以下、漫画『セクシー田中さん』ドラマ化にまつわる話を書きます。
どうしたってしんどい話題になってしまうので、ご無理なさらずスルーしてください。
漫画『セクシー田中さん』ドラマ化にまつわるトラブルで、原作者の芦原妃名子さんが命を絶ってしまうというあまりにも痛ましい出来事から、もうすぐ1ヶ月が経とうとしています。改めて、芦原先生ご本人のご冥福をお祈りすると共に、ご遺族ご友人方に心からのお悔やみを申し上げます。先生のファンの方々には、かける言葉が見つかりません。
私は今回の件が起こるまで芦原先生を存じ上げなかったのですが、それでも相当な衝撃を受けてしまいました。漫画が好きで、漫画を原作にしたドラマにがっかりしたり憤ったりしたことが一度や二度じゃないし、そもそも、そもそも漫画が好きなので。漫画が好きなので。だから、こんなことが起きてしまって本当に悲しいし、憤っています。
今回の件で明るみに出た、芦原先生がされてきた非道な扱いを読むだけで辛いです。50歳になるまでこんな作品を描き続けてこられるってなまなかなことではないはずで、そんなキャリアある職業人に対する姿勢とはとても思えない、日テレと小学館の対応。亡くなる前も、亡くなった後も。1ヶ月が経つ今日に至るまで。
あまりにも辛すぎて今日まで記事を書くこともできなかったのですが、漫画が好きで、漫画家さんを応援したい身として、これに触れないままにはできないので、ここに現時点で私が見聞きした識者の方々のコメントをまとめながら、思ったことを書き残しておます。
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野木亜紀子さんのポスト。一番最初のもの。
日テレドラマ『セクシー田中さん』の件。この数日、方々に訊いてはみているものの、まだ判然としない点も多く、付随する問題の論点が多岐に渡るため、どこから触れていいのかわからない。こんな悲しい結末になってしまうまでに幾つかのポイントがあり、そのどれもがよくない方に働いてしまったであろう…
— 野木亜紀子 (@nog_ak) January 31, 2024
野木さんは今日に至るまでずーっとこの問題について発信し続けていらして、変な粘着誹謗コメントにまでひとつひとつ返信されていて尊敬しかありません…。野木さんのご負担が心配なのでくれぐれもご無理なさらないで欲しい…。
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第三舞台の鴻上さんのポスト。
痛ましい出来事の激震が続いています。僕自身、原作を提供したこともあるし、脚色したこともあります。僕はずっと今回の悲劇を「原作者と脚本家」の問題にしてはいけないと思っていました。… https://t.co/XT6m6J9M0A
— 鴻上尚史 (@KOKAMIShoji) February 4, 2024
鴻上さんのこちらの記事も。
■鴻上尚史が語った『セクシー田中さん』問題の本質 「脚本家が悪い」空気の中で投稿した真意は? | AERA dot. (アエラドット)
「とにかく、一人でも多くの人に、今回の問題は『原作者と脚本家』の問題ではなく、『出版社とテレビ局』の問題だという認識が広まってほしいです。」
この記事について鴻上さんご本人がツイートしてらした時は、鴻上さんの顔写真がバーンと載っていて…。野木さんもそうなんだけどこんなふうに顔写真をバーンと貼り出されるのって、今更ながらすごく暴力的だな、と思ってしまいました。しかも野木さんのはおそらくメディアが野木さんの発言も顔写真も無断で載せている。
この件に関する記事にはセクシー田中さんの表紙がばんばん使われたりもしているし…そういう視覚的インパクトも、芦原先生にとっては大層しんどかったんじゃないだろうか。小学館も日テレも、「編集部一同」とか「ドラマ制作部」みたいな匿名的な名義でしゃべるだけで、リスクやダメージが個人の漫画家とあまりにも違いすぎる。なのにその漫画家を誰も守らないって…。
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こちらの徳力さんの書かれた記事が、分析的でかつとても温かかった。
■「セクシー田中さん」と芦原先生の悲劇を繰り返さないために、私たちが真剣に考えるべきこと(徳力基彦) – エキスパート – Yahoo!ニュース
テレビの視聴率やSNSへの当該ワードの投稿推移などを調べ、こうして時系列順に並べてみると、確かに先生はこうして追い詰められてしまったのかもしれない…という説得力を感じます。そして何より最後に、『セクシー田中さん』という作品が「自己肯定感の低さ故生きづらさを感じる人たちに、優しく強く寄り添えるような作品」だった、と書いておられて。
そうなんですよ。
私も今回の騒動で芦原先生を知り、読んでみたのですが…すっごく面白いの。
まず、絵が綺麗。
ものすごくデッサンしっかりしてる…長く書いてらっしゃる漫画家さんって絵が崩れてしてしまう方もいらっしゃるけれど、芦原先生は真面目でストイックな方なのだなあと最初の数ページで思いました。
それから、話が…テーマが重い。いつも私が友人と話し込んでしまうような、女性が抱える生活苦や性差の重圧なんかが、さらりさらりとストーリーに織り込まれていて。
さらに、相当重いテーマをガンガン詰め込んでいるのに、カラッと明るい!!楽しく読めるの。登場人物の一人一人も、一生懸命でかわいくて、素敵な人たちで。
女性にとって、男性にとっても、様々な思いや葛藤を抱えた人たちに寄り添って、読むとすっごく励まされるような…読む人をすごく励まそう!としているのが…読んでいてものすごく!伝わってくるのです。
こんな作品を描く人を…なんてことを…。
長年のファンの方が「芦原先生を返してよ」と呟いてらしたのが頭から離れません。
先程の徳力さんの記事にもあるように、ネットで炎上し始めたのは12月24日からのようですが、2023年10月10日発売の単行本7巻の前書きに、ドラマの脚本にも加わっている、と先生が書いてらっしゃるんですね。原作から大きく逸れた部分は自分が脚本の修正をさせてもらっている、おそらく(ドラマの)8話以降に収録されるはず、と。コメントの日付は8月31日。
この8月末の時点で、先生はすでに相当追い詰められていたんじゃないだろうか。
こんなふうに後から憶測であれこれ言ってもどうにもならないのですが、年末からの1ヶ月のやりとりだけで衝動的に動いてしまったのではなく、少なくともドラマ化の話を承諾した2023年6月よりももっと前から、ずっと悩まれていたんじゃないかと。ドラマに関するちっとも要望が通らない打ち合わせや待ち時間に消耗させられ、ドラマ放送日が迫っている焦りや、準備不足の状態でも無理矢理脚本を書かざるを得ない状況に陥ったり…それも本来の漫画連載と単行本の作業の合間に。恐らく不眠不休で。
そういったすべてが、先生の正常な判断力を押し流してしまったんじゃないかと思うのです。
少なくとも半年に渡る、極度のストレス状態の末に。
これ、労災ではないのか…?
小学館プチコミックの文章も、私には無責任で感傷的なものにしか思えませんでした。日テレの方も慌てて社内特別調査チームを設置するという声明を出しましたが、これも日テレの普通の公式サイトじゃなく企業向けのプレスリリースからPDFを開かないと見れないようなわかりづらいもので。
誰もが責任逃れに必死のようにしか見えない。
頼むから、小学館と日テレに、第三者機関を入れて調査してほしい。
それからもう二度とこんな杜撰な漫画原作のドラマ化をしないでほしい。
テレビ局の尊大さも、出版社のやりがい搾取も、解体されてほしい。
どうせ数ヶ月も経った頃に「何も問題はなかったとの結論に至りました、今後再発防止に努めます」としか言わないのではないかという気がして、暗澹たる気持ちになるのですが。
いや、これまでにも散々あった、酷すぎる実写化に対し、私たちは諦めすぎていたのかもしれない。もっと怒って良かった。ふざけるなと。原作のどこを読めばあんな改変しようと思うんだと。真面目に作れと。私はけっこう怒ってきたんですけども。寄生獣の実写映画とアニメに対して。大真面目にです。でももうこんな最悪の事態が起きてしまったらますます本当に恐ろしい。たとえ良い実写化を見たとしても、今回の件が頭に浮かんでしまう。セクシー田中さんもこうだったら芦原先生もあんなことにはならなかったのにと思わずにいられない。
吉野朔実さんが亡くなった時もしばらく呆然としてしまったしいまだに寂しく思うのですが、あれは突然の訃報ではあったけれど病死で…。もしも今回のような形で、自分が長い年月ずっとファンだった方が奪われてしまったらと考えると。
もう20年くらい前ですが、小林まことさんの自伝的漫画『青春少年マガジン』を読んで愕然としたことがありました。著者自身のデビュー前後の青春物語、のようなふれこみだったのに、読んでみたら過酷な環境で使い潰されていく漫画家さんたちの様子が赤裸々に綴られていて。身体を壊したり精神を病んだり。
他にも最近大御所漫画家さんたちのアシスタントさんや、若い頃のエッセイ漫画が多く出ていますが、どれを読んでもホテルにカンヅメだとか何日徹夜したとか、ボロボロになって締切をなんとか越えてもすぐまた次の連載がある、という話で、漫画家あるあるとして私たち読者も麻痺してしまってきたのですが、今の時代に考えると異常な働かされ方です。若い頃の苦労話として笑って済ませてはいけないような。
それから今回の件で連想したのは、萩尾望都先生の『一度きりの大泉の話』でした。
萩尾先生のお話の趣旨は、若く不器用だった時代にこじれてしまった人間関係の苦い、そして克明な記録でしたが、これは、やりがい搾取と権力勾配の話ではないのか…?と感じてしまいました。読めば読むほど、萩尾先生と竹宮惠子先生2人の間に立っていたはずの担当編集者の言動が不自然に思えて。煩悶する若き二人の漫画家の相談役として全然機能していない。それどころか竹宮先生に対してはまるで萩尾先生との対立を煽るような条件を出したりして、編集部が思うような作品をいいように描かせることしか考えていないのではないかと訝しんでしまうようなものでした。
あれも小学館なんですよね。萩尾先生はずっと小学館で書いてらしたから。
年若い駆け出しの、立場の弱い(と思い込まされている)漫画家としては、言うことを聞くしかない、他の選択肢はないと思い込み、無理をしてしまうのが当たり前になっていて、それが何十年も常態化している。
そういう歪みの積み重ねが、今回最悪の形で表出してしまったのではないだろうか。
個人が、組織と組織の間で蔑ろにされて、完膚なきまでに蔑ろにされて、命を絶ってしまった。作品とファンのためにきっと身を削って無理をされていたはずなのに。こんな酷い話ってないと思います。どなたかが書いていらしたのですが、これは原作の改悪とか、原作者の著作権とか、そういう問題にとどまらない、人権の問題だと思います。日本で軽視されがちな、その人が望むことを尊重する、その人の意思を尊重する、それができなかったから起きてしまった問題だと。
これは本当に、本当に酷い出来事だと思うのです。
あまりまとめられなかったのですが、アップしておきます。
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以下、著名な先生方のご意見の続き。
惣領冬実先生!のブログ。
ご自身の体験から、海外と日本のドラマ作りの思想の違いについて。
最後の段落での「脚本家もオリジナルをやりたいというのは漫画家も同じです。最初から自由に描かせてもらえる漫画家はそうはいません」という部分も胸に重く残りました。
(以下引用)「プロットから始まり編集会議にかけられ、そういった経緯を経て連載枠を獲得しアンケートで順位を付けられながら読者の顔色を窺い担当編集の顔色を窺い支持を得て、その人気の度合いで編集部が作家性を認め、そこからようやく自分の本当に描きたい物、まさにオリジナルがやれるようになるのです。」(引用、以上)
芦原先生の『セクシー田中さん』も、そうやって何十年もかけてコツコツと築き上げてきた努力と実績の上で描いた原作だったわけで…。
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三谷幸喜さんのこちらはニュースの一部で、私も動画を見ました。三谷氏、時間の限られた生放送内でおそらく予定を超過してでも「もうひとついいですか」と付け加えたのが、最後の「踏みとどまって欲しかった」という箇所でした。
いろんな記事があったけれど、こちらのデイリースポーツがタイトルといい内容といい、よくまとめられていると思う。
■三谷幸喜氏 「セクシー田中さん」作者急死に声震わせ「踏みとどまってほしかった」「僕だって実は」/芸能/デイリースポーツ online
その後、「もう一個、いいですか」と切り出し、「僕も長い間、仕事してきて、何でこんな思いをしなきゃいけないんだ、何でみんな分かってくれないんだ、何で僕の作ったものを勝手にいじってしまうんだ、と思ったことも何度もあるし。死にたいと思ったことだって、実はあるんですね。のほほんと書いているように見えるかもしれないですけど。でも踏みとどまったんです。僕は書いたものに責任があるし、書いているものにも責任があるし、これから書くものに対しても責任があるし。多分、この先、自分の作ったものを楽しんでもらう人たちがいるとすれば、その人たちに変な感情で見てもらいたくない、っていうのがあるから。……踏みとどまってほしかったですね」と時折声を震わせながら語った。
最後の「……踏みとどまってほしかったですね」が本当に、絞り出すようで。
業界の構造上の問題だけにせず、最後にこの内容を語ってくださったことで、芦原先生個人に対する哀悼と、今、そして今後同じ問題を抱えて不安に苛まれるであろう全てのクリエイターに向けた言葉だろうな、と思いました。
コメント全文書き起こし。
■三谷幸喜『セクシー田中さん』芦原さん訃報に沈痛 脚色の難しさ・原作者の思い・自身の苦悩も「全部投げ捨てたいと思う」【コメントほぼ全文】 | ORICON NEWS
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『セクシー田中さん』本当に面白かった…。続きが読めないのが辛いし、最新刊が出たとしても小学館にお金を払いたくない。インディーズとして出版してもらえないだろうか。
他に『Bread and Butter』は集英社だったので全巻Kindleで買って読みました。こちらも夫婦という関係についてすごく考えさせられたし、優しいエールに満ちていた…。他の作品も読みたいんだけどほとんどが小学館から出ている…。