iPhoneの家庭内お下がりを使ってみて初めてわかった微妙

オットがiPhone5に機種変したのを機に、お下がりの4Sを使い始めて一週間ほどでしょうか。その間まだ数日しか出かけていないのでモバイル通信オフにしていることやWi-fiを求めてさまよい歩いていることの不便さ、どれだけ月々の料金を節約できているのかについてはまだ検証が足りていないのですが、さっそく実感していることがひとつあります。
それはiPhone家庭内お下がりの残酷さです。
だって私iPhone4Sなのに、オットのiPhone5をたびたび手にする機会があるわけです。ちょっとiPhone取って、とかほら目覚ましかけたの?とかいう時に、ハイ、と手に取ってオットに渡すのです。
そのたびに軽!!Σ(゚Д゚||;)と。
薄!!Σ(゚Д゚||;)と。
長!!Σ(゚Д゚||;)と。いや長いのはそんなにうらやましくないけど。
いや軽さや薄さがはっきりとうらやましいわけでもないのです。ただ事実として、物理的に体感させられるわけです自分が日常的に接している機種が型落ちであるということを。もっと優れた最新機種がこの世にすでにあるのだということを。それを持って使って謳歌している人が世の中にすでにいるのだということを。世の中っていうか家庭内に。そこにいる。
その微妙。
(´・ω・`)

“iPhoneの家庭内お下がりを使ってみて初めてわかった微妙” の続きを読む