マイケルジャクソンに関する誤解と偏見に満ちた数々の噂について

マイケル・ジャクソン THIS IS IT
Sony Music Japan International Inc.
2014-04-06


さて先ほど書いた星野源さんのGW特番『おげんさん』。
源ちゃんが子どもの頃マイケルをTVで見て「すごく寂しそうな人だと思ったのね」と語っていたのが印象的でした。

それは、亡くなった後にひょんなことからマイケルネタの記事を書き、そのためにあれこれ検索してマイケルファンの方々の文章に行きあい、その人たちが語るマイケル像から私が得た印象と、とても近いものでした。源ちゃんそれを子どもの頃から感じていたんだなあ。

印象的だったファンの方々の追悼文や、マイケルについての情報を、今回の『おげんさん』を機に改めてまとめようと思います。すごく長いです。


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元のブログや記事から、多数引用させて頂いております。リンクを貼るだけにとどめようか悩んだのですが、リンク先まで行かない人も多いのではないかと思い、ここを読むだけでも、これまで世間一般に知られてきたマイケル像がいかに恣意的に曲げられたものだったのかが伝わるように、記事を書いた方の意図やエッセンスを損なわないよう心がけつつ引用させて頂くことにしました。元の記事を書いた方のご気分を害さなければ良いのですが、もし問題があれば恐縮ですがコメント欄にてお知らせください。
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近所の神社で、マイケル・ジャクソンの冥福を祈った – Tomomi s


子供のときから、ろくに小学校にも行かせてもらえず、友人もなく、ただひたすら歌を歌ってきたのが、マイケル・ジャクソンだろう。子供らしい遊びをすることもなく、近づいてくる人間は、金儲け目的のれんちゅうばかり。親でさえ、稼がせることしか考えていない。こうして、ひたすら歌いつづけたわけだから、その浮き世ばなれした純粋さは、この世の人ではないだろう。


 幼児虐待の裁判も、賠償金目的の母親の狂言だった。たきつける弁護士がいて、不名誉な被告になってしまった。アメリカの場合、弁護士は、手にした賠償金の3分の1をとる。ごつい商売だ。芸能人の弱みにつけこんで、あることないこと難癖をつけて、訴訟を起こすとおどす。示談になれば、ラッキーなのだ。マイケル・ジャクソンは、裁判を闘い、無罪になっているのだ。しかし、不道徳な性癖があるという不名誉な噂は、もう消えない。

「マイケルは純粋すぎた」という解釈は多いようですが、そうじゃないのではないか、と言っているファンの方もおられました(後述)。

まず私が驚いたのは、マイケルが無罪だったことでした。そんなことすら知らなかった。
裁判について、訴えた側が芸能人相手に根も葉もないことで訴訟ばかり起こしていた人物だったこと、マイケルを知る著名人の多くが彼の無実を証明するために証言台に立ったこと(マイケルの人望の厚さの表れ)、そして結果的に無罪になったことなどなど、まるっきり知りませんでした。亡くなって初めて、そういう情報に出会った。

引用続き。


マイケル・ジャクソンの偉大さは、テレビや新聞にあるので、今更、そこはふれないが、黒人として、アメリカ白人社会に完全に受けいれられた、はじめての黒人ミュージシャンだろう。スティーヴィー・ワンダーも、アース・ウインド&ファイアーも、すでに世界的なスターになっていたが、アメリカではやはり黒人社会のスーパースターで、白人に受けいれられていたわけじゃないのだ、じつは。

 60年代の話だ。トム・ジョーンズが、イギリスからラスベガスにやってきて、一週間で稼ぐ金額は、レイ・チャールズの年収だった、とレイ・チャールズ自身が書いている。トム・ジョーンズは、レイ・チャールズのコピーからはじまった人だ。このとき、レイ・チャールズは人気絶頂だったのだ。つまり、アメリカでいかに黒人ミュージシャンが冷遇されていたか、ということだ。

 しかし、マイケル・ジャクソンがソロ・デビューした1979年には、時代は大きく変わっていた。むしろ、深層の人種偏見を隠して、黒人を優遇することこそ、かっこいい、クールだ、という社会になっていた。

こちらの話に繋がるのが、マイケル自身のスピーチですね。「DDN JAPAN」よりスピーチの日本語訳を一部引用しますが、ぜひ全文、それからYouTubeの映像(最後の方に載せます)をあたってほしいです。

皆さんはそれを知らなければならない。 – マイケル・ジャクソン | DDN JAPAN

しかし、今日私はすべての不公正について話すためにここにいる。

皆さんは思い出さなければならない。

私がレコードセールスで過去の記録を全て破った次の瞬間から、つまり、私がエルビスの記録を、ビートルズの記録を破った瞬間から、ギネスブックの歴史上、史上最高に売れているアルバムとして認知された瞬間から、一夜明けたら、彼等は私を変人、ホモセクシュアル、 児童虐待者と呼び始めたんだ。

私が自分の皮膚を漂白しようとしているとも言った。彼等は世間の人が私に背を向けるようにするために、ありとあらゆる全てのことをしようとした。これは全て完全な陰謀だ。皆さんはそれを知らなければならない。

私は自分の人種をわかっている。鏡を見れば、自分は黒人であることがわかっている。

今や変革すべき時だ。この建物を去るときに、何が(スピーチで)語られたかを忘れないようにしよう!

心に入れて、皆さんの自意識の中に入れて、それに対して何か行動を起こそう!

我々はそうしなければいけないんだ!

長い間待望されてきたが、今や変革がおきなければならない時なのだ。だから、我々の松明を高々と掲げ、我々が本来当然受ける資格のある尊敬を受け取ろう。

I love you.
I love you.  

どうぞ今日心に留めたことを明日に忘れないで。そんなことをするようなら、我々は自分達の目的を達することはできないだろうから。こんな(差別は)やめなければならないんだ。止めなければならないし、だから私はそれを確実に止めさせるために自分の最善を尽くすためにここにいるのだから。

皆さん、I love you.
”And remember: we’re all brothers and sisters, no matter what color we are. 

そしてどうか覚えていてください。 我々は皆兄弟であり、姉妹であるということを。

たとえ我々がどのような皮膚の色(人種)であろうとも。

彼の逝去後に僕らは改めて作品に触れ、偉大なメッセージに心を動かされる。今後もそういうことが多々あるだろうけどその度に思い出さなくてはいけない事がある。これまでメディアが供給する彼に関する奇異なニュースを嬉々として受け入れていたことを。

こういうことを繰り返さないためにも、偉業を成し遂げた人間と、報道する人々と、溢れかえる情報の中からどの言葉が真実なのか常に疑いを持ち、時には精査して行くことで皆が成長しなくてはいけない。

この経験を糧に。

ネットが普及し誰もが大きな声を出せるいまだからこそ、ビジネスの束縛を持たない言葉だからこそ、未来を作っていくのは真に自分達で、力は大きな責任を持つと言うことを自覚し、誇りに持ちながら。

僕らはそれを知らなければならない。

続いてこちらのブログは、スピーチについての別訳と、「変顔」に関する考察。「アルバムのプロモーションのために、あえて変なメイクでマスコミの前に露出し続けたのではないか?」と。へえへえ!

Michael s Speech「Against Racism」 : マイケルと読書と、、

こちらの方はまたすごいのです!!
マイケルの裁判の時の服装をまとめにまとめて綴っていらっしゃいます!圧巻です!!
一部文章も引用させて頂きますが、とにかく写真が素晴らしいのでぜひリンク先で見てみてください。

マイケルジャクソン裁判カテゴリ一覧。ついつい遡ってかなりの数見てしまった。
カテゴリ:☆マイケルジャクソン裁判( 47 ) マイケルと読書と、、

裁判ファッション写真をまとめるにあたってのブログ主さんの思い。
☆In The Court[15] : マイケルと読書と、、

裁判と彼のファッションについて。
☆マイケル・ジャクソン裁判 2005.1.31 – 3.24 : マイケルと読書と、、


この裁判をパジャマで出廷などの報道で記憶されている方も多いと思いますが、そういう特殊な1日の様子ではなくて、圧倒的に多いそれ以外の通常の姿から、

わたしが美しいと感じた写真のみ選びました。

MJが法廷に通ったのは、およそ100日間ぐらいでしょうか(数えてませんが)。この間、毎日異なるオリジナルファッションを着こなし、SPにいたるまでコーディネートがされていて、

私には、彼がこの裁判を完全に“ショー”として意識していたように見えます。

命をかけて貫き通したかった信念が、裁判という“ショー”により、

彼が生涯を通して、全身全霊でアーティストだったことの“証明”になっているようで、ある意味、このときの彼の姿は、私にとって“THIS IS IT”以上に、衝撃的でした。

☆マイケル・ジャクソン裁判 2005.5.18 – 6.13 : マイケルと読書と、、


すべての容疑で、有罪になった場合、18年8ヶ月の懲役となり、さらに、事態が深刻化した場合は、56年もの刑期になると予想されていた裁判を受けるために、ここまで、MJが用意した“衣装”の素晴らしさを、ご堪能いただけましたでしょうか?

法廷へ通った100日余りの日々、世界中の2200ものメディアの視線を、たった1人で浴び続ける、という経験は、これまでの、どのような“スター”にも経験がないことです。
どんなレッドカーペットも、これほどの注目を浴びたことはありません。

しかも、それらのメディアの視線は、未だかつてないほど厳しいものでした。

その視線にも耐えて、これほどエレガントな態度だった彼が、
毎日、専属デザイナーから一式揃えて届けられていた衣装に、
着替えることすら出来なかった、

あのパジャマの日の“背中の痛み”とは、一体どれほどのものだったでしょうか。

先ほどもちらっと触れましたが、世間でよくある「MJは無邪気で騙されやすかった」というイメージに対し、そうではないのでは?とブログ主さんは訴えておられます。そこに引用されている、アフロダイテ・ジョーンズ著『マイケル・ジャクソン裁判』の「最終章」の文章。


著書の「最終章」より
裁判終結後、あるジャーナリストは、証拠のひとつとなったメモをじっと見つめていた。ある書籍の内側に記されていたマイケルのメモである。公判中は特に注目を浴びることのなかったこのメモは、マイケル・ジャクソンの本質をとらえていた。スーパースターは本の中に、こんな言葉を残していた

「少年たちの顔に浮かぶ
幸せと喜びを見よ。
これこそが、少年時代の真髄だ。
私が過ごしたことのない時代、
私が一生憧れ続ける時代である」

この5行を読むと、大人ですよね、マイケル。
子供を慈しみ、守り育てようとする、立派な大人の視点。
「ネバーランド」って、自分がピーターパンになって遊びたかったわけじゃなかったんだ。子供たちをピーターパン、ウエンディにして、遊ばせてあげたかったんだなあ。
なんだか、亡くなってから知れば知るほど、悲しくなってきます。

亡くなったあとにNHKでやっていた追悼番組でたまたま目にしたのですが、マイケル、尋常性白斑という病気だったのですね。それも知らなくて、衝撃でした。

マイケルの尋常性白斑について検索していて見つけた、私と同じようにマイケルの死後、誤解と偏見に気づいた、という人の記事。

マイケル・ジャクソンへの誤解をといてみる –  esu-kei_text


マイケル・ジャクソンの死後に明らかにされた事実は、僕に多くの教訓をもたらした。まさしく「無知は偏見である」とのマイケルのメッセージの通り、みずからを恥じる思いになったものだ。
 ただ、それで、偽りのマイケル・ジャクソン像を流布し続けたメディアを批判するのもどうかと思う。それほど社会は簡単には変わらない。まずは、そのとき感じたものを知人に話したり、ブログに書くことから始めてみるべきではないか。それが、もっと僕より大きな影響力を持つ人たちの心を動かすことができると信じて。

本当に。私も同じく、恥ずかしくなりました。そしてマイケルに対して申し訳なくなった。ごめんなさい。何も知らずに好奇の目で見て。

なんで亡くなった途端に、そういう情報が急に目に触れるようになったんだろう。私のようにそれまで特にファンではなく、あまりマイケルについて詳しくない人間にも届くような露出度で。
それまでは私のように特に詳しくない人間には、マイケルについてのひどい話しか聞こえてこなかったのに。

でも、それがどうしてかは大きな問題ではないのだと思います。問題は、私がただそれを鵜呑みにしたことです。
村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』の中の、主人公の「僕」と登場人物の少女とのやりとりを思い出しました。少女は、母親の恋人である男性のことを小バカにしきって散々軽んじて蔑んできたのですが、彼が事故で突然亡くなった後、「あの人、そんなに悪い人じゃなかったのに。もっと優しくすればよかった」と言う。それに対し「僕」は、運転していた車をわざわざ路肩に停め、助手席の少女に向き直って、「そういうのは本当にくだらない考え方だと僕は思う」と言い募るのです。春樹作品の主人公にしては珍しく感情的になる場面。

「死んでからそんなことを言うくらいなら、君ははじめから彼に対してもっとフェアで誠実に接するべきだったんだ」と。「人生には取り返しのつかないことがあるんだ」と。

記憶のまま書いているので正確ではないですが、おおむねそんなことを、主人公は言っていました。本当にその通りだと思います。もう取り返しがつかない。

ここにまとめたことがすべて真実かどうか、これまで広く信じられてきた報道がすべて嘘だったのかどうか、私には正確に検証、証明することはできません。
ただ、何も考えずに流れてくる情報を鵜呑みにした自分の個人的な反省と、明らかな事実誤認や偏見については、せめてこれ以上の誤解の拡大、浸透を少しでも止められたら、という思いから、この記事を書いてネットに放流しておくことにしました。私がそうだったように、読んでくださった方の考えるきっかけになったら嬉しいです。

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もう少し関連リンク。
ふたたび先ほど裁判ファッションをまとめてらした『マイケルと読書と、、』さん、こちらのカテゴリも興味深く拝読しました。あまりに多いのでまだ全部読めてはいないのですが、1と、これまでの経緯がまとめられた最後の記事だけリンク。「ブログに書いて発表すること」に対し、とても真摯に考えておられる姿勢に頭が下がります。

マイケル・ジャクソンの顔について(1) : マイケルと読書と、、
マイケル・ジャクソンの顔について “反省・反省・反省” : マイケルと読書と、、

以前もリンク貼らせて頂いた、知人のマイケル記事2つ。

マイケル度別楽曲紹介。
Dear Michael, He’s Out Of My Life, Gone Too Soon – カイ士伝

こちらはタイトル通り。
マイケル・ジャクソンという人間について – カイ士伝


一方で、マイケルといえば音楽やダンスの評価と同じ、もしくはそれ以上に騒がれるのがスキャンダル。顔が白いだの整形で鼻がまがっただの少年虐待疑惑だの、挙げればきりがないほどで、マイケルをそういうイメージでしか見ていない人も多いんじゃないだろうか。

個人的にはそういう見られ方を否定する気はなくて、というのも自分も最初はマイケルを「整形で気持ち悪い人」としか思ってなくて、どちらかというとバカにしていたフシもあったから。それがNHKのマイケル特集見てふきとんで、「ああ自分はなんて偏見の目でみてたんだろう」と痛感させられたことが、今の自分の価値観にも大きく影響を与えていることは間違いない事実であります。


なのでマイケルが白かろうが整形しまくってようが、少年虐待を実際にはしていようが、あまり自分には関係がない。いや少年虐待は犯罪なのでもしやってたとしたらだめなんだけど、自分がマイケルに対して感じている尊敬の念やあこがれみたいなものはそれが1つのゆるぎない価値であって、そこに魅力を感じている以上は他のことはどうでもいい。マイケルの言葉を借りればIt doesn’t matter if you’re black or whiteなのであります。

とはいえども、マイケルを好きになりすぎるあまりマイケルに関する文献を読みあさった自分としては、マイケルがああなってしまったのも正直言ってわかるなあ、という思いが強い。あれだけの人生を歩んできた人間が、言葉は悪いかもしれないけれどまっとうな人生はとても送れないよね。マイケルを知れば知るほどそういう重いが強くなる。

引用の後半部分を読んで、当時まだ何も知らなかった私は、「ああこんなにもファンの人が認めちゃうくらいだからマイケルの性的虐待疑惑って本当だったんだなあ」と思ってしまった。前半の「偏見を痛感させられたことが、今の自分の価値観にも大きく影響を与えている」という箇所に着目しないといけなかったんだろうな、きっと。

最後にYouTubeのスピーチ。

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マイケル関連あひる。なんだかんだでけっこう書いている。
May 15, 2017 星野源『おげんさん』とマイケルジャクソンとYMO「BEHIND THE MASK」
August 26, 2012 マイケルが踊ると敵がつられて踊って全滅する伝説のゲーム「マイケル・ジャクソンズ・ムーンウォーカー」

September 08, 2010 マイケルとトラボルタとスーダラ節
February 02, 2011 二人の若手チェリストが弾くマイケル・ジャクソンが格好良すぎる
July 21, 2011 「内向的」を聞き間違えて
July 10, 2009 マイケル・ジャクソンという人間について – カイ士伝

おお、すごいなこの自伝、評価めちゃ高い。読んでみたいな。Kindle版は原書しかないみたい。

ムーンウォーク --- マイケル・ジャクソン自伝
マイケル・ジャクソン
河出書房新社
2009-11-13



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