからこそ、ままならない。これを読んでくれる皆さんも、きっとそれぞれに色々な経緯や思いを抱えているのではないかと拝察します。本当にお疲れ様です。あなたはがんばってる。間違いなく、すごくがんばっていると思います。
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4 「母の愛」という箱、序文
“「母の愛」という箱 [実母との確執と救いの話4][まじめに][機能不全家族]” の続きを読む
(※機能不全家庭、母親との確執と、ちょっと非科学的な不思議系の話になっちゃうので苦手な人はご遠慮ください)
1はこちら(2018年の出来事)
■2021-06-16 私の中に母がいる(元家族の暗い話と救いの話1)
2がこちら(2019年の出来事)
■2021-06-17 もしも私が幼稚園児だった頃の母が
さて、ここから本編です。いよいよ登場する、ドラマ『大豆田とわ子』最終回で印象的だったセリフ。
2019年3月に、別の日記サイトに投稿した記事です。
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3、母は私を憎んでいない
“母は私を憎んでいない [実母との確執と救いの話3][まじめに][機能不全家族]” の続きを読む
(※機能不全家庭での、母親との確執の話なので苦手な方はご遠慮ください)
一つ前の記事にハートをたくさんありがとうございます!ひと晩で100越え!すごい!
最後にまた来週って言ったけどすいませんあれはドラマっぽく言ってみたかっただけですぐ続きをアップしてしまいます。
前回は2018年11月に別サイトに書いた記事をこのブログ向けに手直ししたもの(小ネタを増やしてしまった…)、今回の記事は、その約半年後の2019年3月に書いたものです。
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2、もしも私が幼稚園児だった頃の母が
“もしも私が幼稚園児だった頃の母が [実母との確執と救いの話2][まじめに][機能不全家族]” の続きを読む
(※機能不全家庭での、母親との確執の話なので苦手な方はご遠慮ください)
ええと、ことのきっかけは大豆田とわ子です。『大豆田とわ子と三人の元夫』、あれがとっても面白かった。松たか子さん素敵!説得力!3人の元夫から離婚後もなお言い寄られたり、それをかわしつつ和気藹々と仲良くしちゃってるファンタジーな状況に説得力が出るのなんて松たか子くらいしか思いつかない。すてき。
毎回好きで楽しみに見てきたのですが、最終回で予想外の方向にやられまして。
ちょっとネタバレですし、この後長い長い暗い真面目な話が始まるので、シンシンだったら「ねえこの話いる?」って言うやつ。が、始まるのでこの辺で記事を畳んでおきますが、先日の『生きるとか死ぬとか父親とか』で思い出した一連の父の話のような感じで、これはもう母の話も書いてしまおうと。ていうか以前書いたものがあるからここにも載せてしまおうと。日記的サイトにですね、ほそぼそ載せていた記事があるのです。ここメインのブログにはちょっと書きづらかった、元家族の暗い話、機能不全家庭でいろいろ辛かった話を、労りと友愛に満ちた空気感の日記サイトに書いていた時期がありまして。
ここ最近の色々な心境の変化で、もともとのブログにもこれそろそろ書いてもいいんじゃないか?と思うようになってきていて。
ここあひるブログを読みにきてくださっている皆さんにとって、読みにきてくださっている皆さんの中にはそういうのあんまり求めてない、笑える小ネタを求めて読みにきているのに深刻な話をされても困る、書き手の深刻なバックグラウンドとか聞かされると笑える小ネタも笑えなくなってしまう、と思われると申し訳ないしちょっと悲しいなとも思うので、これまで躊躇してきたのですが、うん、やっぱり何か文章を書くのなら、文章の形でどこかに残すなら、優しい世界の日記サイトもいいんだけどそこだと運営側のポリシーとかその変更とか発表した文章の著作権はどこに属するのかとか色んな問題が生じる可能性も出てくるし(あ、ちなみにnoteではありませんけどnoteの度重なる炎上を見てうーんこっちの日記サイトもいつそうならないとも限らないよなと思ったのも一部関係ある)、せっかく自分でドメイン取って自分の家を建てたのだから、こっちに一本化したいな、と。
前書きが長い。これ必要?必要だよ!シンシンは黙ってろ可愛いななんだそのめんどくさ可愛いという新ジャンル!岡田将生め〜。いい。(ラピュタかよ)
そんなわけで、数年前に日記サイトに載せていた元家族の話の何編かを、あひる向けにちょこっと書き直しつつ、このあと載せます。3編あります。1編めをこれから。
ドラマ『大豆田とわ子と三人の元夫』最終回のネタバレも少し含みますので、ご注意ください。
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1『私の中に母がいる』、序文。
“私の中に母がいる [実母との確執と救いの話1][まじめに][機能不全家族]” の続きを読む
先日のど重い肉親とのあれこれ記事にたくさんのハートを皆様ありがとうございます!
反応が心配だったので、すごくほっとしました。
今日は遅ればせながら3話を見ていて、前回書き漏らしたドラマのオープニングとエンディングの感想とか、実父についてふつふつと浮かんできた気持ちとかについて、もうちょっと真面目系の話を続けさせてもらいます。今回は前回ほどドラマの筋に即してないし、もっと観念的な感じになりそうです。いつもの小ネタがお好きな方には申し訳ないのですが、やっぱりなにかこう、自分の中に流れのようなものがあって。いきなり小ネタに移れなくて。いろいろ書きたいことはあるんですけども!
やー面白い!今期楽しみにしているドラマのひとつです『生きるとか死ぬとか父親とか』。
ジェーンスーさんの原作エッセイがあるのですね。そちらは未読ですが、吉田羊さんがすごくジェーンスーさんに寄せてる!とご本人もびっくりしてらした。へえへえ。
■ジェーン・スーが自伝的エッセイのドラマ化に期待。「年を重ね、親との関係に悩んでいる人に観てほしい」:…|テレ東プラス
いやー國村隼さんが、亡くなったうちの父に見た目もちょっと似てて。実父の方です。時々登場しているオット父ではなく。そうなんです、実父も亡くなっているのです私。40代も後半戦ともなるとそういうことも増えてくる。オット父が亡くなったのは10年前で60代前半とまだ若かったですが、実父の方はわりと最近。70ちょっと過ぎ。病気でした。
國村隼さんの、ちょっととぼけた、憎めない感じ、人たらしな風貌が実父と少しかぶります。たれ目がちなとことか、声が低くややかすれたようなとことかも。憎めなくて人たらし、というのはドラマと違って私の場合はあくまで「他人から見たらそういうふうに見えるのかもな」という醒めた感想ですけどね。このドラマで吉田羊さんがのっけから「ついつい父を甘やかしてしまう、実の娘ですらそうなのだから他人の女からしたらますますそうだろう(モテるだろう)」みたいに言ってらして私はえええええと思いましたけどね!実父を甘やかしたいと思ったことなど一度もないわ!信じられんわこのおっさんはよくもまあ〜と呆れてましたいつも。すいませんね亡き父をつかまえて言いたい放題。オットくんのお父さんと扱いが違いすぎる。
今回はドラマを機に、私も自分の父のことをちょっと書いてみることにしました。どうしても家族の重い話がずるっと出てくるかと思うので、そういの苦手な方はご注意くださいませ。
“ドラマ『生きるとか死ぬとか父親とか』2話を見て思い出した、実父の葬儀の話 [家族の重い話][真面目に]” の続きを読む
いやあ、1月くらいに気づいて密かに楽しみにしていたのです。そして原作漫画も大っ好きで。大っ好きで。好きすぎて1巻から読み始めて最新刊まで読むと必ずもう一度1巻から読み返しちゃうくらい好きで。
何にこんなに惹かれるのかわからないんですけどとにかく好きで。怖いんですけどね。かなり。
それがこの、コロナで。いろんなイベントとか中止になっちゃってるんだろうなあ、10月公開となっているけど大丈夫なのかな…と気になっていたのですが。
ひょんなことからたどりついた平井堅さん『ノンフィクション』2017年FNS歌謡祭の平手友梨奈さんのダンスに衝撃を受けていたら。
平手友梨奈さんの佇まいが、『さんかく窓』の非浦英莉可(ヒウラエリカ)に似ているなあと思っていたら!
キャスト、岡田将生 志尊淳 平手友梨奈!
ほんとに平手友梨奈さんが非浦英莉可役だった!!
ますます楽しみになりましたー!
以下、リンク集と、原作漫画、ヤマシタトモコさんの作品について。怖い話注意です。原作は幽霊とかそういうのの話なのです。
“ヤマシタトモコ『さんかく窓の外側は夜』実写映画化!ホラー、オカルトであり、親と子供、大人と子供の物語でもあり、自由と闘争の物語でもある” の続きを読む
少し前から炎上騒ぎを巻き起こしているこの案件について、色々と思うところはありつつも、しっかり書く時間がないなあと思い、リンク紹介にとどめるつもりだったのですが途中からどんどん重めの内容かつ常々嫌だと思ってきた価値観の押し付けや無自覚な感動強要などに対し全否定モードになってしまいましたすみません。
でも勢いでアップしてしまいます。
えー重いの読むのあれだなーって方はこちらの小ネタへどぞー。
■February 09, 2018 #あたしおかあさんだから の歌詞を読んで騒然となる新井素子クラスタ
さて。
『ママがおばけに』も数年前話題になった時にwebで読んでみて、ふーんと思ってそのままでした。子供のためじゃなく親が泣くための本だな、うちの本棚には置かないな、で終了。
ただその後、今回の『おかあさんだから』の騒動で知ったのですが、もっと他にもとんでもない絵本をたくさん出してるんですねこの人…
何が問題って作者さん本人よりも、こういう本を「良い話だ、読むべきだ」と子供に読み聞かせてしまう大人の浅はかさを憂うべきだと思いました。
また、忘れちゃいけないのは、こういうものに感動して泣けてしまうくらい、世のお母さんたちは追い詰められている、ということだとも思います。誰もねぎらってくれない。肯定してくれない。どこへいっても肩身が狭い。だからこんなものにすがりついてしまうんだと思う。二分の一成人式とかもそう。
色々検索した中でたどりついた、作者さんへのインタビュー記事。これを読んで、あーご本人がだいぶ闇の深い人なんだな、と思いました。
■情熱大陸の舞台ウラ! 絵本作家のぶみ 【ゆめを叶えた大人の子ども時代、ヒヨっ子ちゃずのイラストインタビューVol.1】|ウーマンエキサイト(1/3)
のぶみ─情熱大陸のインタビュー中にお母さんの口からは信じられない言葉が出てきました。「のぶみは小学生のとき、みんなと仲が良くて、友達がいっぱい居て…」と話しはじめたんだよね。 違う人の話でもしてるのか? って思うくらい。(笑)
のぶみ─「お母さん何言ってるの!?」僕がいじめられていたことや、悪さをしていたことをいくら話しても「あなたは忘れているの。」の一点張り。撮影現場は、変な空気になってしまいました。
撮影後、お母さんからメールが届いた。「テレビでいろんな人に知ってもらうのに、のぶみのマイナスイメージな面を見せたくなかった。だから、いじめられていたことや、悪さをしていたことを隠したかったのよ」と。
それを聞いて、今まで「あなたは良い子だから」と言われていた意味がわかった気がした。お母さんの中で、悪かった僕はいなかったことにしたかったんだ‥と。
うーん。
なのでというか何というか、この人の個人的なお母様との軋轢みたいなものを見せられているだけ、と思えば、無関係な他の人たちが動揺したり憤ったりすることじゃないな、と。励まされる人はもらっとけばいいんじゃないですかね、と。
それよりも、問題はそれを安易に「良い話」として子供たちに押し付けようとする大人たちの感覚だよな、と思いました。おそらくは善意で。だからタチが悪い。
“[真面目に] 絵本作家のぶみ『あたしおかあさんだから』『ママがおばけになっちゃった』などなどについて思った、”感動”を押し付けることへの違和感” の続きを読む