遅刻なんてかまわないから飛び出ししないで

友人が取り上げていた話題から、ちょっと思い出したことがあるので書きますね。高校の時の同級生の事故の話で、重い話になりますけれど。
まずはこちらのニュースから。
駆け込み乗車で27メートル引きずられる(スポニチ)


それからこの事故を受けて書かれた掲示板。
おんぷちゃんねる鉄道画像掲示板
こちらへのカキコミに、現役車掌さんが「今は、本当にあり得ない方法で駆け込むケースがあるので、戦々恐々としています。」と書いていらしてううむ、考えさせられます。
駆け込み乗車って、それほどせっぱ詰まって急いでなくてもついやってしまうものだったりしますよね。気を付けないとな。
いや、それにせっぱ詰まって急いでるならやっていいというものでももちろんない。
さて、この話から思い出したこと。
今回タイトルに「遅刻なんてかまわないから飛び出ししないで」と書きましたが、これは私が服屋さんの店長時代に、お店の子たちにいつも言っていたことです。
同じ高校出身者には、ひょっとしたら同じことをきっかけにして、このような信条を掲げることにした人もいるかもしれない。
私が高1の5月、運動会当日の朝に、交通事故で同級生が亡くなるという出来事があったのです。
早朝練習に遅刻しそうになって、自転車でかなりの大交差点を信号無視か赤ギリギリで突っ切ろうとして。
そのまま運動会は中止になり、晴れやかな行事の日が一転、学校中が重い空気に包まれて。
そういうことがあったので、シフトに遅刻しそうになっても、絶対に信号無視とか、飛び出したりしちゃだめだよ。寝坊とかで間に合わない!と思ったら、家を出る前に電話一本入れてくれればいいから。
そういう日常的なことで、本当にしんでしまう場合もあるんだよ。遅刻なんて、命と引き替えにするようなことじゃ全然ないからね。
その時は焦ってつい急いでしまうかもしれないけど、思い出してね。
とですね、遅刻した子が駆け込んできた時に話したりしたなあと。おばちゃんくさいですかね(当時24)。
でも、あの子たち覚えててくれてるといいなあ。
日常的なことに紛れて、つい急いだり走ったり、無理な横断をしたり駆け込み乗車をしたりしてしまいがちですが、気をつけないといけないですね。気をつけましょうね。
 *  *  *  *  *  *
以下は、すんごい長い余談です。せっかくだから運動会のことを書かせて頂こうと。
運動会の事故のことは、1年後の運動会の運営や、各代の卒業文集にまで禍根を残す、大変大きな出来事となりました。
うちの高校は行事がものすごく盛んでした。特に運動会は、学園祭のように各部活やクラス単位など小さな団体ごとの参加ではなく、学校中を大きく三つに分けて競う形で、大勢の生徒が学年もまたがってひとつのことに集中して取り組み、身体を動かすことも中心だったためとても明るく、特別な雰囲気を持つ行事でした。
その年は、3年生が自分たち最後の運動会のためにものすごく気合いを入れて準備をしていた年でした。
5月の日曜日は大きな全国模試と重なることが多く、3年生は運動会を欠席して模試に行ってしまう率がとても高かったことが、毎年問題になっていたのだそうです。
そんなことではいけない、自分たちが後輩のためにも盛り上げなくては、と、その年の3年生たちはかつてないくらいの大がかりな出し物の準備をして、何ヶ月も練習していたのだそうです。
という話は、翌年私が2年に上がり、運動会実行委員会に入った時に聞きました。
2年目の運動会前日になって、実行委員で議題が持ち上がりました。去年の事故で亡くなった子のために、黙祷をしたいという意見が出たのです。
それに対して、3年生の一人(事故当時2年)が反対し、当時の3年生がどんな状況で、どれだけ準備をしてきたかという前述の話をしました。
彼らがあんなにがんばって準備したのに、結局発表する機会は失われてしまった。あの時の先輩たちのつらそうな様子が忘れられない。先輩たちが盛り上げようとした運動会なのに、今年にまであの重苦しい雰囲気を引きずりたくない。
その気持ちは確かによくわかりました。
5月におこなわれる運動会は、特に1年生にとっては入学して最初のビッグイベントで、この行事の準備や本番を通じてうちの高校の空気、先輩たちのパワーや自由で活気に溢れる校風を一気に肌身に感じることのできる、1年生に対する学校中の歓迎会のようなものでもあったのです。
そんなことを当時新入生だった私が知っていたのは、3つ上の兄も通っていた高校だったからでした。中学1年の時から運動会を見てきて、そこに心酔して入学した私にとっても、1年の時の運動会はようやくあの空気を中から感じることができる、と何年も待ちこがれた日だったのです。
翌年運会実に入ったのは、あの空気を再現して同期や下の代に見せたい、そのために何でもいいから何かしたい、と思ってのことでした。
(そして広報担当になって、全校やご近所に配るチラシを作ったり、運会実の人たちから原稿を集めて白書を製本発行したりしました。あ、そういえばいつも書いてる例のカオはこの時生まれたキャラです)
だから、当時の3年生ががんばって盛り上げようとしてくれたという気持ち、そして、その気持ちを引き継ぐためにも黙祷には反対だという先輩の思いも、とてもよくわかったのです。
当日、事故は早朝だったにも関わらず、中止になったのはお昼を過ぎてからでした。事故の被害に遭った生徒さんのご両親が、今日まで全校の生徒さんたちが一生懸命準備をしてきたのに、うちの娘一人のために中止にしてしまうのは気の毒だ、運動会を続けて下さい、と病院に駆けつけた先生方に言って下さっていたのだそうです。
ですが、正午過ぎに脳死の診断が確定し、それを受けて、これ以上運動会を続行することはできないとの判断に至った、と、突然の招集点呼に戸惑いながらグラウンドに整列した生徒たちに校長が告げました。(そして、確かその翌朝か次の朝に、蘇生の見込みなしということで呼吸器がはずされたとのことでした)
あの日は確か朝から雨だったんじゃなかったろうか。異様に暗い空の下で、女子も男子も泣きながら黙々と片づけをしたのを覚えています。
3年生が、出し物のためにお揃いで作った、着る機会のなくなってしまったはっぴを地面に叩きつけて泣いていた、と、黙祷に反対している先輩が言いました。
その言葉に、それじゃああの子がしんだのが悪いみたいに聞こえる、と言って、亡くなった子と同じクラスだったという実行委員の子が何人か、声を上げて泣き出してしまいました。
事故から一年後の運動会前日の会議でも、やはりみんな泣きました。準備と会議のために夜遅くまで学校に残る日が続いていて、みんな肉体的にも疲労のピークだったはずですが、本番前の最後の会議はそれまでで一番遅くまでかかり、一番重く苦しいものでした。
結局議論の末、去年あんな事故があった次の年なのだから、何もしないのはやはりあんまりではないか、今年だけは開会式の時に全校生徒で黙祷を捧げよう、そしてそれは今年だけにとどめて、毎年運動会の恒例、みたいな形骸化したひきずり方をするのはやめよう、と決まりました。
(もともと運営のほとんどを生徒がおこなっていましたが、この会議の時にも担当だった先生は終始教室の隅に座ったまま、結論が出るまで黙って生徒たちの話し合いを見守ってくれていました。40代半ばの体育の先生で、微妙に生徒に不評なところもあったけれどあの対応はすごかったな、と大人になった今は思います)
人が一人亡くなるということ、それも同級生の突然の死は、高校生の少年少女たちには本当に重く、しかも全校生徒のさまざまな思いが交錯する最大の学校行事も絡んでいたため、簡単には処理しきれない問題でした。
その後、毎年春に発行する卒業文集の時にも、どこの代もこの事故に触れるかどうか話し合ったそうです。私たちの代でもやはり議論になったけれど、さすがに書いたんじゃなかったかな。同期だものね。
事故当日、たまたま学校にきていた部活のOBの人(当時30歳くらい)が話を聞いて、「おまえらきっと今日のこと一生忘れないよ」と言っていたけれど、当時はそんなにピンとこなかった。幸いにも(という言い方は適切でないかもしれませんが)知らない子だったけれど、ただただショックでぼうっとしていて。
でも今はあの言葉の意味がわかります。確かに忘れていない。事故があった当時の年齢から倍以上の月日が経ったけれど、忘れていないですね。同級生にも、あの交差点を通る時には必ず思い出すよ、と言っている人がいました。私も8年も9年も経ってから、お店の女の子に話して聞かせたりしたし。
亡くなった寺田さんのご両親が植えて下さったという桜の木が、正門から校舎へ続くスロープの途中にありました。私たちが卒業する頃にはまだ細い若木だったけれど、もうだいぶ育ったのではないだろうか。校舎が全面改築された時にも移植されたはずだし。
16年も経つんですね。親御さんはどうしているだろう。きょうだいはいたのかな。
ものすごく長くなりましたが。。
みんなきっと自分一人ではない身体、毎日大事にして下さい。

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6 Replies to “遅刻なんてかまわないから飛び出ししないで”

  1. 「ドアに手をはさめば~」
    ってエレベーター感覚ですよね。
    想像力の足りない人が多すぎる。
    高校時代のお話、読ませてもらいました。
    なんとも、いえないですよね…。

  2. >ぽんちさん
    >エレベーター感覚ですよね。
    >想像力の足りない人が多すぎる。
    そうなんでしょうね。。自分一人に怪我や命の危険があるだけじゃなく、鉄道側の責任や乗っている乗客にも危険が及ぶのに。でもついやってしまうんでしょうね。。
    >高校時代のお話、読ませてもらいました。
    >なんとも、いえないですよね…。
    ありがとうございます~。めちゃめちゃ長文の個人的思い出話を読んでコメント下さって、嬉しいです。

  3. 内部にいた人間なのに、くわしい話は初めて聞きました。3年生や、次の年の運動会実行委員会の人たちが、すごくすごく葛藤していたことも恥ずかしながら知らなかったです(書いてくれてありがとう)。
    私も顔くらいしかしらない子だったけど、すごいショックだったなー。今でもあの日のことはよく覚えている。
    ほんと、日常的なことで死んじゃうことがあるんだよね。気をつけないといけないね。

  4. >シオリちゃん
    コメントありがとう!
    そっか、そうだよね知らなくて当然よ、うん。私も運会実(懐かしい略語でしょ!)にいなきゃ知らなかったもん。
    細かいことを知らなくても、翌年ワアッとはしゃいでても絶対みんな心にとめてたと思うし、黙祷は全員真剣だったと思うよね。
    シオリちゃん確か、彼女と同じ階だったんだよね。私は顔も名前も知らなかったな。同じクラスの人たちはほんとにつらそうだった。。
    入学してすぐだったから、私たちにとっては運動会の印象が強いけど、同じクラスの人たちはひょっとしたら高校生活そのものに深く刺さっていたかもしれないね。

  5. 私も知らなかった。。
    能天気に2年目運動会を迎えていた気がする。
    1年目の各団団長3人ともが同じ団になってしまい、
    2年目団長がちょっとしょぼかった(失礼すぎ)なぁって言うぐらいで。
    3年が団長をやるようになったのは、
    あの事故の次からだったね。
    私も今でも強烈に覚えています。
    道を歩く時気をつけろというのは
    どこのお母さんより厳しいかもしれない。
    卒業式にご両親からいただいた電報は絶対に忘れられない。
    ところで、「うんかいじつ」じゃなくて「うんじつ」じゃなかった?
    うんじつ、きじつ、くらまじつだよ。

  6. >ゆいな
    おう?「うんかいじつ」って言ってたような?中の人たち。記実はきじつだったね。
    >能天気に2年目運動会を迎えていた気がする。
    いや、いいのよ。シオリちゃんの話もゆいなのもね、聞いて嬉しかったよ。運会実は裏方なので、みんなに明るく楽しんでもらうためにがんばったのだ。報われたわ(ただ一人ドライに黙祷に反対した先輩もきっと嬉しいと思う)。
    >3年が団長をやるようになったのは、
    >あの事故の次からだったね。
    ああ、そうだったね、それまでは2年が中心だったんだ。書いててあれ?と思ったのよ。3年は模試に行っちゃうって、団長どうしてたんだ?って。
    電報!そうだった!ありがとう思い出させてくれて。そうだよね、ゆいなはもう人の親だものね。

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