『時をかける少女』の感想について、びっくりしたことがあります。
主にネット上での口コミで評判が広まっていったのは皆さんご承知のところと思いますが、その中にこう、とても後ろ向きな感想があるというのです。
調べるほどにデリケートな問題なので、この話をblogに載せることには正直今も迷いながらで、あまりきちんとまとめることができませんでした。ただ、自分が普通に楽しんで観て気分が良くなったもの、その同じものを観てこんなにもつらい気持ちになってしまう人がいたのか、と驚いた気持ちを記しておきます。
まずは『耳をすませば』について。
耳をすませば
一部では定説となっているようですが、「耳すまを観るとしにたくなる」というかたがたがいるそうです。
■「耳をすませば」を観て自殺(C.G.I.)
(以下、引用)
■ ■ ■ ■ ■ ■
「いいなあこんな学生生活」
「これが本来あるべき学生生活だったんだ」
「すると俺の学生生活ってなんだったんだろう」
そして、見たものの中に、
本来では「ありえなかった現実の世界」が正当化され、
従来の「あたりまえだった現実の世界」が否定される。
本来持っていなかったものをまるで持っていたように錯覚させ、それを否定される。
こんな残酷な作品は無い。
■ ■ ■ ■ ■ ■
また、こちらには元ネタの2ちゃんねる毒男板からの引用が数多く載っています。
■耳をすませばルサンチマン(本当は痛いテレビ番組)
ルサンチマン(花沢健吾)
『ルサンチマン』かあ、なるほど。
そういえばこれと『電影少女』ってどう違ったのかしら(『電影』のほうはちらりとしか知らない)
電影少女(桂正和)
と、ここまでが『耳すま』についてです。
そして、私も以前の感想に書きましたが、『時かけ』で『耳すま』を思い起こす人は多かった様子。
よって、『時かけ』を観てしにたくなるほど落ち込んでしまったかたも多くいらしたようです。
(検索でたどり着いた『時かけ』の感想記事だけでなく、その方々の他の記事もいくつか読んでみると、そういう感想を抱いてしまう自分に、人と異性とうまく付き合えないことに、本当に苦しんでいることがひしひし伝わってきました)
あれはフィクションなんだから、ああじゃなかったからってそんなにもつらい気持ちになることないのに。
最初はそう思いました。
『耳すま』も『時かけ』も、”普通”の中学・高校生活を舞台にしていて、恋愛や友人関係などの”普通”の悩みが描かれていますよね。
でも、この”普通”って、”理想”のことだと思うのです。
当たり前にあったこと、実際に経験してきたことという意味での”普通”じゃない。こんな日常が自分にもあったらよかったな、という”理想”、憧れです。
誰にとっても、あんな輝かしく完璧な学生時代は無かったと思います。少なくとも私には無かった。あんなふうに好きな人が自分のこと好きになんてなってくれなかったし、見苦しい片思いだったし。
良くて振られる友達の側だったけど、それにしたってあんなに友達大事にできなかったし。そもそも時間を大事にしなかったし。
それに、少女漫画の世界では告白してOKされてキスのひとつもすればハッピーエンドだけど、現実では好きな人と付き合ったって新たな問題が次々山積みで、100%幸せになんてちっともなれない。
現実がそうだからこそ、あの頃思い描いていた、実現してほしかった生活をフィクションで見せてもらえると、「ああ、こういうのに憧れていたなあ」と当時の自分の若く瑞々しかった感覚が思い出されて、切ないけれど少し元気に、明るい気持ちになれる。
のではないでしょうか。
ああいう映画を作った人たちも、見た人に元気になってほしくて作ったんじゃないかな、とも思います。少し元気になって、明るい気持ちで映画館を後にしてほしいんじゃないかと。
ただ、『耳すま』『時かけ』に関して負の感情を喚起してしまうかたたちのいろんな話を読んでみると、そんなことは重々承知の上なんですよね。それでも絶望的な気持ちになってしまうのを止められない。
それに人によっては、「完璧な思い出なんかなくたって、周囲に友人や異性が存在して、交流してただけで幸せだろうが」と思われるかもしれません。
そしてそれは、確かにその通りだと思います。
どうしたらいいのかなあ。
ちょっと、考え込んでしまいました。
こんにちは。
難しいですよね、こういうのは。
映画に限らず、全ての物事に言えることですが。
「耳すま」は観ていないのでわかりませんが、「時かけ」を観て辛くなるってはわからいでもないです。人とうまく付き合えない辛さって私も実感してきたから。
>どうしたらいいのかなあ。
まずは「自分が辛く感じる」に対して、自分を責めないことでしょうね。
なかなか難しいですけど。
とりとめのない意見で失礼しましたm(__)m。
今の自分を否定したいから、
「あの時に、ああしていれば…」と
選択肢が豊富だった頃の自分をも否定したい…
のかなあ…。
置いてけぼりの感覚も、あるのかもしれません。
ふおおおおこんな定まらない文章にコメントをありがとうございます。
>shamonさん
>難しいですよね、こういうのは。
>映画に限らず、全ての物事に言えることですが。
そうなんですよね。。
shamonさんのおっしゃる通り、まずは「辛く感じることに対して、自分を責めないこと」かもしれませんね。
どうしたらそんなにスマートに人と付き合えるんだろうって、思いますよね。そしてそう思われてる人も悩みながらだったり。
>ryoooさん
>選択肢が豊富だった頃の自分をも否定したい…
ああああ、負のスパイラルです。タイミングによって、選択肢を選ぶ瞬間に萎縮させられるような何かが起こってしまったり、凄まじく運とか間のわるいこともあるんですよね…。
置いてけぼり。触れそうにリアルな言葉ですよね。
すごく個人的で、狭間な言い方かもしんないすけど、
「今味わう日向ぼっこだって、楽しいよ?」
と、そんな間近で味わえるほっとした気持ちを、
強く、喋りたいです。
いやほんと!木陰ってスゲー涼しくて気持ちいいよ!
とか!
普遍で不変で単純な現象でも、実は気持ちいいよ!とか!
こんばんは。
「気持ちは(スゴイ)わかる(し、共感できる)けど、わかりたくない(自分はもっと強がっていたい)」という感じでしょうか。
(そういえば、僕も「電影少女」に一時期かなりハマったなぁ)
>負の感情を喚起してしまう…絶望的な気持ちになってしまうのを止められない
人は、負の面(ダークサイド)に囚われるとホント身動きが取れなくなりますよね。
何だか、村上春樹さんの初期の作品を思い出してしまった。
「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」
「(生まれついて)強い人間なんてどこにも居やしない。強い振りのできる人間が居るだけさ。」
「どんな進歩もどんな変化も結局は崩壊の過程に過ぎないじゃないかってね。違うかい?」
でも、あの当時の僕(予備校生)が救われたのはジェイ(「1993年のピンボール」)の『ねぇ、誰かが言ったよ。ゆっくり歩け、そしてたっぷり水を飲めってね。』
で、こう思った。「(女のコとの出会いがなくたって、素敵な思い出なんかもなくたって)これから得られるものを大切にしていきたいし、自分のダークサイドなんて無視してちゃんと前向きに生きたいし、運・タイミングを引き寄せる努力は怠らない、怠ったとしても自分をメチャクチャ責めないで、また歩き始めればいいんだ」と。
以下は、2年位前に知り合いの男のコ(25歳位)に言ったアドバイス?的なこと。
「色々あるかもしんないけど、明けない夜はないし、とりあえず一人でヨシ牛やMacじゃなくて、バー(スナックでも)かカウンターのある居酒屋に毎週行ってみようよ。何かが始まるかもしれないし、始まんなきゃお店変えればいいしさ、つまんなかった学生時代はせいぜい12~16年間位だけど、この未曾有の超高齢化社会、あと少なくとも50年は生きるんだから、”これから”の方がもっと重要なんじゃない?」
支離滅裂な訳のわからないことばかり書きなぐってしまい、すみません。
>ryoooさん
>すごく個人的で、狭間な言い方かもしんないすけど、
>
>「今味わう日向ぼっこだって、楽しいよ?」
>
>と、そんな間近で味わえるほっとした気持ちを、
>強く、喋りたいです。
これ泣きそうです。
きっと一番届くのは個人的でcloseな言葉なんだと思います。
>SACさん
いや、ありがとうございます。わかります。
>怠ったとしても自分をメチャクチャ責めないで、
>また歩き始めればいいんだ
これが一番大事なことですよね、本当に。
1973年のピンボール、私も大好きです。事ある毎に読み返しています。
ジェイの台詞で一番印象強いのは、暗い内容なので何ですが「理由のない暴力というものがこの世には存在するんだ」っていう下りです。
本当にその通りだと思う。そんなひどい奴はいないとか、そんなことする奴は許せないとかじゃなくて、ただ「いる」んです、どうしようもなく。
それと同じくらい、「理由のない好意、善意」も確実に存在しますよね。それに出会った眩しい瞬間をひとつひとつ集めて、花束のように抱えて生きていきたいです。
「理由のない悪意、暴力」にますます包み込まれそうな日本あるいは世界ではあるのですが、「何が正しくて、何が間違っている」ではなく、「相互に理解しようとする姿勢」が大切で、余裕のない「善と悪」の解釈だけは避けたいです…非常に難しい問題ではありますが。
>1973年のピンボール、私も大好きです
「あひるCATEGORIES」に春樹ネタがあったので、そうかと思ったのですが嬉しいですねぇ♪
僕は良い意味でも悪い意味でも、村上春樹さんの「初期3部作(+ダンス…)」に大きな影響を受けました。
現在ではその「(僕の勝手で独り善がりな)呪縛」からそろそろ解放されたかなぁ?という感じです。
因みに、僕の手元にある「1973」の文庫本は「昭和61年12月22日第11刷」です(^_^;)
>出会った眩しい瞬間をひとつひとつ集めて、花束のように
素敵な言葉ですね♪
いやぁ、ほんと尊敬です。
>SACさん
ありがとうございます。なんかいつもストレートに褒めていただいて、とても嬉しいです。
>「何が正しくて、何が間違っている」ではなく、
>「相互に理解しようとする姿勢」が大切で、
本当にその通りですよね。でもなかなか、難しい….。
>因みに、僕の手元にある「1973」の文庫本は
>「昭和61年12月22日第11刷」です(^_^;)
ゾロ目キター!いいですねえ。そういう話なら私のピンボールも確か面白い日付だったはず、と思って探しまわったのですがナイ!持ち歩きまくってるからなあ…どこいったんだろう;
細田守 × 村上隆 × ルイヴィトンアニメ Louis Vuitton 『SUPERFLAT MONOGRAM』
わああ!こんなのあったんですね知らなかったです!
■Louis Vuitton 『SUPERFLAT MONOGRAM』
ここにはこれ以上大きく貼れないので、ぜひ下のリンクからでっかい画面でHQでどうぞ。
■YouTube – Louis Vuitton 『SUPERFLAT MONOGRAM』
2003年3月から4月の間、世界中の….