広島平和記念資料館の展示まとめ

ううん本当だったのか。。
広島の平和記念資料館の展示が、「広島市・広島市民がいかに戦争に協力的だったか」という内容になっているという噂を聞いたのですが、資料館ホームページでもその展示内容を見ることができるとのことなので見てみました。
平和記念資料館を見学しよう(広島平和記念資料館WEBSITE)
「展示を見よう」
→「資料館 東館」
→「展示順に見る」
→「被爆までの広島」
→「『被爆までの広島』をじっくり見る」
の順でお進み下さい。


各ページへの直リンクができなかったので、目次だけでもすぐに見られるように貼らせて頂きます。
「被爆までの広島」の目次一覧
左「明治・大正期のあゆみ」と、右「昭和期・戦時下の広島」の前後編に別れて詳しく書かれています(クリック拡大)。
被爆までの広島、明治・大正被爆までの広島、昭和

ーーー(2024年6月追記)ーーー

リンクが変わっていたので貼り直しておきます。
広島平和記念資料館

直リンクもできるようになっていましたので、一部だけ。
広島平和記念資料館 | 展示を見る | 常設展示 | 6 広島の歩み | 6-1 戦時下の広島と戦争 | 6-1-2 戦時下の広島のまちと暮らし

1931年(昭和6年)、日本は満州を占領して独立させ国際的非難を浴びました。1937年(昭和12年)、中国と全面戦争に突入し、米英などとの対立を深める中で1941年(昭和16年)に真珠湾攻撃とマレー半島上陸を行い太平洋戦争に踏み切りました。広島は派兵拠点として大きな役割を果たしました。戦争の遂行が最優先され、物資統制などにより市民生活は非常に苦しくなりました。アメリカによる本土空襲は1944年(昭和19年)から激化し、1945年(昭和20年)8月6日広島に、9日長崎に、原爆が投下されました。8日にはソ連も対日参戦しました。日本は降伏を決め、8月15日、国民に敗戦が知らされました。

資料館の年表や、運営会議委員会名簿もあった。下の引用記事とあわせて読むと興味深い。

広島平和記念資料館 | 資料館について | 資料館の歩み | 資料館に関する年表

広島平和記念資料館 | 資料館について | 資料館の歩み | 資料館運営会議について | 広島平和記念資料館運営会議委員名簿

ーーー(追記以上)ーーー

以下、私がこれについて調べてみようと思うきっかけ・参考にさせて頂いたリンク集を流れ順に。珍しくひたすらリンク・引用集を作ってみます。

■2007/5/31 【広島】 原爆投下は「日本の植民地支配から解放」とのアジアの声が根強い…原爆資料館展示見直しに中韓などの委員を起用へ(痛いニュース)

【リーパー理事長は中国新聞のインタビューに、「原爆投下を『日本の植民地支配から解放した』と肯定する考えが根強いアジアの声に触れながら議論を深め、多民族が共感、納得できる施設にしたい」と述べた。】

■2007/5/31 広島平和センターの新理事長は、亥年で核廃絶推進派の人です(good2ndの日記)

【かいつまんで言えば、新理事長のスティーブン・リーパーは核廃絶を目指す平和運動家で、もちろん原爆投下を肯定なんかしてません。】

■2007/6/1 広島平和文化センターの理事長人事のこと(good2ndの日記)

【 地を這う難破船 – 広島平和文化センターをめぐって、電凸の報告から(急)で電凸の報告をまとめてくださっています。中韓の委員を入れて云々という話は、理事長が話しただけで資料館として決まったわけではないようですね。
(中略)
しかし理事長人事より、こちらのほうが問題だと思います。
 その都度、「広島平和記念資料館は、広島市の行政機関のひとつで、職員は一般行政職員で研究者などは一人もいない」と返事を返すと、皆驚いて「それでは、どこが原爆研究をしているのか」と聞き返されました。私は答えることができませんでした。平和記念資料館で働く事を特に希望したわけでもない市の一般行政職員によって構成されている学芸担当ができる仕事は限られています。(濱本康敬の独り言 平和文化センター理事長・平和記念資料館副館長人事は平和行政の転換)】

■2007/6/5 平成19年5月31日付中国新聞朝刊記事に関する理事長の基本的な考え方(広島平和記念資料館WEB SITE)

【核兵器は一瞬にして大量破壊・無差別殺戮を引き起こす非人道的な兵器であり、いかなる理由があっても、その使用を正当化できるものではありません。この考えは、広島市及び(財)広島平和文化センターの基本スタンスであり、これからも決して揺らぐものではないことを最初に申し上げておきたいと思います。
(中略)
核兵器を巡っては様々な意見があり、その中には中国新聞の記事にあるように、「原爆投下を『日本の植民地支配から解放した』と肯定する考え」もあります。これは、このような考え方がアジアにはあるという事実を指摘したのであり、私がこの考え方を肯定している訳ではありません。
 逆に、私はこのような考え方を持っている人たちにも原爆が非人道的なものであるということ、そして、決して使用されてはならず、地球上から廃絶しなければならないものであるということを理解してもらうために何ができるのかを考え、実行する必要があると伝えたかったのです。】

■2007/7/3 先述の痛いニュースコメント欄

【2534. Posted by 009 2007年07月03日 15:22
長崎原爆資料館HPの常設展案内には2002年の開設当初から「~原爆が投下されるに至った経過、~」という文章があるわけだが。】

と、先ほど久しぶりに「そういえば原爆資料館のあの話はどうなったのかな」と痛いニュースのコメント欄(電凸メル凸の結果報告などなかなか有意義なコメント応酬になっています)を見に行って、資料館公式サイトを見てみることにしたのでした。

オマケリンク
強烈な瀬戸内の夏と白い砂(みたいもん)

【「原爆というのは、この天気の中に落ちたんだよ。そのことを知らなくちゃ行けない。」】

夕凪の街 桜の国(こうの 史代)

英訳してほしいなあ。中・韓国語訳は。。読んでもらえなそうだなあ。
ただただ淡々と、私たちにとってはこうだったんだよというお話。

夏・長崎からさだまさし 夏・長崎からDVD-BOX
『長崎小夜曲(ナガサキシティ・セレナーデ)』で検索していて発見。


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“広島平和記念資料館の展示まとめ” への5件の返信

  1. 2008年の八月十五日

    なんと今日のこの日によりにもよって金曜日だというのに。
    節子(注:とある映画の登場人物の名前であってタイトルではありません)をやらないというのは快挙だと思います。
    オリンピックのおかげですね。

  2. 2009年の八月十五日

    少し前に見つけたものなので、目にした人も多いかもしれません。
    「2chの軍事板で「あなたのお爺さんの戦争体験」のスレが有って」というお話。
    ネタ元:clione clitiques(Thursday, August 6th 2009)
    以下に全文を引用しておきます。

  3. 「もし私たちが1930年代にタイムスリップしたとして、第二次世界大戦への参戦を防ぐことはできるのか」ー2010年の八月十五日

    先日たまたま何かを検索していて辿り着いたこちらの記事が、大変興味深かったので今日のこの日にメモ。
    ■やっぱり定額給付金は受け取らない。:おきらくたぬきの次のへそ
    だいぶ懐かしい話ですが、定額給付金について。
    かいつまんで説明すると、「定額給付金を評価しな….

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