全然関係ないものから同じサインがころころっと出てくることってありますよね。チェリーが3つ並んだかんじ。
ダン・ブラウンの『天使と悪魔』を読んでたら出てきた一節。
「主よ、変えることのできぬものを受け入れる落ち着きを我が身にお与え下さい」
お?これは。
宇多田ヒカルの『Wait&See~リスク~』にもこういうくだりが。
「変えられぬものを受け入れる力 そして受け入れられないものを変える力をちょうだいよ」
おお~これ引用だったのか。聖書から?かな??
と思っていた矢先。先週号の『モーニング』の『刑事(デカ)が一匹…』に。
「神よ我らに与えたまえ、変えることのできないものを受け入れる平静さを。
変えるべきものを変えるだけの勇気を。
そして変えられることと変えられないことを見分ける知恵を。」
「アメリカの神学者ラインホールド・ニーバーの言葉だ」
なるほどそうでしたか~。
ありがとう高円寺さん(←主人公の刑事さん)。
や、まあ私が無知なだけかもしれないけど、全然知らなかったおかげでちょっと得した気分になれました。
ちなみに一般に知られている「ニーバーの祈り」(『天使と悪魔』では「平穏の祈り」と呼ばれていたため検索してもすぐにはわからなかった)は、高円寺さんが言ったのと(てかきたがわ翔センセが書いてるのと)微妙に違います。
「THE SERENITY PRAYER
O God, give us
serenity to accept what cannot be changed,
courage to change what should be changed,
and wisdom to distinguish the one from the other.
Reinhold Niebuhr
ニーバーの祈り
神よ、
変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。
ラインホールド・ニーバー(大木英夫 訳)」
「受け入れる」って、どうすれば受け入れたことになるんだろう。
諦める?我慢する?見なかったことにする?
受け入れる、受け入れる……。難しそうだな。
なるほど「平穏」の祈り。
変えることのできないものを受け入れる冷静さ。欲しいです。
『受け入れる』って自分の中にその存在を認め許すことだと思う。なんとなく。
「冷静さ」か。がんばろっと☆
いろんなところにステキな言葉が散りばめられてるんだね(^-^)
わたしはあひるちゃんのおかげでこの言葉に出会えました。ありがとう!
>memy
>わたしはあひるちゃんのおかげでこの言葉に
>出会えました。ありがとう!
おっそう言って頂けると嬉しいわ。upした甲斐があるです。
>『受け入れる』って自分の中にその存在を認め
>許すことだと思う。なんとなく。
うむむそうか。やっぱり難しいな。それを受け入れないことが自分だったりするので。
ってそういうこととはまた違うのかな。
ちなみにmemyの持っている優しさというか、共感力?”受け入れるチカラ”はなかなか希有で素敵なものがあると思ってます。(←公開口説き)
深いですね。
受け入れる・・・そうだなぁ、
『ま、こんなもんだろ』って思えることですかねぇ。でもコレって諦めチックかも。いやはや今の私にはこの程度しか思いつきません。うーん。
>kinocoさん
>受け入れる・・・そうだなぁ、
>『ま、こんなもんだろ』って思えることですかねぇ。
おお~、うんうんわかる気がします。そんな感じ。何というか菩薩のよ~にハハオヤのよ~に許す!んじゃなくって、「ハァ…(´・ω・`)」って感じですよね。(←?)
ニーバーの祈り
「神よ、
変えることのできるものについて
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ
そして
変えることのできるものと、変えることのできないものとを
…
祈り
ダ・ヴィンチ・コード / ダン・ブラウン
薔薇の名前 / ウンベルト エーコみたいな難解な作品なのかなと思っていたのですが、全然違うタイプ。読みやすいです。
ニューズウィーク2006年5月31日号に、薀蓄部分の誤りや他の解
はじめまして。
「天使と悪魔 平穏の祈り」で検索してあひるさんのブログに来ました。
天使と悪魔を読んで「平穏の祈り」が気になり、参考にさせていただきました。
宇多田ヒカルの歌詞は思い出せませんでした。確かにニーバーの祈りの言葉のアレンジのように見えますね。
>うつゝさん
はじめまして、TB・コメントありがとうございます。
『天使と悪魔』で平穏の祈り、気になりましたよね。私もそれで調べてみたのでした。
宇多田ちゃんはおそらく、教会などで小さい頃からこの言葉に慣れ親しんでいたのかな、なんて思いました。
あひるさん、コメントありがとうございます。
「天使と悪魔」が宇多田ヒカル、漫画につながっていくことを興味深く拝見いたしました。
こういう感覚ってどう言葉にしたらいいのかなともやもやしていましたが、あひるさんの「チェリーが3つ並んだかんじ」という言葉でもやもやが晴れました。
まさに頭の中でチェリーが3つ並んだかんじ!です。
>うつゝさん
>まさに頭の中でチェリーが3つ並んだかんじ!です。
ありがとうございます~(^^)。マンガは私も偶然目にしたので、驚きました。たまにこういうことがあって、楽しいですよね。
blogをやっていると、それを他のかたがたと共有できるのがまた嬉しいです。
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