「我が子の生首を突きつけられ、主への忠誠を試される」
こんなショッキングな題材が、歌舞伎と古代ローマ史の両方に登場することを知りました。興味深かったのでメモ。
きっかけはどちらも漫画です。古代ローマ史のほうはもちろん岩明均先生の『ヒストリエ』。歌舞伎のほうは、現在モーニングで連載中の『かぶく者(かぶくもん)』。
ヒストリエ vol.1 (1) (アフタヌーンKC) 岩明 均 講談社 2004-10-22 by G-Tools |
かぶく者 1 (1) (モーニングKC) たなか 亜希夫 講談社 2007-12-21 by G-Tools |
古代ローマ史のほうはハルパゴスの物語、歌舞伎のほうは『寺子屋』という演目だそうです。
まずは古代ローマ史のほうから。以前もご紹介したあのサイトに詳しいです。
【宴会の席で王はハルパゴスのみ特別な肉を用意したとして、家来に食材の入ったかごを持ってこさせて中身を見るようにしむけます。そしてハルパゴスがおおいを取って目にした物は13歳の息子の亡骸でした。】
このシーン、岩明先生のものすごく上手な死体描写で描かれていましたね。。(『ヒストリエ』1巻参照)
【このような仕打ちを受けたハルパゴスですが、その後も変わることなく何年も忠勤に励み、王も彼を信用して重用しつづけました。そんなときにペルシア人キュロスがメディア王国に反旗を翻します。王はこれを撃つべくハルパゴスを派遣するのですが、ここでハルパゴスは裏切ります。表向きは忠実に仕えつつ、裏では色々と手を回してキュロスの蜂起を催していたのです。】
ここの裏切る瞬間も、岩明先生のものすごく上手なブチ切れた表情で描かれていましたね。。。なんであんなに上手なんですか先生(泣)。
ここまでは『ヒストリエ』でも語られていましたが、リンク先には物語の前後や因果関係がさらに詳しく綴られています。
一方、歌舞伎のほうは。
■大鹿歌舞伎
こちらのページの、「菅原伝授手習鑑『寺子屋の段』」の「あらすじはこちら」をクリックすると物語とその解釈を読むことが出来ます。
こちらはハルパゴスの物語と違い、忠義のために自らの子供を殺め、その首を差し出してしまうというお話です。
が、物語そのものよりもむしろその解釈の変遷が興味深かった。以下、サイトより抜粋させて頂きます。
【主君への忠義のために、わが子を犠牲にしてしまう・・・いかにも封建時代の歌舞伎的なお話、非人間的な、ばかげた芝居と思われることでしょう。
じっさい、明治からつい最近まで、りっぱな教養ある人たちでさえ、そう誤解し、だから歌舞伎なんて古くって封建思想のかたまり、この民主主義の世の中に見る価値なしという人がたくさんいたのです。けれど、これが間違った解釈なのは、ちょっと考えればわかることです。
江戸時代、歌舞伎は武士のためのものではなく、庶民・町民のために存在していました。
その諸見は、封建思想をもとにした身分制度にしばられ、武士階級に身動きできないほど弾圧されていました。その民衆が、 封建的忠義を賛美する芝居を、よろこぶはずがありません。『寺子屋』のテーマは、忠義のすすめではなかったのです。忠義のために子供すら犠牲にしなければならない封建社会、支配勢力への怒り・あきらめ、 肉親を自分の手にかけなければならないかなしみ・・・それがテーマだったのです。
さて、「寺子屋」のクライマックス、首のないわが子の亡骸をまえに香をたく、松王・千代夫婦の姿に観客は目頭を熱くし、とめどなく流れる涙をハンカチでぬぐいます。】
んんん、なるほど~~。
何年もの間復讐の機会を窺い、ついに果たしたハルパゴスと、『寺子屋』の両親の抗うことも叶わなかった時代背景と諦め、悲しみ。
似たような境遇に置かれながら、行動やその結果はなかなか対照的です。
どちらの場合も子供の命は戻ってこないところに救いはなく、そこのやりきれなさは共通しているように思えます。
似た話があるんだな、と調べてみたのですが、興味深いものに触れることが出来ました。
と、この記事実は随分前に書き留めておいたものなのですが、先ほど載せた『花よりも花の如く』と狂言『月見座頭』の関連記事として、今回やっと完成させて日の目を見せることが出来ました。
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