自分が生まれたのが1975年、昭和50年。なんと第二次大戦終結からたった30年後なのですね。
これには改めて数えてみてちょっとびっくりしました。
父がちょうど昭和20年(しかも5月。まだ戦争中です)の生まれなので、父の年齢を軸に考えてみたことは何度となくあったけれど、そうかたった30年しか経っていない世の中だったのか。
そんなことを今日ふと考えてみたのは、自分が子供の頃の”戦後”と、今とでは何だか言葉の持つ重量が違ってきているような気がしたからです。
まず「戦後50年」という節目があった。その頃は二十歳。”戦後”というものの捉えかたは、すでに今の感覚に近かったのではないだろうか。
その前の節目を「戦後40年」とするなら、10歳の時。
うん、はっきりとは覚えていないけれど、この時のほうが今よりもっと生々しかった気がするのです。”戦後”という言葉が。
10年も20年も経てば変わっていって当然なのかもしれない。いつまでも第二次大戦とか太平洋戦争とかのことばっかり振り返っても仕方ないのかもしれません。戦争以外のもっと大変な問題だって山積しているし。
でもそんなふうに突き放して考えたって、なにひとつ片づいてないじゃないかともやはり思ってしまう。別の戦争は次々起こって止まないし。
これが風化というものなのかな、と、10年20年単位で振り返ることができる年齢になってみて改めて思いました。
いや、むしろ風化どころかなあ。戦争の準備も誰もやめないし。
20年30年後に振り返った時、今ってどういう位置づけになっているんだろう。
→広島原爆資料館の展示が原爆肯定的に変わっていることについて。
私も1975年生まれ。
とーちゃんは1945年8月に生まれる予定が空襲で逃げ回ったいるうちに4月に生まれちゃって
こんな時代じゃ生き残れないからとダンボールに入れられて3日放置されたのに生きていたから
あまりの図太さにびっくりして育てられたそうです(どこまでフィクションやら・・)
私たちは両親から戦後の苦しい時代のことや
おじいちゃんおばあちゃんから戦争中のことを
聞く機会をもったけれど、
今の子供たちは?自分が戦争のおろかさを
伝えられるだろうかと、先日「はだしのゲン」を
観ていて思いました。
息子たちにはクソガキになってもらって
放蕩息子になってもらって、くそ爺になって
もらわないとこまるんですわ。
息子たちは、えぐい話にえぐい映像でも、
目をそらさず本物を知り、自分たちの頭で
考えて平和をかなえてほしいなぁ。
長くてごめんね。
>ゆいな
おおお、お父さんとそのご両親、大変だったでしょうね。私はあんまり聞かなかったほうだと思うけど、それでもおばあちゃんからちょっとは直接聞いたり、ぼけちゃってからは家中のあちこち(タンスの中とか)にお砂糖を隠してたりしてたという話から戦争やあの時代の大変さを感じ取ることが出来たけど。
確かに今の子供たちはどうやって学んだらいいんだろうね、どんどん事なかれになって教科書も原爆資料館も年々マイルドになっていく世の中で。
>えぐい話にえぐい映像でも、
>目をそらさず本物を知り、自分たちの頭で
>考えて平和をかなえてほしいなぁ。
そうね、うん。本当に。
2008年の八月十五日
なんと今日のこの日によりにもよって金曜日だというのに。
節子(注:とある映画の登場人物の名前であってタイトルではありません)をやらないというのは快挙だと思います。
オリンピックのおかげですね。
2009年の八月十五日
少し前に見つけたものなので、目にした人も多いかもしれません。
「2chの軍事板で「あなたのお爺さんの戦争体験」のスレが有って」というお話。
ネタ元:clione clitiques(Thursday, August 6th 2009)
以下に全文を引用しておきます。
「もし私たちが1930年代にタイムスリップしたとして、第二次世界大戦への参戦を防ぐことはできるのか」ー2010年の八月十五日
先日たまたま何かを検索していて辿り着いたこちらの記事が、大変興味深かったので今日のこの日にメモ。
■やっぱり定額給付金は受け取らない。:おきらくたぬきの次のへそ
だいぶ懐かしい話ですが、定額給付金について。
かいつまんで説明すると、「定額給付金を評価しな….