究極映像研究所さんの記事で、初めて知りました。スペインのカタルーニャ国際賞を受賞した村上春樹氏が、バルセロナで行われた授賞式でスピーチをしたのだそうです。
■■村上春樹 カタルーニャ国際賞 受賞スピーチ「非現実的な夢想家として」ノーカット動画: ★究極映像研究所★
こちらは、スピーチの前の軽いご挨拶。動画中ほどあたりで、聴衆を和ませている春樹氏。
■YouTube – Haruki Murakami ofereix els 80.000 euros del Premi Internacional Catalunya al Japo
以下、スピーチの動画と全文。今回は日本語で語ったのですね。およそ22分に渡るスピーチです。タイトルは『非現実的な夢想家として』。
■YouTube – 村上春樹 Catalunya 2011 – 反核演説 1/4
■YouTube – 村上春樹 Catalunya 2011 – 反核演説 2/4
■YouTube – 村上春樹 Catalunya 2011 – 反核演説 3/4
■YouTube – 村上春樹 Catalunya 2011 – 反核演説 4/4
[追記2012/3/14]
読み直しに来たらニュース記事はリンク切れになっていたので、p4j の動画からの文字起こしへのリンクを貼り直しておきます。
■村上春樹『核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった』スピーチ・ノーカット映像 全文・文字起こし : p4j – がんばれ日本!!
[追記以上]
毎日新聞には、授賞式で配布されたスピーチの原稿全文が載せられています。
■村上春樹さん:カタルーニャ国際賞スピーチ原稿全文(上) – 毎日jp(毎日新聞)
■村上春樹さん:カタルーニャ国際賞スピーチ原稿全文(下) – 毎日jp(毎日新聞)
47ニュースにも。
■【村上春樹】カタルーニャ国際賞スピーチ原稿全文 : 47トピックス – 47NEWS(よんななニュース)
カタルーニャ国際賞について検索してみたら、こちらに詳しく書かれていました。
■村上春樹氏がカタルーニャ国際賞受賞! | セルバンテス文化センター東京公式ブログ
”カタルーニャ国際賞の審査員は科学、経済、芸術、文化の各界で活躍する知識人で、「文化、科学、人文科学分野の価値の発展のための意欲的・創作的活動が評価された人」に対して授与される賞なんだそうです。ちなみに、この賞、毎年1人だけにしか贈られないそうです。なので、今年は候補者が56カ国、225団体から推薦を受けた196人の中から村上氏が選ばれたんだそう。すごいですね!”
”また、賞金として8万ユーロとアントニ・タピエスの彫刻作品『La clau i la lletra』(カタラン語なのですが、これLa llave y la letraですね。鍵と文字の意味)が贈られるということで、この彫刻作品がこの上↑の写真です。”
このトロフィー、まるで春樹作品の表紙を飾っていそうですね。
Youtubeの動画の最後で、スピーチが終わって鳴り止まない拍手の中、聴衆に対して春樹氏がこの像に手を添えて笑顔でありがとうございます、と答えていました。
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今回のスピーチを通して聴いてみて、特に印象に残った部分を一部引用しておきます。今さら言うまでもないことかもしれませんが、切り貼りしてしまうのは忍びないほど、全体として淡々とした力強いひとつの流れがあるので、お時間のあるかたはぜひ全文にあたってみてください。
(「日本語には無常(mujo)という言葉があります」という部分の続き。)
”「すべてはただ過ぎ去っていく」という視点は、いわばあきらめの世界観です。人が自然の流れに逆らっても所詮は無駄だ、という考え方です。しかし日本人はそのようなあきらめの中に、むしろ積極的に美のあり方を見出してきました。
自然についていえば、我々は春になれば桜を、夏には蛍を、秋になれば紅葉を愛でます。それも集団的に、習慣的に、そうするのがほとんど自明のことであるかのように、熱心にそれらを観賞します。桜の名所、蛍の名所、紅葉の名所は、その季節になれば混み合い、ホテルの予約をとることもむずかしくなります。
どうしてか?
桜も蛍も紅葉も、ほんの僅かな時間のうちにその美しさを失ってしまうからです。我々はそのいっときの栄光を目撃するために、遠くまで足を運びます。そしてそれらがただ美しいばかりでなく、目の前で儚く散り、小さな灯りを失い、鮮やかな色を奪われていくことを確認し、むしろほっとするのです。美しさの盛りが通り過ぎ、消え失せていくことに、かえって安心を見出すのです。
そのような精神性に、果たして自然災害が影響を及ぼしているかどうか、僕にはわかりません。しかし我々が次々に押し寄せる自然災害を乗り越え、ある意味では「仕方ないもの」として受け入れ、被害を集団的に克服するかたちで生き続けてきたのは確かなところです。あるいはその体験は、我々の美意識にも影響を及ぼしたかもしれません。
今回の大地震で、ほぼすべての日本人は激しいショックを受けましたし、普段から地震に馴れている我々でさえ、その被害の規模の大きさに、今なおたじろいでいます。無力感を抱き、国家の将来に不安さえ感じています。
でも結局のところ、我々は精神を再編成し、復興に向けて立ち上がっていくでしょう。それについて、僕はあまり心配してはいません。我々はそうやって長い歴史を生き抜いてきた民族なのです。いつまでもショックにへたりこんでいるわけにはいかない。壊れた家屋は建て直せますし、崩れた道路は修復できます。”
”ここで僕が語りたいのは、建物や道路とは違って、簡単には修復できないものごとについてです。それはたとえば倫理であり、たとえば規範です。それらはかたちを持つ物体ではありません。いったん損なわれてしまえば、簡単に元通りにはできません。機械が用意され、人手が集まり、資材さえ揃えばすぐに拵えられる、というものではないからです。
僕が語っているのは、具体的に言えば、福島の原子力発電所のことです。”
(ここで今回の地震・津波による原発の被害状況や、そこに至るまでの原発政策などについて、率直な言葉で語られます。)
”日本人はなぜか、もともとあまり腹を立てない民族です。我慢することには長けているけれど、感情を爆発させるのはそれほど得意ではない。そういうところはあるいは、バルセロナ市民とは少し違っているかもしれません。でも今回は、さすがの日本国民も真剣に腹を立てることでしょう。
しかしそれと同時に我々は、そのような歪んだ構造の存在をこれまで許してきた、あるいは黙認してきた我々自身をも、糾弾しなくてはならないでしょう。今回の事態は、我々の倫理や規範に深くかかわる問題であるからです。”
”前にも述べましたように、いかに悲惨で深刻なものであれ、我々は自然災害の被害を乗り越えていくことができます。またそれを克服することによって、人の精神がより強く、深いものになる場合もあります。我々はなんとかそれをなし遂げるでしょう。
壊れた道路や建物を再建するのは、それを専門とする人々の仕事になります。しかし損なわれた倫理や規範の再生を試みるとき、それは我々全員の仕事になります。我々は死者を悼み、災害に苦しむ人々を思いやり、彼らが受けた痛みや、負った傷を無駄にするまいという自然な気持ちから、その作業に取りかかります。それは素朴で黙々とした、忍耐を必要とする手仕事になるはずです。晴れた春の朝、ひとつの村の人々が揃って畑に出て、土地を耕し、種を蒔くように、みんなで力を合わせてその作業を進めなくてはなりません。一人ひとりがそれぞれにできるかたちで、しかし心をひとつにして。”
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その他の関連記事。
■「核へのノー貫くべきだった」 村上春樹氏がスピーチ :日本経済新聞
■時事ドットコム:「核にノーと言い続けるべきだった」=カタルーニャ国際賞受賞の村上春樹氏
(2011/6/12 17:03リンク追加)
原稿とは語尾などが若干違う、動画からの文字起こしが載せられています。
■村上春樹『核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった』スピーチ・ノーカット映像 & 全文・文字起こし : p4j – がんばれ日本!!
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あひる内関連記事
■February 20, 2009 割れる卵、タフであるということ ~村上春樹のエルサレム賞スピーチメモ、その5
■March 13, 2009 村上春樹「僕はなぜエルサレムに行ったのか」文藝春秋4月号に掲載
■ 地震直後に書いた記事:March 12, 2011 東北地方太平洋沖地震
■April 11, 2011 [地震関連] 中島みゆき、1995年ライブ版「ファイト!」(東日本大震災から1ヶ月)
■April 14, 2011 [地震関連] 釜石がつないだ未来への希望-子ども犠牲者ゼロまでの軌跡
■May 11, 2011 [地震関連] キャラメルボックスの春公演はどのような状況下で行われたか
■June 11, 2011 [地震関連] 4コマブログ言戯(ことざれ)、東日本大震災での体験談をコミックエッセイに
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最後に、スピーチの全文を引用します。p4jの文章を元に、句読点の位置など、細かいところも動画を見ながら、主に実際の春樹さんのスピーチの呼吸に忠実につけてみました。
”
この前僕がバルセロナを訪れたのは、二年前の春のことでした。サイン会を開いた時、たくさんの人が集まってくれて、一時間半かけてもサインしきれないほどでした。どうしてそんなに時間がかかったかというと、たくさんの女性の読者が、僕にキスを求めたからです。
僕は世界中のいろんなところでサイン会を開いてきましたが、女性読者にキスを求められたのはこのバルセロナだけです。それひとつをとっても、バルセロナがどれほど素晴らしい都市であるかがよくわかります。
この長い歴史と高い文化を持つ美しい都市に戻ってくることができて、とても幸福に思います。
ただ、残念なことではありますが、今日はキスの話ではなく、もう少し深刻な話をしなくてはなりません。
ご存じのように去る3月11日、午後2時46分、日本の東北地方を巨大な地震が襲いました。地球の自転が僅かに速くなり、一日が百万分の1.8秒短くなるという規模の地震でした。
地震そのものの被害も甚大でしたが、その後に襲ってきた津波の残した爪痕も凄まじいものでした。場所によっては津波は39メートルの高さにまで達しました。39メートルといえば、普通のビルの10階まで駆け昇っても助からないことになります。海岸近くにいた人々は逃げ遅れ、二万四千人近くがその犠牲となり、そのうちの九千人近くがまだ行方不明のままです。多くの人々は恐らく冷たい海の底に今も沈んでいるのでしょう。それを思うと、もし自分がそういう立場になっていたらと想うと、胸が締めつけられます。生き残った人々も、その多くが家族や友人を失い、家や財産を失い、コミュニティーを失い生活の基盤を失いました。根こそぎ消え失せてしまった町や村もいくつかあります。生きる希望ををむしり取られてしまった人々も数多くいらっしゃいます。
日本人であるということは、多くの自然災害と一緒に生きていくことを意味しているようです。日本の国土の大部分は、夏から秋にかけて、台風の通り道になります。毎年必ず大きな被害が出て、多くの人命が失われます。それから、各地で活発な火山活動があります。日本には現在、108の活動中の火山があります。そしてもちろん地震があります。日本列島はアジア大陸の東の隅に、四つの巨大なプレートに乗っかるような格好で、危なっかしく位置しています。つまり、いわば地震の巣の上で生活を送っているようなものなのです。
台風がやってくる日にちや道筋はある程度わかりますが、地震は予測がつきません。ただひとつわかっているのは、これがおしまいではなく、近い将来、必ず大きい地震が襲ってくるだろうということです。この20年か30年のあいだに、東京周辺の地域を、マグニチュード8クラスの巨大地震が襲うだろうと、多くの学者が予測しています。それは一年後かもしれないし明日の午後かもしれません。
にも関わらず、東京都内だけで1300万の人々が、普通の日々の生活を送っています。人々は相変わらず満員電車に乗って通勤し、高層ビルで仕事をしています。今回の地震のあと東京の人口が減ったという話は耳にしていません。
どうしてか?とあなたは尋ねるかもしれません。どうしてそんな恐ろしい場所で、それほど多くの人が当たり前に生活していられるのか?
日本語には「無常」という言葉があります。この世に生まれたあらゆるものは、やがては消滅し、すべてはとどまることなく形を変え続ける。永遠の安定とか、不変不滅のものなどどこにもない、ということです。これは仏教から来た世界観ですが、この「無常」という考え方は、宗教とは少し別の脈絡で、日本人の精神性に強く焼き付けられ、古代からほとんど変わることなく引き継がれてきました。
「すべてはただ過ぎ去っていく」という視点はいわば、諦めの世界観です。人が自然の流れに逆らっても無駄だ、ということにもなります。しかし日本人は、そのような諦めの中に、むしろ積極的に美のあり方を見出してきました。
自然についていえば、私たちは春になると桜を、夏には蛍を、秋には紅葉(もみじ)を愛でます。それも習慣的に、集団的に、いうなればそうすることが自明のことであるかのように、それらを熱心に観賞します。桜の名所、蛍の名所、紅葉の名所は、その季節になれば人々で混み合い、ホテルの予約を取るのも難しくなります。
どうしてでしょう?
桜も蛍も紅葉も、ほんの僅かな時間のうちに、その美しさを失ってしまうからです。私たちはその一時(いっとき)の栄光を目撃するために、遠くまで足を運びます。そしてそれらがただ美しいばかりでなく、目の前で儚く散り、小さな光を失い、鮮やかな色を奪われていくのを確認し、そのことでむしろほっとするのです。
そのような精神性に、自然災害が影響を及ぼしたかどうか僕にはわかりません。しかし私たちが次々に押し寄せる自然災害を、ある意味では「仕方ないもの」として受けとめ、その被害を集団的に克服していくことで生き延びてきたことは確かなところです。あるいは、その体験は私たちの美意識にも影響を及ぼしたかもしれません。
今回の大地震で、ほぼすべての日本人は激しいショックを受けました。普段から地震に馴れているはずの我々でさえ、その被害の規模の大きさに今なおたじろいでいます。無力感を抱き、国家の将来に不安さえ抱いています。
でも結局のところ、我々は精神を再編成し、復興に向けて立ち上がっていくでしょう。それについて僕はあまり心配してはいません。いつまでもショックにへたりこんでいるわけにはいかない。壊れた家屋は建て直せますし、崩れた道路は修復できます。
考えてみれば、人類はこの地球という惑星に勝手に間借りしているわけです。ここに住んでくださいと地球に頼まれたわけではありません。少し揺れたからといって、誰に文句を言うこともできない。
ここで今日僕が語りたいのは、建物や道路とは違って、簡単には修復できないものごとについてです。それはたとえば倫理であり、「規範」です。それらはかたちを持つ物体ではありません。いったん損なわれてしまえば、簡単に元通りにはできません。
僕が語っているのは、具体的に言えば、福島の原子力発電所のことです。
みなさんもおそらくご存じのように、福島で地震と津波の被害にあった六基の原子炉のうち、三基は修復されないまま、いまも周辺に放射能を撒き散らしています。メルトダウンがあり、まわりの土壌は汚染され、おそらくはかなりの濃度の放射能を含んだ排水が海に流されています。風はそれを広範囲にばら撒きます。
十万に及ぶ数の人々が、原子力発電所の周辺地域から立ち退きを余儀なくされました。畑や牧場や工場や商店街や港湾は、無人のまま放棄されています。ペットや家畜も打ち捨てられています。そこに住んでいた人々はひょっとしたらもう二度とその地に戻れないかもしれません。その被害は日本ばかりでなく、まことに申し訳ないのですが、近隣諸国に及ぶことにもなるかもしれません。
どうしてこのような悲惨な事態がもたらされたのか、その原因は明らかです。原子力発電所を建設した人々が、これほど大きな津波の到来を想定していなかったためです。かつて同じ規模の大津波がこの地方を襲ったことがあり、安全基準の見直しが求められていたのですが、電力会社はそれを真剣には取り上げなかった。どうしてかというと、何百年かに一度あるかないかという大津波のために、大金を投資するのは、営利企業の歓迎するところではなかったからです。
また、原子力発電所の安全対策を厳しく管理するはずの政府も、原子力政策を推し進めるために、その安全基準のレベルを下げていた節があります。
日本人はなぜかもともとあまり腹を立てない民族のようです。我慢することには長けているけれど、感情を爆発させることにはあまり得意じゃない。そういうところは、バルセロナ市民の皆さんとは少し違っているかもしれません。しかし、今回ばかりはさすがの日本国民も真剣に腹を立てると思います。
しかしそれと同時に私たちは、そのような歪んだ構造の存在をこれまで許してきた、あるいは黙認してきた我々自身をも、糾弾しなくてはならないはずです。今回の事態は、我々の倫理や規範そのものに深く関わる問題であるからです。
ご存じのように私たち日本人は、歴史上唯一、核爆弾を投下された経験を持つ国民です。1945年8月、広島と長崎という二つの都市が、アメリカ軍の爆撃機によって原爆を投下され、20万を超える人命が失われました。そして生き残った人の多くがその後、放射能被曝の症状に苦しみながら、時間をかけて亡くなっていきました。核爆弾がどれほど破壊的なものであり、放射能がこの世界に、人間の身に、どれほど深い傷跡を残すものか、私たちはそれらの人々の犠牲の上に学んだのです。
広島にある原爆死没者慰霊碑にはこのような言葉が刻まれています。
「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」
素晴らしい言葉です。私たちは被害者であると同時に、加害者でもあるということをそれは意味しています。核という圧倒的な力の脅威の前では、私たち全員が被害者ですし、その力を引き出したという点においては、またその力の行使を防げなかったという点においては、私たちはすべて加害者でもあります。
今回の福島の原子力発電所の事故は、我々日本人が歴史上体験する、二度目の大きな核の被害です。しかし今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。私たち日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、自らの国土を汚(けが)し、自らの生活を破壊しているのです。
どうしてそんなことになったのでしょう?
戦後長いあいだ日本人が抱き続けてきた核に対する拒否感は、いったいどこに消えてしまったのでしょう?私たちが一貫して求めてきた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう?
答えは簡単です。「効率」です。「efficiency」です。
原子炉は効率の良い発電システムであると、電力会社は主張します。つまり、利益が上がるシステムであるわけです。また日本政府は特にオイルショック以降、原油供給の安定性に疑問を抱き、原子力発電を国の政策として推し進めてきました。電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました。
そして気がついた時には、日本の発電量の約30パーセントが原子力発電によってまかなわれるようになっていました。国民がよく知らないうちに、この地震の多い、狭く混み合った日本が、世界で三番目に原子炉の多い国になっていたのです。
まず、既成事実が作られました。原子力発電に危惧を抱く人々に対しては「じゃああなたは電気が足りなくてなってもいいんですね」「夏場にエアコンが使えなくてもいいんですね」という脅しが向けられます。原発に疑問を呈する人々には、「非現実的な夢想家」、というレッテルが貼られていきます。
そのようにして私たちはここにいます。安全で効率的であったはずの原子炉は今や、地獄の蓋を開けてしまったかのような惨状を呈しています。
原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」、という現実とは、実は現実でもなんでもなく、ただ表面的な「便宜」に過ぎなかったのです。それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。
それは日本が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、そのような「すり替え」を許してきた、私たち日本人の倫理と規範の敗北でもありました。
「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」
私たちはもう一度その言葉を心に刻みこまなくてはなりません。
ロバート・オッペンハイマー博士は第二次世界大戦中、原爆開発の中心になった人ですが、彼は原子爆弾が広島と長崎に与えた惨状を知り、大きなショックを受けました。そしてトルーマン大統領に向かってこう言ったそうです。
「大統領、私の両手は血にまみれています」
トルーマン大統領は、きれいに折り畳まれた白いハンカチをポケットから取り出し、言いました。「これで拭きたまえ」
しかし言うまでもないことですが、それだけの血をぬぐえるような清潔なハンカチなどこの世界のどこを探してもありません。
私たち日本人は、核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の、個人的な意見です。
私たちは技術力を総動員し、叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求するべきだったのです。
それは広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、私たちの集合的責任の取り方となったはずです。それはまた我々日本人が世界に真に貢献できる、大きな機会となったはずです。しかし、急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に流され、その大事な道筋を私たちは見失ってしまいました。
壊れた道路や建物を再建するのは、それを専門とする人々の仕事になります。しかし損なわれた倫理や規範の再生を試みるとき、それは私たち全員の仕事になります。それは素朴で黙々とした、忍耐力を必要とする作業になるはずです。晴れた春の朝、ひとつの村の人々が揃って畑に出て、土地を耕し、種を蒔くように、みんなが力を合わせてその作業を進めなくてはなりません。
その大がかりな集合作業には、言葉を専門とする我々職業的作家たちが、進んで関われる部分があるはずです。我々は新しい倫理や規範と、新しい言葉を連結させなくてはなりません。そして活き活きとした新しい物語をそこに芽生えさせ、立ち上げていかなくてはなりません。それは私たち全員が共有できる物語であるはずです。それは、畑の種蒔き歌のように、人を励ます律動を持つ物語であるはずです。
最初にも述べましたように、私たちは「無常」、という、移ろいゆく儚い世界に生きています。大きな自然の力の前では、人は時として無力です。そのような儚さの認識は、日本文化の基本的イデアのひとつになっています。しかし、それと同時に、そのような危機に満ちた脆い世界にありながら、それでもなお活き活きと生き続けることへの静かな決意、そういった前向きの精神性も私たちには具わっているはずです。
僕の作品がカタルーニャの人々に評価され、このような立派な賞を頂けることは、僕にとって大きな誇りです。私たちは住んでいる場所も離れていますし、話す言葉も違います。よって立つ文化も異なっています。しかしなおかつ私たちは同じような問題を背負い、同じような喜びや悲しみを抱く、同じ世界市民同士でもあります。だからこそ日本人の作家が書いた物語が、何冊もカタルーニャ語に翻訳され、人々の手に取られるということも起こります。僕はそのように、同じひとつの物語を皆さんと分かち合えることを、とても嬉しく思います。
夢を見ることは小説家の仕事です。しかし小説家にとってより大事な仕事は、その夢を人々と分かち合うことです。そのような分かち合いの感覚なしに、小説家であることはできません。
カタルーニャの人々がこれまでの長い歴史の中で、多くの苦難を乗り越え、ある時期には苛酷な目に遭いながらも、力強く生き続け、独自の言語と文化を護ってきたことを僕は知っています。私たちの間には、分かち合えることがきっと数多くあるはずです。
日本で、このカタルーニャで、私たちが等しく「非現実的な夢想家」、となることができたら、そしてこの世界に、共通した新しい価値観を打ち立てていくことができたら、どんなに素晴らしいだろうと思います。それこそが近年、様々な深刻な災害や、悲惨きわまりないテロルを通過してきた我々の、ヒューマニティーの再生への出発点になるのではないか、と僕は考えます。
私たちは夢を見ることを恐れてはなりません。理想を抱くことを恐れてはなりません。そして私たちの足取りを、「便宜」や「効率」といった名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはなりません。私たちは力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」に、なるのです。
最後になりますが、今回の賞金は全額、地震の被害と原子力発電所事故の被害にあった人々に、義援金として寄付させて頂きたいと思います。そのような機会を与えてくださったカタルーニャの人々と、ジャナラリター・デ・カタルーニャの皆さんに、深く感謝します。そしてまた先日のロルカの地震で犠牲になった人々に、一人の日本人として、深い哀悼の意を表したいと思います。
Munchas Gracias!
“
3月11日(日)14時46分、首都圏の電車が停止訓練を実施
東日本大震災が起きてから、ちょうど一年が経ちますね。都心では、大手私鉄が地震の起きた14:46に一斉停止訓練を行うそうです。
■東京メトロ・小田急・京成・京急も – 3/11停止訓練 …