(途中から、今回の新刊『騎士団長殺し』の内容に若干触れます。ちょっとですがネタバレ注意)
先日友人たちが遊びに来てくれた時にですね。「あっ村上春樹がある!」と話題にのぼりまして。
読書家の友人が「あたしアンチだから!だからこそ読んだけど、でも今回も途中でもう無理!と投げた」だそうで。
彼女が言うには、「村上春樹が書く女性像が、男に都合が良すぎて好きになれない」と。ええ、よく聞きますねそういうご意見。
「あと無駄なエロ描写がおっさん臭くて嫌!」
ああ、無駄とも思えるセックス描写ね。はぶいてもまるっきり問題のなさそうなセックス。
と、その「アンチ春樹だから!」という彼女と、「春樹読んだことないな~」という人と、「私自身はハルキは好きなんだけど正直『ハルキが好き!ノーベル賞とらないとかおかしい!』といういわゆるハルキストの気持ちはよくわからない」という私とであれこれ話してみて、その場ではつい流してしまった「女性像もセックス描写も身勝手な男の妄想そのもので我慢ならん!」という批判について、ちょっと改めて擁護してみようかと思います。
擁護、というか…うーんぶっちゃけそういう感想を持つ人は持つ人で、そう思ったっていうだけのことだし、私は私でそうは思わなかったけどな、っていうだけでこっちが正しい!とかいうつもりもさらさらないんですけどね。
でもほら、なんかハルキってそういう、面白くないっていう奴は間違ってる!とか解釈が甘い!とか、逆にこんなもの面白いという奴はバカだ!アホだ!とか、ご本人や小説を置き去りにしてハルキストとアンチハルキがお互いを罵りあって尻尾を喰らいあって血みどろのゴンズイ玉みたいになっている光景がもはやハルキ新作が出た時の風物詩と化しているような気もします。
そんなに嫌なら読まなきゃいいんじゃないだろうか…としか言いようがなくて困惑…。
友人の場合は「今度こそ何か違うかも、面白いと思えるのかも?と毎回トライしてみる」と言ってた気がしますが、そういう姿勢ならともかく、ほんとにけなすために読んでるような人がAmazonレビューにあまりに多くてびっくりしました。そんなの面白いと思えないに決まってるのに。なぜ。
まあそれはいいとして、とりあえず「女性像」と「セックス描写」について。
ハルキの描く女性像、そんなに「男に都合の良い妄想」でしょうかね?
以前鈴木祥子さんもエッセイでそんなようなことを書いてらして、「だからもう読まない」とかなり否定的でちょっと悲しかったな。誰がどんな感想を持ってもそれは単なる感想に過ぎないのだけど、好きな人に好きな人を否定されるのは悲しい。
私はあんまりそう思ったことがなかった。むしろ浮気しまくりんぐだわ、そのわりに「悪いとは思うんだけれど、あなたとはこれ以上一緒にいない方がいいと思うの」とか淡々と離婚を切り出してきゅうりのようにクールに出て行くわ、そのわりに主人公の僕は彼女のことを一途に愛し続けて途中行きずりの女性たちと入れ入れしたりするのもすべては彼女を取り戻すため、魂を救うための通過儀礼のようなものであったりしていて、過酷な目に遭いながら、時に自らの手を血で汚したりしながらもただ彼女のためだけに必死になっていて。
これってどちらかというと「女にとって都合の良い男性」なのでは?と思わないでもない。浮気しても許してくれて、浮気するしかなかった自分の苦しみを理解までしてくれて、必死でズタボロになってもがきながら自分のために闘ってくれて。
どうなんでしょう。よう知らんけど。あんまり考えながら読んでないんで。ただ物語の世界にログインしてウォークスルーって感じで、特に解釈したことない。ただ面白かったなーとか、今回はこじんまりしてたなーとか思ったりする。井戸キターとか。
むしろ春樹作品にたびたび出てくる、中年女性たちが内に抱える孤独の描写。ぽっかりと昏い木のうろのような。不吉で不可逆な。致死的な。
様々な描き方をされていますが、あれは私には読んでいて信憑性があるように感じる、というか、なんていうんだろう、共感する、というのとはちょっと違うんだけど、あるだろうな、と思えるので、ハルキ氏は一体どこからあんな着想を得るのだろう、と不思議です。
“村上春樹の書く女性像とか無駄とも思えるセックス描写とかを擁護してみる(ネタバレかも)” の続きを読む