ジャポニカ学習帳が昆虫写真じゃなくなったのは本当にクレームのせいなのか(途中からなぜか下品)

(2014/12/4 追記:まとまりがなさすぎなままupしてしまったので、少し書き足して整理しました)



ちらほら目にする話題に、えっそうだったの?って思ったのでメモ。
まとめると。
最近「ジャポニカ学習帳が昆虫の表紙じゃなくなったのはモンペがクレーム入れたせい、歴史ある表紙なのにひどい」みたいな話題をよく見かけて、きっかけはニュース記事らしいけど、約一年前の別の記事では「昆虫じゃなく最近花の写真になったのは撮影できる昆虫の数が少なかったため」ってジャポニカが答えてるんだけど、じゃあクレームのせいって話はどっからきたの?
っていうかんじです。
詳しくはこちらに。
不快なものを排除する、ということ。 – スズコ、考える。
関連リンク。
Yahoo!ニュース – ジャポニカ学習帳から昆虫が消えた 教師ら「気持ち悪い」 40年続けたメーカーは苦渋の決断 (withnews)
虫嫌いのママも納得 昆虫と仲良く暮らす秘訣  :日本経済新聞
私も鱗粉系は苦手だけどジャポニカにクレームはやりすぎだろ、と思っちゃったクチですが、もしかするとクレームを入れた人というのは想像上の人にすぎないのではありませんか?的なあれか?良かったそんな何だかなーなクレームを入れた人なんていなかったんだ的なあれなのか?
最近そういうオチ多い気がする。ネット上で「ひどい許せない」(あるいは「すごいよくやった」)とか話題になってる色々極端な話って実はソースがあやふや、みたいな話。盲導犬フォーク事案とか。他にもあったな。思い出したら書き足そう。
以下、今回の話って年賀状の子供写真の是非とかいう話も同じだなー、とかまとまりないですがつらつら。


でもあれですよね。「昆虫じゃなく最近花の写真になったのは撮影できる昆虫の数が少なかったため」ってジャポニカが答えている日経新聞の記事もそもそも、言いたいことは「クレームのせいで消えた」記事と同じなんじゃないかしら。記事のテーマやオチが「最近虫嫌いの母親が多くて子供の発育に悪影響」だし(はいはいなんでも母親のせい母親のせい、子供に悪影響悪影響)、冒頭のジャポニカの「撮影できる昆虫の数が少なかったから」という回答をほぼ無視する形で、前後を「昆虫を嫌がる人が増えた」という文章ではさんで、ジャポニカの表紙が変わったのも何となくそのせいかのように読めてしまう流れを作っている。昔街頭インタビューですごく誘導的な質問ばかりされたことがありましたが、結論ありきで無理矢理記事を書こうとしているように見えます。
冒頭で引用させて頂いたスズコさんの記事のタイトルにも「不快なものを排除する、ということ」とあるように、それを見て傷ついたり不快に思ったりするのは個々人それぞれあるだろうけど、だからやめろと声高に主張するのは話が別だと私も思いますし、そもそもメディアがわざわざ取り上げて「不快だからやめてほしいという意見が多数ある」というふうに大げさに拡散するのはどうなのか、とここ数年そのような記事を見るたびに思っていました。
これ、この季節になるとよく話題に上る(と思わされているだけかもしれないけど。マスメディアがそれらしく取り上げるから)年賀状の子供写真の是非という話も同じじゃないだろうか。
何かを表現、発表する時、不快に思う人がいるかもしれないと配慮する必要があるのは当然ですが、年賀状のような個人的なものにまで他人が「不快だ」と主張するのはどうなのか、また、そういう意見が多数あるかのように話題に上らせて、自分や家族の日常を報告しているだけの人が配慮不足、みたいに取り沙汰されて肩身の狭い思いをするって何か違うんじゃないだろうか、とこの”議論”?を見るたびにずっともにょっとしてました。
でも本当はそういう人って言われているほど多くないんじゃないか。そんな議論なんて紛糾してないんじゃないか。大部分の人は、年賀状の件ばかりでなく何か心を波立たせるようなことがあっても表に出さずに、静かに傷つきながら、ごく親しい人に話を聞いてもらいながら自分の中で折り合いを付けて生きていっていて、ほんの一握りの人が声高に主張して、それを良い話、感動話のチェーンツイートみたいに善意の第三者が「傷つく人がいるからやめよう」と言っちゃって、それをネタ探ししているニュース発信者が広めちゃってるだけなのかな、と。
あと、ネット上ってちょっと斜に構えた意見、「人とは違う物の見方」がクール、っていう空気がある気がする。空気がある希ガスってどんだけ空気。いやいいとして。そろそろ真面目な論調がもたなくなってきた。だからその、子供の写真かわいいね、とかいう当たり前のことじゃなくて、子供の写真なんて見たくなくね?(フッ)(その実ドヤァ)って言ってみたいのかな、とも。
そしてそういう意見ってやっぱりちょっと目立つので、2回くらい目にしたら「多い」と感じてしまう人が多いのかな、と。それで実際よりもたくさんいるように思えてしまうのかも、とか。
この手の話自体が、そもそもSNSのひとりごと的なツールによって表に出てきたものなんじゃないかな。わざわざ年賀状の子供写真ってどーなの?とか人との会話で話題に上らせないし、上らせたとしてもさらっと流れて忘れていく程度の話か、あるいは深刻に傷ついているのならそれはそれで話す側も聞く側も心にしまっておく内容で、それがネット上だから気軽に口に出せてログが残って、同じ意見の人がたくさんいるようにも見えて、という現象。
それだけの話なのに、わざわざ”議論が紛糾”みたいにニュースサイトやメディアが取り上げて、あたかもそれが何かのマナーやモラルであるかのような、傷つく人もいるから配慮しなければならない、みたいな話に繋げていこうとするから何だかおかしなことになっているんじゃないかと。
と、なんとなく思ったことをつらつらと書きました。たまには。まとまりないけど結論が出る話じゃないからいっか。下品な話なら何をどこまでどれだけ書いても凛と胸を張り堂々と顔を上げサウンドオブミュージックの冒頭シーンのように遠くアルプスの峰の向こうまで高らかに響き渡らせることができるのに(壮大な例えをするな)(ていうか響き渡らせるな)(成増のダイエーの真ん中でま○こと叫んだことならありますが)(ダイエーとアルプス一緒にするな)(ていうか叫んだのかよ)この手の賛否分かれるような話題だとすごくびくびくしてしまうあひるちゃんがお送りしました。そして下品なことは別に人と違うこと言いたいから言ってるわけじゃなくて言いたいから言ってるだけです。あひるちゃんをよく読んでくださっている方にはおわかり頂けていると思いますが。魂から言ってる。もろっと。
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関連リンク。
んん?年賀状の話、産經新聞が使い分けてる。印象的だった「『あなた方の人生まで背負えないよ』という気持ちです」の一文があったりなかったり。へえ。どうしてだろ。
【日本の議論】「どういうつもり?」「何が悪いの?」…子供の写真入り年賀状の賛否 スマホアプリ普及でますます白熱  (3/4ページ) – 産経ニュース


「個人的な事情を知っていたら、もちろん配慮はします。でも、事情を知らないのに『察しろ』といわれても無理。『あなた方の人生まで背負えないよ』という気持ちです」と反論する。

子供の写真入り年賀状、アプリ普及で賛否過熱?「嫌味」「何が悪い」 (3/4ページ) – SankeiBiz(サンケイビズ)


「個人的な事情を知っていたら配慮はしますが、知らないのに『察しろ』といわれても無理」と反論する。

しばらく前に見かけたコラム記事に、傷ついた傷つけられたと難癖を付ける人のことをこんなふうに名付けていてなるほど、と思った。
ネットの進化とともに増加する”繊細チンピラ”とは? – トゥギャッチ
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あひる関連記事。
ずいぶん前に書いた「ゲーム脳」講演の、デマ拡散の話も思い出しました。
March 11, 2006
〇六三六「ゲーム脳」講演事件その3:拍手についての詳細(3/13追記)

あひる下品関連記事(ここでそれ)
September 06, 2014 [下品注意]「蛸と海女」のト書き部分の現代語訳知りたい人いる?
August 29, 2012 [下品注意] ロシア好色昔話大全「うぐいすマラ」の教訓(?)がナイス
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April 18, 2013 [下品注意] 映画「変態仮面」チン○ってセリフが多過ぎでPG12規制→急遽「ティンコ」を織り交ぜるも規制変わらず [下品注意]
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October 04, 2007 伊藤理佐『微熱なバナナ』、下品だけどきらわないであげて下さい。。
June 04, 2008 ちょ!?まん[下品注意]
ざっとこんなところかな?(多いよ)


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“ジャポニカ学習帳が昆虫写真じゃなくなったのは本当にクレームのせいなのか(途中からなぜか下品)” への2件の返信

  1. ネット上のソースがあやふやな話ということで、結構古いですが、「Facebookはバカばかり」(http://hagex.hatenadiary.jp/entry/20120202/p5)という記事を思い出しました。
    ツイッターの何気ない一言やアカウントという一滴が、よきにつけわるきにつけ、注目されて気づけばものすごい奔流になっていくのを見ると、インターネットを使う我々一人ひとりは15年前に比べて、インターネット全体のなかで小さくなり、一人ひとりの中のインターネットの割合が大きくなったのだ、と思います。
    むかしは、インターネットで面白いことがあっても、ホームページを持つ人しか、それを発信できなかったし、個人ページだったからアクセス数もたがが知れていて、そのなかでも先行者はやっぱすごく面白くてブームになったのでしょう。
    逆に言えば、それくらい面白くないといけなかったというか。
    そして、下品つながりなのですが、伊藤理佐先生のなまけものダイエット(http://crea.bunshun.jp/articles/-/6691)更新されてますー。
    そして、はしょり道とピータンの新刊12日発売、ダイエット本も一月に二冊発売ですね。
    いとうりさ先生の書く、あーちゃんのよいおかおで待ち望んでおります。

  2. > マヌルネコさん
    わ!伊藤理佐新刊情報ありがとうございます!おいピータンは予約していましたがはしょり道、ダイエット本は知らなかったです!わあ楽しみだ~。
    > 我々一人ひとりは15年前に比べて、インターネット全体のなかで小さくなり、一人ひとりの中のインターネットの割合が大きくなった
    なるほどそうですね、そんなかんじですね。SNSとスマホの普及で、こんなにも多くの人がネットにアクセスし続ける世の中になるなんて、何だかすごいですね。でもその「ネット」って確かにすごく個人的なものなんですよねえ。

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