コメント欄を承認制にしました

少し前からですが、コメント欄を承認制にしました。投稿してもすぐには反映されず、私が管理画面から「公開する」と設定を変更しないとweb上にupされません。
もっと早く承認制に踏み切るべきでした。
4年以上ノーチェックでコメントを受け入れてきたのになぜ承認制にしたかというと、私がリンクを貼っていた相手先に対する、ひどい中傷が書き込まれたからです。


該当コメントはすでに削除してあります。
見つけて即座に削除、コメント承認制への切り替え措置を取りました。
が、外出中に書き込まれたものだったので発見が遅れ、書き込まれてから6時間もの間自分のblog上にそれを放置してしまうこととなりました。
この件で、私は2つのことを痛烈に後悔しました。
ひとつは、なぜもっと早く承認制にしておかなかったのかということ。
もうひとつは、自分以外の、自分の周囲のサイト(やその運営者)に対して無意味な悪意がぶつけられるという危険性を、まったく予測していなかったこと。
2つ目の危険性に気づいていたら、もっと早くに承認制にしていたでしょう。
というのは、もうだいぶ前から、承認制にしようか、あるいはコメント欄を閉じてしまおうか考えてきたからです。
blogを始めてから4年半の間、基本的にすべてのコメントに返事を返すようにしてきたのですが、だんだんと返事に困るような、自己満足的というか、コミュニケーションを取りづらいコメントが増えてきました。
それでもこれまでは、何となく返事しづらいなあ、という程度のもので、いわゆる「荒らし」や「炎上」ほどひどいものではなかったです(でも毎日のことなのでけっこうなストレスではありました)。
今回書き込まれたコメントは、明らかに、相手のサイトやそこに書かれていることに対して違う意見であるとかそういう内容ですらまったくなく、ただ相手を(そしておそらくそこにリンクを貼って紹介している私を)嫌な気持ちにさせるためだけの、本当に、まったく無意味な悪意からくる言葉でした。
【追記2008/6/23 05:02】意図的な悪意ではなく無自覚に書かれた言葉だったとしても、読む人を嫌な気持ちにさせる、心ない悪質なコメントでした。【追記終わり】
それでもこれが私にだけ向けられた書き込みだったら、削除はしたかもしれませんが(他人が見ても気分が悪かったと思うので)、承認制にまでは踏み切れなかったかもしれません。
こういう裏方の話をするのは、ただ読みに来て下さっているお客さんにとってはあまり気分の良いものではないと思います。書き込まれたコメントを、良いとか悪いとか選別しているんだ、と、いやな感じがするかもしれません。
だから、ずっと悩んできたけれど今までは近しい友人たちにたまに愚痴を聞いてもらうだけで収めてきました。
ですが今回、blogのオーサーに対してではなく、そこでリンクを貼ったサイトにまで悪意コメントの害が及ぶのだということを身をもって学び、自分の危機感の甘さ、管理の甘さを思い知らされたため、ひとつの事例としてそれを書き記してネット上に放流しておこうと思い、このエントリを書いています。
今までも、コメント欄の「荒らし」に関する様々な悩みや議論、対策などを読んできましたが、多くが、「自分に対する誹謗中傷を我慢する必要などない。そのために、承認制、あるいはコメント欄を閉じてしまっていいんだ」というスタンスでした。
大抵はそういう対策・議論が必要になるのはアクセス数が多く知名度の高い大きなblogを書いている人たちで、ネットの世界に長くいる人たちでした。
そういう、ネットに慣れた人たちでも、やはり誹謗中傷はスルーできずに傷つき、多大なストレスを感じるものなのだな、とどれを読んでも思いました。
大きなサイトを運営している先人たちが、こぞって「我慢する必要なんてない」と言ってくれていたのに、それでも承認制に踏み切れなかったのにもいくつか理由があります。
ひとつは、承認制にしても、管理人であるからには自分はそれを確認しなければならないからです。さらに、公開するかしないかを選別するという責任が生じます。
いやなコメントを読むことは避けられないし、ましてそれを公開するかどうかが自分の肩にかかってくるなんて、ストレスが減らずに増えるだけではないかと思いました。
それに、「いやなコメント」ってなんだろう。自分にとってうれしくないコメントはすべて削除して、うれしいコメントだけを表示してお返事をつけて、そんなふうに剪定した庭は整然として見えるかもしれないが、それは自然ではないではないか、それでいいのだろうか、それは自分がblogを始める時に漠然とでも描いていた理想の形なのだろうか。
そんなことも考えて、結局その都度承認制などの措置には踏み切れずにきました。
また、承認制にせずにいた理由のもうひとつ。
ちょっと返答に困るようなコメントというのは、管理人だけでなくお客さんから見てもやはり微妙な気持ちになるらしく、何度か友人から「変なこと書き込まれてたね」と言われたこともありました。承認制にすべきという主張の文章にも、お客さんを不快にさせるのを防ぐためにも有効、と書かれたものもありました。
ですが私は、そういう時、読みに来た人が「なんか変なこと書いてあるなあ」と思った時、承認制にして人を選ぶ前に、私がそれに返事をつけることで、読んだ人が抱いたちょっと微妙な気持ちを緩和することが出来ないだろうか。そう思って、困るコメントにも頭を悩ませながら返事をつけてきました。
もちろん、もらって単純に嬉しいコメントや爆笑してしまうようなコメント、私が書いた本文の内容を補完、あるいは訂正してくれるような、情報・知識として有用なコメントのほうがたくさんあったことは言うまでもありません。
そういう有り難いコメントが書き込まれるたびに、承認制はともかくコメント閉鎖というのは時に頭をよぎることはあってもやはりあり得ないな、と、今まで本当にたくさんの勇気をもらってきました。
自分がせっせと思ったことや出来事を書き連ね、苗を植えて、小さな庭が出来上がってくる。そこに人が集まって憩ってくれる、それを見るのが好きでした。すべてのコメントに返事を返していたのは、礼儀とか義務ではなく、感謝でもなく、ただきてくれた人とおしゃべりをしたかったからかもしれません。コメント欄の中で居合わせた人同士が、私がいない間に話を弾ませていたりして、そういうのを少し離れたところから眺めているのはとても幸福な気持ちでした。
コメントを承認制にしてから、別々の人が同じ内容の情報を知らせてくれたことがありました。
今までなら、承認制でなければ、きっと後から書き込んだ人は「前の人も書いてますが~」と書き添えてくれていたでしょう。でも、他の人が書き込んだコメントが見えないので、そういうコミュニケーションが成り立たなかったのです。そういうちょっとしたコミュニケーションが、成り立たなくなってしまったのです。
管理画面で、同じ内容のコメントが並んでいるのを見た時、とても悲しかったです。
自分なりにいろいろ考えながら、悩みながらも何年もの間続けてきたことを、たったひとつの暴力によって曲げる、自分が今までいろいろ考えた結果取らずにきた方法を選択することにするのは、とても悔しいです。その悔しさを余さず語り尽くす言葉を私は今の時点で持ちあわせていません。
でも、自分のプライドの問題だけではないのです。誇りを曲げても、自分に関わる人たちを、理不尽な悪意から遠ざけておきたい。人を嫌な気持ちにさせる行為に加担したくない。
そのためにできることをします。
そういうわけで、コメント欄を承認制にしました。お客さまにはご不便をおかけすると思いますが、投稿されたコメントはできるだけタイムラグが出ないように、可能な限り迅速に設定を公開に変更するようにしています。お返事をつけるのは遅れるかもしれませんが、設定変更はすぐに出来ても、落ち着いてコメントにお返事を書くほどの時間が取れないという状況もままあります。のでその辺ご理解くださいませ。


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