村上春樹、カリフォルニア大学バークレーでの講演

ううむこれは素晴らしい。ハルキ氏の口調?文調?で脳内再生されます。
カリフォルニア大学バークレーで行われた、村上春樹の講演。英語での講演を、聞きに行った記者さんがハルキ的口調で日本語訳してくださっています。
村上春樹に会いに行く – プレジデント
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(ネタ元:[4k]は眠い
とても面白かったです。ハルキ好きなかたは一読の価値あり。
全編とても興味深かったのですが、特に印象深かったところを一部抜粋。
【「文壇」のしきたりがわからなかったがゆえの戸惑いや苛立ちを書いた短編、『とんがり焼きの盛衰』を朗読した。】
【そこはかとなく可笑しい話なのに、最後はゾッとするような一文。子供用に編集していない昔の残酷なおとぎ話のようだ。ちなみにカラスというのは、「批評家」のことを指していると思われる。村上さんは、この小説を最近読み直してみたけれど、これを書いたときと事態はなにも変わっていないんです、と言った。】
【僕は脳みそで考えるのではなく、指で考えるんです。ホロウィッツがピアノに向かうように僕はマッキントッシュのキーボードに向かう。】
【小説家はゲームのプレイヤーであると同時にプログラマーなんです。すごくエキサイティング。僕はこのゲームの名手でね。チェスも白と黒を交代にやれば一人でできるよね。】
【村上さんは、先週、来年出版予定の新作を書き終えたそうだ。】

おお!!新作!!
楽しみですねえ。
今友人は国境の南を読み返しているんだそうで、私はそれを聞いてなぜかカフカをなぜか下巻から読み返しています(ねじまきもいつも3巻だけ読み返してしまう)。

4062630869 国境の南、太陽の西 (講談社文庫)
村上 春樹
講談社 1995-10

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4101001553 海辺のカフカ (下) (新潮文庫)
村上 春樹
新潮社 2005-02-28

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416369580X 走ることについて語るときに僕の語ること
村上 春樹
文藝春秋 2007-10-12

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**関連あひる**
**ノーベル賞有力(結果的には受賞しませんでしたね)(October 06, 2008)
**ハルキ『海辺のカフカ』にカフカ賞(October 31, 2006)
**ノーベル文学賞発表、ハルキ受賞ならず(October 14, 2006)
**オコナー賞(September 25, 2006)
**全裸家事主婦同盟
以下、保存のため全文を引用しておきます(元記事が削除されてしまったりして読めなくなったらかなしいから)。省スペースのため小さい字で。
【■村上春樹に会いに行く – プレジデント
 10月中旬、という中途半端な時期に突然休みをとって、カリフォルニアに行ってきた。お目当ては、UCバークレーでの村上春樹の講演。
 この人は、日本のメディアにはほとんど出ないので、同時代に生きている作家なのに、あまりそういう気がしない。2006年、東京で「村上春樹をめぐる冒険」という国際シンポジウム兼ワークショップが開催された。18人の“ムラカミ本”翻訳者が一同に介して「世界は村上文学をどう読むか」を数日間にわたって話し合うという大掛かりな催しだったが、本人はちらとも姿をみせなかった。
 私は過去に2度、取材を申し込んだことがあり、2度とも門前払いだった。どんな取材がしたかったのかも、もうよく覚えていない。彼はときどき海外のメディアに登場し、ごくたまにひっそりと日本のメディアにも出て、そして何年かに一度、必ず話題作を世に送り出し続けてきた。

 売ることと露出することがほぼ同義語の今の時代、こんなふうに所在を曖昧にすることで存在感を放つ村上春樹という「生き方」に対する興味は年を追うごとに強くなっていった。この人の作品には好きなものも、そうでないものもあるけれど、村上春樹という「在り方」はずっと気になって仕方がなかった。
 もうこの先、「生きて動いている」本人を見ることはないかもしれないと思っていたから、「村上春樹がUCバークレーで講演する」と聞いて心穏やかではいられなかった。しかも10月11日、三連休初日の土曜日である。ひょっとしたら「ノーベル文学賞」受賞と重なるかもしれない(残念ながらそうはならなかったが)。場所は以前住んでいたことのあるサンフランシスコ・ベイエリア。友人もいる、マイレージもある。で、行くことにした。

 以前はよく、天啓のように「行きたい場所」を思いつくことがあったが、ここ数年、それが訪れなかった。どこかへ行く以前に、どこに行きたいのかを考えるのが億劫になっていた。しかし、今回はすんなり、行こうと思った。こういう「降りてくる」ものは大事にしたい。荷物をまとめ、周囲に無理を言って、10月の中旬という、世間の人がフルスピードで働いている時期に、日本脱出。
 えらくもったいぶった書き出し(そう、まだ書き出しです!)で申し訳ない。村上春樹ご本人の登場まであと数行……。
 さて、飛行機に乗って、北カリフォルニアに着いた。10月11日午後8時、カリフォルニア大学バークレー校のZellebar Hallの前は、老若男女でごったがえしていた。地域コミュニティを対象にしたプログラムなので、学生以外の観客も多い。入り口ロビーでは、村上作品の英語訳を販売していたが、そのタイトルの多さに改めて感心する。生きている日本人作家で、これほど作品が海外でひろく読まれている人はほかにいないだろう。

 2000人を収容できるその会場は満員だった。舞台の右手から落ち着いた様子で出てきた村上さん(本人の話を直接聴いたあとは、なんとなく「村上さん」と呼びたくなったので、そうします)は、演壇の前に立って、少し恥ずかしそうに英語で話しはじめた。白いチノパン、白いTシャツ、白いソックス、茶色のデッキシューズ、紫色のシルキーなジャケット。東海岸のインテリの週末ウエアといったかんじ。よく焼けた肌がつやつやしている。来年還暦だが、アメリカだと余裕で40代に見えるだろう。
 最も予想外だったのは、村上さんがとても愉快な人であったことだ。ユーモラスなエッセイや、読者との軽妙なやりとりを読んで、とぼけた味の面白いところのある人だとは知っていたけれど、活字が面白いのと話が面白いのはまた別の話。日本語で面白くても英語で面白いとは限らない。
 村上さんは、小説家になったのは、デイブ・ヒルトンがヤクルトと広島の試合で2ベースヒットを打ったときに、突然、書こう思い立ったからなんだよね、という話で切り出し、野球話のついでに、レイズの岩村選手が好きです、お金のないスワローズからお金のないレイズに移籍したというところが……なんて言って、まず最初の笑いをとった。
 それほど予想外でなかったのは、村上さんの英語がそんなに流暢ではなかったことだ。あの年代で普通に日本に育った人なら不思議はない。でも、紙を読んだりはしない。訥々と自分のペースで喋る。そして、3分に1回くらい、爆笑をとる。
 僕は、家の台所で書いた小説が賞をとって、10万部も売れてね、簡単なものだったよ。デビュー当時、日本文学のニューヴォイスとか言われたけど、パンクとか詐欺師とか言うひとたちもいてね、まあ、小説家なんて詐欺師みたいなものだけど。村上さんはそんなふうにちゃかしながら、日本では異端扱いされた(そしていまでもされ続けている)自分の境遇を嘆いてみせた。日本では「他の人と違っている」と大変なんですよ、と。
 そして、「文壇」のしきたりがわからなかったがゆえの戸惑いや苛立ちを書いた短編、『とんがり焼きの盛衰』を朗読した。
 僕が日本語で読みます。あとから(モデレーターの)Roland Keltsが英語で読みます。ここには日本語がわからない人もいるでしょうから。それは残念なことだけど、あなたが日本語ができないのは僕のせいじゃないし、もちろんあなたのせいでもない。日本語がわからない人は、僕が読んでいる間、せいぜい「音」を楽しんで下さい――そう前置きをして。
 村上さんの声は、やや高めで、張りがあって、ラ行がかすかに滑る。どこか少年っぽい響きだ。朗読を聴いているうちに、小説の若い主人公が私たちに向かって「なあ、こんなおかしなことがあったんだよ。ひどいたろ?」と直接話しかけきいるような気分になった。

 この小説はこんな一文で終わる。
「カラスなんてお互いつつき合って死んでしまえばいいんだ」。
 そこはかとなく可笑しい話なのに、最後はゾッとするような一文。子供用に編集していない昔の残酷なおとぎ話のようだ。ちなみにカラスというのは、「批評家」のことを指していると思われる。村上さんは、この小説を最近読み直してみたけれど、これを書いたときと事態はなにも変わっていないんです、と言った。
 続いて英語の朗読があった。英語にしても、というか、英語にするとさらにこの話の荒唐無稽さが際立って、聴衆も大笑いしていた。この短編は、アメリカ人のツボにはまる皮肉やバカバカしさがいっぱいつまっているのだ。
 質疑応答で、村上さんが話したことの中でとくに印象に残ったのは、「ダークプレイス」の話だった。
 僕は夜9時に寝て、朝4時か5時に起きて、3、4時間ほど書きます。早朝に起きて心の中の「地下室」までおりていくんです。そのあと、太陽のもとでジョギングをする。もう、25、6年走っている。暗さと明るさのバランスをとるんです。ダークプレイスに行くためには、肉体的にタフでないといけません。そこから帰ってくるには強くないといけないんです。強くなければ帰ってこれなくなってしまう。僕は「創作(make up)」しているのではなく、ダークプレイスで「観察(observe)」しているのです。心の奥底にあるダークプレイスまでに深く入っていくのは、危険で恐ろしいことです。世の中にはそこまで降りていかない人もいますよ。でも本当に、真剣に、何かをしようと思ったら、そこへ行かなくてはならない。
 それから、もうひとつ、「書くことに目的はない」という話。
 なんのために書くか。目的なんてないです。ものを書くにあたってマーケットリサーチなんかもしません。No purpose.  No market research. 自分のために書くだけです。僕は自分が何者か、何を考えているのか、書かないとわからないんですよ。賢い人は書かなくてもわかるのでしょうけれど。そう、書く目的なんてない。何を書きたいかに僕は集中する。僕は脳みそで考えるのではなく、指で考えるんです。ホロウィッツがピアノに向かうように僕はマッキントッシュのキーボードに向かう。
 小説を書くとき、あらすじは考えません。最初の1シーンがあるだけ。そこからアイデアを2年くらいかけて広げていく。ビデオゲームのように、スクリーン上に何か現れてきたらそれをやっつけていく。小説家はゲームのプレイヤーであると同時にプログラマーなんです。すごくエキサイティング。僕はこのゲームの名手でね。チェスも白と黒を交代にやれば一人でできるよね。僕って分裂症かしら。だから小説を書くのは危険なんですよ。
 そして、村上さんは、寝ているとき「夢を見ない」と言った。
 朝起きるとからっぽなんです。河合(隼雄)先生は、それは自然なことだって言ってた。僕は夢を書いちゃっているから。作家は「起きているときに夢を見る」人種なんです。作家っていいですよ。ふつうの夢は「いいところ」で終わってしまうけれど、起きながらにして夢をみたら、自分が望む結末にできるから。
 村上さんは、先週、来年出版予定の新作を書き終えたそうだ。
 町を歩いていると「ファンです。このまえの小説、よかったです」と言われることがある。その人には「ありがとう。次の本も買ってね」と言うんです。またあるときは「ファンです。この前の小説はあまり好きではなかったですが」と言われることもある。その人にはこういいます。「あれはベストをつくしたんですが、すみません。次の本を買ってください」って。
 シリアスな話をしたかと思えば、おかしなことを言って会場を湧かせる、というサイクルを何度か繰り返したあと、大喝采につつまれて村上さんは退場した。「本物のムラカミ」の話を聴いた高揚で顔を紅潮させた人たちが興奮気味に話す声を聴きながら、会場をあとにした。この2000人の聴衆の大半は「ムラカミ」の話の内容に自分の感想をつけて、親しい友人や家族に話すだろう。そして村上ファンがまた何倍にも増えるのだ。それにしてもすごい人気だ。歌もうたわず、踊りもおどらず、決して上手くはない英語で2時間訥々と話すだけで劇場いっぱいの聴衆を満足させられる日本人が村上さん以外にいま、いるだろうか。
 しかしこうやって書き起こしてみると、あの短い時間のあいだに、村上さんは、言うべきことは全部言い、答えるべきことには全部答えていた。この人はつくづく「無駄」がきらいな人なんだろうな、と思う。贅肉とか見栄とか虚勢とか社交辞令とか大義名分とか。そういうものを全部ひっくるめて無駄が嫌いなのだ。

 村上さんは、「無名でいたかったのに突然有名になってしまった」と話していたが、有名になったら、あらゆる過剰と戦わなくてはならない。過剰な礼賛、過剰な批判、過剰な露出、過剰な関心、過剰な意味……。そういうものに、この人はうんざりなのだろう。読者からは熱烈な支持を得つつも、批評家からは異端扱いされた、と言う村上さん。誰だって自分が「正しく」評価されないことには憤りを感じると思うけれど、下手にもてはやされるよりも放っておかれるほうがよい場合もある。あらゆる評価には無駄や過剰がつきものだから。

 ただ、書きたいことを書くだけ。そのため健康を維持し、規則正しい日常を守る。とてもシンプルだ。そのストイックな生活から編み出される知的に筋肉質な作品の本質が、世界でもっとも「過剰な」国、アメリカでこれほど受け容れられているのは、偶然ではないと思う。
※村上さんの発言部分は講演のメモをもとに日本語に意訳しました。


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“村上春樹、カリフォルニア大学バークレーでの講演” への1件の返信

  1. 村上春樹とエルサレム賞メモ

    各種メディア・ソースをコピペするだけですがまとめというかメモというか。(英語でのスピーチ原文、と思われるものも引用・転載してあります)
    まずはこういうことがあったらしい。
    ■webDICE – TOPICS – エルサレム賞受賞の村上春樹氏への公開書簡
    以下、一部引用….

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