米飯給食の思い出 [私的トリビア]


《きのう何食べた?(21)よしながふみ/講談社》(※試験的に、出版社公式サイトへのリンクと画像を貼ってみます)

突然ですが米飯給食の話です!(3700字)
でも太平洋戦争の話にもつながります。8月ってそういう季節でしたよね、我々昭和生まれには。

えー。
最近すきま時間に『きのう何食べた?』を見ながら読むという贅沢をしておりましたところ、21巻#168に給食の話が出てきまして。シロさんの職場の法律事務所でいろんな世代の給食の思い出が語られ。お子さんがいる事務員さんが現代の給食の話をしたり。それを読んでいてそうそう!と思ったんですよね。うちの子が小学校に入ってびっくり、給食が充実している!地産地消と行事や季節感をすごく重視していて、どれも手間暇かかって美味しそうで!

昭和50年生まれの私にとって、小学校の給食にはしんどい思い出しかない。少食で好き嫌いも多かったし、でも残したら怒られるし、全部食べ切るまで昼休みの掃除の時間にもずーっと席に座らされて食べさせられてましたよね!

男子が振り回すホウキとちりとりと埃が舞い、他の子供たちが走り回る教室で、後ろの方に下げられた机に挟まれて嫌いなものを咀嚼する孤独と焦燥と羞恥…。5時間目が始まる頃にようやく呆れ顔の先生からもういいから下げてきなさい、と給食室までとぼとぼとお盆を持って行かされる日々(給食室の職員さんは優しかったのが救いだったな)。先に子育てを始めた友人たちから今はそんなことされない時代になっていると知り衝撃と安堵を感じたものですが。良かった…うちの子はあんなことされないんだ…。

そしたらそれどころか!毎日楽しみにしているではありませんか給食を!(倒置するほどの衝撃)
うちの子も少食で好き嫌いが多く離乳食からずっと苦労してきたので、給食なんてさぞ辛かろうと心配していたのに!

そしたらわりと平気と。キライなものもあるけど心を無にして飲み込んでると。別に残しても怒られるわけじゃないけれどちょっと見栄もあるのかなるべく残さないように頑張ってると。いいことだ〜てかならなんでうちでは奔放に残すねんしばくぞ〜?まあねわかりますよ学校で頑張ってるから家では好きにしたいんでしょうがしばかせろ〜?

あまつさえ、朝は献立表を見て「今日の給食〇〇だ!やったー!」と喜んで登校していくではありませんか。給食チェックするために玄関に今月の献立表を置くことにしたほど。だって毎朝のんびりのんびりしているお子をようやっと玄関に向かわせることに成功したと思ったらあっ給食!とか言って居間に舞い戻るんだもの!ムキャアアア!
はいいとして(いくないけど)
うちの子が…うちの子がこんなにも給食を楽しみに…!(溢れ出る涙)

給食のほとんどがご飯、パンや麺類はたまに、といううちの子の学校の主な主食も「きの何」の通りでした(主な主食って頭痛が痛い的な)。そしてシロさんが年齢に注目されないようにスン…としながら無言で思い返していた「米飯給食」というワード!

米飯給食!!(カイジ風に)

読めます?そこな平成生まれの御仁(いらっしゃるのか?あひる読者に)
「べいはんきゅうしょく」と読むのですよ茜丸。

昭和50年生まれワイ、米飯給食のために給食室に工事が入り、小4頃の半年だったか1年かくらいお弁当の時期があった世代。ちな3つ上の昭和47年生まれ兄は小学校卒業まで米飯なし、中学の途中から米飯になったはず。

それまでは、給食にお米が出なかったのですよ!?

えっ何それ。そんなことある…?
と、にわかには信じられないかもしれませんが紛れもない事実でございます。
給食室には!炊飯設備がなかったのです!
それを、全国で少しずつ工事していって、炊飯できるようにしたんですって!
そして始まる米飯給食!(ヘイ!)(ウルトラソウルか)

給食にお米が出ないって…どういうこと…?主食は…?ときつねにつままれたようなお気持ちかもしれませんが、パンです。パンとカレーです。パンとおでんです。パンとひじきです。あとソフト麺ね。

ソフト麺!!(カイジ風に)

あのほら、スーパーとかで売ってる、ひと玉ずつ四角い小分けパックになってるうどん。あれがそのまんま配られます。パックのまんまね。まんま配られて、いーたーだーきーます!(ます!)つったらみんなで自分のパックをもみもみもみもみほぐして汁物にぼちゃっと入れる(つみれと春雨のスープ好きでした)。そして食べる。え?冷たいですよ?(というか常温)それが何か?今の給食、あったかいらしいですよね!?嘘でしょ冷たいソフト麺ほぐして食べるんじゃないの!?

いやーすごい。時代。

米飯給食スタートの、記念すべき第一回めのメニュー私覚えてますよ。じゃーん、カレーライスでした!

カレー、ライス!!

カレーにパンじゃないの!
カレーにソフト麺でもないの!

カレーに、ライス!!
すごい!!昭和の子供たち大喜び。懐かしいな〜私10歳だよ。41年前ですよ。1985年のお話ですよ。時代〜。私は東京でしたが、他の地域の方々はいかがでしたか?覚えてます?いつから米飯給食だったか!間に合いました!?うちの兄みたいに中学からだったり、あるいは義務教育中には間に合わなかった方もいらっしゃるんだろうか…。

今ちょっと調べたら「米飯給食」が制度上導入されたのは昭和51年(1976年)、えっ私が生まれた直後じゃないの。「昭和50年代後半から全国に普及」らしいですが、10年かかってるのか。ずいぶん長いな。全国の小中学校を工事、というとそのくらいかかるのか?でも子供たちどんどん育って卒業しちゃうじゃないの。むーん。

でです。ここまでは思い出話なんですが、ここからが問題で。
「きの何」の給食回を読んだ数年前に何の気なしに米飯給食について調べたら、なんと、給食がパンやら麺やらだったのは、太平洋戦争に日本が負けたせいだったと。えっ。

アメリカで余ってた小麦を押し付けられ、子供の頃から日本人の食生活をアメリカ寄りに改変するためだったと。あ、農林水産省の説明によると、あくまで「栄養失調の児童・生徒を救済するため」であり、「米偏重による栄養的欠陥を是正し、食生活を合理的に改善できるものとし、パン食が奨励されて」いたそうですがね。

これが衝撃で…。
私が当時読んだ記事が探しても見つけられなかったのですが、時の大臣だったかが立役者となり、日本人の食文化と米農家を守るために必死でアメリカや、アメリカに言いなりの政府と闘い続け、何年もかけてようやく実現した、それこそが米飯給食だったと…

そ、そうだったのか…。
私たち昭和終盤生まれにとっては第二次大戦はとっくに教科書やテレビで見聞きするだけの「昔」になっていて。実父はかろうじて昭和20年の5月生まれでギリ戦前生まれではありますが、親も「戦争を知らない世代」と呼ばれていて。テレビや新聞の毎年夏の「戦後〇〇年」特集はいつも父の年齢と同じで、戦後40年、50年、という、子供の自分にはただ「ずいぶん前」としか感じられなかったものだけれど。

そんな自分の、小学校の給食にまで、戦争の影響がこんなにも深く色濃く残っていたなんて。

ひどくないですか!?
「米偏重」て、あんたがたアメリカ人が朝からBBQで肉の塊焼いて食べてる方がよっぽど偏重だろ!(偏見です)
何ヶ月か前、ツイッターに自動翻訳機能がついた際にアメリカのダディーたちが「やあ日本の友達、僕のBBQをどう思う?」って一枚肉を鉄板みっちみちに焼きまくっては日本人からの反応をたぶん乙女のようにドキドキしながら待つ(キャラデザ羽海野チカ先生でご想像ください)、っていうのが流行ってたことがありました。美味しそう!とか横でおにぎりも焼くんだとかおにぎりに味噌をつけて焼いてみろとか多少焦げても大丈夫だとかみんな口々にアドバイスしててやってみたアメリカ人ニキたちが嘘やだこんなの初めてAmazeAmazeてなってて平和…平和だった…あれからまだ数ヶ月だなんて信じられない。テクノロジーはああいうことにこそ使ってほしい。自然発生的国際親善。

話が逸れましたが。
結局まんまとお米の消費量は減ってしまって、米農家さんは限界を迎えているともう何年も前から言われているのに昨年の備蓄米の過剰放出に加え今度はいつまでもはっきりしない買い戻し…。国の主食を守らないでどうするんだほんとに…。

そう!あと!
近年では給食室がなく、給食センターでまとめて作って配送する仕組みになっている、と聞いた時も衝撃でした。うちの子の学校にはたまたま給食室があるのですが…そんなことになってるの!?統廃合の影響なのだろうか…昭和の終わりにあんなに時間をかけてようやく工事した給食室なのに、30〜40年も経てばこういうこともあるのか…?いや給食室は作ろうよ…税金の使い方ほんとに間違ってる…。

と、やはり現状への不安や不満話になってしまいましたが…
給食の思い出と米飯給食について、でした。皆さんの思い出もよければぜひ教えてくださいませー。何が好きだったとか。
そうそう、うちの子の小学校の献立表見て私もびっくりしたんですよ、行事や季節感に溢れとる!え、私の頃の給食絶対こんなじゃなかったはず…季節感もへったくれもなかったと思うんだけど…皆さんどうでした?

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“米飯給食の思い出 [私的トリビア]” への2件の返信

  1. えー、更にあひるさんに衝撃を与えてしまうかもしれませんが。
    昭和46年生まれ55歳なりたての私、小2までは校内の給食室が一部稼動していたのは記憶してますが、それ以降は町内の学校全てが給食センターからの配送でした。
    多分1980年前後ですね。
    米飯給食は3年生の途中からだったと記憶してます。
    何せ児童数1200を超えるマンモス校な上に設備が老朽化してたし、町内に小中学校が10以上あったので、無理もないなと思います。
    完全に給食センター配送になったのと、米飯給食開始にそうズレがないのも、今思えばセンターが完成したか、米飯給食に向けての改装が終わったか、のタイミングだったのかなと。

    中学まではずっと週2回、水・金曜の米飯提供でした。
    コッペパンが主な主食(笑)で、たまにレーズンやパインが入ってたり。
    ドライフルーツ全般が苦手だったので、そういう時は憂鬱でしたが、昔も今も出された物は残さないというポリシーの下、意地でも食べ下してました。
    ↑明治生まれの祖母や父親の、横暴とも言える躾の弊害でもありますが、幼稚園ではアレルギー(の長い検査)の為にパンも卵も牛乳もダメで皆と同じものが食べられなかった所為でもあります。
    ちなみに米飯給食ではわかめご飯が絶品で、これを食べる為だけに教員になろうと考えたくらい(笑)

    30歳超えて友人達に聞いたり、ローカルニュースで地産地消給食の話題を散見して、地元給食に瓶ウニ(こちらでは小さめの牛乳瓶にウニが入っているのが一般的)が出てると知った時は、さすがに驚きました。
    当時なら多分1200円前後かな?
    でも町内の県立病院に入院した時、病院食に出た時はもっとびっくりしましたけど。

    そういえば、私は給食を食べられなくて残される友達の為と称して、彼女が食べられない物を全て引き受けてました。
    割とゆっくり食べる方だったのに、給食だけは早食いする癖が付いてたので、時間内に難なく食べ終えられたのが凄い(笑)

    長々すみません!
    でも米飯給食を導入する為に戦ってくれた人の話、私も朧気に覚えてます。
    確か当時の担任が話して聞かせてくれた筈。
    農家出身の先生だったんですよね。
    幼な心に妙に納得したのを思い出しました。

  2. k.satさん
    おおー!詳しくありがとうございます!なんてよく覚えてるんでしょう!すごい!
    そしてあれっ給食センターからの配送って昭和の頃からあったのですね!てっきり最近の少子化のせいかと。
    児童数1200超、私の代も1クラス50人x5クラスだったので、学年による前後はあれど大体同じくらいかしら。それが今や1クラス30人で多い方、1学年120人で多い方…1/10以下になってますね…

    わかめご飯!美味しかった覚えがありますが、本場三陸の方が絶対美味しかったでしょうねええ!
    瓶ウニ…!(初耳!)ご当地給食!

    幼稚園でアレルギーの検査、それは大変でしたね…ご祖父母の明治の教育、戦争体験もあれば尚更食べ物を残すなど言語道断、となるのもわかるのですが…それで育つのは結局罪悪感や焦燥感で…こんなに大人になってもまだ覚えてるくらいですしね。
    農家出身の先生が米飯給食の話をしてくださったとは素晴らしい!そういう話の方がよほど幼心に入ってくる気がします。子供の頃すぐにじゃなくとも、大人になってからじんわりと。

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