ようやく本震から1ヶ月経ったところで大きな余震が相次ぎ、気が抜けない日々に引き戻されてしまいましたね。
復旧したばかりのライフラインが止まってしまったという話も聞きますし、地震速報を見ていると被災地域各地は数時間おきに揺れている状態で、現地のかたがたはどれだけ不安な日々を過ごされていることかと思います。
暖かくなったとはいえ季節の変わり目で、体調を崩しやすい時期でもありますし、どうぞくれぐれもお大事に。直接被災はしていない地域でも、なるべく元気で過ごせるように気をつけたいですね。
そんな中、とても励まされるレポートを読みました。
釜石市の小中学校が、いかにして防災教育に取り組んできたか、そしてその成果として、なんと本震の当日、学校から避難した生徒児童全員が助かった、という話です。
レポート序文を、はじめに全文引用させて頂きます。
■研究成果 広域首都圏防災研究センター 速報:釜石が繋いだ未来への希望 -子ども犠牲者ゼロまでの軌跡-
(ネタ元:clione clitiques)
(序文全文)
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平成23年3月11日(金)14:46 太平洋沖にてM9.0という超巨大地震が発生し、それに伴う巨大津波の襲来によって、東北地方を中心として東日本の太平洋沿岸全域が甚大な被害に見舞われました。この度の災害で犠牲となった方々に対しましてお悔やみ申し上げます。また、ご遺族の皆様に対しましてお見舞い申し上げます。今なお、多くの方々が行方不明のままであり、ご家族の方のお気持ちを察すると、胸が痛む思いです。また避難された方も寒さや食料不足により、不便な生活を強いられており、大変なご苦労が続いていることと思います。そして、福島原発の問題や電力不足による計画停電が実施されていることもあり、直接の被災者だけでなく、多くの日本国民が不安な思いでいることと思います。
しかし、このように甚大な被災の現場において、奇跡ともいうべき見事な対応によって、多くの命が救われた地域がありました。それは岩手県釜石市です。被災後数日間、全くと言ってよいほど地域の被災状況が報道されなかったこの街で、子どもたちは教えられた通り、いやそれ以上の対応をとることで、巨大津波から無事に生き残りました。釜石市ではこの度のような大津波の襲来を想定して、学校における津波防災教育を熱心に取り組んできました。その結果として、釜石は地域の財産であり、未来への希望である子どもたちを津波から守ったのです。
不運にも数名の子どもたちが犠牲となってしまっており、またこれだけ多くの方々が犠牲になっているので、手放しに喜ぶことはできません。しかし、暗く悲しい、そして不安をかき立てるような報道が多い中で、少しでも希望の光をこの国に届けることができればと思い、子どもたちが成し遂げたことの経緯と、被災時の様子を紹介したいと思います。そして、あれだけの巨大津波に対しても、日頃からしっかりと備えておくことができれば、犠牲者ゼロは不可能ではないんだ、ということを、今後大きな地震の発生が危惧されている地域の皆さんにお伝えしたいと思います。
本来であれば、この情報は、釜石市の防災・教育関係の現場の皆さんが発信するべきことは重々承知しています。しかし、今彼らは被災後のつらく苦しい状況で、まさに死力を尽くして対応にあたっています。そんな彼らの励みになればと思い、これまで釜石市と一緒に防災教育を推進してきた者の一人として、彼らに変わり、被災後間もないこの時期に、この奇跡を報告させていただきます。
平成23年3月20日
群馬大学広域首都圏防災研究センター長・教授 片田敏孝
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奇跡、と書いておられますが、各章を隅々まで読めば読むほど、これは奇跡ではなく、ひとえに地道かつ有効な努力の積み重ねによる、教育の力なのだということがひしひしと伝わってきます。
以下に、リンクとともにレポート内容をご紹介します。ごく一部ですので、興味がおありでしたらぜひリンク元を読んでみてください。
■研究成果 広域首都圏防災研究センター:鵜住居小学校・釜石東中学校におけるこれまでの活動および被災時の対応について
すごい!平成21年度から、こんなにも本格的な防災活動をしていたんですね。
「学校から高台の避難場所まで駆け上がる」!など、子供たちがジャージ姿で超本気の防災訓練をしています。
しかも学校の児童生徒だけでなく、ご近所の大人たちにも本気で協力を仰いでいます。
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協力してくれる世帯の方には、地震発生後、子どもが駆け込んできた場合には、近くの避難場所まで一緒に避難してもらえるように依頼しました。その際、たとえ津波襲来の可能性が低いと思われていたとしても、「この程度の地震では津波は来ない」などといわず、必ず駆け込んできた子どもと一緒に避難してほしいと強く依頼しました。
この理由は、2つあります。一つは、せっかく学校で教えられた「揺れたらすぐに避難する」という行動を子どもが実行したのに、大人がそれを否定するような対応をとることで、次回からその子どもが避難しなくなってしまうことを避けるためです。もう一つは、子どもに駆け込まれた世帯の方にも避難するという行動を経験してもらうためです。人には、いざというときにその場の状況は異常ではなく平常であると思う傾向があるといわれています(正常化の偏見)。
そのため、たとえ『こども津波ひなんの家』に協力してくれるような意識の高い住民であっても、いざというときには“今がそのとき”と判断することができず、避難を躊躇してしまう可能性があります。これを回避するためには、避難するという行動を経験しておくことが有効であると考えました。人は実行したことがあることしか、いざというときに実行することはできません。頭で知識として理解しているだけでは不十分なのです。つまり、地域住民の避難促進策の一つとしても、この仕組みを導入しています。
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そして、本震当日の避難状況について。
学校から避難した生徒児童約570人は全員が無事。数少ない犠牲者は、当日学校をお休みしていた生徒さんや、迎えに来た保護者さんとともに避難の列から離れた生徒さんだったのだそうです。
■研究成果 広域首都圏防災研究センター:東北地方太平洋沖地震に伴う津波襲来時の小中学生の避難状況
“釜石市における防災教育の理念でも紹介したように、『子ども安全』をキーワードにして、保護者、地域住民へと活動を波及させていくことで釜石市全体の防災力の向上を目的として、これまで活動してきました。これまで紹介したように、子どもたちの対応は何のケチのつけようもない100点満点の対応をしてくれたと思います。その一方で、保護者や地域住民については、「学校で防災教育を実施していく仕組みが整ってきたので、これから力を入れて本格的にやっていこう」という状況であったため、他の自治体と同様に、多くの方が犠牲となってしまいました。
特に保護者については、地震発生後に、子どもたちを学校に迎えに行ったために被災したケースが少なくないようです。
(中略)
先人からの言い伝えである『てんでんこ』を実行することができなかった保護者がいたことが残念でなりません。”
『てんでんこ』という言葉についてはこちらに解説が。
■研究成果 広域首都圏防災研究センター:釜石市がこれまでに行ってきた津波防災教育
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三陸地方には、『てんでんこ(津波てんでんこ、命てんでんこなどとも言う)』という言葉が言い伝えられています。これは、「津波のときには、家族のことも構わずに、てんでばらばらに避難せよ。」という津波襲来時の避難のあり方を意味したものです。この言葉から、過去の津波で、多くの犠牲者がでたことを受けて、「一家全滅という最悪な状況にならないために」という後世を思いやる先人の苦渋に満ちた思いをうかがい知ることができます。
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同じ章、釜石市がこれまでに行ってきた津波防災教育には、こんなことも書かれていました。
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釜石市で行ってきた津波防災に関する教育方針は、津波の怖さや避難の重要性を伝えるだけでなく、釜石の魅力も同様に伝えることにしています。子どもたちに津波の恐ろしさばかりを伝えてしまうと、「そんなに危ないところならば、住みたくない」など、彼らの故郷である釜石のことを嫌いになってしまうかもしれません。
そのため、釜石の魅力についても、同等以上に伝えることで、「釜石は自然豊かでこんなにも素晴らしいところである。しかし、自然の恵みを享受した生活を送っている以上、ときに災いもある。そのときには、避難することで災害をやり過ごせばよい。」という考えを持ってもらうことで、郷土愛を育むことも目的の一つとしています。
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その他の章はこちら。
■研究成果 広域首都圏防災研究センター:釜石小学校におけるこれまでの活動および被災時の対応について
■研究成果 広域首都圏防災研究センター:東北地方太平洋沖地震に伴う津波による浸水実績調査
あれだけの津波に襲われながらも、迅速かつ的確に避難行動をすれば、「犠牲者ゼロ」も夢ではないのだという事実、それから「自然の恵みを享受した生活を送っている以上、ときに災いもある」という言葉に、先の見えない状況が続く今、本当に大きな希望をもらえた気がします。
また、それに備えるためにはこれだけ本気の、常日頃からの防災意識、防災活動が必要なんだということを実現し見せてくださった釜石市の皆さんに、心からの賞賛を送りたいです。
強いぞ、てんでんこレンジャー!
(画像元:鵜住居小学校・釜石東中学校におけるこれまでの活動および被災時の対応について)