岩手の酒蔵「酔仙」復活へ 近く事業再開 [地震関連]

asahi.com(朝日新聞社):【岩手】「酔仙」復活へ 近く事業再開 – 食と料理
酔仙酒造、10月には新酒 半年ぶり操業再開  : J-CASTニュース
良かった!!
酔仙さんのことは地震以来ずっと気になってちょこちょこ検索したりしていたので、このニュースは本当に嬉しいです。
以下、ニュース全文引用。


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asahi.com(朝日新聞社):【岩手】「酔仙」復活へ 近く事業再開 – 食と料理
2011年8月17日14時32分
 ”津波で酒蔵が壊滅した岩手県陸前高田市の老舗「酔仙(すいせん)酒造」が、8月下旬の再起を決めたことを、震災後に手紙で励ましてきた長年の取引先や愛飲家は喜んだ。酒蔵を貸して再出発を手助けする同業者も岩手を代表する日本酒の復活を待ち望んでいる。
    ◇
 金野靖彦社長(65)は東京都文京区の居酒屋「岩手屋」に「再開します」と電話を入れた。同業の同県奥州市の「岩手銘醸(めいじょう)」から酒蔵を借りて再出発するための手続きを6月下旬に終えた数日後のことだった。
 岩手屋の店主内村嘉男さん(75)は盛岡出身。1960年代から日本酒は酔仙酒造の看板銘柄「酔仙」一本だ。金野社長が平社員の時から付き合いが続く。常連客と酔仙の酒蔵を訪ね、ゴルフや温泉を楽しんだこともある。
 店の酔仙が底をつくと常連客からは「また飲みたい」との声がもれた。義援金5万円に「復興を願います」との手紙を添えて酔仙に送った。新酒が届いたら、客と杯をかわして祝うつもりだ。
 3月11日、酔仙酒造では前年から仕込んだ酒の出荷を祝う行事が予定されていた。だが、その1時間ほど前に本震。そして津波に襲われた。社員と役員57人のうち7人が犠牲になった。酒蔵はがれきに埋もれた。
 金野社長は途方に暮れた。1944年の創業で、「酔仙」は2007年と08年に開かれた全国新酒鑑評会で金賞に輝いた老舗だ。
 「岩手を代表する酔仙が倒れたら蔵元は共倒れになる」。岩手銘醸の及川順彦社長(54)はそう案じた。日本酒の消費量は全国的に低迷している。県内の酒造会社はこの35年で35社から23社に減った。
 及川社長は酔仙の技術を尊敬していた。「甘すぎず、のどごしがよく、飲みあきない。ライバルだけど今は助け合わなければ」。2カ所に持つ酒蔵のうち、陸前高田市の西隣にある一関市の酒蔵を提供したいと関係者を通じ伝えた。
 両者でやり取りを重ね、税務署への移転手続きを終えた6月下旬、金野社長は岩手銘醸に及川社長を訪ねた。「陸前高田で再建するまで2、3年、お借りします」「焦らずに。何年使っても結構ですよ」。2人はそんな言葉を交わした。
 酔仙酒造に全国から届いた励ましの手紙は約200通。金野社長は「どれほど元気をもらったかわからない」。当面の目標は10月の初出荷。そして、必ず陸前高田に戻って酒を造ることが、支えてくれた人たちへの恩返しと誓っている。”

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酔仙酒造、10月には新酒 半年ぶり操業再開  : J-CASTニュース
2011/8/23 12:43
 ”震災で壊滅的な被害を受けた陸前高田市の酔仙酒造は8月22日、一関市の千厩酒のくら交流施設内の酒蔵で操業を再開した。新酒醸造祈願を行って、10月の新酒出荷を目指して本格的に仕込みの準備作業が始まった。
酔仙酒造は、「金野酒造」と近隣の造り酒屋が1944年に合併した「気仙酒造」が前身の岩手県を代表する酒造会社で、「酔仙」や「雪っこ」などの銘柄で知られる。
震災で従業員58人のうち7人を失った。国の登録有形文化財に指定されていた昭和初期に建てられた本社や酒蔵は津波に流された。それでも、何とか伝統の酒造り絶やしたくないと、金野靖彦社長、長男泰明さんらが奔走、一関市の酒蔵を借りて、再開にこぎつけた。ぶじだった従業員は再雇用、酒造りに取り組む態勢も整った。”


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