ネット上に我が子について書くこと(西原理恵子さんの娘さんのブログ)[まじめに][機能不全家庭]

ブログ上で子供のことをネタにしている限りは、この話について触れなければならないな…と最初にこの話題に接した6月頭から思っていたのですが、どうにもデリケートすぎて考えあぐねているうちに時間が経ってしまいました。確実に教科書に載るような歴史的大事件(首相銃撃)だけでなく、一人一人の日常の上にも大きな爆弾は落ちてくる。

西原理恵子さんの娘さんのブログのことです。

下書きを繰り返しているうちに、オット母がまた5月末から緊急入院したりして、この夏は心身ともに落ち着かなかったのもあり。これもまた、教科書には載らないけれど自分や家族にとっては重く大きな出来事で。
そんなこともあってこの件について準備ができないまま、下書きしていた子供ネタをぽつぽつアップしてしまったのですが、そろそろ一区切りつけないとなと思うので、がんばって書いてみます。

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(2024年1月追記)
以下に自分が書いたことは、後で思ったのですが、あくまで親目線でしかないな…と反省しました。「子供を傷つけたくない親」「子供から傷ついたと言われたくない親」の目線。そんな葛藤と反省について、文末に追記として書き足しました。(追記、以上)

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今検索するとたくさんのまとめがヒットしますが、おそらくこれがわりと初期にメディアに載った記事なんじゃないだろうか。西原理恵子さんのデビューからの仕事の遍歴や世間での立ち位置についても書かれていて、なかなかわかりやすかったです。

「毎日かあさん」西原理恵子さんの娘による”毒親告発”で、日本の子育てSNS界隈が凍りついた件(All About)

ただ…こちらの記事も他のまとめもそうなんだけど、こう、問題の焦点を「親が子供のプライバシーを侵害していること」に当てすぎているように感じる。そしてそれを、一般の人に当てはめすぎているように。

ここがデリケートすぎて悩んだところなのですが、私は、一般人の親が自分の子供の話をネット上に載せることと、この西原母娘の問題とは、分けて考えた方がいいんじゃないだろうかと思っています。

もちろん「一般人なんだから親が好きに子供のことを書いてどこにでも発表してよい」と思っているわけではありません。ただ、事の発端となった娘さん、ひよさんが言いたかったのは、自分がつらかった、ということであって、それをあまり一般化してしまうと、彼女の吐露を薄めてしまっているような気がして。

本当に表現が難しいのですが、書いていってみようと思います。そもそも数年前から西原さんの書くものが苦手になっていた話や、無意識の差別、アンコンシャスバイアスについて。

結論から書くと、私は今後も、様々なことに可能な限り留意しつつ、子供のことをブログに書いていくつもりです。少なくとも現時点では。詳細は後述します。

そして、これはあくまで私個人の話であり、みんなこうすべき、とかこう考えるべき、なんていうつもりではないです。あくまで今の時点で、私はこう考える、という記録、報告、のようなものです。

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■きっかけはあの俳優…

まず、7月ごろから下書きしていたこの記事をなぜ今公開しようと思ったのか、きっかけはこちらでした。

「彼」自身の言葉で、語るべきではないか――料理と食を通して日常を考察するエッセイ「とりあえずお湯わかせ」柚木麻子|本がひらく

うん…「彼」の件もとても悲しいです。私もカマキリ先生カマキリ先生とここに書いてきたし、うちの子も大好きなのに…もう新作も再放送もないなんて、そのうちきっと「最近カマキリ先生録れないね」とか「お正月スペシャルあるかな?」とか言ってくると思う。その時一体なんて答えたらいいんだろうと今から途方に暮れています。

が、今ここに書きたいのはこの「彼」の話ではなく、ここで柚木麻子さんが詳細に書いてくださっている、「推し」としての責任についてです。

私も、サイバラが好きだと公言してきたから。
公言、といってももちろん柚木麻子さんのようにプロのライターとして商業媒体に書いて広く読まれていたわけではまったくないので、状況は全然違いますが、私にとっては、たとえ10数人か数十人の人であっても私のブログを読みにきてくれている人が、「あひるさんもサイバラ好きだって言ってたな」と気にしているかもしれない、私の回答を待っているかもしれない、ならはっきり返答をする責任があると思うし、自分としてもなんにもなかったように子供の話を書き続けることはできない。

そういった対外的な説明責任だけでなく、個人的に、自分の中でも落とし所を見つけたい気持ちもありました。「彼女」のファンとしてあまりにも衝撃だった。何がショックだったのかを整理しなければ、とてもこのまま他愛無い子供ネタと、自分が親からされて辛かったことを同じ場所に並べておくことはできないな、と思いました。

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■サイバラについて1: 無意識の差別に気づけなかった

事の起こりは6月頭、友人C美がショッキングなものを読んでしまった、と、ひよさんのブログ記事にリンクを貼っているツイートを送ってくれて。「毎日かあさんの裏でこんなことになっていたなんて…」ショックだ、という内容でした。リプ欄にも同じような、知らなかった、なんてひどい、毎日かあさん好きだったのに、という感想が溢れかえっていた。

私も、該当記事を読んで凍りつきました。他の記事も次々に読んで、もう、つらい気持ちに。
それからリプ欄を読み漁ったり、検索して調べたりしているうちに、2014年の時点ですでに『毎日かあさん』に書かれている内容が虐待ではないか、という声があったことがわかりました。子供たちがかなり幼いうちからずっと息子と娘の育て分けがひどい、接し方が全然違う、家庭内男女差別であり虐待、と感じている人が多かった様子。

そして言われてみれば…言われてみれば確かにその通りだ…!と、思わざるを得ませんでした。
差別や虐待って、知識がなければ気づかない、気づかれないものもとても多いんですよね。『毎日かあさん』を楽しんで読んでいた時期には、「男児は女の子に比べておバカ」とネタにすることが性差別だとは私はまだ気づいていなかった。笑える、微笑ましいエピソードだと思ってしまっていた。でもここ数年で、無意識の差別について意識するようになって思い返してみるともう笑えない。ひよさんがどれだけ辛い思いをしてきたのかが想像できる。

けれど…もっと前から違和感や危機感、嫌悪感を持っていた人たちもいたのかと思うと…

C美「自分の未熟を抉られるようでつらい」

それ!!!何も気づかず笑ったり楽しんだりしてしまっていた自分が恥ずかしい。

■サイバラについて2: 数年前から専業主婦批判がしんどくて読まなくなっていた

ただ、言い訳にはならないんだけれど、私も数年前から西原さんが言っていることに違和感は覚えていて、最近はあまり本を買ってなかったんですよね。

ブログにはっきり(これでもだいぶボカして)書いたのは2017年ですが、実際はもっと前から、西原さんの専業主婦否定がつらくて。だって私も専業主婦だし。自分で稼げないとダメ、それも会社に頼る雇われのサラリーパーソンではダメ、誰にも頼らず腕一本で稼げるように、自分の才能を磨き上げないとダメ、と言われても…それで食っていけるのはごく一握りの人であって…コツコツと仕事を続けるのではダメなの?粛々と家事をするのではダメなの?そんなに責められたり追い立てられたり、認めてもらえないものなのだろうか…

と、辛い気持ちになってしまうので、西原さんの女の子への教育関係、お金関係の本やインタビューはめっきり読まなくなりました。

でも、『毎日かあさん』で、家庭内の男女差別が公然と描かれているとは、気づけなかった…
私も兄がいて、子供の頃から辛い思いをしてきたのに。具体的には、母親から「お兄ちゃんのご飯よそってあげて」とか言われたりすることです。当たり前のように言われるから最初は気づかないんですよね。気づいてからが地獄でした。なんで女だからって私だけ言われるの!?と抗議しても、うるさいわね!!と怒鳴られて組み伏せられてきた。理論が通用しないし、こちらの感情は無視か否定かされるだけ。それで悔しい思いを何度となくしてきた。してきていたはずだったのに…『毎日かあさん』は気づけなかった…「笑える話」「いい話」にラッピングされているのを喜んで享受してしまった…つらい。恥ずかしい。

■サイバラについて3: 娘さんの苦しみを見落とし続けていた罪悪感

こういう感じで、ひよさんのブログを読んでまず真っ先に感じたのは、「気づかなくて申し訳なかった」という気持ちでした。まだ年若い女の子が、幼い頃からずっと苦しんでいた事柄に、接していながら気づけなかった…。自分も近い経験があったはずなのに何年もの間気づけなかったことが、自分も加害に加担していたかのような感覚になって、つらかった。
娘さんのことを小さな頃から知っているような気がしていて、成長を見守っているような気持ちに勝手になっていただけに、こんな辛い思いをしていたとは…という衝撃もあり。

このように多方面から、大いに混乱してしまいました。

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■親が子供のプライベートを公開することについて1

次に大きく襲いかかってきたのは、自分も同じことを子供にしているのでは、という恐怖でした。

自分もこうして子供のことをネットに公開しているし、このブログじゃなく家族親戚向けのwebアルバム(親族数人だけの限定公開)には写真と一緒に日々の出来事や子供の言動を事細かに書いているので、震え上がりました。うちの子もこんな、ひよさんみたいに深く深く傷ついてしまったらどうしよう、と。私のおこないのせいで。

そう言ったら、友人C美に「それとこれとは違うと思う、君はサイバラみたいに子供に整形させたり、進路を妨害したりしていない」と言われて、かなり安堵してしまいました。そうなのかな、大丈夫かな…。

もちろん、子供のプライベートを親が無断で公開することの問題というのはあると思います。親として、子供の人権を侵害しないよう、十分に気をつけなければいけない。
ただ、それはなんというか…各個人が個々に、その都度留意するべきことであって、今回の問題の本質ではないのではないかと、私もよくよく考えて、思うようになってきています。

■慎重に考えつつ、私は今後も子供の話題について書くつもりです(今のところ)

本当に、色々と考えたのですが、私は今後もこのブログに子供のことを書いていこう、と思っています。あくまで今のところですが。
子供の言動や、それにまつわる自分が考えたことというのは、もはや自分の生活を綴る上で切っても切れないもので、そしてこうしてこのブログに自分の生活や、過去の出来事や、楽しかったこと、辛かったことを書き綴るという行為も、自分の生活になくてはならないもので。

子供にまつわることこそ、誰かに話したいし、自分のためにも残しておきたいことがたくさんあって。

■読んだ誰かの、何かのきっかけになれるかもしれない

そういう個人的な記録を、自分の日記としてクローズドに書くだけでなく、私がこうして公開しているのは、自分が昔、子供を持つこと、親になることを怖がっていた頃、出産レポや育児エッセイを通して、未知の世界に触れることができて、とても新鮮だったから。それから身近な友人たちが子育てを始めた姿に、たくさん勇気づけられたからでもあるのかもしれません。私も、そんな誰かのきっかけになれるかもしれない。

本名を明かしているわけでも、顔写真を載せているわけでもないので、子供のプライベートというよりは、私のプライベートな話、と言えるのではないかと…すごく言い訳じみてしまうんだけど。

オットのことをブログに書く時は、小ネタは無許可でばんばん書いていますが、お父さんが亡くなった時の話は、事前に確認を取りました。私も横で体験したことではあるけれど、やはりオットのプライベートでもあるから、書いてほしくない、と言われたらやめようと思っていました。

何年か前に、私の元家族のしんどかった話をブログに書こうかどうしようか迷っている、という話をちらっとした時は、全然テイスト違うからやめたほうがいいんじゃないの、別のブログ立てるとかしたら、と言われたことがあって、その時はうーんやっぱりそうかなあ…と引っ込めたのですが、そこから数年経ていろいろと考えが変わって、やっぱりここに重ねていきたい、と思うようになって、自分の判断で少しずつ公開していくことにしました。

そのあたりも、こう、舵取りも匙加減も、自分で定めなければな、と思って。
それだけに責任も重大なのですが。自分で自分を戒めながら、監視しながら書かないといけない。もしかして子供が数年後にこれを見つけて読んだ時に、傷つくような内容を書いてはいけない、傷つけるような書き方をしてはいけないな、と。どんな表現に傷つくかは本人にしかわからないので、配慮が足りない部分も出てくると思う。そういう時は、その都度真摯に向き合いたいと思っています。

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今回の件をきっかけに、このブログを「うちの子が読むかもしれないな」と意識するようになりました。
何を今更!と思われるかもしれませんが、でもさ!ブログとかTwitterとかにちょっとした職場や友人関係の愚痴とか書く時その人が読むと思う!?思わなくない!?イヤアア本人に来られたらどうしようすごいつらい(小心者)。いやここにはあまり知人の愚痴は書いてないし、万一実母とかに読まれたらもうこれは事実だから(私がこう感じてきた、という意味で事実)どうしようもないですよ、と言えるけど。

そうじゃなくて、私が自分の身に起きた出来事の記録として書いておきたいんだよ、というのなら、やはり家族であり、頻繁に登場しているうちの子が、読んで不快な気持ちになるような書き方はしちゃいけないな、と思ったのです。改めて。

■母がそういう、嫌な人だった

考えてみれば、母がそういう人だったんだよなあ。私が物心ついた頃から、私の失敗をあげつらってはネタにして笑う人だった。あのね、子供の失敗って可愛いじゃないですか。つい披露したくなる気持ちもわかるようになりました。だからこそ思う、母のあれは明確に違う。今では便利な言葉がある、「マウント」。家庭内でも家庭の外でも、「こいつは私より格下の奴なんですよ」とね…アピールしたがる人間っているじゃないですか…(えっいない?いるよね?)それが残念ながら実の母親だったんですね。すっごく残念。

思うに母は、自分の実家の家族関係もそんな感じだったんじゃないか。マウント家族。すごく仲悪かった。うちの父もそんな感じだったからもう大怪獣のマウント合戦なご家庭でしたし。そういう、「人間関係とはこうして構築するもの」という無意識のやり方でもって子供にも接してしまって、私がどんなに言ってもやめてくれないどころか逆ギレして怒鳴られるばかりだったんだろうなあ。彼女にとってはあれが愛情表現なんだもの。

■私もその嫌な癖を真似していた

恐ろしいことに、私も小中高くらいまで、一番親しい友人にはマウント取るもの、と思い込んでいたのです…ひいいい!!!ごめんなさい当時の友人たち!!2人で遊んでる分にはいいの、穏やかに楽しく過ごせるの。でもクラスメイトとか複数になると途端に「コイツより私が上ということを周囲にわからせなければ!」という焦りが生じて…いや、これも後に分析した結果であって当時はもっと漠然と、だけどやはり何かに駆られるようにして、そういった行為に走っていた…気づいた時には愕然としました。20歳ごろ。

それまでは家庭内のことって異常だと思えずにいるじゃないですか。でも年齢が上がって、心理学や女性学の勉強をするようになって初めて、家庭内での私の扱われ方は世間的には間違っているのか!と気づいて。そんな話を友人C美ともしょっちゅうするようになって。母に言われたこんなことが、されたこんなことが辛かったんだ、とお互い話をするようになって。

そんなC美ちゃんに対して、他の人がいると「ねーこのヒトこないだこんな勘違いしてたんだよ?おかしくなーい?」とケラケラ笑って指さす自分!!おかしいのは俺だアアアア!!!
もうほんと。サイコホラー。毎日がサイコホラーでした。ミイラ取りがミイラに?カエルの子はカエル?
いや!いかん!こんなものは断ち切らねば!!!と、気づいたその日から必死で矯正しました。私、自分を褒めてあげたい。ここは自分を褒めてあげたいよくぞ気づいた、そしてよく頑張った。完全に抜け出すにはけっこうな年数かかったし、オットに対してはいまだに癖が出てしまうので気をつけないと。まだ途上なのですが。

思うに私は、とてもラッキーだったのです。本当に幸運だった。まだ年若いうちに違和感に気づくことができて、さらにそんな…私から嫌なこと言われても変わらず長年そばにい続けてくれる人たちにも恵まれ…

それに甘えず、常に自分の言動を疑ってかかる…というと言葉が悪いんだけど、たかをくくらないように、というのかな。これ大丈夫かな、と、気をつけ続けるつもりでいます。

このブログをいつかうちの子が読む、という前提で

なので私は、いつかこれを本人が読んでも、「自分、可愛がられてたんだな、愛されていたんだな」と思ってもらえるように書こう、と今回改めて思いました。それはそれで親の勝手な思い込みなので、どんな気持ちが裏にあろうとも自分のことを書いてほしくない、と言われるかもしれない。その時は、記事を修正したり、非公開にしたりすることもあるかもしれません。

はあ…本当に…悩みました…今後もずっと悩み続けていくテーマです…。

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リンク集

こちらのひとりさんの見解が、とても頷けるものでした。この自転車練習のエピソードもすごく良かった…

娘の自転車練習、手を離した父の反省…「子育て漫画描いてよかった」

ひとりさんのおっしゃる「目の前の娘に、リアルなコミュニケーションの中で愛情を感じてもらうことが一番大事」というのが、本当にその通りで。西原さんの場合は、もう漫画に誇張して描いたとか、娘さん本人の意向を無視したこと以前に、小学生で整形させたとか、学生のうちから金銭的支援を打ち切ると脅したりとか…母と娘の関係性としてそもそも問題がありすぎて。

また、ひとりさんは「大きくなるにつれて、今まで描いて大丈夫だったことが描いてほしくなくなるということもあるので、成長とともに、関係性とともに自分の中でアップデートしていかないといけませんね」とも書いてらして、これも本当にその通りだなと思いました。

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こちらの2つの記事も、考え込んでしまいました。

僕と西原理恵子さんと「愛すること」の呪い – いつか電池がきれるまで

西原理恵子の「あなたがいたから」 ☆☆☆☆ – 琥珀色の戯言

私の実母のように、西原さんも愛情表現のつもりでしかなかったのかもしれないなあ…と思いました。鴨ちゃんに対しても、彼女はああいうやり方しか知らなかった、ということなのかなあ…
彼女のように、若いうちから腕一本で切り込んで稼いで独自の地位を築き上げて…とやっていたら誰の忠告も耳に入らなくなるのかもしれない。ましてや子供の言うことになんて耳を貸すはずがない。だって彼女が子供の頃も誰も重きを置いてくれなかったのだから、ということなのかなあ…。

だからといってやられる側の辛さは何も救われないどころか「愛情表現だったのだ、彼女も気の毒な境遇だったのだ」と免罪符を与えてしまいかねないのでますますしんどいのだけど。

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こちらもすごく胸が痛む記事だった。

【追記あり】子供の頃、西原理恵子のファンだった思い出。

ここに書かれている、いつからサイバラのファンだったかという話でいうと、私は『ぼくんち』や『できるかな』シリーズあたりから好きで、それ以前の作品を遡って読んで、その後の『毎日かあさん』もずっと好きで読んでしまってましたね…「青い空を背景になんかいいこと言う」確かに…
でもなあ、『うつくしいのはら』のあたりには、確かに美しいものが表現されていたように思うし、そしてそれに心揺さぶられたので…今回の件は本当に残念です。伊藤理佐、安野モヨコ、二ノ宮知子さんたちは仲良しで、サイバラとも仲良かったみたいだけどどうしてるのかなあ…

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■最後に

きっかけをくれたひよさんに感謝したいです。罪悪感を覚える、という元読者たちの謝罪に、かえって申し訳ない気持ちになった、本を買って読んでいただけの人たちは悪くないです、と書いてくれていた。それでも私はやはり大人として、反省するし、同じことを繰り返さないよう留意します。せめてもの責任として。

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(後日追記)

ここに自分が書いたことについて、実はいまだに自分でも納得できていません。全面的に書き直したり非公開にしたりしたい衝動にたびたび駆られるけれどそれも卑怯な気がするし、なんて言ったら良いのかもまだ掴み切れていないからそのままにしてあるのですが。自分の中ではすごく保留中で…。
ただ、以下のスキローの志摩くんとお母さんについて考えてみて、改めて、ちょっと整理された気がしました。

サイバラのあの一件では、そしてこの記事の中では、私は言われて傷ついてしまった子供側ではなく、「子供を傷つけてしまった親」側の目線で話しているから、言い訳ばっかりになっているのだな、と。子供を傷つけるのが怖い。傷ついたと言われるのが怖い。加害者側に回ることが。だから、そんなつもりじゃなかったとか、あなたのためを思っていたとか、こちらだって辛かったのだとか、発作的に回避したくなっている。

でも、それではいけないと思う。
大人として、親としての責任というものがあるはずで、それを子供に押し付けてはならない。

そんな気持ちも、こちらにはもう少しまとめて書けた気がするので、あわせて読んで頂けたら嬉しいです。

2023-06-23 スキップとローファーの文化祭回、志摩くんのお母さんに思う [まじめに][機能不全家庭]


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“ネット上に我が子について書くこと(西原理恵子さんの娘さんのブログ)[まじめに][機能不全家庭]” への4件の返信

  1. 西原理恵子さんは、「なんとなく」読んでいただけだったので、今回の一連の話を見て、「なるほどなあ」と。

    ご家庭それぞれで事情がちがうのでしょうが、なんにせよ親子間での対話が必要なのではないか(親が聞く耳を持つかどうかがネックですが)と思ったりします。

    子供も小さい頃は無邪気さゆえに親を傷つけることもあります。そして子供との会話に慣れてきた親は、今度は子供に忖度無しで強い言葉を投げつけることがある(私は母からそれをやられました)。

    しかし、どこかで「子供(下に見るもの)」ではなく「一人の人間」としての線引きが必要なのかもしれませんね。

    私のトラウマについては、カウンセリングを受けたので、またいずれブログで書こうかと思っています。全部解決するわけではありませんが、とても楽になりました。

  2. 日月さん
    コメントありがとうございます。いやあー長年ファンだった者としては本当に、ショックがいろんな方向からガツンガツンとだるま落としというか黒ひげ危機一発というか…

    「子供の無邪気さで親が傷つく」、私も親から「あんたの発言や態度に傷ついた」と何度となく言われてきたのですが、今思えば、母は幼い私の言葉をきっかけにして、過去に誰かに言われたことを思い出し、その時直接相手にぶつけられなかったものを、目の前にいる弱い相手に代わりにぶつけていたんじゃないかと。

    自分の怒りや悲しみは、誰に向けられたものなのか、誰に向けるべきものなのかを、意識することが大事だな、と最近思います。
    カウンセリング、受けられたのですね!さぞ疲れたのでは…実りも多くとも、やはり向き合うのはしんどいことですよね。お疲れ様でした。

  3. いやー…やっぱりあなたすごいひとよ。
    私は友達の中でも早めに子を生んだこともあり、気軽に相談できなくて壁にぶつかりまくってきたのよね。
    そんななか「毎日かあさん」でコドモをコドモそのものとして“そんなもんだ”と受け止めて面白がることを教わって救われた気がしていて、だから娘ちゃんの告白は刺さりに刺さり…でもどこかに“でも”もあり。
    この記事見てなんか整理されてスッキリした気がしました。
    子供の話は、文でも写真でも残しておきたいよね。記憶はどうしても歪んで消えてしまうけど、記録は間違ってしまうこともあるけどそれごとその時のまま残るから。間違えて修正してを繰り返す子育てだけど、間違いごと大切に残しておきたいなーって、思います。
    とはいえ、私もなんだか気になってしまってmixi(懐かし!)もFacebookも書かなくなってしまったわ。そして子供のこと書くのやめたら書くことがない自分にも愕然としたよwww
    私はいつのまにか自分をなくしてる!って思ったわ。
    あとは小〜高マウントを取られた記憶が全くないので、たぶん、あなたのマウントは他人に全然刺さってませんよwwwうへへへへ。

  4. ゆいな
    うわーありがとー!マウント刺さってなかった説!マウントへたか!ありがとうそう言ってもらえると救われるわ。

    娘ちゃんの告白刺さったよね!わかるわ…もうほんとえぐられたよね…そしてこのど長文読んでくれて、さらにちょっとスッキリした気がしたなら嬉しいわ。そうよね、ゆいな産んだの早かったもんね。さらに転勤もあって余計に大変だったよねきっと。そしてそういう時に確かに励まされたりもしたんだよねえあの辺の作品群に…だからなおさらえぐられたよね…

    > 記憶はどうしても歪んで消えてしまうけど、記録は間違ってしまうこともあるけどそれごとその時のまま残るから。

    そう!そうなんだよね!今この時に書いておかないと忘れたり、キレイに修正したりしてしまう。そのまま残しておきたいんだよね。間違えて修正してを繰り返す子育て…ほんとその通りだねえ…

    書くことがない、自分をなくしてる、のではなく、いろんな友人知人が混在してるSNSに気軽に書ける内容が思いつかない、のではない?あれよ、匿名で!解き放たれて!心のうねりを書き殴ってしまえばいいのでは!?ゆいなの文章好きよ。どっかで書きはじめたら是非教えて?(匿名にならんがな)

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