河合隼雄さんが子供の頃のクリスマス

なんともすてきなお話メモ。
clione clitiques(ネタ元:平成20年12月16日(火)第286号「クリスマスのころには」 週刊yasushi 12月

僕がかつて「BREAK!」というラジオ番組のパーソナリティを務めていたときのことだ。その番組に当時文化庁長官だった河合隼雄さんに出演していただいていろいろ話していただいた中に河合さんが育った家のクリスマスのことがあった。
以下は昭和初期の丹波篠山の歯医者の家に生まれた河合さんが語る、当時の河合家のクリスマスの様子だ。
「私の父は6人兄弟の次男でした。もともと河合家は農家だったのですが当時は長男しか白米が食べられない。次男だった父はそれに反発しまして、自力で白い飯を食べてやると言って、16歳のときに家出してしまってそれで歯医者になったという、ちょっと変わった人でした。母親は師範学校出で教員をしていました。家に足踏みオルガンがあって唱歌をみんなで歌ったりしましてね。都会と比べてはいけませんが、あのへんではちょっとハイカラでした。
クリスマスも当時からやってました。父が『クリスマスというのは別にキリスト教じゃなくてもいいんだ。いい子にしていればサンタクロースがプレゼントを持ってきてくれるんだ』と言って、確かに毎年プレゼントが来るんです。それがふつうの届き方じゃなくてプレゼントは家の中のどこかに隠れてるんです。サンタクロースがどこかに置いていったんだということでね。だから、25日の朝は、どこにあるのか兄弟6人みんなで探しました。これがほんとに楽しみでしたね。見つけるとうれしくてうれしくて。
それがある年、小学5年生だった兄がサンタクロースを捕まえようというと言い出したんです。サンタクロースはたくさんプレゼントを持ってるんだから、よそに行かせずにこの家にもう少し置いていってもらおうじゃないかってね。そしてそれを父に言ったんです。『サンタクロースを捕まえようと思ってる』ってね。そしたら父は立派でした。『なるほどそれはものすごくいい考えだ、でも子供だけじゃできない。オレも手伝う』と言ったんですよ。それで兄とふたりで座布団を敷いてサンタクロースを待ってるんです。僕らは心配で、サンタクロースが怒って来年から来てくれなくなるんじゃないかと思って脇から見てましたね。でもそこは小学5年生ですから、結局兄も寝てしまってふと気づくともう朝。父親もその横で寝ている。『しもたあ、どないなってんねん』と家の中を探すとプレゼントがしっかり来ている。そんなこともありましたよ。
そうは言っても何年か経つうちに『あやしい。サンタクロースっていうのは父じゃないか』とだんだん思いはじめました。というのも家中で母にもぼくら子供にもプレゼントが来るのに父だけには来ないんですから。あるとき、そのことを問いただしたら、『しもた、お前らのことばかり頼んで俺のことを言うのを忘れてた、今年は自分の分も頼む』と言い出したんです。『お父さん、どこに頼むの』って聞いたら『それは教会だ』ということで、教会に行くんです。
しかもクリスチャンじゃないから教会に行くっていっても教会の外から拝むだけ。『外から拝んでも大丈夫、通じんのや』と言って、『今年は自分にも来ますように』と言って拝むとこれが来るんですよ。プレゼントが。父に。感激したなあ。」
なんともすてきな話だと思いませんか?

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