神道でいう「穢れ」とは「不潔・不浄」を意味するものではない

穢れ、は汚れ、ではなく「気枯れ」、なのか。ほほうと思ったメモ。
神道でいう「穢れ」とは「不潔・不浄」を意味するものではない | DDN JAPAN / (DIGITAL DJ Network)

“神道でいう「穢れ」とは、それ即ち「不潔・不浄」を意味するものではないということである。
肉親の死による悲しみ、それによって、ハツラツとした生命力が減退している状態、それこそが「気枯れ」=「けがれ」である。”

へえへえ。


元のWikipediaの記述を、もうちょっと前から引用してみるとよりわかりやすく。

“また、神道において死とは穢れであるため、神の鎮まる聖域である神社で葬祭を行なうことはほとんど無く、故人の自宅か、または別の斎場にて行なう。しかし勘違いしてはならないのは、神道でいう「穢れ」とは、それ即ち「不潔・不浄」を意味するものではないということである。肉親の死による悲しみ、それによって、ハツラツとした生命力が減退している状態、それこそが「気枯れ」= 「けがれ」である。”

なるほどなるほど。「穢れ」、なんて言われると仰々しいけど、そういう当たり前のものなんですね。


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