8月15日は #終戦の日 です。
ちょうど戦後80年を迎える本日、「#火垂るの墓」が21時よりノーカットで放送されます。
今回で14回目ですが、同作が終戦の日に放送されるのは初めてです。 pic.twitter.com/aZnTW7o5Zv— キャッスル@ジブリフリーク (@castle_gtm) August 14, 2025
今年は戦後80年ということで、NHKのいろんな特集やドラマを見ました。主に一人で。でもこれはうちの子と観ようと思って、太平洋戦争中の話で、悲しい話だけど見る?と事前情報を伝えつつ、一緒に観ました。
私もたぶん35年ぶりとかじゃなかろうか。子供の頃…高校生か中学生くらいだったかなあ、テレビで父と一緒に見た覚えがある。細部を忘れていたので、久々に見始めてのっけから、清太だけでなく浮浪児たちが死ぬのを待つばかりで放置され、通行人も気にも止めていない様子や(虎に翼でもそういう描写ありましたね)、お母さんの無惨な死に様などを見て、こんなに残酷な描写が多かったのかと驚いてしまった。
大丈夫かな…と心配になったけれど、うちの子、最後まで淡々と見ていました。ところどころ、えっひどくない?とか言いつつ。特に焼夷弾。爆弾じゃないんだね、と。ほんとね。爆発しないならそこまで残酷じゃないのかな…とうちの子が言ったそばから、節子をおんぶする清太の真横で家々から爆発のような火の手が上がり、ひい、となりました。
そう!あのね、『火垂るの墓』といえば「働かない清太が悪い」説あるじゃないですか。でも、冒頭で清太、てきぱきと避難する準備してるんですよね。まず梅干しやかつおぶしなどの保存食を庭に埋め(「何やってるの?」とうちの子。家が焼けたらだめになっちゃうけど、こうして埋めておけば焼けずに済むから後で取りに戻るつもりなんだよ)、心臓が悪いお母さんに向かって「薬持った?」とまで。母親のことまで気遣い、幼い妹をおぶって、荷造りして、お父さんの写真も持って。
清太…立派やないの…14歳じゃろ?十分立派やって…。
そして、無惨な姿の母のことは妹に隠しておくだけじゃなく、すぐに母親亡くなるんですね!?遺体を投げ込んでまとめて焼却する場面にまで立ち会って…あれじゃお骨も誰のだか…。遠縁のおばさんちに着いてからも、母のお骨は庭に隠し…すでに亡くなっていることを知られたら立場が悪くなると悟っていたんだろうな…。あと件のおばさんものっけから「海軍さんとこは戦時中だっていうのに贅沢できていいわねえ」みたいな嫌味言ってくるし。いや、おばさんも当時は自分の家族を守るだけで精一杯だった説もわかるが、元から微妙にイヤな人だったのも確かじゃないかこれ。
で、あの、もう、節子の声が!可愛いのです!ほんとに幼い子の笑い方すんの。キャキャキャ!って。あと清太がほんといいお兄ちゃんで…ずっと遊んであげてんの…
時々、赤い照明を浴びているかのような二人の魂、のような描写があるじゃないですか。これも今回見返すまですっかり忘れていた。おばさんの家で泣く節子の声に思わず耳を塞いだり、魂になってもまだ苦しんでいる清太の様子が。もう。
ていうかそもそも冒頭から、魂となった清太が、形見のドロップの缶を拾って(ボロボロに錆びていた缶が持ち上げる間にぴかぴかに…)、節子の手を取り、『火垂るの墓』のタイトル…ここから泣くしかなかった。
節子がどんどん弱っていく様が、ジブリの、高畑勲氏の渾身の作画で克明に描かれていて、つらかった。つらかったです。
昔見た時も印象に残って覚えていたのは、最後ね、節子が死んでしまってから、二人が暮らしていた防空壕跡の近くにお金持ちのお嬢さんたちが笑いさざめきながら帰ってくるじゃないですか。あの残酷な格差と、そこにかぶる節子の元気な姿の幻でした。当時一緒に見ていた父が、「最後のあの、節子ちゃんのシーンは、ことさらに可愛い仕草を見せつけてわざと泣かせようとしてるようで、あざといなあ」と皮肉っぽく言ったんですよね。団塊の世代、常に世の中を斜めに見て辛口批判が好きな人でした。いや、あれ見てそんな感想しか持てなかったのか父よ、と思ってしまった。
今回、11歳の息子の隣で、親の立場になって同じあのシーンを見て私が思ったのは、もうあんなん、ただ生きて、幼くて、楽しんで、はしゃいで、笑って、暮らしていただけじゃないかと。そして、こういうことが至る所であったのだなと。
それから清太、火葬してるんですよね一人で。節子を。炭を売ってくれたおじさんも、よく晴れてカラッとしてるからよく燃えるやろ、みたいなことをカラッと明るく言っていて、こういったことが日常茶飯事になっていることが伺える。そして丸一日かけて節子を荼毘に伏す清太の様子が淡々と描写され。そう、その少し前の、節子の亡骸を抱いて虚ろな表情をしている清太の止め絵もつらかったです。もう少し前の、眠っている節子を思わず抱きしめてしまう場面も。ちょっとね、今、ほら、私一人で子供を必死に育てているので。重ねてしまって。先の見えない不安とか、それでもやっていくしかない、恐怖とか。後ずさりしてももう道がなくなっているのが、かかとの感触でわかる感じと言いましょうか。
原作では、節子が亡くなったのは8月22日らしいです。ちょうど今日。清太が三宮駅で亡くなったのは昭和20年9月21日。1ヶ月…もう、生きていく気力がなくなってしまったんだろうな。誰か、誰かなんとかしてやれなかったのか…と思わずにいられませんでした。うちの子にもそう言ってしまった。誰かなんとかしてやれなかったのか…子供は社会の宝なのに、と。節子ちゃんは4歳、清太くんは14歳らしいから、タローはもう節子ちゃんというよりどちらかというと清太くんに近い年齢だね、とも。私を見上げるつぶらな瞳は、それでも4歳の幼さを色濃く残しているように感じられました。
私、今年で50歳になるのです。父が昭和20年(1945年)5月生まれなので、生きていれば80歳。子供の頃から、戦後〇〇年、とニュースで言われる時、常に父の年齢と同じでわかりやすかった。それから父が30歳の時に生まれた私自身の年齢とも、キリがよくて数えやすかった。80年の節目なのだけど、今年はちょっと、自分の人生が怒涛の過渡期すぎて、NHKの戦後記念特集もたくさん見たんだけれど、あまりきちんとした感想を残しておけそうになくて。でもせっかく8月15日に放送されたのだし、『火垂るの墓』については書いておこう、と思いました。
映画の最後、丘の上のベンチに座る清太の膝で節子は眠ってしまい、清太がつとこちらを見るじゃないですか。目が合ってしまい、どきりとする。眼下には映画公開当時1988年の神戸のきらびやかなビル群。当時すでに戦後まもなく40年という、いや、”現代”ということだろうから、戦後80年の今ももしかしたら、幼い二人はまだ成仏できずにこの世を彷徨っているのだと思うと。なんと重苦しいラストシーンだろうか。
誰か、じゃないな。誰かなんとかしてやれなかったのか、ではなく、なんとかしないといけないのだな。
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以下、印象的だったツイートメモ。
近藤喜文さんが描いたイラストを使った前売券用特典ポスターや劇場用チラシには、蛍の光だけではなく、2人の背後にB-29とそこから投下されている焼夷弾も描かれています。原作者の野坂昭如さんは、"蛍"と焼夷弾の"火が垂れる"ことを掛け合わせてタイトルを「#火垂るの墓」にしたと明かしています。 pic.twitter.com/6419kqTi3u
— キャッスル@ジブリフリーク (@castle_gtm) August 15, 2025
#清太 が横たわるこの場所は兵庫県神戸市にある三宮駅です。#高畑監督 は制作前にこの場所を訪れています。駅構内の様子は戦後まもない三宮駅とは変わっていましたが、建物の基本を生かし、当時の様子をアニメーションに反映させました。#火垂るの墓 #金曜ロードショー pic.twitter.com/iCDliJWiLG
— アンク@金曜ロードショー公式 (@kinro_ntv) August 15, 2025
火垂るの墓で節子を死なせてしまった清太をクズ扱いする感想を見かける度にめまいがする。
終戦80年、かつて高畑勲が予想した通りの「清太を糾弾する意見が大勢を占める時代」がすぐそこまで迫ってきている。 #火垂るの墓 pic.twitter.com/Gu766lp22c— ラ・フェルノ(静養中) (@hashira_aeon) August 15, 2025
遠いなー?と思って図にしてみたけど、これは⋯ほぼ他人では⋯?w西宮のおばさん、受け入れるだけでもう心が広いのでは⋯。その間に居るはずの親戚の数々は何してんの!?この時代きょうだい多いはずなんだけどなぁ。
#金曜ロードショー #火垂るの墓 https://t.co/5oNqVS4sPr pic.twitter.com/3fs1ONrZjX— ゆたかちひろ@漫画家&Illustrator (@yutakachihiro) August 15, 2025
『火垂るの墓』
おばさんが雑炊をよそう時、清太と節子にだけ具をわざと避けて入れています。一枚目は下宿人の学生、三枚目は清太の分。その事に気づいた清太は一瞬ハッとしますが黙って受け取ります。
ちなみにこの具の一部は清太が持ってきたものです。☞ pic.twitter.com/TEsAtnaGT4
— ドラゴン士 (@eigarunner) August 15, 2025
当時の7000円は、現代の貨幣価値で約1400万円と思われます。
子どもだった清太は、これだけのおカネがあれば自分たちでなんとかなると思ったのかもしれません。
しかし、この頃は配給によって賄われるので、コミュニティから外れると生活が困難になります。#火垂るの墓 pic.twitter.com/WMoX5P6XKC— ジブリのせかい【非公式ファンサイト】 (@ghibli_world) August 15, 2025
清太の声を担当したのは当時16歳だった辰巳努さんです。関西弁を喋る少年という条件の下、オーディションで選ばれました。清太が節子をおんぶするシーンや追いかけ回すシーンの声は、実際に節子役の白石綾乃さんを辰巳さんがおんぶしたりスタジオの中を追いかけ回して収録したそうです。#火垂るの墓 pic.twitter.com/ByA810NZJg
— キャッスル@ジブリフリーク (@castle_gtm) August 15, 2025
#野坂昭如 さんの小説『#火垂るの墓』に以下の記述があります。
「八月二十二日昼、貯水池で泳いで壕へもどると、節子は死んでいた」
(#高畑勲 監督による映画では日付は明示されていませんが)本日は節子の命日です。享年4歳、1941年生まれだとすると存命ならば現在84歳。#宮崎駿… pic.twitter.com/IlO1tb0CLf— 叶 精二(Seiji Kanoh) (@seijikanoh) August 21, 2025
実は、私が火垂るの墓でいちばんショックだったのが、
このシーンなのだ。節子が亡くなった翌朝、
防空壕の近くに住む上流家庭の姉妹が疎開先から帰宅し、
まるで何事もなかったかの様に日常に戻る。
はだしのゲンの父親が言っていたよな。
戦争は、一握りの金持ちが儲ける為に始めたと。#火垂るの墓 pic.twitter.com/59ei9v78N5— M16A HAYABUSA (@M16A_hayabusa) August 15, 2025
清太不在時の節子の生活を描いたシーンは、原作には無い映画オリジナルです。「はにゅうの宿」がBGMで流れますが、原曲の歌詞の日本語訳は『我が家に勝る所なし』となり、節子にとっては池の畔の横穴こそが我が家で、未亡人の家で過ごしていた頃よりも幸せだったことを表現しています。#火垂るの墓 pic.twitter.com/O9pNopxqiF
— キャッスル@ジブリフリーク (@castle_gtm) August 15, 2025
ラストは、幽霊の清太と節子が丘の上から現代の神戸の夜景を眺めています。これが意味することは何でしょうか。
本作の製作発表で、高畑勲監督は「この物語は戦時中だけの話ではなく、現代にも続く」ということを語っています。#火垂るの墓 pic.twitter.com/29aEQG2dgS— ジブリのせかい【非公式ファンサイト】 (@ghibli_world) August 15, 2025
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